026.貸し借り
「酒精核水……蒸留酒とは違うのか」
「飲んでみます?」
容器の蓋を開け、明らかに実験用だと思われるガラス製の容器に少量注ぐ。
容器を手渡されたラカクは、少し匂いを嗅いで思い切り顔を顰めた。
「これ、飲めるのか?」
「飲めないですよ?」
「じゃあ渡すな」
容器は突き返された。
「ラカクさんはお酒好きですよね」
「……それなりにな」
絶対それなりじゃない顔をしている。流石に俺でもわかった。
こんな状況で「飲みますか?」と言われて受け取っている時点で、どれだけ酒が好きなのか。
「この国で最も強い酒を造る、王都ロオクラ造酒所はご存じですよね?」
「ああ。あそこの極蒸留酒とかいうのは流石に飲み切れなかったな。酒精が強すぎる」
「いや、普通の蒸留酒も人間の飲み物じゃないですけど」
ルザの主張は主語が大きすぎる。流石に俺もそこまでは言わないぞ。
ラカクは毎年年末頃になると、貴族の集会の為に王都へ行く。酒が好きなら飲むタイミングもあるか。
魔法理論の話では全く興味が無さそうだったのに、急に主張を始めているところに笑いそうになった。
同時に。
領主として厳格で、親としては不器用な父が見せる人間らしさに、俺は居心地の良さを覚える。
だが、ラカクの表情は一転して引き締まった。
家では、まだオネネヴが苦しんでいるのだ。
「……その極蒸留酒は、蒸留で得られる酒精の限界点と言われています。この『酒精核水』は、極蒸留酒よりも更に強い酒精を誇ります。酒から水分を魔法で分離させる実験により得られた、極度に濃縮された酒精……それが酒精核水です」
ルザは、そう説明しながら容器を振る。ちゃぷちゃぷと軽い音を立てながら容器の中の液体が舞った。
極蒸留酒という酒については、原作の設定に無い商品なのでアルコール度数がどれくらいなのかは知らない。だが、水分分離……つまり脱水によって得られるアルコールは蒸留の限界を超える。
原作では開発されない化学の代物、無水エタノール。
ルザは、魔法技術によってそれを再現していた。
あまりにも卓越している。異質と言っても過言ではない。
だが同時に、嬉しい誤算でもあった。これで、理論上最高の薬を作ることができる。
「そしてこれが、魔櫃病の薬の基になります」
「何……?」
「これは研究中のことなので他言無用でお願いしたいのですが……酒精には、魔晶を漬けることで魔力の放出特性を引き継ぐ性質があります」
「……」
「この酒精核水に魔晶を漬けたものを、口の中に1滴垂らす。酒精は口の中の水分で急速に薄まり、一瞬だけ魔力を放出してその役目を終える……これこそが、魔櫃病を治す薬の理論です」
「……そうか。治るのだな?」
「ええ、治ります」
本来なら、実証もしていない根拠の薄い言葉。
だがルザが吐いたその言葉には、今まで積み重ねてきた彼女自身の仮説と、俺の未来の知識の擦り合わせによる信頼があった。
そしてラカクからすれば、宮廷魔法師という役職にすら縛られないほどの能力者に見えていることだろう。
「……信じるぞ、ルザ」
「はい、信じてください。ラカクさん?私が嘘を吐いたことがありますか?」
「はは、面白いことを言う」
治ると知ったラカクは、表情を緩め……笑顔を見せた。
晴れやかで、憑き物が落ちたようだ。
「……薬は、明日のこの時間までにお届けします。それまで、調整をしなければなりませんから」
「ああ」
「さっき話したように……アイロツィ君を、お借りします」
「ああ。わかっている」
思わず目を見開く。
さっきって、耳打ちした時か?何を話したんだろう。
ラカクの様子は落ち着いている。悪いことを吹き込まれた訳ではないらしい。
「なぁ、アイロツィ」
「はい、ちちうえ」
真剣な目で、俺を見つめるラカク。
「俺は……俺は、お前を信じて良いんだな?」
「……はい。しんじてください」
その言葉には、一体どんな意味が含まれているのか。
全てはわからない。だが、少なくとも。
ラカクが俺の隠されたことのなにかを知った上で、信じようとしていること。
それだけは、伝わった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふー、びっくりした」
「おつかれさま」
「いや、本当に。オネネヴちゃんの容体が急変したなら仕方ないけど」
「まぁまぁ、これでものんで、おちついて」
「君が貴族の子供じゃなかったら顔を殴ってたかな」
