1羽
地球ではありえない二つの月が彼を照らす。
額から流れ出る汗を感じて彼、田中圭介は目の前の存在から距離をとろうと後ずさる。
バキッ
「ひっ!?」
不意に枝が折れた音と共に彼の右足が地面に沈む。
いや、正確に言えば幾重にも折り重なった枝と泥で形成された床を踏み抜いた。
「ヒィ!くそっ!くそくそ!」
圭介は悪態をつきながら、右足を引き抜こうとする。
しかしズボンが細かい枝に引っ掛かったのか、中々抜けない。
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。
息が荒く、細かくなる。
パニックで埋まる思考の中で圭介は目の前の存在に注意しつつも周囲を観察する。
そこはプレハブ倉庫くらいの大きさの泥と枝で形成された場所であり、見た目は丁度、ツバメの巣をそのまま大きくした様な場所だった。
訳がわからない!?
さっきまで普通に街中を歩いていたのに!
どこだよ、ここ!?
乱れる呼吸と思考で思い返す。
彼は単に祖母からのお願いで郵便ポストまで歩いていたずだった。
それなのに突然、薄暗くなったと思ったら、気付くと舗装されていない土がむき出しの道の真ん中に立っていた。
しかも、頭上には月が二つ。
それだけでも、訳がわからない状態であったにも関わらず、背中に衝撃を感じたと思った瞬間に肩を何かに掴まれて足が大地から離れていた。
そして悲鳴を上げる間もなく、身体全体に風を受けて彼の身体は空高く運ばれた。
風圧で口を開けられなかった。
目も開けられない。
しかし、何とか薄目を開けると目の前には屋久島の杉の木が若木に思えるほど巨大な木が目の前に迫っているのが見える。
何だよ、あれは!?
ありえない!!
信じられない光景に思考が止まる。
そして、唐突に肩を掴んでいた力がぱっ離されると圭介の身体は慣性と重力に従って空中に放り投げられる。
「うわぁぁぁあ!!」
そこで初めて圭介の口から悲鳴が流れでる。
そして、パキバギバギと枝が折れる音とグシャッと乾いた泥の塊が砕ける音とともに着地する。
思いの外、衝撃による痛みは無かった。
しかし、それが良かったと思える心の余裕は無かった。
「ひっ!ひぃ~!!」
引きつるような悲鳴が漏れる。
恐る恐る顔を上げた先に彼をここまで運んだ存在が目の前に降り立ったからだ。
普通の生物ではない。
上半身が女、下半身が鳥。
ありえない生物が圭介をジッと見ていた。
圭介は、踏み抜いた右足を引き抜こうと足掻く。
その度にパキッバキッと枝が折れる音が木霊する。
もしかしたら、底が抜けるかもしれない。
しかし、動けない状態では目の前の生物に何かされるよりはマシだと思い必死に引き抜こうとする。
『※※※、※※※※※※』
目の前の存在が何か、言葉の様なものを口にする。
そして一歩、鳥特有の前に3本、後ろに1本ある足を踏み出す。
「ちっ、近寄るな!!」
圭介は動きを止めて床の枝を折って生物に向ける。
生物はピタッと歩みを止める。
ハァ、ハァ、ハァ。
生物が止まったことで、幾分か冷静さを取り戻す。
そして、改めて目の前の存在を観察する。
頭と胴体は、普通の女性だ。
しかも、普通に可愛い容姿をしている。
だが本来、腕があるべき場所には鷲や鷹の様な巨大な翼が生えている。
下半身は足ではなく、鋭い鉤爪が生えた鳥の足。
「……………もしかして、ハーピー?」
圭介の口から、その名前が漏れ出る。
ファンタジー小説やRPGゲームでしか存在しないはずの想像上の生き物。
それが彼の目の前にいる。
「なぁ、ここはどこだよ?何で月が2つもあるんだ?このデカい木は何なんだよ?君って何なんだ?」
圭介は口早に疑問を投げかける。
「それと……………その、前を何かで隠してもらえないか?」
最後の言葉だけは顔を赤らめて口にする。
その存在いや、彼女は圭介が何を言っているのか理解できない様に顔を傾げる。
そしてまた一歩、彼に近寄る。
「止まれ!」
『※※※』
圭介は枝を再び、構える。
別に、この枝で抵抗できるとは思ってない。
単に何も無いよりはマシだという程度だ。
『※※※※』
「何、言ってんだよ?」
彼女は立ち止まると少しして再び、何語なのかわからない言葉を圭介に話す。
「なぁ………もしかして、僕を襲う気はないのか?」
このちょっとした膠着状態で少し冷静になった圭介は警戒を解かずに彼女に話し掛ける。
彼女はカクッと首を傾げる。
「あ〜、言葉は通じないか」
圭介は困ったように言うと左手を使って何とかジェスチャーで意思を伝えようと努力する。
しばらくして、意味が伝わったのか彼女はコクコクと何度も頷く。
「………ハァ〜、本当に襲わないんだな?」
まだ安心はできないが、圭介はとりあえず彼女を信じて右手の枝を離す。
『ホントウニ、オソワナイ』
すると彼女が日本の言葉を口にする。
「えっ!日本語?話せるのか!?」
圭介は驚いて彼女を見つめる。
『エッ、ニホンゴ、ハナセル、ノカ』
オウム返しに彼女は圭介の言葉を話す。
圭介は何だ、話せないのかと落胆するが彼女は、その呟きも真似て口にする。
「もしかして、僕の言葉を覚えようとしてる?」
『モシカシテ、ボクのコトバヲオボエヨウトシテル』
イントネーションが可笑しい彼女の言葉に圭介はプッと笑みが漏れる。
『※※※!※※※※!』
それが気にでも障ったのか抗議する様に何かを口走る。
「ごめん、ごめん。悪かったよ、笑って」
『※※※※※』
「笑わない、笑わないから、機嫌を直してくれよ。あ〜、そうだな、こう言うのは基本は、名前からだよな」
笑いを納めて圭介は指で自分を指した。
「圭介だ。解かる?僕の名前、ケ・イ・ス・ケ」
『ケイスケ?』
「そう!圭介、俺の名前!君は?」
圭介は次に彼女を指さす。
彼の意図が伝わったのか、彼女は翼を器用に自分の小柄な胸に当てる。
『アエロー』
「アエローって言うのか。よろしく、アエロー」
もはや、警戒を解いた圭介はアエローに右手を差し出す。
アエローは、そのジェスチャーがわからずにカクッと首を傾ける。
「握手は、流石にわからないか。まぁ〜いっか。なぁ、アエロー」
圭介は苦笑して右手を下げる。
そして、アエローに話し掛ける。
彼女は自分の名前を呼ばれて何?と言うように圭介を見つめる。
「とりあえず、前を隠してもらえる?その……………色々、見えてるから……………上と下がさ……………」
圭介は顔を赤らめて視線を横に逸らす。
アエローは何故、彼が顔を赤く染めているのかわからずにジッと見つめていた。
図らずとも異世界に足を踏み込んだ少年と1羽のハーピーはこうして出会った。
後の世に人の想いが詰まった手紙を世界各地に届ける大規模組織『郵便ギルド』の始まりのきっかけけ、その瞬間であった。




