第190話 蒼い旋律、十億の価値
「さて、食事も進んだところで、本題に入ろうか」
カズマがナプキンで口を拭い、姿勢を正した。
「一ノ瀬、ヒカルのオーブ取得への協力。そして紫村、ヒカルへの魔力伝導の指導。本当にありがとう。おかげでヒカルの戦闘力は飛躍的に上がり、彼女の本来の才能を覚醒させることができた。兄として、心より感謝する」
カズマは深々と頭を下げた。名門公爵家の嫡男が、一年生相手に。
俺たちはあっけに取られて言葉を失う。
「今回はその礼として招待させてもらったが、これだけでは足りないと思っている。ところで紫村。お前はヒカルの『紅桐』にいたく興味を示していたそうだな」
「あ、はい。とても素晴らしい木剣だと思います……。魔力の通りが、僕の使っているものとは比べ物にならないです」
紫村が少し熱っぽく語ると、カズマは後ろに置いてあった細長い布袋を手に取り、紫村に手渡した。
「紅桐はヒカルの得物だから譲れないが、代わりにこれを用意した。銘は『蒼律』。紅桐と同じ紫檀を使い、さらに高度な魔力浸透処理を施した特注品だ。ヒカルを導いてくれた礼だ、受け取ってくれ」
紫村がおそるおそる中身を取り出す。現れたのは、深みのある蒼い光沢を放つ美しい木剣だった。
「こんな貴重なもの……本当に、良いんですか?」
「ああ。おまえならそれを正しく使いこなしてくれると信じているよ」
紫村の顔に、隠しきれない歓喜が爆発する。刀身を眺めるその目は、もはや恋する少年のそれだった。
すぐにハッと我に返った紫村は、冷静な表情へと戻り、そしてカズマへ尋ねた。
「カズマさん……。ずっと聞きたいと思っていたのですが、どうしてそんなに僕に良くしてくれるのですか?」
「ん?」
「僕ははっきりと貴族と敵対していると宣言しています。そんな僕に貴族の代表たる公爵家のあなたが、こうして好意的に扱ってくれる理由が理解できないんです……」
そんな紫村の言葉に、カズマはニヤリと笑ってゆっくりと語り始めた。
「紫村。私は、お前の貴族制度廃止というアイデア、それは決して悪い案ではないと思っているのだ」
「え?」
カズマの言葉に紫村は驚きの声を上げた。
カズマはその理由を告げる。
「現代の日本は民主主義国家だ。貴族制度は残っているが、封建社会のそれとは全く違い、貴族の力と役割はいびつなものとなっている。その中でも私がおまえと同じで納得できないのは、下級貴族たちの横暴だ。彼らは何もしないで国庫から年金をもらうことができる。それだけでなく税金の免除など数々の特権を有している。なのに関わらず、貴族としての責務を何もこなそうとしない。権利だけ主張する愚かな貴族が増えすぎたのだ」
それを聞いて紫村は驚きの表情を浮かべるが、同時に俺も驚いていた。
どうやら貴族と言っても一枚岩ではないらしい。カズマさんがそんなことを思っていたとは。
「おまえも知っていると思うが、最上位たる公爵家は日本で八家しかないにも関わらず、最下位の男爵家は一万家を超える。いくらなんでも多すぎだ。お前もそう思うだろう?」
俺もそれは聞いたことがあった。上位が少なく下位が増えるピラミッド構造になっているのは普通のことだと俺は思うのだが。
「戦後、男爵家は1000家に満たない数だったが、褒賞や受勲によって増えていった。この増えすぎた下位貴族ほど品格の無い者が多いのだ」
そんなカズマの説明を紫村は真剣な眼差しで聞き入っていた。
「おまえの大嫌いな貴族もそういう者たちのことだろう?」
紫村はそんなカズマの言葉に心当たりがあったのか、ゆっくり頷いていた。
「私に限らず、上位貴族にはこの問題を重く考える者が多い。下位貴族たちは人数が多いせいで発言力も強くなっている。貴族家の数を減らそうとすると、この一万の男爵家全体からクレームが入るのだ。こんな品格のない名前だけの貴族たちから、いかにして『特権という名の寄生先』を取り上げるか。それは私たちにとって、迷宮攻略以上に優先すべき課題なのだよ」
カズマが強い口調で下位貴族たちを批判すると、カズマの考えを理解した紫村が口を開いた。
「だったら、自分たちも含めて貴族制度そのものを廃止するのも良い案だと言うのですか?」
「そうだ。私たちは権力を奪われただけでどうこうなるような無能な人間ではないつもりだ。だから貴族制度というものなどに守られているつもりもない」
そんなカズマの言葉に、隣に座っていた山縣が口をはさむ。
「お前たちは簡単に言うが、その案は過激すぎる。課題や問題点も多い。それよりも貴族の義務を果さない家の取り壊しなど、段階を追ってやるべきだ」
