第5番 魚の声が地上に届いた日
急に目の前が回るくらいの眠気が襲ってきて、あたしは考える間もなく夢の中に落ちていった。
突然眠くなって気がついたら寝てる事はいつものこと。夢の中で意識がある時は身体は軽くてふわふわしてて霧の中にいるみたいな感じ。
でも今日の夢は意識ははっきりしてるのに体が重たい。泳いだことはほとんどないけど水の中にいる感覚と似てるかも。試しに手足で周りをかき分けるみたいにしてみたら前に進むことができた。
不思議な空間にも慣れてくると中々楽しいかも。クルンとその場で回ってみたり、フワフワ泳いでみたり。この空間を暫く楽しんでいると自分以外の声が聞こえることにようやく気がついた。
音が篭って反響してるみたいでどこから聞こえてるのか分かりにくい。じっと耳を澄ますと音がどんどん大きくなっていく。
あっちだ。声の方、目を凝らすと今のあたしの周りよりも少し暗くて重たい場所に人影が見える。
長い髪を水の中に揺蕩わせて、上に下に舞い踊りながら両手を広げて歌ってる人魚姫がいた。
青い艶やかな髪が水の中で広がるたびにきらりと光を反射する。手足に散らばる鱗も宝石みたいで舞を煌びやかに彩ってる。
その姿があまりにも嬉しそうで楽しそうで、そしてとても綺麗な声で、サーシャは思わず聞き入ってしまった。
歌い終わったのか目の前の女の子は息を吐くように大きな泡を一つ吐くと胸に手を置いてその場に止まった。
「すごい…」
思わず呟くと少女がこちらに勢いよく顔を向けた。何故か口元を両手で抑えながら。
「誰ですの?誰かいるんですの?」
両手で抑えてるはずなのに声が明確に聞こえる。と言う事はやっぱりここは夢の中なんだね。
ふわりと周りをかき分けながら人魚の少女の元に向かった。
「あの、聞いちゃってごめんなさい。でも、その、とっても素敵な歌だった!」
すぐ目の前に来ると初めて会うはずの少女の顔がよく見えた。水に漂う青く長い髪は艶めいていて、濃い青の瞳は水底に沈む宝石みたいでとても綺麗。
「私の歌は素敵なのですか?」
あたしはそれなりの距離で止まったのに何故か向こうが更に近づいてきた。近すぎるくらいの目の前で人魚さんが嬉しそうにしてる。お口を両手で抑えるのはもういいのかな?
「自分の歌声なのに素敵なの分かんないの?」
あ、思わず口にしちゃったけど何か悪い事、聞いちゃったのかな。人魚さんは悲しそうな顔をしてその場でくるりと一回転した。
「私はここ以外の場所で…思いっきり歌ったことがないのです。太陽の下で思いっきり歌えたら、それはどれだけ気持ちいいのでしょう。」
この空間は上も下もよく分からない。そんな何もない上を見上げて話す人魚さんはやっぱりどこか悲しそうだ。お外で歌えない理由なんて何があるんだろう。
「そういえば、どうしてあなたはここにいるのでしょう。今までここに誰かが来たことはありません。居たとしてもお魚さんや海獣さんくらいなのです。それも私が創り出したものか、本当に存在しているものかも…あなたも私が創り出したものなのでしょうか?」
サーシャは自分の手を見つめながらぎゅっと握ってみた。陽炎みたいに揺れてどこか頼りない。でもあたしはちゃんとあたしだし。
「えっと…多分あたしが神子だから…かな?」
神子と言うかどうかの辺りで水底の瞳がすぐ目の前にあった。こんなに近いと瞬きすらできなさそう。
いつの間にかあたしの両手が包むように握られていた。夢の中なのに冷たい手だ。
「あなた様が他所から来られているという神子様なのですね⁈会いたかったです!会いたかったのです!」
大きな声でも綺麗な声なんだなって思った。それくらいしか思えないくらい圧が凄い。変わってるところがちょっとお姉さんに似てるかも。
「ガイアの神子様は思ったより幼い方なのですね!もっと年上の方かと思っていました!私もまだ若輩者なので嬉しいのです!」
ようやく両手を離してくれた神子様はその場で宙返りするように何度も回る。混ぜられては上がっていく泡が光っていて綺麗だ。
「あたし、背はちっちゃいけどもう12歳だよ?」
一応子供扱いがサーシャは嫌なので歳を申告しておいた。少し背は伸びたけどやっぱり周りの友だちより小さいままだ。
「12歳なのですね!私は14歳なのです!初めて会う神子様が同年代なんて、本当に嬉しいのです!」
さらに回転の勢いが上がってしまった。もう何言っても嬉しいのかもしれない。こんなに回ってて目が回らないのかな?
