最強のハズレスキルと、肩こりの破滅竜
「――ふぅ。今日も森の空気が美味しいな」
木漏れ日が差し込む穏やかな朝。
俺、ジンは、手作りの木製マグカップに注いだハーブティーを傾けながら、深く息を吐き出した。
目の前に広がるのは、手つかずの広大な自然。
鳥たちのさえずりと、風が木の葉を揺らす音だけが心地よく耳に届く。
ここ『深淵の森』の入り口にあるボロ小屋を借りてから、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
家賃はタダ同然。大家の老人は「あそこは絶対にやめておけ」と蒼白な顔で止めてきたが、俺にとっては最高の優良物件だった。
なぜなら、ここには「人間」がいないからだ。
この世界、エルディアでは、成人の儀式で神から何らかの【スキル】を与えられる。
剣の才能を引き出す【剣聖】や、高度な魔法を操る【賢者】が出れば、国を挙げてのお祭り騒ぎになるほどだ。
そんな中、俺が与えられたスキルは――【全言語翻訳(Lv.MAX)】。
文字通り、この世のあらゆる言語を母語レベルで理解し、話せるようになるスキルだ。
これだけ聞くと便利そうに思えるかもしれない。
だが、人類の共通語が普及しているこの世界において、翻訳の需要は皆無。
そして、人類の敵である「魔物」は、知性を持たず本能のままに暴れ回る獣とされているため、「魔物と対話する」などという発想自体が存在しない。
結果、俺のスキルは「完全なゴミスキル」「最弱のハズレ枠」の烙印を押された。
だが、本当の地獄はそこではなかった。
俺の【全言語翻訳】は、レベルがカンストしているせいか、ただの言葉だけでなく、相手の「隠語」や「舌打ちの意味」、さらには「裏に隠された悪意ある感情の機微」まで、正確に日本語の音声として脳内再生してしまうのだ。
『ジン君は本当にいい子だねぇ(※意訳:この無能、早く目障りだから消えないかしら)』
『お前ならできるって!(※意訳:面倒な仕事は全部こいつに押し付けようぜ)』
幼い頃から、人間のドロドロとした本音や怨嗟の声を浴び続けてきた俺は、すっかり人間という生き物に疲れ果ててしまった。
だからこそ、裏表のない動物や、静かな自然に囲まれて暮らすため、この人里離れた森へ引っ越してきたというわけだ。
「……よし、今日もお悩み相談所、開店するか」
俺は小屋の前に立てた『お悩み相談所・止まり木』という看板の埃を払った。
人間不信の俺だが、「誰かの悩みを聞いて、少しでも心が軽くなるなら手伝いたい」というお節介な性格だけは直らなかった。
まあ、こんな森の奥深くに、人間の客なんて来るはずもないのだが。
ドォォォォォォォォォンッ……!!!
その時だった。
突然、地面が激しく揺れ、マグカップに入っていたハーブティーがこぼれた。
「ん? 地震か?」
地震にしては、一定のリズムがある。
ズシン、ズシンと、何か途方もなく巨大なものが、こちらに向かって歩いてくるような――。
▼▼▼
(……終わった。この国は、いや、この世界は終わりだ)
ジンのボロ小屋から少し離れた巨木の枝の上。
周囲の景色に溶け込むように潜んでいた美しいエルフの少女――ルミナは、戦慄に体を震わせていた。
彼女は、王国最高位の暗殺者集団『影』の筆頭。
先日より「絶対に足を踏み入れてはならない超Sランク危険地帯である『深淵の森』に、強力な魔物が不自然に集結している」という報告を受け、その原因を突き止め、可能ならば元凶を暗殺するために単独で派遣されていた。
そして彼女は、森の入り口に佇む一人の青年に目をつけた。
魔力は一般人以下。構えには一切の隙だらけ……いや、違う。
(あれは……『無空の構え』! 一切の殺気を消し去り、自然と一体化することで相手の予測を完全に狂わせる究極の武の境地……ッ!)
プロの暗殺者であるルミナの目には、無防備にお茶をすするジンの姿が、いつでも自分を微塵切りにできる「最強の怪物」に見えていた。
だが、彼女の畏怖を上書きするほどの絶望が、森の奥から姿を現した。
巨木をなぎ倒し、太陽の光を遮るほどの巨大な翼。
漆黒の鱗に覆われた、山のような巨体。
周囲の空気が一瞬にして氷結しそうなほどの、圧倒的な死のプレッシャー。
「エ、エンシェント・ドラゴン……ッ!?」
ルミナは声を出しかけ、必死に両手で自分の口を塞いだ。
神話に語られる『破滅の竜王』。
かつて一国を単騎で蹂躙し、灰燼に帰したとされる人類の天敵中の天敵。
(なぜ、あんな神話級の魔物がここに!? まさか、あの青年を喰らいに来たのか!?)
