掠り傷の代償
金属音が弾けた。
視界が追いつくより先に、鋭い音だけが耳に飛び込んでくる。
一瞬の内に目の前まで接近していた女の襲撃を、クローディアスが受け止めた音だった。
速い。
光の当たり具合によって色を変える銀糸のような長く美しい髪を揺らしながら、両の手にそれぞれ握られた見た目の異なる短剣を、刃を逆手に構えたまま素早く振りあげる。
それをクローディアスが正確に、俺に近付けさせまいと防いでいた。
女の姿は、どこか現実離れしていた。
生気を感じさせない白い肌に、作り物めいた整いすぎた顔立ち。
まるで精巧な人形のようだ。
鮮やかな血のように赤い瞳もあわさり、彼女の先ほどの言葉が無ければ、俺を殺しに来た暗殺者にしか思えなかっただろう。
『そこにいるの、私にちょうだい?』
彼女はそう言った。
まるで、人に向ける言葉じゃない。
欲しいものを見つけて、それを当然のように差し出させようとする。
そんな響きだった。
その軽さは、人に向けるにはあまりにも不釣り合いで。
どこか、気に入った玩具を見つけて、それをねだるような無邪気さすら混じっている。
火花が散る。
クローディアスの剣が、間髪入れずに振るわれる短剣を受け続けていた。
一撃では終わらない。
二撃、三撃と、息をつく暇もなく刃が打ち込まれる。
女の両手には、銀と黒、2つの短剣が握られていた。
どちらも細く、真っ直ぐに伸びた刃。
長さこそないが、そのぶん異様なほど取り回しに優れているのが見て取れた。
無駄を徹底的に削ぎ落とした、人を殺すためだけの形。
だが、同じ短剣でも印象はまるで違う。
片方は、鈍く光を返す暗い刃。
黒に近い紫色の刀身には、花弁のような紋様が薄く刻まれている。
見る角度によって、その模様がわずかに揺らいだ。
まるで刃そのものが脈打っているような、不気味な錯覚を覚える。
もう片方は、それよりわずかに細身だった。
鋭く研ぎ澄まされた輪郭には装飾らしいものはなく、だからこそ、その無機質さが異様な存在感を放っている。
どちらも、美しい。
だが、どちらもまた、人を傷つけるために作られた形を隠そうともしていない。
その二振りが、ほとんど間を置かずに振るわれているのだ。
右を受ければ、左が来る。
防いだはずの軌道の外から、次の刃が滑り込む。
そんな防戦一方の状態が続いた後、クローディアスが一歩踏み込む。
受けに回るだけじゃない。
流れを断ち切るための反撃にと、鋭い一閃が女の間合いを押し返す――。
その瞬間。
女の一振りが、クローディアスの内側から潜り込んだ。
「っ!!」
女の黒い刃が、クローディアスの腕を掠める。
傷と呼ぶにも足りないほどの、ほんの僅かな接触。
「クロ!」
思わず声が出る。
「掠り傷です。問題ありません」
こちらに視線すら寄越さないまま、返事が返って来る。
掠り傷程度ならば大丈夫。
そう思ったのも束の間。
次に女が発した呟きに悪寒が走った。
「それだけでも、十分」
間髪入れず、クローディアスが踏み込む。
迷いのない動きだった。
先ほどまでと変わらない、正確で無駄のない踏み込み。
剣閃が走る。
確実に捉えにいった一撃。
だが――。
ほんの僅かに、遅れた気がした。
「……?」
気のせいかしれないとも思った。
しかし何かが、噛み合っていない気がして仕方ない。
クローディアスの剣の軌道が、僅かにずれて見える。
距離の詰め方が、ほんの僅かに狂っている。
ほんの僅か。
だが、一度気になったら、やけに気になって仕方ない。
嫌な予感に心臓が早鐘を打ってうるさい。
(まさか、いや、そんな訳がない。
気のせいに決まっている)
「クロ……?」
不安に駆られるあまり、クローディアスの名を呼ぶ。
返事は返って来ない。
いや。
聞こえていないわけじゃない。
ただ、それどころじゃないように思えた。
動きは止まっていない。
むしろ、攻めている。
それなのに。
どこか、引っかかる。
言葉にできない違和感が、じわじわと遅効性の毒のように広がっていく。
その隙をついて、女が踏み込んだ。
俺の視界いっぱいに、白銀が広がる。
クローディアスの反応も間に合わない。
「――」
声が出ない。
女の伸ばされた指先が、俺の首筋に触れた。




