74 悪魔を愛する歌 Loving For The Devil 8
「ききき……貴様ぁぁ……、もう一度言ってみろ!ぎ、銀狐ちゃんのことを……、何だとぉ!?」
あれから一時間後、俺は稲荷坂家の客間で、親父さんと月狐さん、そして銀狐を前に頭を下げていた。
「すみません。俺の勘違いだったら申し訳ないんですが、俺は銀狐の気持ちに応えることにも、月狐さんの期待に添うこともできません」
「ふふふ……、ふざけるなぁあああっ!貴様、こんなに可愛らしい銀狐ちゃんのどこに不満があるというのだ!!儂が……、儂がせっかく、ゆくゆくは貴様を稲荷坂家の婿にふさわしい男になれるよう、鍛え上げる修行を考えておったというのに。いっ、いや、それ以前に、貴様に銀狐ちゃんをやるなどとは言っておらん!」
「え…………?」
思った通り、青紫色の顔をして激高する親父さん。しかしながら、怒りのベクトルは俺が予想していたものと少し違う。その言葉は予想外に、怒りながらも俺を認めてくれているかのようなものだった。
「落ち着いてくださいな、あなた。言っていることが支離滅裂ですよ」
「ぐうっ……!」
反対に、こちらは予想通りの冷静さの月狐さん。
「ホホホ。この間から口を開けば鬼一殿のことばかり。本当は銀狐の婿殿にと認めているのだから、素直になったらどうですか」
「だだだ……、誰が認めるものか!そもそも万が一……、いいや、億が一にでも銀狐ちゃんの婿に認めるのは、儂の厳しい修行に耐えきった時だ!いいか、貴様を鍛える……、じゃなくて銀狐ちゃんの前から追い払うために、どれだけの修行を考えておったたか……」
「ホホホ……。やっぱり、鬼一殿を婿にする気満々ではないですか」
「うぐっ……。ちっ、違うぞ母さん!これはだな……」
「ですが、前にも申したとおり、大切なのは本人の気持ちです。銀狐」
「は……、はい」
「貴女の気持ちはどうなのです?」
月狐さんは、優しく銀狐に問いかける。
「………………。き……、鬼一先輩は尊敬できる先輩で、自分が父様や母様以外に初めて負けた相手で……。憧れとかはありますけど、その……、そういう気持ちとかはありま……せん」
予想に反し、銀狐の口からは冷静な言葉。やはり、俺の自意識過剰だったのだろうか。
「本当に、それが貴女の気持ちですか?」
だが、次の瞬間月狐さんの気配が一変する。
「恋敵から逃げ、愛する者から逃げ、さらに自分の心を偽る。私が何のために、貴女の父様の話をしたかわからないのですか?泰全さんは自分に正直に生き、現実、そして私という存在から決して逃げませんでした。そして私も、泰全さんに真っ直ぐに向き合いました。そんな私たちの娘である貴女が、障害を前にしたらあっさりと逃げ出すのですか?」
「う…………。で、でも、どう言われようが鬼一先輩はあくまで、自分にとって尊敬する先輩で……」
だが、いくら鈍い俺にだって、銀狐の言葉が嘘だというのはわかっている。けれど、それは自分なりに恋を諦めようという決意のはずだ。それをほじくり返そうとする月狐さんは、傍から見れば酷いことをしているように見えるかもしれない。だけど……。
真っ直ぐに銀狐を見据える、月狐さんの目を見ればわかる。それは華澄さんが、俺を優しく見守る時の目と同じだ。そう、それは子供を心配しながらも尊重し、温かく見守る母親の目だ。そんな母親の表情を見てしまっては、俺も腹を括るしかない。
「なあ銀狐……。知ってるとは思うが、俺は親の顔も知らないし、ガキの頃から秘密子とずっと一緒の施設で育ってきた。見た目はご覧のとおりの有様だし、散々に色眼鏡で見られてきたこともあって、秘密子と施設の仲間以外に心を開かなかったんだ。当然のごとくガキ同士のケンカじゃ負けなかったし、大人でも俺に勝つのは難しかっただろう。だから、一人でだって生きていけるって思ってたんだ」
唐突に話し出した俺を、銀狐はキョトンとした目で見ている。
「でも、そんな俺が少しずつ変わってきたのは、亮太と出会ってからだ。無神経なようで友達思いで、心の壁を平気で乗り越えてくるあのバカを見て、ちょっとずつだけど、人を信じる心が芽生えてきたのかもしれない」
