第636話 感情的で哲学的なヤツら
「そうだっ、みんなが聞きたいことがあったら全部答えるよ。あ、国家機密はちょっと……」
再会の言葉を交わし終えた直後、笑顔を引っ込めて早口気味になったタァンは、どこか焦ったように一気にまくしたてる。
ピクピクと動く犬耳と、ゆっくりと揺れている尻尾が彼女の不安定な心情を表現しているのは明かだ。
重たい内容こそ含んでいたが、さっきまでの明るい態度が嘘のようで……、我慢していたってことか。あんなに美味しそうに親子丼を食べて、嬉しそうにみんなと話をしていたっていうのに。
俺の記憶には残っていないが、一年一組の仲間たちが中学三年まで同級生だった大切な存在。
そんな彼女が犬耳族という魔族に転生し、再会を喜ぶべきシーンで動揺している。どうしてそんな態度を……。
「タァン、どうした?」
「タァン……」
急に雰囲気を変えた姉にシロゥネとチャアトが不安気になる。この様子だと、タァンは妹の双子に自分の内心を伝えていなかったのかもしれない。
だが、何だ。タァンは何に対して不安を抱いている?
彼女の豹変に気付いた仲間たちも、どうしたものかと口を挟めずに困惑するしかない。
「みんなの無事を確認して、ちょっとだけお話しして、必要なことを書いた手紙を渡すだけにしようかとも思ってたんだ」
もう取り繕うこともできずに声を震わせたタァンが言葉を紡ぐ。俺たちとの接触を最小限にしようとしていた?
「だけど、みんなが笑ってて、ご飯が美味しくて、凄く居心地が良くって……」
ついには目尻に涙を浮かべたタァンが、ポツポツと語っていく。俺たちはただ、何事かと耳を傾けるだけだ。
「だってさ、顔や声が同じままなのに、耳と尻尾が生えちゃって。その、死んだはずの人間が、さ」
そのセリフにみんなが凍り付いた。そうか、タァンはそれを気にしていたのか。
体を小さく震わせている彼女に対し、そんなことはない、なんて気軽い言葉は掛けられない。
タァンの心の中にあるものは、そんなに薄っぺらいものじゃないのだろうから。
「みんなだったらあっさり受け入れてくれるって、それは信じてたんだよ。話してみて安心もした。だけど、どうしても……」
こうなるともう、タァンの言葉は止まらない。堰を切ったかのようにしゃべり続ける。
「おかしいよね。これでもみんなの倍は生きてるはずなのに、それでもやっぱり怖かったんだよ」
明け透けに自分の死を語ったタァンは、あの時どんな想いをしていたのだろう。彼女はこっちが気に病まないように精一杯演じてくれていたんだ。
昨日の夜、タァンが敢えて自分が転生者であることを明かしたのは、一日あいだを置くことで俺たちに考える時間を与えようとしていたというのが理由だったのかもしれない。
そしてそういう優しさや気配りは、俺たちがどういう反応をするのか、それに怯える感情の裏返しなんじゃないかって……。
長い会話の中ですでに日も落ちた。談話室は普段通りにランプで照らされているはずなのに、室内が妙に薄暗いように思えて仕方がない。
「佐和ちゃん……、タァンは背が縮んじゃったね。ボクと同じくらいだ」
仲間の誰もが動けないでいる中、立ち上がったのは奉谷さんだった。
「そう、だね。元々それほど違わなかったけど」
ピクリと肩を震わせたタァンもまた絨毯の上に立つ。
「耳、可愛いね」
「そうかな?」
「うん。尻尾も」
そんな風に言葉を交わしながら奉谷さんはゆっくりとタァンに近づき、手を広げてからぎゅっと抱き着いた。
「間違いないよ。タァンも佐和ちゃんも一緒。全然変わってない」
「……そう。そうなのかな」
「そうだよ。温かいのも匂いも、同じなんだ」
二人は微笑み合い、そして一緒に涙を流していた。
タァンの手は、もう震えていない。むしろ奉谷さんの方が小刻みに身震いしているくらいだ。
そんな奉谷さんの背中に回されたタァンの手が、相手をあやすようにポンポンと叩かれる。
二人の様子を見守るシロゥネは相変わらず面白くなさそうで、チャアトは表情を引き締めているが、尻尾がパタパタしてるんだよな。姉が古い友人と真の意味で再会できたことを嬉しく思ってくれているのだろう。
「タァンは今、幸せ?」
「うん。新しい両親と妹たちがいて、村には仲間もいるからね。それに、ちょっと忙しくなってきたところなんだ」