いや、逃げなければ。
暗殺任務などと言っている場合ではない。あんなものと目が合えば、魂すら消し飛ばされる。
ルミナが恐怖に怯懦し、撤退しようとしたその時――。
「グルルルルルルルル……ッ!!!」
竜王が、ジンに向かって首を伸ばし、大気を震わせるほどの恐ろしい咆哮を放った。
その凄まじい殺気と魔力の波に当てられ、ルミナは木の枝の上で気を失いそうになる。
(あぁ、あの青年は終わった。跡形もなく消滅する……!)
ルミナが目を閉じた、次の瞬間だった。
▼▼▼
「グガァァァァァァッ! グルルルルゥゥゥゥッ!!」
目の前に現れた、見上げるほど巨大な黒いトカゲのような生き物。
それが、俺に向かってものすごい剣幕で吠え立ててきた。
凄まじい音圧で髪の毛が後ろに持っていかれそうになる。
だが、俺の耳(と脳内)には、その大音声が、なぜかとても流暢な日本語として変換されて響いていた。
『あー、マジで肩いてぇぇぇ! なんだこれ、首の付け根から背中にかけて岩でも詰まってんのかってくらい重いんだけどぉぉぉぉっ!!』
「…………えっ?」
俺は思わず、持っていた布巾を取り落としそうになった。
『最近、数百年くらいガッツリ寝てたんだけどさぁ! 起きたらもうバッキバキ! しかもなんか、俺の寝床の近くで人間どもがカンカン城とか作り始めて、その騒音で全然寝付けねぇし! 不眠症気味でマジ最悪なんですけどぉぉぉっ!』
「…………」
俺は目の前の巨大生物を、まじまじと見上げた。
鋭い牙。赤く光る恐ろしい瞳。
どう見ても凶暴な野生動物(というかファンタジー世界でよく見るドラゴン的な何か)だ。
普通の人なら、恐怖で腰を抜かすか、逃げ出す場面だろう。
だが、俺の【全言語翻訳】がカンストしているせいか、こいつから発せられる「威圧感」や「殺気」のようなものが、すべて「極度の疲労からくる悲鳴」にしか感じられない。
というか、言っている内容が完全に「過労気味のサラリーマンの愚痴」である。
「えっと……お客さん?」
「グルゥ?」
『ああん? なんだお前、俺の言葉がわかるのか?』
俺が話しかけると、黒い巨大トカゲはピタリと吠えるのをやめ、不思議そうに首を傾げた。
「ええ、まあ。ここは『お悩み相談所』ですから。看板、見えませんでしたか?」
俺はそう言って、小屋の前の看板を指差した。
『おなやみ……そうだんじょ? 人間が、この俺の悩みを? ギャハハハ! 傑作だな!』
巨大トカゲは鼻からプスーッと煙を吐き出しながら笑った。
「笑い事じゃないですよ。お客さん、相当肩の筋肉が張ってますね。血流が悪くなると、イライラしやすくなりますし、不眠の原因にもなります。ほら、ちょっとそこに座って……いや、座るのは無理か。腹這いになってください」
『は? お、おい、人間。俺は破滅の竜王と恐れられる……』
「はいはい、破滅でもなんでもいいですけど、そのまま放置してたら四十肩みたいに腕が上がらなくなりますよ。いいから、ちょっと失礼しますよ」
俺は躊躇なくドラゴンの巨体に近づき、黒い鱗の隙間、首の付け根あたりに両手を押し当てた。
硬い。信じられないくらいガチガチに凝っている。
「うわぁ、これはひどい。何百年も同じ姿勢で寝てたからですね。よし、少し強めに揉みますよ。痛かったら言ってくださいね」
『な、なにする気だ! 貴様、俺に触れるとヤケドす――』
グッ、と体重を乗せて、コリの芯を押し込む。
「ギャァァァァァァァッ!!??」
『痛ッッッ!? 痛い痛い痛い! ちょっ、そこ、あかん! 痛気持ちいいぃぃぃっ!!』
森中に響き渡るドラゴンの絶叫。
だが、その声のトーンは明らかに「ツボに入ったおっさんの声」だった。
「はい、深呼吸してー。そのままゆっくり息を吐きながら、右の翼を伸ばしてみてください。そうです、そうです。あー、肩甲骨の裏側までバキバキですね」
『フシュルルルル……』
『あ〜……そこ……そこヤバい……効くわ〜……人間、お前すげぇな……ゴッドハンドかよ……』
巨大なドラゴンは、俺の指示通りにおとなしく翼を動かしながら、だんだんと目をトロンとさせて地面に顔をこすりつけ始めた。
完全に脱力している。猫みたいでちょっと可愛いな。
「人間の騒音がうるさいなら、耳栓代わりになるものがあるといいですね。ちょっと待っててください」
