理由の分からない変化
エントランスに降り立った俺たちはそびえ立つホテルを見上げてあんぐりと口を開ける。
迎えてくれたベルボーイの話では敷地内にあるコテージは予約制で貸し切ることができ、バーベキューなどを行うことができる。加えてウォータースライダー付きのプールやアドベンチャーコースまであり、様々なアスレチックを楽しめるらしい。
マジでバカンスじゃねーか。そう突っ込まずにいられない。てっきり小さな宿で黙々と練習するものだとばかり思っていたが、ここに来るとド派手な浅見先生の格好もあまり浮いてないように見えるから不思議だ。
ベルボーイの視線が浅見先生の太ももに注がれていることに気づいて、俺はさり気なく視線を遮る。前を隠しても背中は丸見えだから、分身が欲しいところだ。一体なんだってこんな格好をしてきたんだ。
案内された部屋は三つ。うちの部は女子が多いので男子は俺を入れて三人しかいない。男は纏めて一室。他は先生を含めて二室だ。
それで朗読の練習はどこでするんだって話だろ。先生はコテージを予約してた。そこには音響施設があってマイクも使えるし、周囲のコテージとは距離があるからどれだけ大きな声を出しても迷惑にならない。当然時間制限もないから練習し放題。
備え付けのキッチンでは休憩に入った先輩方が差し入れなんかを作ってくれる。どれも美味しかったけど、浅見先生の料理が食べたくなってしまったのは秘密な。そんなこと口にしたら毎日作ってきかねない。
「さあ、休憩にしましょう!」
練習を開始して二時間。嬉々とした先生の声に先輩たちはみんな嬉しそうに顔を上げたが、俺は違う。手にした本を睨んで唸り続ける。
今回コンテストから指定された作品は、受賞した文芸作品が4つと「自由作品」。朗読時間は2分以内と決まっているため自分で気に入った場面を選び、抑揚を付けて朗読しなければならない。
先輩方はみなそろって読書家だったらしく、指定作品はすでに全部読んでいたらしい。さっさと作品を選んで朗読部分を選び、練習に取り組んでいる。
だけど俺は当然読書とは無縁の人間であり、受賞作品の名前すら知らない状態からスタート。選ぶにしても内容を読まないわけにいかず、生まれて初めて朝から晩まで読書に勤しむという環境に身を置くことになった。
今年新たに加えられた「自由作品」は指定作品以外で好みの本を選び、朗読をするらしいんだが、それだってピンと来るものがない。それでこの分厚い受賞作品とやらを読み漁っているのだが……
「眠い。眠い。眠い。眠い」
分厚いメガネをかけて真面目そうなフリをしてはいるが、数ページ読み終わる頃にはカクっと首が落ちる。
しかしこの合宿の最終目標は時間内の朗読にある。体内時計で時間の感覚を掴み、ストップウォッチがなくても時間内に朗読できるようにしなければならない。
ただ黙って時間を数えるなら合わせることは可能なんだが、抑揚をつけて朗読しながら時間を測るというのは想像以上に難しい。だから一刻も早く朗読作品を選び、練習に取り掛からなくてはならない。
余裕のある先輩方は意気揚々と部屋を飛びだして行ったが、俺はひとり本を片手に唸り続ける。この二日間であと二冊も分厚い文芸書を読破しなくてはならないんだ。遊んでいる余裕なんて全くない。
「彰くん。プールに行きましょう」
「結構です」
「わたしの水着姿見たくない?」
「まったく」
「凄くセクシーなのよ」
「そうですか」
「じゃ、じゃあ。ウォータースライダーは? 楽しいわよ」
「結構です」
ちょこちょこガヤがうるさいが、完全無視。
俺はどこにも出かけず、延々と本を読み続けた。そして窓から見える景色が薄暗くなった頃。ようやく本から顔をあげ……
「うおっ! ビックリした。なにしてんですか、先生」
目の前に膝を抱えて俯いた座敷わらしみたいな浅見先生を見つけて飛び上がった。髪が長くて黒いだけに、本当に幽霊かと思った。いつからこうしてたんだ。怖ぇよ!
「だって全然相手にしてくれないだもの」
恨めしそうに俺を睨む先生からそっと視線を逸らす。遊びたいなら他の部員と遊べばいいだろう。なんで俺に拘るんだよ。
「みんなは?」
「BBQの準備してるわ」
「じゃあ、俺らも行きましょうよ」
先生はどんよりとした顔でゆらりと立ち上がった。だから怖いって。
確かに読書に専念していて相手にはしなかったが、そんなに落ち込まなくてもいいだろう。
そもそもこの合宿の本来の目標は朗読の練習だし、遊ぶことじゃないだろうが。
「明日も相手はできませんよ」
キッパリ告げると、先生は泣きそうな顔をして俺をみた。なんでそんな顔をするんだ。
泣き出す女は嫌いだ。大概理由が分からないし、分かった所で納得のいくものでもない。だからこういう場合、俺はいつもシカトする。いまだって気づかないフリしてさっさと部屋を出れば良かったんだ。
なのに、なんでかな。
「寂しいなら他の部員と遊べばいいじゃないですか」
「彰くんがいいの」
「なんで俺に拘るんです」
いつものように冷たくできないのは。
それはきっと浅見先生が俺の理解を超える存在だからだ。毎度毎度、予想の斜め上をいくし。放っておいたら何をしでかすか分からない。
この時は本気でそう思っていた。なぜか冷たく突き放せない理由がそれしか思い当たらなくて。だけどそれは理由の分からない変化の始まり。
もっと早く自覚できていたら良かったが、俺は意外と自分の心に鈍感な男だったらしい。そう気づいたのはもう少し後のことだった。
冷たいのに冷たくなりきれない俺の言葉に浅見先生は躊躇いを見せる。
「それは……」
言い淀んでいた先生がやっと口を開きかけた時。
「せんせーい。如月くーん。できたよ~!」
反射的に振り返った俺は覗き込んだ先輩を見つけて手を振る。その傍らで浅見先生が顔を赤らめていたなんて、知りもせずに。
いつもご覧頂きありがとうございます。
彰の中に訪れた小さな変化。彰が考える理由は果たして合っているのか。
そして彰と浅見先生と距離はこの合宿でどうなってしまうのか。
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