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第十章 独立国家ホルン


 まあ、まずは神の力について理解を深めることが最優先だろう。そう思った。いや、それだけじゃないかもしれない。もう少しこの二人と旅がしたかったのかもしれない。

「でもさ、神を蘇らせるなんてどうすればいいの?」

カオスさんが聞いた。

 するとアテナさんが、待ってましたと言わんばかりの自信に溢れた顔で言った。

「神様が死んだその日から、ずっとその原因について情報収集してきたんです。今一番の一般論としてあるのは『神衰非人説』『人類承認説』の二つです。でもまさか、『神衰名家説』なんてものが一般に広がっているなんてことは知りませんでした…。」

「え…と…それらの説は、どういう説なんだ?」

一つ数年前に聞き覚えもあるような気がするが、一応聞いてみた。

 するとアテナさんは少し眉間にシワを寄せて答えた。

「『神衰非人説』は、神様が死んだ原因を、神様の力を持たない方達や、邪神が宿ってしまった方達のせいにする‘‘悪説’’です。『人類承認説』は、一昨日アルシエルさんに言った『崩り』が人類全体で起こり出しているという説です。そして、『神衰名家説』は…カオスさんから聞いて知りましたが、神様が死んだ原因を、名家に神様の力が集中し過ぎたことによる、神様のエネルギー切れとする説です…。」

 彼女は意味ありげに‘‘悪説’’という言葉を強調した。そうか…俺はあの日にその学説について聞いていたのか。

 するとカオスさんも少し眉間に皺を寄せて聞いた。

「でも、もし『人類承認説』が正しかったとしたら、僕たちはこの変化を受け入れて、妖と戦い続けるしかないということだよね?そして、もし『神衰非人説』や『神衰名家説』が正しかったら、シエルのような人たちや名家を…排斥しなければならないってこと?」

 カオスさんは少し気まずそうにこちらに目配せをした。

 俺は何も言えず、ただ黙っていた。しかし、アテナさんは手を顎に当て、また何かを考えて口を開いた。

「確かにカオスさんの言う通りです。でも、だからこそおかしいと思います。そもそも神の力を持たない人たちは、その人たちが悪いことをしたわけではないですし、私がデメテル家に居たときも、神様の力を使いすぎていると言う話は聞いたことがありませんでした。それに何より神様が、運悪く神の力を持たなかった人たちを見放すなんて思えませんし、名家がその力を使ったくらいで神様の力が枯渇するなんて思えません。そもそも神様の力は無限のエネルギーのはずです。」

「なるほどな…」俺は小さく頷いて言った。

 アテナさんは少し俺の方を見て、また話し出した。

「だから、私が推しているのは『神衰人為説』と『神衰人醜説』です。前者は、誰かが人為的に神様を消してしまったという説です。実際、神様が死んだ当日、最高神を祀る教会は何者かによって襲撃を受けたという事実があります。後者は…人の愚かさ、汚さ、残酷さといったものに見かねた神様が、私たちから一時的に力を奪うことで、改心させようとしているのではないかという説です。私的にはこの二つが一番神学の理念にも則ってますし、信頼できる学説だと思います。」

 カオスさんがまた何かを考えて眉間に皺を寄せて言った。

「なるほど…確かにそれならしっくりくるね。でもとにかく、まずは神の死の原因を解明しにに行くってことだよね?」

「そういうことになりますね。」

 すると、カオスさんが頭を指でつつきながら言った。

「うーん…じゃあまずはいろんな地方で聞き込みでもするの?」

 アテナさんは優しく微笑んで笑って答えた。

「それもいいですけど、それじゃ時間がかかり過ぎます。今考えているのは、『メーティス巨大図書館』での情報収集と、復神教の解明です。それと、各地方で気になる現象の調査も行いたいと考えています。」

「じゃあそこら辺の行き先は、アテナちゃんに任せちゃってもいいかな?」

「ええ、任せてください」

 二人は顔を見合わせて笑いながら話していた。そんな二人とは対照的に、二人の会話に追いつけない俺は、終始険しい顔をしていた。

 そのとき、家の片付けをしていたデュールが急に話に割って入ってきた。

「最高神を復活させたいのか?だったら役に立つかは分からねえが、俺の古くからの友人が世界中を旅して研究してるらしいぞ。一年前会ったときにウルフガング地方とカネンギウス地方を一年くらいかけて調査したいとか言ってたから、今はカネンギウス地方にいるかもな。もしよかったら訪ねてみろ。」