抱き合ったまま会話を続ける奉谷さんとタァンを見守る仲間たちの中には、もらい泣きをしているヤツも多い。俺も結構、危ないかな。
滝沢先生は目を細めながらそんな光景を見つめ、ティアさんは薄っすらと笑顔を浮かべている。そしてメーラさんの目の端に水滴が浮かんでいるのが俺には見えているけれど、さすがにこれは知らないフリだな。
◇◇◇
「ペルマ=タまで来たのは買い出しをするのと、勇者の噂を聞いたからなんだよ」
数分程抱き合っていた二人が身を離し、目を赤くしたタァンは吹っ切れたように快活な声で昨夜の出会いを話し始めた。
「じゃあ、昨日のアレは偶然だったの?」
こちらもまた真っ赤な目の中宮さんが、鼻をすすりながら確認する。
「そうだよ。結局さ、あの変な人たちって何だったの?」
サクっと答えるタァンだけど、凄いな。『尻尾』をあしらったことなんて、片手間みたいなノリだ。
タァンたちが昨夜やってみせた追いかけっこからしても、魔族のポテンシャルが未だどれ程のものか想像もできない。
『話し難いのでしたら、わたくしとメーラは席を外しますわ』
昨日の夜、【魔力観察】の件を話すかどうか迷っていた俺を見て、どこか悟った風のティアさんは不敵に笑って個室に戻って行った。
そのあとの説明でクラスメイトたちとは魔族の持つ魔力の色と明滅について情報共有ができているが、ティアさんに伝えなかったことが何ともモヤモヤしているんだよな。
タァンが淡崎さんの転生者だと名乗っていなかったら、俺はティアさんやメーラさんにもこの件を話していたかもしれない。
俺が見たアレの意味も今の段階では推測だけで、正解にたどり着けているかはわからないんだけど。
それよりもだ。聖法国のことってタァンに説明してもいいんだろうか。
ペルメッダとアウローニヤの両国にまたがる話でもあるし、ここは藍城委員長の判断に任せて──。
「聖法国が勇者の身柄を狙ったのですわ。妙な仮面をつけていた連中は『六本の尾』を名乗っていましたわね」
「なるほど。だからタァンたちを見て態度がおかしくなったんだね」
開けっ広げに事実を暴露したティアさんにタァンたち三人が納得顔になる。雰囲気からするに、本当に聖法国が相手だとは知らなかったようだ。
そしてやはり、魔王国と聖法国の確執は魔族にとっての常識ってことか。二つの国が戦争をしているのは遥か西の国境地帯のはずなんだけど。
「それにしても、そっか。みんなは狙われてたんだ……」
そう呟くタァンの瞳からは強い怒りが見て取れた。それと同時に、何かしら含むものもあるような……。
「ところでよ、聞いてもいいか?」
「えっと、わたしも」
「僕からも、なんだけど……」
これで一息かと思ったところで佩丘と中宮さん、そして委員長の声がほぼ同タイミングで被さった。
質疑応答にしては密度が濃いメンツな気もするが、全員が大マジな表情だけに気軽に流すっていう雰囲気じゃない。
「あははっ、みんな遠慮が無いね」
これにはタァンも苦笑いだ。
「あの、タァンたちはこれからどうする予定なんですか?」
「ええっと、宿に泊まってから、明日の昼過ぎにはペルマ=タを出て国に戻る予定だったんだけど」
状況を見かねて助け舟を出した上杉さんにタァンが答える。そうか、本当にピンポイントの出会いだったんだな。
「でしたら今夜はここに泊まっていきませんか? もちろんお夜食も用意します」
そんな提案をする上杉さんに否を唱える仲間はいない。女子たちなどは、むしろ大歓迎の表情だ。
「……話も長くなりそうだし、お言葉に甘えるよ。シロゥネ、チャアト、お願いしてもいい?」
「おう」
「任せて」
満場一致の空気を受け取ったタァンは、妹たちに宿からの撤収作業を依頼する。
応える側は即決で行動だ。こういうところが魔族らしいのかもしれない。というか犬っぽいかも。
◇◇◇
「これでいいかな」
談話室を飛び出していったシロゥネとチャアトを見届けたタァンが、俺たちに向き直り腕を組む。
照れ隠しっぽいその態度は、それでも威風堂々としたものだ。そのままちょこんと胡坐をかいて座る姿は可愛さが先に立つんだけどな。
「答えられる限りは話すよ。誰から?」
上杉さんの誘導もあったけど、タァンが純粋魔族の二人に席を外してもらった理由は俺にもわかる。
身内にも秘密にしたいことがあるという意味ではなく、シロゥネやチャアトにはあまり聞かせたくない話題が待ち受けていることをタァンは察知しているんだ。
