扉なんていらない
俺とクローディアスを襲った、白い長髪の女。
その女が今、目の前にいる。
思わず息が止まりかけた。
雪のように淡く白い髪が、ほどけるように肩から流れ落ちている。
黒を基調とした衣服は、夜の影をそのまま纏っているようだった。
腰元からは薄い布が幾重にも重なって垂れている。
動くたび、生地がさらりと静かに揺れた。
腰や太腿の辺りは細く作られていて、見た目の優雅さより動きやすさを優先しているのが分かった。
足元は細いヒールのある黒いブーツ。
華奢で繊細な印象。
それなのに、不思議と隙は一切感じなかった。
女はベッドの端に腰掛けたまま、細い指を膝の上で静かに重ねていた。
まるで最初からそこにいたかのような落ち着きようで、こちらを見ている。
――おかしい。
ここには、俺以外いなかったはずだ。
窓は開かない。
隠し通路の類も見当たらない。
唯一の出入口である扉は、さっきまで施錠されていた。
気付かれずに俺の背後へ回るなんて、不可能だ。
それなのに、当たり前のようにそこにいるのだ。
「……いったいいつから、そこにいた」
自然と声が低くなる。
少なくとも、あの場で殺すつもりがなかったのは分かっている。
だが、目的は不明のままだ。
あの時手にしていた二振りの短剣は、どこにも見当たらない。
「さっきから」
女は、あっさりと答えた。
「……さっきって、いつだ」
「あなたがそれを開ける前」
「は……?」
思わず間の抜けた声が出た。
理解が追いつかない。
「いやいやいや、ここは鍵が閉まってたし。いや、俺が開けちまったけどさ。他に入り口なんか見当たらないぞ?それとも俺が見付けられていないだけで他に通路があるのか?」
困惑のあまり、捲し立てるように問いを投げ掛けてしまった。
それを聞いて、女は首を傾げる。
まるで何を言われているのか分からないとでも言うように、きょとんと不思議そうな表情を浮かべていた。
「あなたが私の近くにいれば、私はあなたの近くに行けるの」
「……はぁ?」
意味が分からず「はぁ?」と訝しげに女を見た。
何を言っているのかまるで理解が出来ない。
その時。
ぎし、と軋んだ音を響かせて、ベッドから女が立ち上がった。
乱れのない白い髪がさらりと揺れる。
一歩、また一歩、とゆっくりと距離を詰めて来る。
「な、なんだよ」
反射的に後退り、距離を取ろうとした。
しかしすぐに背中にトン、と硬い感触が伝わる。
閉まったままの扉だ。
これ以上は下がれない。
「何かあるなら言えよ……!」
思わず語気が強くなる。
逃げ場を塞がれた感覚に、心臓が嫌に早く打つ。
女は止まることなく、まっすぐにこちらへ歩いてくる。
焦りのあまり、語気が強くなってしまう。
まるで追い詰められた獲物のようだ。
目の前の女は歩みを止めない。
ゆっくりと真っ直ぐに歩みを進めてきた。
緊張で息を詰まる。
視線が外せない。
目の前まで来て、ようやく女は足を止めた。
あまりにも近い距離に顔を寄せられ、花のような香りが鼻を擽る。
女の手が伸ばされ、首筋へと触れられる。 思わず息を吞む。
その指先が、首筋に触れた。
「……っ」
細い指先が首筋をなぞるように這い、ぞわりと肌が粟立つ。
「なにを……」
言葉が途切れる。
女は答える。
「これは、あなたが契約者の証」
「え……?」
「これがあるから、傍に来れる」
「なに言って……」
恐らくは説明しているつもりなのだろう。
が、あまりにも要領を得ない。
断片的に話されても、理解が追い付かない。
そこに刻まれているだろう刻印の線を確かめるように、続けて指を動かされ、思わず声が漏れる。
「っ……」
思わず声が漏れる。
触れられているだけのはずなのに、妙に意識が引き寄せられる。
どこまで続くのか分からないその行為に、いつまでそうしているつもりなのかと戸惑いが募り。
不意に、背中の支えが消えた。
何が起きたのかと、短く「え」と声が出る。
「レイン様っ!!」
聞き慣れた声が、鋭く響いた。
同時に、バンッ、と大きな音を立てながら扉が勢いよく開かれた。
支えを失った身体が、そのまま後ろへ倒れ込む。
「いっ……たぁ……!」
受け身も取れないままに床に叩きつけられ、背中に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「レイン様、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄ってくるクローディアス。
その声を聞いた瞬間、原因を察してしまった。
「いや……、お前のせいで背中打ったんだけど……」
痛みに顔を歪めたまま、恨み言が漏れる。
「え、あ……、す、すみません……!」
珍しく慌てた様子で謝られた。
その反応が、どこか懐かしくて。
思わず、口元が緩んだ。