別に不幸自慢をしたいわけでもないし、俺たちのような存在では、ごくありふれた話だ。それに詳しく聞いたわけではないが、法律が整備されていなかった時代、その時代を生きてきた月狐さんやフェンリルさんは、もっと辛い経験をしてきたのかもしれない。
だが、月狐さんは全てを見透かしているのか、穏やかな笑みを浮かべて俺の話を聞いている。
「決定的だったのは、華澄さんに出会ってからだ。何を思ったのか、こんな俺を養子にしたいって言ってくれて……。もちろん、最初はそんな気はなかったさ。さっさと住み込みの現場仕事でも探して、独立しようと思ってたしな。でも……」
聞くに堪えない、くだらない話なのだろう。親父さんは俺に背を向けている。
「華澄さん、澄麗さん、美澄ちゃん……。こんな俺に対しみんな、本当の家族のように接してくれたんだよ。那澄菜は……、まあずっとあんな感じだけどさ。でも、アイツなりの優しさはずっと感じてたんだ。そんなみんなが俺に好意を持ってくれてるなんて、ついさっきまで……、本当にさっきまで気付きもしなかったんだよ。それに、秘密子まで俺のことを……なんて」
自分で喋りながらも、なぜだか涙が出そうになってくる。
「だからさ、わかるんだよ。みんなのおかげで、今の今まで気付かなかった……、いや、自分で壁を作って気付こうともしなかった、人の気持ちってやつが。もちろん、自意識過剰だって笑われるかもしれねえ。でも……、銀狐がこんな俺なんかに好意を持ってくれてるってのも、今ならわかるんだよ!」
言い切った後に、どうしようもなく恥ずかしくなってくる。もしかしたら、『はぁ?冗談っすよね?柔道の実力は尊敬してますけど、そういうんじゃないっす』とか、『ホントに好きとかじゃないっすから。すいません、キモいっす……』なんて言われるかもしれない。
だが、拙いながらも人の気持ちを考えるようになった俺が出した、精一杯の結論だ。そして……。
「鬼一……せん……ぱ………………。ぎっ……、銀狐は……、銀狐は先輩が大好きなの!それにパパもママも、この道場のみんなも!だっ、だから、将来は鬼一先輩も一緒に、みんなでこの道場をやっていけたらいいなって……。で、でも、鬼一先輩に好きな人がいるなら、銀狐は諦めなきゃって……」
「銀狐……」
銀狐の恋というのは、幼い頃から一途に秘密子を想い続けた亮太のものと違い、俺や秘密子のようにまだ不安定で幼いものかもしれない。
だが、決して軽く見ていいものではないはずだ。だからこそ、俺がきっちりとけじめをつけなければならない。
俺は畳に両手をつき、深々と頭を下げる。
「すまない銀狐。俺なんかを慕って、好きでいてくれるお前の気持ちは本当に嬉しい。だけど、お前の気持ちには応えることができない。そういうわけだから……」
「ゆっ、許さんぞぉぉぉぉぉぉ、貴ぃぃ様むゎぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
その時、地鳴りのような声とともに突如として親父さんが立ち上がる。
「許さん許さん許さん許さぁぁぁぁぁぁぁぁん!絶対に許さんぞぉぉぉぉっ!!銀狐ちゃんを袖にし、あまつさえ泣かせるなど絶対に許さぁぁぁん!安心しなさい銀狐ちゃん。もはやこの男は、銀狐ちゃんを幸せにすると誓うまでこの家から一歩も出られん!パパが監視し、一生ここに住まわせてあげるからな。なぁに、心配はいらんさ。パパが稲荷坂家を継ぐに相応しい男に鍛え上げてあげるし、万が一逃げ出そうなどとしたならば、手足をへし折ってでも止めてあげるからね。手始めに、銀狐ちゃんと付き合うと言うまで痛めつけて……」
あれほど俺を毛嫌いしていた親父さんが、どういう風の吹き回しだろうか。娘可愛さのあまりというのはわかるが、若干目に狂気が宿っている。
まあ、ここに来た時から無事に帰れるとは思っていなかったし、俺なりにけじめをつけるべきだろう。
「わかりました。親父さんが納得行くまで……、という覚悟はあります。でも、今は時間がないんです。手短にお願いできれば」