 するとアテナさんが慎ましく聞いた。

「ありがとうございます!ぜひお話を聞いてみたいです!でも、あの、カネンギウス地方のどこら辺にいるかとかわかります?」

「あー…電波通信がまだ機能してればよかったんだが…。知ってると思うが、四年前、ここは焼け野原になった。それで『デンデンミョウジン』の電電塔の半分がダメになってな、それ以外も妖のせいで誰も電電塔を管理できなくてな。だから、意思疎通も図れない…。まあでも、あいつは結構変人だから、どんな土地でも有名になってると思う。名前だけは教えておく。『カイロス・シヴァ』だ。」

 俺は、デュールが「シヴァ」と言ったとき、それを聞くアテナさんの瞳孔が大きく開いたのがわかった。

「シヴァって…あの名家のですか!?」

アテナさんが急に大きな声を出した。

「そうだ。でも勘違いしないでくれ。シヴァ家は確かに野蛮で暴力的なやつが多いが、あいつは違かった。あいつは変人だがめっちゃ優しくてな、家族と価値観が合わなくて家出したんだ。」

「なるほど…わかりました。ありがとうございます。頼らせていただきます。」

 そう言ってアテナさんは深く頭を下げた。

 するとデュールは急に体の向きを変え、俺に言った。

「こんないい子たちを死なせちゃなんねえ。お前ちゃんと二人を守ってやるんだぞ。」

 急な上からの態度が少し癪に触ったが、俺は何も言わずに黙って小さく頷いた。

 そうしているとさらに、フレイヤさんも話に入ってきた。

「カネンギウス地方にはどうやっていくつもりですか?カネンギウスの大国、『ホルン』は独立国家です。地下トンネルは通っていませんよ。」

「ああ…それは…」アテナさんは困った顔で言う。

 するとデュールが口を開く。

「アルシエルがいるんだから地上を行っても大丈夫だろ。ここら辺の地上には荷運び商人がいる。金を払えばそいつらに乗せてもらってホルンまで行ける。それにあいつらは妖の少ない安全なルートを知ってるから、そんなに危険でもねえ。」


 それから、旅立ちの準備をし、デュールとフレイヤさんとパンドーラさんにお礼を言った。

 家を出ようとしたとき、パンドーラさんが急に俺を引き留めた。

「アルシエルさん…。あの…これ…。」

そう言いながら彼女は小さな指輪を手渡した。金色のリングに一つ紅に輝く宝石が埋め込まれている。

 俺は血の気が引くような思いをしながらも、なんとか聞いた。

「……これは…?」

 すると彼女は少し下を向いて髪を触って言った。

「ただの…お守りです…。あえっと、全然、邪魔だったら捨ててもいいので…。でも…もしよければ…小指につけてもらえると…」

 そう言って髪を触る彼女の右手の小指には、この指輪と似たような指輪がはめられていた。違うところは、リングが銀色で、宝石が藍色ということだろう。

「ああ…うん…ありがとう。」

なんとかそうやってお礼を言って、受け取った指輪を右手の小指につけた。

「じゃあ…また…もし…会えたら…」

彼女は最後、笑って見送ってくれたが、その顔はどこか、何か大切なものを失ってしまったかのような喪失感に覆われていた。

 また、その後、デュールから刃が片方しかない剣(ちゃんと鞘もついている)をもらった。俺がずっと使ってきたロングソードが壊れてしまったので、これでとりあえずは賄えということだった。しかし片方しか刃がない剣なんて珍しい。本当に強いのだろうか?


