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禁足域のワイズマン  作者: 影森 凪


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禁足域の出会い

 何者かが、この地を駆け回っている。


 アルドリック・アッシュフォードは魔力を感知した。複数だ。一つ一つ消えていく。だが、一つの魔力反応だけが移動している。その一つを、複数の魔力がついていく。追われているのだ。


「…人間か。」


 魔力の反応が違う。一つは人間で、あとは魔物だ。先ほどまでは複数の人間の反応があった。今はない。恐らく死んだのだろう。


 百年以上、誰もこの地に踏み込むことはなかった。禁足域――名前の通り、立ち入ることを禁じられた領域。古代遺跡と、凶暴な魔物が潜む地。この森に張り巡らされている魔法と罠、そして、魔物があらゆる侵入者を弾き返してきた。


 興味深い。


 アルドリックは魔杖槍を手に取り、小屋を出た。辺りは静かだった。いつもと変わらない静寂だ。だが、どこか違う気がした。これは好奇心からなのか。それとも別のなにかからなのか。アルドリック自身にも、これが何なのかはわからなかった。


 気配を辿ると、すぐに見つかった。


 倒れている。人間の若者だ。左腕は千切れ、右足は負傷していると見える。頭部からの出血も見られた。目の前には魔物。ゆっくりと人間に近づいている。ダスクゲイルだ。灰色のワニのような魔物。逃げ延びた末に追い詰められたのだろう。


 生き残った若者は運がいい。いや、運だけではない。この森の深部までたどり着いたこと自体、尋常ではない。百年以上となかったことだ。


 アルドリックは魔杖槍を構える。刹那、魔物は断末魔を上げ、倒れた。若者の顔に、紫色の体液が飛び散った。


「…生きているようだな」


 確認のための言葉だった。返答は必要としていない。アルドリックは森の奥を見る。他の気配はない。この若者だけだった。


「他の者は」

「…たぶん、死んだ。」


 アルドリックは特に感情を動かさなかった。死は、これまで何度も見てきた。二百年以上も。この森では日常と化している。


 若者の首筋に指を伸ばす。体温が感じられる。冷たい樹皮の指先に温かさが流れる。脈はある。失血で動けないだけだ。致命傷ではない。ただ、左腕からの出血量が酷い。


「運が良かったな。」

「…何が」

「生き残った。それだけで十分だろう。」


 槍の先端に魔法陣を描く。再生促進。応急処置に過ぎない。失った腕は戻さない。だが、出血は止まる。それで十分だ。


 若者の傷が塞がっていく様子を、アルドリックは無表情に見ていた。この治癒魔法を使ったのは久しぶりだ。問題なく術式は作動した。いつからだろうか、魔法を使うたびに術式の精度しか見えなくなっていったのは。


「お前に聞きたいことがある。」


 若者の剣を見る。柄に刻まれた、剣と盾の紋章。ヴァルディア王国の物だ。あの国はまだ、紋章を諦めてはいなかった。


「何の目的でこの地へ来た。ヴァルディアはこの地を諦めたのではなかったのか。」

「…っ、どうして、俺がヴァルディアだと」

「紋章だ。剣に盾の紋章。それはヴァルディア王国の物だろう。」

「あんた…何者だ?」

「答える義理はない。」


 アルドリックは答えなかった。ただ、一つだけ伝えた。


「百年以上、この森にいる。」


 若者は、冗談だと思った。百年以上生きる人族など、聞いたことがなかったからだ。


 アルドリックは森の奥へ視線を向ける。魔物の気配はない。この辺りの魔物はアルドリックを避けている。百年以上かけて築いた均衡だった。


「動けるか」

「…あぁ。」


 若者はゆっくりと立ち上がる。全身が悲鳴を上げるが、それでも立ち上がった。この若者は生きる渇望を見失っていない。意志のある目だ。


 アルドリックはこの人間に興味を持った。人間に興味を持ったのはいつぶりだろうか。


「では行くぞ。」


 歩き始めた。いつもと同じ道だ。何百回と歩いてきた道。しかし、今日は後ろに足音があった。妙に新鮮な感覚だ。アルドリックはその感覚を持て余しながら、歩き続けた。


「…名前を、教えてくれないか。」


 足が止まった。名前を聞かれた。問われるとは思っていなかった。百年以上、口にしたことはなかった名前。風が吹いた。木の葉が落ちた。


「アルドリック」


 それだけ答えて、再び歩き始めた。


 小屋が見えてきた。木から吊られた、小さな小屋。蔓が小屋に侵食し、淡く光を放っている。二百年の研究が詰まった場所だ。誰かを招いたことは、一度もなかった。


 扉を開ける。若者は入り口で立ち尽くしている。アルドリックは首をかしげた。なぜ、立ち止まるのか。


「…何故、俺を助ける。」


 若者の率直な疑問だった。アルドリックは少し考えた。理由はある。情報が必要だった。ヴァルディアの動向が知りたかった。数十年前に、ヴァルディアはこの地を危険と判断し、調査を諦めたはず。なのになぜ、再び調査の兵が現れたのか。


 しかし、それだけかと問われると、正直なところよくわからなかった。ヴァルディアの情報が欲しいというのもあるが、アルドリックはこの人間に興味を持っていた。


「興味が出た。この地に人が踏み込んだのは、私以来だ。」

「…世話になる。」


 若者は小屋の中へと入った。アルドリックは扉を閉め、振り返った。


 本棚に、薬瓶に、リング。魔法植物に、魔物の素材。魔杖槍を壁に立てかける。二百年の研究成果が、この部屋に詰まっている。誰かに見せるとは考えていなかった。若者はその空間を、静かに見渡していた。


 いつもと違う部屋だった。この若者が来たことで、部屋が違って見える。蔓が発する淡い光は、どこか暖かいものに感じられた。


 百年以上、孤独だった。


 それは事実だ。今までも、これからもそうだと思っていた。だが、今日は違った。

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