俺は小屋に戻り、森で摘んで乾燥させておいた『鎮静のハーブ(※ただの安眠効果のある草)』を大量に詰め込んだ、特大の麻袋のクッションを持ってきた。
「これを頭の下に敷いて寝てみてください。ハーブの香りでリラックスできますから、多少の騒音なら気にならずに深く眠れるはずですよ」
俺が巨大な頭の下にクッションを差し込むと、ドラゴンはスゥーッと息を吸い込んだ。
『おお……なんだこの良い匂い……。心がスッとするぜ……』
「でしょう? ストレッチも毎日少しずつ続けてくださいね。肩こりは日々の積み重ねですから」
『……人間。お前、ただ者じゃねぇな。俺のプレッシャーを前にして一歩も引かず、あまつさえこの俺の長年の苦痛を払拭してしまうとは』
ドラゴンはゆっくりと身を起こすと、先ほどまでの凶暴さが嘘のように、真剣な(ように見える)眼差しで俺を見下ろした。
『礼を言う。お前のような人間がいるとはな。これは治療代だ、受け取れ』
カランッ、と。
ドラゴンの口から、ソフトボールほどの大きさの、透き通った赤い石が吐き出された。
「おっ、綺麗な石ですね。ありがとうございます。また肩が張ったら、いつでも愚痴を聞きますから来てくださいね」
『フッ……面白い奴だ。また来るぜ、名医殿』
ドラゴンは満足そうに喉を鳴らすと、バサァッ! と巨大な翼を広げ、風を巻き起こしながら空の彼方へと飛び去っていった。
「ふぅ、最初のお客さんがトカゲさんとはな。でも、満足してもらえたみたいでよかった」
俺は赤い石を拾い上げ、太陽の光にかざして綺麗だなと微笑んだ。
これでまた、少し平穏な日々が送れそうだ。
▼▼▼
「…………嘘、でしょ」
少し離れた木の上で、事の顛末をすべて見ていたルミナは、腰を抜かしたままガタガタと震えていた。
(あ、あの『破滅の竜王』が……人間の前で腹を這わせ、あまつさえ子供のようにおとなしく従っていた……!?)
しかも、ただ従えただけではない。
竜王は最後に、自らの魔力の結晶である『竜帝の逆鱗石』(※国家予算10年分でも買えない超国宝級の魔石)を差し出し、深い敬意を払って飛び去っていったのだ。
(言葉も通じないはずの神話級の魔物を、たった数分の『対話(?)』と『謎の儀式』で完全に服従させた……。しかも、あの男、あの超弩級のプレッシャーを前に、一滴の汗すら流していなかった……!)
ルミナの頭の中で、すべての点と点が最悪の形で結びついた。
この『深淵の森』に強力な魔物が集まっている理由。
それは、自然発生的なものではない。
この底知れぬ力を持つ青年が、世界中の神話級の魔物たちを裏で束ね、操っているからに他ならない。
(王国軍が束になっても敵わない竜王を、まるでペットのように扱う存在……。間違いない、彼こそが……魔物たちを統べる『真の魔王』……!!)
ルミナは絶望的な事実に直面し、呼吸が逼迫するのを感じた。
暗殺? 冗談ではない。あんな底知れぬ化け物に手を出せば、王国は明日にも地図から消滅するだろう。
(私が……私がなんとかして、あの御方の機嫌をとらなければ……! この国を、世界を滅ぼさせないために……ッ!)
震える足に鞭を打ち、ルミナは決死の覚悟で木から飛び降りた。
そして、小屋の前でのんきに赤い石を眺めている「魔王」の足元に、勢いよくスライディング土下座を決めた。
「お、お待ちください、魔王様ぁぁぁッ!!」
「……え? 誰?」
突然、森の茂みから飛び出してきた美しいエルフの少女が、俺の足元に猛烈な勢いで平伏した。
「わ、私を! 私を末端の小間使いでも、靴舐め係でも構いませんから、どうか貴方様の陣営の末席にお加えくださいませ!!」
「ええ……っと、靴舐めはちょっと……衛生的に……」
「なんなら受付嬢でもやります! 無給で構いません! だから命だけは、命だけはお助けをぉぉぉっ!!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら命乞いをしてくるエルフの少女。
【全言語翻訳】を通して聞こえてくる彼女の心の中は、『殺される殺される国が滅ぶ』という極度のパニック状態だった。
「あー……とりあえず、お茶でも飲みます?」
「ひぃぃぃッ!? 毒入りですね!? 飲みます! 喜んで飲み干させていただきますぅぅッ!!」
……どうやら、俺の静かな森のスローライフは、初日から予想外の方向へ転がり始めたらしい。