「よよよよ……よく言ったぞ小僧!ならば儂の全力を以て、貴様が銀狐ちゃんを嫁にすると言うまで……」
「パパ!銀狐はもういいの!だから……!!」
「お待ちなさい」
覚悟を決めた矢先、月狐さんから声がかかる。
「泰全さんの気持ちはわかります。ですが、これは銀狐と鬼一殿の問題です」
「だっ、だが母さん!」
「ですから、ここは本人同士で決着をつけなさい」
「「「は?」」」
俺と銀狐、そして親父さんの口から同時に声が出る。決着も何も、この話はここまでではないか。
「稲荷坂の教え、力こそ正義。今こそ立証して見せなさい。むろん、今回はルール無用。いかなる禁じ手もありません。お互いに自分の信じるもの、欲しいものがあるのならば、力で道を切り開いてみせなさい!」
☆ ☆ ☆
「月狐さん……。本気……なんですか?」
「むろんです。もちろん、この勝負で銀狐が勝ったからとて、鬼一殿に無理矢理結婚しろとは言いません」
「え……?だ、だったらなんでこんな勝負を……」
月狐さんの言葉に、正直ホッとしていた。全てを解禁した銀狐の実力を俺は知らないし、負けたら結婚などと言われたら、それこそ那澄菜を助ける手立てがなくなってしまう。だったら、この勝負をする意味はなんなのだろうか。
「しかしながら、ここ稲荷坂家……、この道場の中では勝者の権限は絶対です。なんでしたら、勝負に敗れ動けない相手を犯しても、許されるくらいには」
「お、犯……?はぁ!?そっ、そんなことするわけないでしょ!」
突如としてとんでもないことを言いだす月狐さんに、慌てて否定する。冗談じゃないぞ。いくらなんでも、両親の見てる前で無理矢理そんなことできるわけないだろうが。いや、もちろん見られてなくたって、そんなことをするはずはない。
「ホホホ。鬼一殿がそのようなことをするはずがないのは、わかっていますよ」
「だ、だったら……」
「ですが、そうした欲望やそういったことをする権利は、女側にもあるということです」
「は…………?はい!?」
えっと……、それってなにか?つまりは銀狐が、俺を逆レ……ってこと?無理矢理跨ったりして、『ウヘヘヘ、先輩の初めては、自分が奪ってヤったっす。これで先輩は、一生自分のモノっす。フヒヒ、口惜しいっすか?』とかいうこと!?
いや、小柄で純情な銀狐に蹂躙されるってのも、なんか背徳的でちょっとばかり興奮する気も……。
「ホホホ、冗談ですよ」
「へ、ヘンなこと言わないでくださいよ!」
俺は慌てて妄想を振り払う。まあ、月狐さんなりに場を和ませようとしてくれているのだろう。
「ですが、銀狐が本当にそのような行為に及んだとしても、私たちは止めません。勝者の行動は全て可とみなします」
「はいぃぃ!?」
「『既成事実』。誠実な鬼一殿は、初めてを奪った相手を捨てるような、無碍な真似はできないでしょう」
「う……、そ、それは……」
「ましてやその行為で、相手が子を成したとあれば……。先ほどの支度時間で、銀狐にはそういったことを教え込んであります」
「ちょっ……!月狐さん!?それこそ冗談ですよね?い、いや、そもそもそんなこと、親父さんが許すはずが……」
「主人には、一切の手出し無用と言い含めてありますし、覚悟を決めさせております」
「で、でも……!」
「鬼一殿が初志を貫徹し、大切な人を守りたいのなら、非情になることです。銀狐も覚悟を決めて勝負に挑みますし、先ほどまでの子供と侮っていると、一生を後悔することになりますよ。むろん、私たちは跡継ぎができることに異論はありませんけどね」
「ぐっ……」
「ホホホ。さて……、支度が出来たようですね」
月狐さんの声とともに、道場の扉が開く。そこには、月狐さんにいろいろと吹きこまれたのだろう。真っ赤な顔をした銀狐が立っていた。
「銀狐、覚悟は決まりましたか?」
そんな月狐さんの言葉に、銀狐は大きく深呼吸する。その一瞬で、まるで波一つない穏やかな水面のように、銀狐の雰囲気が一変する。
「押忍!ご指導よろしくお願いします、鬼一先輩!!」
銀狐編。一話で終了予定でしたが、少しばかり長くなってしまったため分割させていただきました。次回決着です。