「そういえばお名前はなんと言うのですか?」
しばらく回って気が済んだのかようやく止まった人魚さんは首をかしげて聞いてくる。サーシャもまだ自己紹介をしてなかったことに気がついたのでこの間マイラスに教えて貰った挨拶をした。
「第三大陸ガイアの神子、サーシャと申します。どうぞよろしくお願い致します。」
片足を後ろに少し下げて片方のスカートを軽く摘んで頭を下げる。お水の中みたいなここではバランスが取りずらかったけど何度も練習したから綺麗にできたと思う。
「これはこれは、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。申し遅れました、私は第二大陸ポセイドンにて神子をさせていただいております、リュケ・メガプテラと申します。どうぞよろしくお願いしたいのです。」
凄い。挨拶一つでこんなに美しいと思えると思わなかった。胸元に両手を重ねて目を閉じてまるで歌うように。言い終わるとその場でクルリと回って胸元の両手を広げた。これがこの国の挨拶なのかな。やっぱ国によって全然違うんだね。
「では、肩苦しい挨拶はもう十分なのです。そ・れ・よ・り!私はもっと仲良くなりたいのです!…夢から覚めてしまうと少し難しいかもしれないですが…ですが、もし、あなた様が良いなら、お友達に、なってはいただけませんか?」
水の中なのに潤んだ瞳がこちらを見る。そんなに近くで見つめられると流石のサーシャも頷くしかできなかった。近すぎて微かに動かすので精一杯だったけれど。
でも、いい人みたいだし同じ神子様だし、サーシャとしてもお友達になってみたかったので嬉しいや。
頷いたサーシャをみたリュケさんはパアァって笑顔になって嬉しそうにその場で大きく回った。
「嬉しいのです!お友達!初めてお友達ができたのです!」
何だかあまりに嬉しそうなのでサーシャまで嬉しくなってきた。嬉しいのを全身で表せるのはとても素敵だと思った。
「…そういえば、夢が覚めちゃうとお友達が難しいって、何かあるの、ですか?」
ちょっと口調が移ってきちゃった。不思議な喋り方をする人だな。
サーシャがそう聞くとあれだけ嬉しそうにくるくる回っていた人魚さんは急に動きを止めた。あまりに突然でちょっと驚く。
「…私はこの大陸の神子なので…その、あまり自由にお外に出てはいけないのです。今日みたいなお仕事も最近は身代わりとしてお姉さまが私の代理としてお外に出ます。私も、お仕事でもいいから…お外に出られたら良いのに。」
悲しそうに俯いたままリュケさんはまた一回転した。
「だからこの夢の中だけは私の自由なのです。私に自由はここにしかないのです。」
何だかちょっと可哀想になってきた。あたしも神子だけど不自由な事は無いし辛い事もあったけど今はすごく楽しい。大陸によってはこんなにも違うものなのかな。
最近まで外の世界に殆ど出たことなかったサーシャには知らないことばかりだ。そもそも他の国の勉強をし始めたのも最近でそんなに知識があるわけじゃない。
「でも私は満足しているのです。神子と言うものは誰にでもできることじゃない名誉あること。私が神子に選ばれた以上、私は精一杯歌うのです。」
そう言って浮かべた笑顔は良いと思っているようには思えなかった。
「あたし…あなたに会いたい、です。夢の中じゃなくて、本当に会ってお喋りしてみたい…あなたの歌を目の前で聞いてみたい。」
思わず言ってしまった事に自分でも驚く。でもいいや、だって全部本心だから。あたしはリュケさんの事をもっと知りたい。
けれどリュケさんは優しく首を横に振った。
「私はその願いを叶えてあげられないのです。ごめんなさい。」
また優しく笑ったリュケさんは上を見上げた。上は眩しくてサーシャには何も見えなかったけどリュケさんには何か見えてるのかな。
「…そろそろ時間のようなのです。夢から覚めないと…サーシャ様、お話できて楽しかったのです。もしまだこの国にいるのでしたら、また…会えると嬉しいのです。」
そう言って眩しい光が強くなってサーシャは目を瞑る。このまま夢から覚めるんだろうことは分かった。もう少し話をしていたかったけどきっとまた会える。
今はとにかくマイラスにこのことを報告しなくちゃ。サーシャはマイラスのことを呼んだ。
「…それでさっき俺の名前を叫びながら起きたのか。」
マイラスはその場でうんうん頷きながら難しい顔をしてる。何かいけないことしちゃったのかな?あまりに難しそうな顔だからサーシャは不安になってきた。
けれどマイラスは考える格好のまま嬉しそうに、悪い顔をした。




