孤独の住処
「座れ。」
若者が椅子に腰を下ろす。アルドリックは棚へ向かった。試験管や瓶が綺麗に並んでいる。この地で百年以上研究した成果だ。その中から、緑色の液体の入った瓶を手に取る。
「魔法薬だ。生命の樹の葉から抽出した、純粋な生命の力をさらに濃縮したものだ。」
説明はそれだけで十分だった。返事を待つ必要はない。アルドリックは魔法薬を若者の左腕にかけた。
若者が目を瞑る。声にならない叫びが漏れる。激痛だろうか。いや、痛みというより熱さに近い感覚のはずだ。骨が形成され、細胞が再生される感覚は、アルドリック自身も知っている。耐えられないほどではない。しかし、相当な苦痛だ。若者が残った右腕で傷口を押さえようとするが、アルドリックはその右手を掴んだ。再生が阻害されてしまう。
数分後、痛みが引いたのか、若者の痙攣が止まった。
「目を開けろ。」
若者は目を開け、左腕を見た。失ったはずの腕が、そこにある。握り、本を使い、確かめている。アルドリックはその様子を無表情に見ていた。術式に問題はなかった。ただ、それだけを確認した。
「あり…がとう。」
「礼を言われることはない。」
情報が必要だった。それだけのことだ。アルドリックは椅子を引き、若者の前に座った。そして、木の仮面をゆっくりと外す。
若者が息を飲むのがわかった。同時に、緊張している。無理もない。たった今、腕を再生するという神の領域にも近しい奇跡を目の当たりにしたのだ。そして、アルドリックがただ一筋に進んできた、魔法という道そのものに囲まれている。加えて、人間がこの顔を見て平然としていられるわけがない。四つの目。顔まで樹皮に覆われている。
「なぜ、ヴァルディアはこの地の調査を決定した?」
「…この森にある、古代魔法文明の力を得るためだ。」
「愚かな。」
即答だった。古代魔法文明の力。それがどれだけ危険なものか。この若者も、ヴァルディア王国も、何もわかっていない。わかっていれば、このような任務は受けなかっただろう。いや、わかっていても、王命であれば断れないのがヴァルディア王国だ。
「あんたは…何者なんだ?」
「言っただろう。アルドリック・アッシュフォード。」
「そうじゃない。あんたは…人間なのか?」
「…どうだろうか。お前にはどう見える?」
アルドリックは、答えがわからなかった。今の自分は、人なのか。それとも、化け物なのか。少なくとも、人間の姿だったのは遠い昔の話だ。
「…精霊か?」
「ははは、精霊か。面白い表現だ。」
思わず笑ってしまった。百年以上、笑ったことがなかった。正確に言えば、最後に笑ったことを覚えていない。回答としては悪くない。人手も魔物でもない、それらを超えた存在。なかなか鋭い回答だ。この若者は、予想外のことを言う。
「そうだな…強いて言うならば、”元”人間という表現が一番近い。」
「…元?」
ローブを開いて見せた。胸元の黄緑色に輝く核。これを中心に、樹皮が全身へ広がっていった。フードを取る。角が現れる。若者が息を飲む気配がした。
これがアルドリックの現在だ。人間だった頃の面影は、もうどこにもない。それを惜しいと思ったことは、ずいぶん前になくなった。
「生命の樹は古代エルフ族が神聖な樹と定義したものだ。実際は膨大な自然属性と魔力を秘めた樹だ。」
「…へぇ。」
「私はこの木の生命力に着目した。核を埋め込むことで、生命力と膨大な魔力を得た。」
「…核を、埋め込んだ?」
「でも、そんな大層な木をどうやって手に入れたんだ?」
率直な問いだ。貴重な樹を、どうやって手に入れたのか。若者は気になった。
「この遺跡には、各種族の遺物が眠っている。生命の樹もその一つだった。」
それ以上は語らなかった。遺跡の深部で生命の樹を見つけた時のことを、今でも覚えている。寿命が近づく焦りと、魔法への渇望が入り混じっていた。すがる思いで、あの決断をした。ただ、あの時の自分が何を思っていたのかは、もう思い出せなかった。
アルドリックはローブを閉め、フードを被り、仮面を着けた。
「さて…話は終わりだ。何処へでも、好きなところに行くがいい。」
必要な情報は得た。これ以上この若者をここに置く理由はない。
「ま、待ってくれ。このまま帰ったら、俺は――」
「王国に殺される、か?」
若者が固まった。図星だったのだろう。小隊十四名が死亡し、一人だけ帰還した騎士がどう扱われるか。ヴァルディアという国の性質を、アルドリックは知っていた。昔から、変わらない国だ。
「どうやら、ヴァルディアの体制は昔とさほど変わっていないらしい。」
深くため息をついた。あの国のことを思い出すのは、久しぶりだった。自分が生まれた国だ。十六歳で出ていった。それからは戻っていない。戻る理由もなかった。
「…文字の読み書きはできるか」
「え…あぁ、それくらいなら」
「選べ。このまま王国に帰って殺されるか、私の元で魔法を学ぶか。」
自分でも、なぜそう言ったのかはわからなかった。情報源として手元に置いておく。理由はある。しかし、それだけではない気がした。
百年以上ぶりにこの森へ訪れた人間。これも何かの縁だろうか。魔法の素質もある。
この小屋に誰かがいるという事実が、アルドリックには不思議なほど自然に感じられた。




