015.深淵を覗く
「『lézs rátah péltá kilmará ehyne tűh tatylof Otoneev sálmará tezev』……うん、これくらいでちょうど良いね。じゃあ、練習していこっか」
「はーい!」
「うんっ」
水球の中に手を突っ込んだり、右手の前に左手を出したりしながら詠唱を完成させたルザは、ふたりに教える段階へと移った。
風属性で……おそらく、少しずつ冷やす風を送る詠唱のはずだ。多分。
この世界に転生してきてから、知らない言葉を学ぶのには慣れた。とはいえ、魔法の詠唱に使われる神代言語は日常的に使われるものではない。
リスニングが完璧になるには、相当時間が掛かりそうだ。
というか、どうして俺はルザに対して対抗意識を燃やしているのだろうか?
エトナヴ領の魔法師団に所属しているのであれば、俺の敵になることはないというのに。
自分の中に宿った感情が『嫉妬』であることに、俺は気付かないフリをした。
その後、ふたりとも微弱ではあるが冷風を送る魔法が使えるようになった程度で、一旦の休憩となった。
魔力は使えば減るが、休憩していれば勝手に回復する。魔法を使うために魔力を放出するのは、例えるなら歩くことに近い。ずっとは歩き続けられないけど、疲れてきたら休憩を挟めばまた歩けるようになる。
少ないリソースであらゆる現象を引き起こす……それが魔法だ。だからこそ無闇に行使することを、王国の法によって禁じているのだ。
魔力は使いすぎると意識が朦朧としたり、酩酊したときのような症状が出て、それでも使っていると気絶する。魔力は意識によって制御されるが、意識もまた魔力に制御されることがある。
そこまで使っていないときに体力的な疲れは見られないのだろう。
「オネネヴ、げんきだね」
「わたしは聖騎士をめざしているからね!」
冷風を送る魔法の詠唱文が書かれた紙から目線を外し、オネネヴを見つめるオネゥケプ。
魔法の授業の休憩に、オネネヴは鉄の棒を素振りしていた。一緒に布剣を2本持ってきているので、隙がればオネゥケプとチャンバラでもしようと思っているのだろう。
少し安堵する。魔法の楽しさに気づいても、オネネヴが目指す場所は変わっていないのだ。
……何を安堵している?
俺が近い未来、その道を壊すというのに。
「君は、魔法使ってみないの?」
「っ、うん。なんだか、むずかしそうで、わからない」
気づかぬうちに、ルザが俺の隣にしゃがみ込んで目線を合わせている。
小声で話しかけてきたルザに驚き思わず後ずさりしながら、用意していた言い訳を放つ。
しかしどういう訳か、ルザの瞳は俺をジッと見つめていた。まるで、何もかもを見透かされているような錯覚に陥る。
「アイロツィ君、今何歳だっけ」
「にさい」
「ふぅん。聞きたいんだけどさ」
ルザは、尚も俺から目を離さない。
一瞬の動作ですら見逃さないように、眼を開き続け……その右手に、正四面体の魔力固体を準備しているのが見えた。
何を、何をしようというのか。何を疑っているのか。
「なんで、私の魔法の使い方に驚いていたの?」
……は?
いや、だって、驚くだろそんなの。
そんなことを言おうとして、はたと気付いた。
俺が今までしていたことは、自然だったか?
幼い、2歳の子供が魔法を目にする。
それでしたことが、驚くこと。
普通は、きれいだとかすごいだとか、無邪気に笑ったりするものじゃないか?
オネネヴたちが、そうであったように。
「見た感じ。魔法そのものじゃなくて、魔力固体の形成と魔法行使速度、それと詠唱自体の流暢さに驚いてたね。バレてないと思った?」
「なに、わかんない」
「ふ、今も思いっきりこれ警戒してるし」
そう言って魔力固体の形状を正四面体から正八面体へと変化させる。
それは、相手を攻撃する魔法に適した形。飛ぶ魔法は速度を増し、貫通する魔法はより深く食い込むようになる。
性格の悪いことに、母や使用人からは見えない角度での脅し。思わず、生唾を飲み込む。
「……あは、おもしろ。魔力固体形状による適正魔法の推移についても知ってそうだね。ねぇ」
「……な、なに」
「君のお父さんも、ラギツェヴニ司教も、君のこと疑ってるよ」
「どういう、こと?」
「君が、魔神の注目を受けた、魔神の眷属の生まれ変わりなんじゃないかって」
「……!?ちがっ」
思わず大声が出そうになり、ルザの人差し指が俺の小さな口を抑える。
最初に出会ったときの、面倒見の良さそうなお姉さんの雰囲気はそこにはない。
ただあるのは、どこまでも不気味で……愉悦に歪んだ女性の笑顔であった。
「静かに。君が何者かとか、全部どうでもいい」
「……」
「君が色々知ってそうなこと、子供っぽくないこと、全部黙っててあげる。先週ちょっと言っちゃったけど、気の所為だったことにしてあげる」
「……」
「だから、約束しよ?」
どこまでも嗜虐的で、この世の善も悪にも興味のない、ただ己の探究心を満たすための化物だ。
「これから先、私の研究に付き合って、ね?」
原作の知識も。
今の技術も、立場も。
俺が太刀打ちできない、ルザという1人の脅威が。
どこまでも嬉しそうに、その悍ましいまでに輝いた瞳で俺を見ていた。
「さて!そろそろ魔法のお勉強再開しよっか」
「「はーい!」」
ルザは、手を叩いてオネネヴたちに声を掛ける。
俺のうるさいまでに鳴り響く鼓動は、静かにならない。
震えた足で、どうやって立っているのかもわからない。
「あ、そうだ」
ルザは振り返り、再度俺の耳元に口を近付ける。
「もーちょっと、演技は上手に……ね?」
私みたいにね、と続いた言葉。
それからのその日のことは、もうあまり覚えていない。