 俺たちは深くフードを被り、村のみんなに別れも告げずに村を出た。服も着替えたので、誰も俺たちの正体を見抜けないだろう。そしてハクガトウの畑を抜けていく。

 歩いているときアテナさんが言った。

「もうとっくに日は登っているはずなのに、昨日光ってた人工太陽がまだ光ってませんね。」

 それにカオスさんが答える。

「たしかに。あ、でもハクガトウって光合成しないんでしょ?じゃあ太陽は要らなんじゃない?」

「うーん…でもあの太陽は、村の方達の生活リズムや健康を整えるのに大切なんじゃないですかね?」

「あー…。そういえば昨日、あの太陽はフーリン君の弟の力で作ってるって言ってなかった?」

「そういえばそうでしたね…。何かあったんでしょうか?」

「あ、昨日その弟さん、パーティーで見たけど…元気なかった気がする…。」

「そうだったんですか…。大丈夫でしょうか。」

 そんな二人の話を聞き流しながら、デュールに教えてもらった地上への通路へ向かっていった。

 それから、暗く狭い通路を上っていくと、錆びた鉄のハッチがあった。

 俺がハッチを開けると、眩しい黄金の光が、暗闇に堕ちた通路に満ちていった。俺が先陣を切って外に出ると、まず目に飛び込んできたのは終わりの見えない晴天の空だった。空に落ちていきそうになるほど広く、ただ青い。次に感じたのは風だ。暖かい春風が優しく、黄金の粒をまとう若緑の草原を撫でて行った。その草原の所々には濃い千歳緑の針葉樹が乱立している。その木々の隙間から草原へスピー(馬のような生き物)の群れが、風とともに駆けていく。

 いつもは何も感じない景色だが、今日の景色はなんだか…自分の闇をちっぽけに感じさせてくれるようだった。

「わあ…すごい…」

アテナさんが後ろから言った。振り向くと、眩しそうに目を細めていた。

「ほんとだ、きれい。廃都アトラスの方は真っ黒だったけど…。こっちはこんなに緑があるなんてね。」

カオスさんは調子良くそう言った。さっきより声に生気がある。


 それから草原を歩いていると、ホルンの手前の町まで行くという商人の馬車に乗せてもらえることになった。俺たちはその荷台に乗る。俺は剣が鞘ばしらないように気をつけて荷物の間に座った。

「あの、本当にお代はいいんでしょうか?」

アテナさんが申し訳なさそうに、スピーを繰る行商人に問いかけた。

「ええ、いいのいいの。姉ちゃん可愛いから。サービスね。」

商人のおじさんは気持ちの良い人で、活気のある声でそう答えた。しかしこういうカオスさんタイプの人間は、俺はほんとは苦手で少し残念だった。

「えーほんとうですか?ありがとうございます。」

アテナさんは少し照れくさそうにしながらも、如才ない振る舞いでうまく商人と話していた。

 俺はそれを横目に「アテナさんすごいなー」と思っていたが、反対側に座るカオスさんは商人を睨んで一人でブツクサ言っていた。「アテナさんが取られたからな…。」と心の中でつぶやいた。


 俺は特にカオスさんと話すこともなかったので、針葉樹が過ぎていくときに、その枝葉に自分の目が撫でられるような感覚を楽しみながら、過ぎていく景色を眺めていた。

 アテナさんと商人の会話がひと段落すると、アテナさんが荷台の後方へ戻ってきた。アテナさんは俺たち二人の顔が見えるところに座った。

「順調にいけば明日の朝にはホルンに着く見たいですよ。」

「そうなんだ。早いね。」

カオスさんが返した。さっきまで不満そうな顔をしていたが、今はなんだかとっても安心した顔をしている。

 すると急にアテナさんがかしこまって話題を変えた。

「あの、そして、この旅をする上で言っておきたかったことがあります。神様が死んでから昨日で四年経って、私たち個別の力もかなり弱まってきていると感じます。二日前、ある男の子の神入りを行いました。いつもならすんなり成功するのに、その日は手こずってしまいました。私はその時、身体中の血管が切れそうになりました。そんな感じで、神様の力を使うリスクも上がってきてるので気をつけてください。」