「ねえタァン。出来てから五日しか経っていないダンジョンに入ったのって、もしかして……」
佩丘と委員長に視線を送った中宮さんが無言の了承を得たと判断したのか、小さく手を上げてタァンに尋ねる。
「みんなを探したかったっていう気持ちはあったよ」
対してタァンはすでに開き直りを完了したようで、彼女がダンジョンに入ったのは、俺たち一年一組の失踪を受けてのものだったということをあっさりと打ち明けた。
「でもさ、タァンがダンジョンを楽しい場所なんじゃないかって思ってたのも本当なんだ。一層なら楽勝だって話だったし、強くなってやるぞー、ってね」
「タァン……」
おどけてみせるタァンの言っていることが本音かはわからない。それでもそんな態度を見せられた中宮さんは、渋々納得するしかなかった。
終わってしまったこと、なんだから。
「どうせ委員長の話は長くなるだろ。つぎは俺でいいか?」
中宮さんに続いたのは普段以上に難しい顔をした佩丘だった。
「俺たちがいなくなったってのも気になるが……、そっちは仕方ねえ。なあ、日本は、山士幌は、ダンジョンとやらができても大丈夫だったのか?」
「佩丘お前、何言ってやがる。馬鹿じゃねえのか?」
「うるせえよ」
佩丘の言葉にブスくれ田村がツッコミを入れたのも無理はない。あまり意味が無い問い掛けだからだ。
だが、粗暴であっても理に適わないことを嫌う佩丘らしくもなく、アイツの言葉には焦りが滲み出ていた。
聞かずにはいられなかったんだろうな。
「タァンが生きていた五日間だけの話になるけど、モンスターがダンジョンから出てきたってことはなかったよ。地上のどこにも。どこかの国が隠してたりしてたらわからないけど」
無意味に近い質問に対しても、タァンは優しくかみ砕きながら答えていく。
「六日目以降はわからない。ごめんね。こっちに転生しちゃったタァンには、何とも言えないんだ」
「い、いや、すまん。そりゃあそうだよ、な」
当たり前のことを当たり前として語るタァンに佩丘は歯切れを悪くするしかない。
もしもタァンがダンジョンのある地球で数十年を過ごしてからこちらの世界に転生していたとしたら、情報としてそれなりの意味を持つ答えを言っていただろう。それが壊滅した地球だったとしたら最悪だけどな。
だからタァンの口にした『わからない』という単語は、ポジティブにもネガティブにも受け止めることができる。
もちろん前提条件としてタァンが嘘を吐いていない必要があるが、彼女の様子からして、それはないと俺は思う。
「佩丘が気にすることじゃないさ。日本がどうなっていようとも、僕たちは戻る。そこから先は出たとこ勝負だ。違うかい?」
「へっ、わかったよ。変な聞き方してすまなかったな、タァン」
「んーん。佩丘らしいなって思ったよ」
「うるせえよ」
委員長の前向きなまとめには、佩丘もさっきの中宮さんと同じく無理やり納得するしかない。結局はそう考えるしかないからなあ。
佩丘の態度に腕組みをして訳知り顔でうんうんと頷くタァンは、やっぱりクラスメイトのノリだ。
「それで、委員長は?」
最後に深く頷いたタァンがパチっと片目を開き、ついに委員長へと水を向けた。
「……幾つかいいかい? とても聞き難いことなんだけど」
「どうぞ」
真剣な声色になった委員長だけど、タァンはそれでも飄々と先を促す。
委員長の雰囲気にむしろ仲間たちが表情を変えていく。大半は苦々しく、一部は悲しそうに。
「それじゃあタァン、君は自分のことを……、何者だって思っているのかな」
「犬耳族で転生者、ってことじゃないよね?」
「そうだよ。これは僕たちの『存在』にも関わることだから」
哲学的な切り出し方をした委員長の問い掛けにも、タァンは動じた様子もなく答えてみせた。
「……真くん」
そこで低い声を挟んだのは中宮さんだ。
この件になると彼女は荒れるんだよな。自分自身じゃなく、仲間たちの気持ちを慮る形で。
だけど委員長はメガネを光らせ、片手で中宮さんを制してみせた。二人の力関係、物理じゃなくて精神だけど、それを鑑みてもとても珍しい光景だ。
まあ、委員長の気持ちもわかる。
SF者である委員長がずっと拘ってきたことへの解答になるかもしれない存在が、目の前にいるのだから。
