あの夜といまを繋ぎ
少し恥ずかしそうに俯いて、癖のない長い黒髪をそっと耳にかける先生をキョトンとみつめる。
先生も採寸するのか?
「生徒から先生も衣装着てくださいって頼まれて」
「ああ、なるほど……」
で。メジャーを手に先生に近寄ったわけだが……これってマズくないか。いや、マズいだろ。俺、男だし。スリーサイズ測るんだぞ!? 思わず先生の体に伸ばした手をピタリと止める。
「女子に変わりましょうか」
「ううん。大丈夫。みんな忙しそうだし。わたしで最後でしょ?」
「でも……」
「大丈夫だから」
だ、大丈夫っていわれてもな。俺が大丈夫じゃないってゆーか。いくら女に興味ないって言っても、気を使う部分くらいある。サイズ測る時は体に触らなきゃいけないし。
それに女子の衣装はメイドコスだ。体にフィットしたデザインなので採寸ミスがあるとマズイ。特に浅見先生は。
「やっぱり女子に変わってもら……」
「彰くん」
その場を離れようとした俺の手首を浅見先生が握りしめる。振り返ると先生は少し困った顔をして俺をみていた。
「みんなに迷惑かけたくないの。お願い」
「……わかりました」
採寸を測るくらいで誰も迷惑なんて思わないと思うが、持ち場を離れなきゃいけなくなるのは確かだ。俺もあまり意識したら変だよな。めちゃくちゃダイナマイトボディの男だと思ってさっさと終わらせよう。
俺は覚悟を決めて先生の背後に回った。
「髪の毛邪魔よね」
薄いメガネの隙間から流れるような視線を後ろに向けて、浅見先生は癖のない長い黒髪をゆっくりと首元からすくいとって前に流す。その時、少し甘い匂いが鼻腔をかすめた。
チラリと覗くうなじはほっそりとしていて、そこから伸びた肩はとても華奢だ。メジャーの端を肩に当てながらそんなことを思う。思わず抱きしめたくなってしまうが、我慢我慢。
浅見先生の採用試験もいい加減合否が発表された頃だと思うがどうなったんだろう。
肩幅を測り終わった俺はメジャーを先生に差し出した。
「ウェストと胸部は自分で測って貰えますか? それ、ノートに書いて貰えればいいので」
「ええ。だけどズレると困るから、背中の方だけ押さえていて貰えない?」
「分かりました」
先生が胸部にメジャーを回し、前の方でサイズを確認しているがやはり後ろがよじれて曲がってる。
「後ろ、直しますよ」
「ええ。お願い」
よじれた部分を直し、曲がらないように背中の中心を押さえると指先に固いものが当たった。それがブラのホックだと気づくまでほんの数コンマ。
あ、やべえ。
変な汗が出た。誤魔化すように目を泳がせて、微妙に指を横にずらす。その手つきが怪しいのなんのって。このホックどうなってんの? ちょっと横にずらしただけじゃ、金具らしいものから逃げられない。まだ? もうちょい? 結果的にずっとブラをなぞるように指を動かしてしまった。セクハラかよ。わざとじゃないからな!!
誰に言い訳するでもなく心で叫んだ時だった。「あっ」と先生が小さな声をあげたのは。
「先生?」
ぎゅっと胸を抱きしめてそのな場にうずくまった先生に首を傾げる。どうしたんだ?
「ブラ……外れちゃった」
「え」
一瞬思考が停止する。
「マジで?」
「うん……」
髪の隙間から先生の耳が真っ赤になっているのが見える。真っ白になったあたまで茫然と小さくなった先生の背中を見つめること数秒。俺は先生の手を引いて教室を飛びだした。
誰もいない廊下をふたりで駆け抜ける。ひとの目につかない所だったらどこでも良かったが、無意識に足を運んでしまったのは放送室だった。
軽く息を切らした俺たちは分厚い放送室のドアを閉めてホッと息をつく。
「ご、ごめんね」
「いや……俺のせいなんで」
電気もつけず、真っ暗な部屋でぽつりとこぼした先生に首を振る。確信犯ではないが、謝らなければならないのは俺の方だろう。
「その……ごめん」
「そんなに気にしなくても大丈夫よ。他には見られなかったんだし」
防音扉によって外部から遮断されたこの場所で二人の声はよく響く。時折、衣服の擦れる音が混ざって聞こえ、先生がいま何をしているのか容易に想像できてしまう。黙って耳をそばだてるのも気が引ける。何か喋らないと。
「あ~。あのさ」
「なあに?」
中途半端に切り出して、言い淀む。
この学園生活もあとひと月を切った。陰キャとして慎ましい生活を送りたいという俺の願望はあまり上手くいかなかったが、悔いはない。
クラスメイトとも上手くいったし行事も楽しめた。部活では功績も残せたしな。アオハルなんて要らないと思っていたけど結果的に充実した学園生活になったし、俺としては十分満足がいくものだ。
ただ、その輝かしい学園生活の中でひとつだけ暗い闇を落としている部分がある。
未だに浅見先生を苦しめているそれは、彼女が頑なに守ろうとすればするほど俺に刃を突きつける。その根幹にあるのはあの夜の出来事。
あの時の俺は幼稚で自分の気持ちにすら気づけないほど鈍感で。先生の言葉も聞かず一方的に自分の望みだけを伝えて突き放した。ちゃんと話せば良かったと、何度後悔したか分からない。
そのことがずっと心に根を張っていて素直になれずにいる。不器用にしか伝えられなくて、もどかしくて。出来ることなら元に戻したいと願う。
だから。
「ごめんな」
「どうして謝るの?」
二度目のごめんに先生は首を傾げる。
これは二年越しの対話。あの夜といまを繋ぎ合わせ、言えなかった言葉を伝えよう。暗闇に向かってゆっくりと言葉を紡ぐ俺は自分の心を真っ直ぐに捉えた。恐れず、誤魔化さず。素直に。
「あの夜のこと。ずっと謝りたかった。俺は一方的に感情を押しつけてくる女が嫌いだったんだ。そのせいで嫌な思いを沢山したからな。だから関わり合わないようにしてた。話も聞かないで一方的に突き放して。あれするなこれするなって色々命令してさ」
「うん」
「でも結局それって、感情を押しつける女と何も変わらない。同じ事をしていただけだって気づいてさ」
「うん」
「先生にも色々いったろ。まさかちゃんと守ってくれるなんて思ってなかったけど」
「守るわよ。嫌われたくないもの」
俺は小さく笑った。嫌われたくないからって、ここまで守る女はレアだ。普通は逆ギレするとか、開き直るとかしてまたアタックしてくるんだぜ。だって俺のいうこと全部守ってたら距離は開く一方だし、彼女への道は遠のくばかりじゃないか。
「先生には感謝してるよ。俺の無理難題を文句もいわずに聞いてくれて」
「少しは見直した?」
「少しね」
背中越しにクスクスと笑い声が聞こえた。腰に抱きついた先生の手を握って、俺も困ったように笑う。
「だからさ。俺の謝罪受け取ってくれると有り難いんだけど」
「うん」
「契約、破棄するよ」
「うん……!」
本当は寂しかった。それを伝えないのは狡いかもしれない。だけどいまは重なり合う笑い声と背中に感じる温もりに宿る幸福に、少しだけ身を委ねさせて欲しい。