ラカクは俺を置いて帰った。預かりますと言う言葉は真実だったらしい。
急な魔力理論の説明などでボロを出さないように気を使った結果なのか、ルザは椅子に座り机に体を預けていた。
机に置いたままの酒精核水が入った容器をルザの方へ滑らせると、キレ気味に返答された。
良かった、俺が貴族の子供で。
……今は、こんな軽口すらありがたかった。
「それより、ちちうえになにを言ったの?」
「ん?……んー、まぁいっか」
一瞬悩む素振りを見せたが、ルザは言葉を続けることを選んだようだ。
「ラカクさんね、アイロツィ君のことずーっと疑ってたの。私がなんて言っても、信じてくれないくらい」
「……そうなんだ」
気付かなかった。いや……目を逸らしていただけか。
オネネヴが魔櫃病に罹っていることが分かる前は、俺も魔力操作と原作準拠に固執していた。
あの時は、周りからどう見られているかなんて、考えようともしていなかった。
「だから言ってあげたんだ。『それでも、家族を選びましたね』って」
「……」
ラカクの問いに対する答えにはなっていない。
だが、その言葉はラカクの本当の疑いを見抜き……そして、俺の心を見抜いた言葉でもある。
原作を準えることをやめ……この世界で、アイロツィとして生きることを選んだ。
これから先、俺には予想もできない試練が待ち受けているかもしれない。
だけど、俺はこの選択を後悔することはない。
オネネヴに薬師を目指してもらう理由も、もう無い。魔櫃病はこれより治る病気になる。
明確な原作改変で……俺の、最初の人助けだった。
「るざ。ほんとうに、ありがとう」
「えー?貸しだって言ってるじゃん」
「それでも……ありがとう」
俺に、選ばせてくれて。
「……はいはい、どういたしまして」
その微笑みは、今までのルザの表情の中で……いちばん、純粋な笑顔に見えた。
「ていうか、しんみりした空気出してるところ悪いんだけどさ」
「っ、なに?」
悔しいことにその表情に見とれてしまっていたが、ルザはずい、と体を乗り出してきた。
「まだ薬出来てないからね?合ってるんだよね?作り方」
机の上にゴンと置かれた容器の中には、透明な液体の中に沈められた魔晶が入っていた。
話の流れからして、魔晶を酒精核水に漬けているのだろう。
「あってる。いつからつけてるの?」
「8時間12分前からだね」
「せいかくだね」
今は2時だ。がっつり夜中である。
夕方頃にルザはここへ帰ってきているはずなので、帰ってすぐに漬けたことになる。
その行動力に、今は助けられた。
俺としても、より早く姉を助けたいから。
「1日待つってどれくらい?24時間丁度待つの?」
「んーん。21じかんでいい」
「どういう……?」
考え込むルザ。何故その時間なのかは、どれだけ考えてもわからないだろう。
こればかりは魔力理論は関係ない。どちらかと言えば六神教の起源の話になる。
だが、ルザは俺に聞くのではなく考える道を選んだようだ。
「あ、というか魔力の拒絶反応の話した時、ちょっと馬鹿にしたでしょ」
「ばかにしてない」
「いいやしてたね。こいつ何言ってんだみたいな顔してた」
して……ない。多分。
ちょっとしたかもしれない。
「じゃあこっちか。意思が含まれる体内魔力の中に、意思が含まれない魔晶から出た魔力が入り込むことで、意思が壊れて死ぬ。どう?合ってる?」
「……あってる。すごいね」
「はぁぁ……悔しいなぁ、もう」
こっちか、というセリフから、既に思いついていたことが伺い知れる。
さらに厳密に言うなら、『意思が含まれる体内魔力』ではなく、『体内魔力が意思そのもの』と訂正したい。そこだけ。言わないけど。
言ったところで未来の知識だと思われるだけだろうが、ルザは答えをそのまま伝えられるのを好まないだろう。
その意向に背くつもりはない。俺を答え合わせに使うのはいいのか、とは思うが。
「ねぇ、あとはまつだけなのに、なんでぼくをここにのこしたの?」
「え?決まってるじゃん。アイロツィ君も借りは長いこと放置したくないでしょ?」
言いながら立ち上がるルザは、部屋の隅にバラまかれていた紙の束をかき集める。
「折角親のラカクさん公認で、アイロツィ君を私の研究室で自由に出来るんだもん」
「……じゆうにしていいとは、いってないとおもう」
「あと13時間。進めたい研究、たくさんあるんだよね」
そう言い放つルザは、先ほどよりも純粋で……恍惚とした笑みを浮かべていた。