「『スワンプマン』っていう言葉があるんだ」
「何それ」
委員長が口にした単語に、タァンは首を傾げた。
◇◇◇
「なるほどね。タァンやみんなは記憶や性格まで全部『コピー』された存在かもしれないってことか。で、犯人は『迷宮』」
「もしくは地球の『ダンジョン』だね」
一連の説明を受けたタァンが腕を組んだまま納得したように頷き、委員長は新しい可能性を口にする。
委員長の使った『スワンプマン』という単語は、俺の解釈では個人の存在をどう証明するのかという、えっと、思考実験とかいうやつだ。それで合っているかはさておきだな。
スワンプ、つまりは泥なんだけど、そういう面倒な前提は置いておいて、分子構造やら体を流れる電流まで全てを完全コピーした存在がいたとしたらどうなるか。その存在は身体的な特徴や能力どころか記憶や性格までが一緒だとして、オリジナルである本人と何が違うのかってことだ。
地球の科学では再現不可能であることは間違いない。だからこそ思考実験の領域なのだが、この世界には魔獣を生み出す迷宮がある。そして得体の知れない魔力もだ。
ついでに今さっき、地球にもダンジョンという超常の存在が出現したという情報がタァンによってもたらされた。
ではタァンだけでなく、この世界に今いる俺たちがスワンプマンではないと、言い切ることはできるだろうか。
この仮説を委員長が最初にクラスの話題として持ち出したのは、俺たちがまだアウローニヤにいた頃だ。三度目の迷宮でシャケ氾濫に遭遇し、その後始末で地上待機が長かったタイミングだったかな。
で、当然だけどみんなは荒れた。もう大荒れだった。
一年一組の仲間たち全員が迷宮に作られた魔獣紛いで、人の形をした『偽物』かもしれないっていう仮説だ。
激怒する連中やら、泣き出す子やら、風紀委員的存在で委員長の幼馴染でもある中宮さんが長時間に渡る説教をカマしたのも当然だろう。
普段は気遣いができて誠実なクラスのまとめ役をしている委員長の弁明によれば、帰還のヒントとして、あらゆる可能性を見逃すことができなかったらしい。SFオタの血が騒いだという余計な一言で説教時間が伸びたのは自業自得だな。
そこで話がお終いだったら良かったのだけど──。
『俺は……、それならそれでいい』
ガッツリ火をくべたのは佩丘だった。
委員長の挙げた可能性として、この世界に現れた俺たちは迷宮によるコピーであって、地球では本物の一年一組が普通に生活しているっていうパターンを聞いた佩丘はそんなことを言い出したんだ。
片親だけの佩丘からしてみれば、山士幌の母親を思っての言葉だったのだけど、そんなメンタルを持ち合わせているヤツはごく少数でしかない。
結果として田村が佩丘に殴り掛かり、口喧嘩が頻発する一年一組にしては珍しく、物理的な喧嘩となったんだ。
二人のあいだに入った先生が悲しそうにしているのに気付いて、すぐに終わったのがせめてもの救いか。
さっきから佩丘が何度か一年一組のその後を気に掛けていたのはそういうことだ。
俺としてはほっとした側だけど、クラスメイトの全員がそうだろう。佩丘ですらたぶん。
ちなみに俺が【魔力観察】を得たことで、仲間たちの魔力の色が魔獣とは全く違い、むしろ人にかなり近いということが発覚しているが、だからといってみんながスワンプマンでない証拠にはならない。
委員長の心中はさておき、一年一組はこの話題を避けるようになった。
そんなタブー要素だったのに、このタイミングで登場したタァンという存在に、思わず委員長が食い付いたってことだ。
地球にダンジョンが現れたとか、怯えるタァンの姿に言い出せなかったけれど、今ならって感じなんだろうな。
「タァンが嘘つき魔族かもしれないっていうのは? たとえば、みんなの心を読む力を持っていて、淡崎佐和として振る舞っているとか」
仮説とはいえ委員長からコピー呼ばわりされたタァンだったが、口から出てきたのは理性的な反応だった。
さっき奉谷さんと抱き合う前のタァンだったら絶対に言わなさそうなセリフだな。
「それは無いと思ってるよ。タァンが僕たちの誰にも違和感を持たせないことがどれだけ難しいか」
「お、委員長らしいね。そういうとこ」
「そういうところだよ。複数人の心の中を読んで矛盾なく会話ができるとは思えない。さっきからずっとだね」
