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この作品は歴史の事柄や実在の人物が多く登場します。それらには*注として後書きに解説を表示しますので、もし興味があったら合わせてお読みください。
「ねえ、聞いてくださいよ。この階の住民、みんな迷惑しているんですよ!」
通報を受けてそのマンションに急行した警察官は、まわりに群がる住民たちの訴えに困惑していた。ほんらいこのような案件は、民事不介入の原則で警察官が立ち入るべきことではないのかもしれないが、たびたびの訴えに、ようやく腰を上げたというのが実情だった。
ようするに話を整理すると、夜な夜なマンションの一室で奇声を上げたり、妙な匂いがまわりに立ち込め、中で何をやっているのかわからず危険を感じているから捜査してほしいという訴えなのである。
マンションの管理人も、困った顔をしてその場に立っていた。
「どういうことですか?」
警察官の質問に、管理人は肩をすくめて見せた。
「さあ……なにしろ家賃は毎月きちんきちんと払ってもらっていますし、管理費もいただいておりますからねえ。わたしどもとしましても、文句はつけづらいんで……」
「何を言ってるんですか? なにか危ないものを作ってたら、どうするんですか!」
及び腰の管理人に、中年の太った女がかみつきそうな勢いで訴えかけた。
管理人は女に問いかけた。
「危ないもんって、なんです?」
女はあやふやに両手を動かし、口走った。
「さあ……そりゃ、爆弾とか、毒ガスとか……ほら、そんな話あったでしょ!」
警察官は管理人に向き直った。
「マスターキーをお借りします。いちおう調べないと」
「そうですか」
あきらかに管理人は迷惑そうな顔をして見せた。面倒はごめんだという内心の声が顔に出ていた。
管理人からマスターキーを受け取った警察官は、いちおう手続きとしてドアの横のインターフォンに口を近づけた。インタホンには部屋の主の名前があり、警察官は内心ちょっと首をかしげた。部屋主の名前にはなぜか憶えがあった。
中山千代子、と表札にはあったが、どこで聞いた名前だろうと警察官は思いながら、インタホンのボタンを押してマイクに口を近づけた。
「もしもし、こちら警察の者ですがちょっとお話を……」
答えはなかった。
ただ、ドアに顔を近づけると、あきらかな異臭がして警察官は顔をしかめた。匂いの正体はわからないが、つんとくる刺激臭で、線香の強い匂いに似ていた。さきほどの誰かが発した「毒ガス」という単語が頭の中に木霊している。
ためしに警察官はドアを叩いてみた。
それでも反応はなかった。
ドアに耳を押し付けると、なにやら内部で奇声らしき声が聞こえてくる。
意を決し、警察官はマスターキーでドアを解錠した。
ドアノブを握り締め、そろそろと開き始める。
背後で見守る住民の視線を感じ、警察官はゆっくりと中へ足を踏み込んだ。
さっき感じた異臭がさらに強まった。悪臭ではないが、どんな香水も濃度が高すぎれば人間の鼻をおかしくする。線香のようなあるいは何かの薬草のようなにおいが、部屋に充満していた。
部屋の奥からなにやら鋭い声が響いている。言葉は分からないが、なにかの呪文かお題目のように聞こえた。廊下のさきに、もう一つのドアがあった。警察官はそのドアを開けた。




