学園にもどって
学園に戻るといつもの生活が待っていた。
自宅にいた時のような緊張感は何もない。男子生徒たちがモクバを狙っていないか注視する日々。
モクバもあの日以来、いつも通りだ。
ラタンに剣を向けたあの虚ろな目を忘れることは難しいが、ラタン自身はもうモクバを許したと前学期に引き続きモクバの付き人を買って出てくれている。
私なら自分に刃物を向けた人間の付き人なんて恐ろしくてできないが、ラタンは尋常でないメンタリティの持ち主のようだ。
「トゥリアンダさん」
この学園で私をそう呼ぶ人は少ない。
生徒同士は基本ファーストネームで呼ぶことを義務付けられたかのようにエミリアと呼ぶ。
ファミリーネームで呼ぶのは担任でない教師位なものだった。
エミリアが振り向くとそこには豊かなひげを蓄えた学園長がにっこりとこちらを見据えている。
「学園長、ごきげんよう」
エミリアが丁寧に礼をすると「ああ」と学園長は手を挙げた。
「君にお客様が来ているよ」
そういって学園長は「職員室に隣接している客間に通しています」とだけ言って軽く会釈をして去ってしまった。
”お客様”というものは入学してから初めてのイベントだ。エミリアは首を傾げ、とりあえず職員室に向かった。
職員室に着くや否や先生たちはどうどうとエミリアを客間へと上がらせた。
嫌に広く高級感のある一室で、床すらもベロア生地のように艶めいている。
部屋の真ん中にどっしりと置かれたソファの上にはひっくり返るように座った青年が黒い髪を揺らし飲み物をストローで吸い上げていた。
「お、来たか」
そう言って青年はガバリと体を起こし「久しぶりだな」と歯を見せて笑ってみせた。
艶のある黒髪に血のように赤い瞳。
彼は先日マイア神殿で出会った『ゼロ』であった。
「あ、あなた」
「そう間抜けな顔すんなって、はいはい座って座って~」
ゼロはせこせことエミリアの背後に回りエミリアの背を押して彼女をソファに座らせる。
ソファの柔らかさを堪能するが前にエミリアは慌てて「どうして私がここに通っているって知っているの!」と叫ぶようにゼロに問うた。
ゼロはにんまりとした表情を崩さず「モクバの姉ちゃんだろ、しってるっつーの」と下品に笑った。
そう言えばこいつはどういう繋がりかは不明だけどモクバの知り合い(?)なのだ。
エミリアの写真などをモクバが見せていたって不思議ではない。
「…何の御用」
エミリアはマイア神殿でラタンがこの男に肥料を投げつけたことを思い出していた。
恨みを持たれている可能性だってある。細心の注意を払って対応しなくては。
「すげー警戒してます!って顔だな!…取って食ったりはしないよ。だって俺、大神官様だぜ」
そう言い終わるや否やゼロは再びソファに寝転ぶと「はぁ~休み取るの大変だった」と伸びをした。
「大神官…?」
エミリアは男の頭の先から足の先までじろじろと不躾だとは思いつつも眺める。
確かに肌艶はいいし髪の毛も清潔そう。しかし服装は貴族や神官のそれとは違い、質素な庶民のものだ。
「普段から堅苦しい服なんて着てらんないだろ。普段着、普段着」
自身の服をエミリアが注視しているのに気付いたのか、ゼロはTシャツをバタバタと仰ぐようにした。
「本題。この前一緒に居た女の子の情報をクダサイ」
両手で物乞いのように手を器にしたゼロはこてんと可愛らしく首を傾げた。
紅い瞳がウサギのようだ、とエミリアは思った。
「…特に教えられる情報は持っていないわ」
彼女がどこの貴族で名前がなんだという情報を自分がホイホイと教えてもいいものではまったくない。
特に、こんな得体のしれない青年に。
「まだ信頼してない感じ?」
頬を膨らませてゼロは「ケチだな!」とエミリアを罵倒する。
「…あなたはあの子のなんなんですか?私もあなたのことを良く知らないし、彼女のこともよくしらない。何かを知っていても教えられることはありません」
びしっとエミリアが言うと、きょとんとした表情にゼロはなってしまう。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔…とはこのことだろう。その表情は5秒も持たず破顔し、ゼロは声を上げて笑った。
「ひー…笑った…。そっかそっか、まーそうか。俺っていっつもカンシャされたりオネガイされたりする立場だったからさ。シンライカンケイ?とか作んないとヒトって情報くれないんだよね。おっけおっけ」
何を納得したのかゼロはうんうんと頷き、目じりに溜まった涙を自身で拭う。
「俺とあの子はコイビト。んで、俺はずっと愛するあの子を探してたわけ。そりゃもう気が遠くなるほど長い間さ」
両手を広げてゼロは朗々と話すが、エミリアはより瞳を細めてゼロを見る。完全に怪しいし、今のところエミリアの持つ情報では完全にゼロはストーカーと同意だ。
「…恋人の情報をどうしてなにもしらないんですか?」
エミリアの問いにゼロは「何度も生まれ変わっちまってどの肉体に受胎するかわかんないから」と快活に答え、机に置物のようにしていたフルーツをひとつ摘まんだ。
「何…?」
あまりにも訝しい彼の発言にエミリアは引きつつもとりあえずアバウトに尋ねる。
ゼロはエミリアの問いの何がうれしいのかにっこりと笑顔を作り「なにもくそもないだろ」と声色そのままに汚い言葉を吐いた。
「俺より先にエカトーに会ったんだろ」
真っ赤な瞳がエミリアを鋭く睨み、エミリアは背筋が寒くなる。
負けてはいけない、本能的にそう思ったエミリアはごくりと生唾を飲み込み「なんのことだかわかりません」と、凛とした声で答えた。
ゼロは手にしていたフルーツを指先でぶちゅっとつぶし「…お前は確かにモクバの姉だよな」とゼロは呟くように言った。
*
しばらくにらみ合いが続いていた。ゼロは怠惰な神のように体を横たわらせ、ブドウを房ごと持ち上げて一粒づつ噛みちぎって食べている。
エミリアはというと全身汗だくだ。あの真っ赤な目で睨まれるとどうにも恐怖で汗が噴き出る。
すると、部屋に大きな音が響いた。誰かがノックもなしに部屋に入ってきたようだった。
「お姉様」
音の主はモクバだった。