「もちろんそうだ。今すぐどうこうできる話ではないし、もっと深く話し合ってから決議すべき案だ。まあ今の私には決定権はないがな。私たちの時代になってからの話だ」
私たちの時代というのは、カズマ、山縣らが将来家を継いで、貴族議会議員となってからのことを言っているのだろう。
入学式の時の勢いは完全に失った紫村が、俯きながらつぶやいた。
「僕は貴族というのは、もっと上下関係がしっかりしているものだと思いました」
「基本的にはそうだ。だが中には公爵家にすら反抗的な者も多いのが事実だ。まあ別に私がお前の味方だとは言わない。だが敵でもないということだけは知っておいてくれ」
そう言われた紫村は、表情を引き締めてカズマに答えた。
「分かりました。そしてこの『蒼律』は、ありがたく頂戴します」
「ああ」
カズマは笑顔で相槌を打った。そして俺の方へ向き直る。
「そして、一ノ瀬。お前への礼だが……実は何がいいか迷っている。何か具体的なリクエストはあるか? もし現金が良いというなら、即座に『十億』用意しよう。火魔法と治癒魔法、二つのオーブの価値を考えれば、それくらいが妥当なラインだ」
不意に放たれた天文学的な数字に、紫村が蒼律を落としそうになった。
「じゅ……十億!?」
十億……一般人なら一生どころか、三世代は遊んで暮らせる金額だ。だが、不思議と俺の心は動かなかった。大金を持って狙われるリスクや、生活が変わることへの忌避感の方が強かったのだ。俺は、大金を手にして若くしてリタイヤしたいのではなく、ただ静かに迷宮を楽しみたいだけなのだ。
「お金はいいです。すぐに困っているわけでもないですし、例えばもし今後俺がお金に困った時にはいつでも助けてもらえますよね?」
「フフ。よく分かっているな。おまえは既に九条公爵家所縁の探索者だ。お前に何かあった時には父が動くだろう」
「ありがとうございます。だとしたら今は、お金よりも先に相談したいことがあります」
俺の言葉に、カズマだけでなく山縣やレナも意外そうな表情を見せた。
「金よりも優先すべき相談か。面白い、言ってみろ。私にできることなら何でも協力しよう」
「実は、九条公爵に直接会って話したいことがあるんですが、先日ヒカルさんを通じて秘書の方にアポを取ったのですが、公爵が多忙で会えるのは二週間後になると言われまして。……ですが、できればもっと早く、二人きりで話したいんです」
俺はポーションランクアップの情報を、公爵に早々に相談したいのだ。
それはカズマにさえ、安易に話すべきではない重すぎる機密だ。
だから俺は、それを伏せて伝えた。
「父上にか……。確かに今は毒消し薬の事業化プレゼンの準備で、スケジュールが完全に埋まっていると聞いている。だが……」
カズマは少し考えると、懐からスマホを取り出した。
「一ノ瀬。もし君の都合がつくなら、直接『議員会館』を訪ねてみるというのはどうだ? 執務室の隙間時間なら、私が無理やりにでも割り込ませられる」
「そんなことが可能なんですか?」
「待っていろ。今、アポを取る」
カズマは迷うことなく電話をかけ、数分ほど手短に話を済ませた。
「取れたぞ。明日、十九時だ。永田町の貴族院議員会館に来い。九条家の一ノ瀬として通してやる。少しの時間だが、父も君には興味を持っているようだからな」
「ありがとうございます、カズマさん」
俺は深く礼を言った。
入学当初は、まさか俺がここまで深く貴族と関わることになるとは、思ってもいなかった。
それにしても議員会館か……。本当にそんな場所に俺みたいな人間が行ってもいいのだろうか?
だんだん不安になってきた。
「あっ?俺スーツとか持ってないんですけど、買ってきた方がいいですかね?」
その言葉にカズマさんは何を言っているんだと言う顔をし、鷹宮先輩が顔を背けて笑いをこらえていた。
「……俺、変な事言っちゃいましたか?」
「ククッ、おまえはまだ学生なのだから、その制服のままでいいだろう」
「あっ、そうか。って鷹宮先輩、そんなにおかしかったですか?」
手で口を押さえている鷹宮先輩に問いかけた。
「ごめんなさい。でも、あまりにチグハグで……。十億円を紙屑みたいに扱うくせに、スーツ一着の出費を気にするなんて。……一ノ瀬君、あなたを見てると、こちらの常識が壊されそうになるわ。一体どっちが本当のあなたなの?」
「ええ?」
そんなに俺の発言におかしいかな?
するとカズマさんがすぐに答えた。
「レナ、これが一ノ瀬シロウだ。私たちの尺度で測れるような男じゃないんだよ」
褒められているのか貶されているのか、よく分からないフォローだった。