 その後、それを聞いたカオスさんが質問した。

「えーっとなんだっけ…統合力が下がるみたいな…?」

「ええ、そうです。一応おさらいしておきますか。私たちの神様の力はいくらでも使うことができますし、使用による罰も生贄もない。その代わりに、力を使う私たちに求められる力が三つあります。一つは『統合力』。これは神様の力の基となるエネルギーをどれだけ頂けるか。つまり、どれだけ神様と一体になれるかという能力です。しかし、このエネルギーを頂くとき、私たちには無慈悲にも大量のエネルギーが注がれます。もし、それ相応の器がなければ…『器』つまり私たちの体と精神は壊れてしまいます。二つ目は『具現化力』です。神様から頂いたエネルギーを加工し、実際の三次元の世界へ具現化する能力です。これは感覚的なもので、才能で大きく差が出ますね。三つ目は『絶縁力』です。頂いた神様の力から私たち自身の体と精神を守る力です。もしこれが不足していると、エネルギー過多になり、大抵の場合人間は死に至ります。ですのでカオスさんは無理はし過ぎないように。そして、アルシエルさんも、いつか急に旅の中で神様の力が戻るかもしれませんから、心に留めておいてください。」

 アテナさんは最後の部分だけ、声量を抑えながら説明してくれた。

 そういえばそんなものもあったような気がする。この三つの力については訓練兵時代に教わった。しかし、俺には関係ないと思って、教官の話は全く聞いていなかった。

「そうか…だからたまに、力を使って苦しんでる奴がいるのか…」

俺はそう言いながら、ヴァーリと戦ったときのことを思い出した。彼は大技の「荒天」を打つとき、目や鼻から血を垂れ流していた。

「そうだった、その三つだった!僕は限界まで力を使ったことがないからわからないけど、気をつけないとな。ありがとうアテナちゃん。」

カオスさんがアテナさんを見て笑った。その後、カオスさんはふと話題を変え、こっちを見た。

「てかさ、シエル。私はアルシエルのことシエルって呼んでるけど、シエルは私たちのことちゃんと名前で呼んでくれたことなくない?もう一緒に旅をする仲間なんだし、呼ぶ名前ぐらいちゃんと決めといてもいいじゃん。」

「ああ…確かに…そうだな…」

 突然のことで、俺は思わず目を逸らした。その答えた声はネズミの鳴き声のように小さかった。

「ええ、確かに重要ですね。」

アテナさんが答え、はにかんでこちらを見る。

「僕のことはなんて呼んでくれるの?」

 カオスさんが期待の眼差しを向け、ワクワクしながら待っている。しかしそうやって俺を問い詰める様は、どこか覇者の風格がある。

「………んと……じゃあ…カオス…さんとか…で……」

 俺は俯いたまま、やっとの思いで、つっかえつっかえそう言った…。人の名前をちゃんと呼ぶなんていつぶりだろうか…。

 するとカオスさんが呆れた口調で言った。

「いや、そんな呼び方面白くないって…。僕がシエルって呼んでるのに、なんでそっちはそんなに距離があるのさ…。せめてカオスで呼び捨てとか『かっちゃん』とかって呼んでくれたらいいのに。」

 アテナさんは横で優しく笑いながら俺たちの会話を聞いていた。

 俺はできれば呼ぶならまだ「カオスさん」の方が良かったが、目の前の覇王が一歩も譲らない気配を醸していたので、折られてしまった…。

「ハァ……わかった…じゃあ…カオスって呼ぶよ……」

「よし!あ、でも、せっかく決めたのにまた呼ばないなんてなしだからね。」

カオスさんは満足そうに言った。

「じゃあアルシエルさん。私のことはなんて呼んでくれますか?」

横で見ていたアテナさんが話しかけてきた。

 こうなることは心のどっかでわかっていたが、目の前にするとやっぱり脈拍が上がる。カオスさんは体こそ女だが、心は男と女のどちらでもない。見るところアテナさんにゾッコンらしいし、女として意識していなかったので、名前もなんとか呼べたが、アテナさんのような女の人の名前を呼ぶなんてできるはずがない。

 まずい。この場から逃げたくなった。昔から俺の中には、絶望と殺戮の二つの言葉しかなかった。しかし、そこに新しい…温かい…「何か」が加わってしまうようなそんな気がしてならない。