不機嫌そうな中宮さんを他所に、委員長とタァンの会話は軽快に転がっていく。
なるほど、委員長の中ではタァンは淡崎さんと同一の記憶と精神を持っているというのが確定しているのか。
「委員長が気にしてるのは、淡崎佐和とタァンの違いでしょ? 耳と尻尾以外の」
「そうとも言えるけど、無理はしなくていいよ。念のためだからあまり気にされると……」
ズバリと切り込んできたタァンのセリフに、委員長は中宮さんをチラ見しながら尻すぼみになる。
そんなになるなら最初からやめとけば良かっただろうに。
「あ、逆の証拠になるかもしれないのを思い出したよ」
俺が委員長を同情していると、タァンが膝の上でポンと手を叩いた。
「ほら、これ」
それ程長くもない真っ黒な前髪を手でかき上げたタァンは、みんなに額を晒す。そこには一センチくらいの細い痣、傷跡みたいなものがあった。
「みんな知ってるよね。タァンのこの傷」
「すごっ、そこまでそっくりなんだねぇ」
顔の傷なんて女子にとっては重たいモノかとも思うのだけど、タァンは気にした風もない。彼女に近付き、まじまじと見つめる疋さんも遠慮していないし。
「うん。生まれた時からこうだったみたい」
そんな付け足しをするタァンだけど、これは結構重要な情報なんじゃないか?
傷、つまり怪我は後天的なものであって、赤ん坊として誕生したタァンに最初からそんなものが……。
俺たちもそうだけど、死んだ時、もしくは転移した時点での身体的特徴を引き継いでいるのは、結構な重要要素じゃないだろうか。
そして精神も──。
「これって、怪我の原因は八津なんだよね」
直後、タァンによって爆弾が投下された。着弾地点にいるのは俺。
「小学二年の頃にね、学校の帰りにつまづいて転んだ八津に巻き込まれたんだよ」
タァンが詳細を語るにつれ、仲間たちの視線が俺に集中していく。
綿原さんなんて表情が無、そのものだ。空中に固定されたかのようにサメが止まっている。器用すぎるだろ。
だが待て、俺にそんな記憶は無い。そもそもタァン、というか淡崎さんとの接点を忘れていたんだ。ちゃんと仕事しろよ、記憶を持ち越したはずの異世界転移め。
あ、いや……。
ベソをかく女の子。父さんからゲンコツを落とされて泣いてしまった俺。そんな俺を見てさらにギャン泣きしてしまう彼女。俺の頭の中に、何かが蘇ってくる。
これってもしかして、タァンの言う俺が淡崎さんに怪我をさせた時の記憶なのか?
「で、責任取ってくれるのかな」
意地悪く笑うタァンが俺に視線を送ってくるが、どうしろと。
「んなっ!?」
ああ、今日の綿原さんは全体的にリアクションが大きいなあ。そこまでのけぞらなくても。
「佐和……、わたしもみんなもその傷のこと、転んだからだとしか聞いてないのだけど」
「だって言ってないからね。優しい淡崎佐和は、八津を庇ってあげたんだ」
フリーズした綿原さんをチラチラ見ながら中宮さんが確認をするが、タァンはケロリとしたものだ。そっか、優しさなら仕方ないよな。
「ぐっ、くっ……」
「凪、落ち着いてくだサイ。広志に責任があるのはわかったけど、ここは公平に裁定を下すべきデス」
「あれ? なんか凪っぽくないんだけど。え? まさか。あははっ、やるね、八津」
おかしな音を口から吐き出し続ける綿原さんにミアが駆け寄り、俺を悪者に仕立て上げていく。冤罪を叫びたいのだけど、無理なんだろうなあ。
そんな光景を見たタァンは、きょとんとしてから笑い始めた。良かった。彼女にはもう湿っぽさは無い。喜ばしいことじゃないか。
「有罪デス。絶対に広志のやらかしデス! それとなんか、タァンの余裕も気に食いまセン!」
「そうよねっ、わたしも八津くんが悪いと思うわ!」
ミアと綿原さんが結託し、俺に人差し指を突き付けてきた。視界の端では先生が片手で目を覆っている。
「あはははっ! ミアまで!」
腹に手を当ててくの字になったタァンが心底おかしそうに笑う。
それはそれでいいことだとは思うのだけど、ダンジョンもスワンプマンもすでに明後日だ。
おかしいな。感情的でシリアスな話をしていたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
タァンの傷については380話の伏線回収となっています。
次回の投稿は三日後(2026/04/01)を予定しています。