 もちろん嫌じゃない。しかし、人間は不思議なもので、絶望という夜が長く続くと、希望という朝の光を恐れてしまうのだ。ただその温かさが心地悪くて仕方ない。

「… ……いや…まあ…何がいいんだ…?」

そりゃ聞き返すことしかできない。アテナさんの呼び方なんて、どれだけ考えても出てこないだろうと早い段階で気づいた。

「うーん…普通に『さん』づけとか…ですかね…?」

アテナさんも特に考えていなかったようで、きまり悪そうに答えた。

 すると横で呆れた顔をしたカオスさんが言った。

「えー…そんなんじゃつまんないよ…。うーん……あ!じゃあさ、シエルと僕で、アテナちゃんのこと、アテナのナから取って、『なっちゃん』って呼ぼうよ。そっちの方が可愛いし、仲良くなりやすいはずだよ。」

 は?何を言っているんだこの女は…。「なっちゃん」?「なっちゃん」って何?え、呼べるわけないだろ…。「アテナさん」とも呼べない俺が、そんな親友同士が呼び合うような名前で呼べるわけないだろ。俺がヴァーリに負けるくらいありえないことだ。

 するとアテナさんが慌ててカオスさんに言う。

「いや、それはちょっと…。アルシエルさんにはハードルが高いというか…その…カオスさんが呼んでくれる分にはいいんだけど…アルシエルさん困っちゃうよ…。」

「そんなことないよ。ね?シエル。てかさ、アテナさんもシエルのことシエルって呼ぼうよ。いいじゃん。」

相変わらずカオスさんは有頂天の骨頂たる笑顔と気力で、俺たち二人を圧倒し続けた。

「え…私も『シエル』って呼ぶんですか…?いや、別に…私は「アルシエルさん」って呼び方がしっくりくるので…」

「いや、一回言ってみようよ。意外といいかもよ?」

「え…じゃあ…アルシエルさん…いいですか…?」

アテナさんは弱々しい声で、綺麗な目を泳がせながら聞いてきた。

 俺は半分錯乱状態にあり、「あぁ…」とだけ小さく呟くことしかできなかった。「やめろ…やめてくれ…」心の中で叫び続けたが、それが声に出ることはなかった。

 天使の桃色の唇がゆっくりと開いた。

「じゃあ……『シエル』…」アテナさんは小さな声で言った。

 思わず目を逸らす。いや、逸らさずにはいられない。また、昨夜みたいな恐怖心が、心に空いた大きな穴から這い上がってくる。「ハァ…ハァ…」二人には聞こえないだろうが、自然と息が上がってくる。気づかれないように、必死で平気なふりをする。頭に血が上っていく。

「シエル?どうかした?」

 そのとき、正直俺はカオスさんに感謝した。どう答えたらいいかもわからなかったし、おかげで次の話に繋げるきっかけができた。

「あー…いや…あんまり…あだ名とか慣れてなくて…な…」

「あ、ごめんなさい…やっぱり普通に『さん』付けの方がいいですよね…?」

アテナさんの頬は若いりんごのように少し紅くなっていた。

「いや…まあ…なんでもいいんだけど…慣れてるのは『さん』づけかな…」

俺は耐えられなくなって、高速で過ぎていく木々の方を向いた。一刻も早く話題を変えたい。だけど…言葉が出ない…。

 すると、そのお転婆娘がまた口を挟んだ。

「えー…まあ好きに呼べばいいけどさ…僕たちが神を救う日にはきっとあだ名で呼び合えるようにしよう。んで、シエルは『なっちゃん』のことなんて呼ぶの?」

「ああ…そうだったな…えーっと…普通に『さん』づけでもいい…か…?」

「はい、もちろん。」

 アテナさんは少し表情が和らぎ、安心したような顔をしていた。それと対照的に、カオスさんはなんだか不満そうに眉に皺を寄せていた。


 それから、話題は独立国家「ホルン」のことに移り、ことなきを得た。会話がなくなったり、二人が昼寝を始めた時は、意味もなく剣を研いだり、ぼーっと過ぎていく草木を眺めていた。だんだん針葉樹の数が増え、草木の背丈が大きくなってきた気がする。だんだんと陽の光も当たりづらくなっていった。針葉樹の陰のせいでその下に植物はほとんど生えていなかった。赤褐色の湿った土が森特有の安心する匂いを醸していた。


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