75 悪魔を愛する歌 Loving For The Devil 9
「この勝負には禁じ手、時間制限はありません。目潰し、噛みつき、腕折り、急所攻撃……、むろん金的もです。武器の使用以外はいかなる反則も問いませんし、勝負が決まるのはどちらかが負けを認めるか、戦闘不能となった場合のみ。結果として死のうが、たとえ不随になろうが文句は言わせません。まさに殺し合いと言ってもいいでしょう」
あまりにも恐ろしい月狐さんの言葉に、俺と銀狐、双方の顔に緊張が走る。
「覚悟はいいですか?」
俺たちはどちらも言葉を発せず、ごくりと唾を飲みあう。そして、それを承諾の合図と取ったのだろう。
「では、双方に礼っ!!」
月狐さんの掛け声とともに俺たちは互いに向き合い、頭を下げる。顔を上げた銀狐の表情は、先ほど一変したままだ。そこにはいつもの無邪気な銀狐はいない。ただ、俺を真剣に打ち負かそうとする一人の武道家が立っているだけだ。
だが、銀狐が俺に勝ったとして、いったいどうするというのか。まさかとは思うが、月狐さんの言うとおり俺の童貞を無理矢理……なんてことはないだろうし。
「では、始めぃっ!!」
余計なことを考え、心ここにあらずだったせいかもしれない。いや、柔道部でしか見たことのない銀狐の力量を、どこかで甘く見ていたのかもしれない。月狐さんの開始の合図を聞いた瞬間、俺の両手が吹き飛んだ。
「がはぁっ……!?」
もちろん、本当に両手が無くなったわけではない。だが、開始の声があがった瞬間、いきなりそう錯覚させるほどの衝撃を受けたのだ。
俺の腕を弾き飛ばしたもの……。それは、銀狐の右足から繰り出された上段回し蹴りだった。
以前の稽古で防いだことがあるとはいえ、あの時は俺が銀狐を心配して中腰になっていた時だし、我を忘れて力任せに放たれたものだ。
そもそも、俺と銀狐の身長差は頭一つ分以上ある。まさか立った状態で悠々と届くなど思いもしなかったし、あの時よりもさらに速度も威力も増している。
開始の合図の瞬間、わずかに揺らめいた銀狐の右足に違和感を感じ両手で防がなかったら、今頃は脳震盪を起こして畳の上にぶっ倒れていただろう。
「シィッ!」
体勢を崩した俺を見て、すかさず銀狐がすり足で踏み込んでくる。そして、再び揺らめく右足。
「くっ……!」
先ほどの蹴りを思い出し、慌ててがら空きの頭部をガードする。だが……。
「ぐうっ!」
上段に来るかと思った右足は、途中で軌道を変え、俺の左腿に打ち下ろされる。その衝撃はズシリと重く、骨にまで響いてくるものだ。全ての体重を乗せて打ち下ろされたそれは、とてもじゃないが軽量級の女子のものとは思えない。さらに言えば、威力を保ったままの蹴り技の軌道変化など、かなりの上級者じゃないと不可能なはずだ。
「チッ……」
いったん距離を取り、立て直そうとする俺に隙を見たのだろう。さらに銀狐は踏み込んでくる。
「くっ!」
わずかに揺らめく右足を見て、先ほどの上下段の残像がチラつき、どこを防御すればいいのかわからなくなる。焦った俺は、なりふり構わず左半身全体を防御するが……。
「ぐぼぉぁっ!…………かはっ!」
上げた右足をすかさず下ろし、踏み込むと同時に右の正拳突きが俺のみぞおちに突き刺さる。そして強烈な吐き気とともに、一瞬呼吸が止まる。
「シッ!シッ!シイィィッ!シャアアアアッ!アアアアアアァァァッ!!」
防戦一方の俺に、銀狐は情け容赦なく攻撃を仕掛けてくる。左右の下段蹴り、左の中段回し蹴り、みぞおちへ左右の正拳突き、さらにガードが下がったと見るや、情け容赦なく一撃KOを狙う上段回し蹴り。
「くそっ!」
コイツが月狐さんの言うとおり、ルール無用で本気で急所を狙ってきたら、今頃とっくに……。銀狐のフェアプレー精神には感謝するが、このままではどのみち削り取られるだけだ。焦った俺は、一か八かで銀狐の腕を掴みにかかる。
「っ!?」
だが、不用意に掴みかかった俺の腕を銀狐は逆に掴み返すと、まるで体重を感じさせない動きで宙に飛び上がり、俺の腕を軸にしてくるりと体を回転させる。
「がぁっ!!」
肘の関節が悲鳴を上げる瞬間、力任せに銀狐に抱えられた腕を引っこ抜く。コイツ……、空中で関節を極めにきやがった。あのままにしていたら、グラウンドに引きずり込まれ、完璧に極められて……、いや、腕を折られていただろう。
だが、これは最大のチャンスだ。捕まえさえすれば、体格差で圧倒的有利に立てる。そう思った矢先……。
空中で技を解かれた銀狐は、器用に体を回転させ着地する。体勢を崩し倒れ込んだと同時に捕まえようとした俺は、慌てて踏みとどまる。この状況でも隙を見せない完璧さだ。
俺に打撃技はない。掴みに行くことも許されないというのなら、どこに勝機があるというのか。
「ぐっ……!」
関節技から抜け出したとて、銀狐の攻撃は止むことはない。着地と同時にすかさず踏み込んでくる。
「シイッ!シュッ!シャアアアアアッ!!」
上かと思えば下、下かと思えば中、右かと思えば左、蹴りかと思えば突き。不用意に手を出せば、その手を掴まれ投げ、極めへと引きずり込もうとする……。
その変幻自在の攻撃に、このままではいくら俺の体が無駄に頑丈とは言えども、地へと倒れ伏すのも時間の問題だろうと思えた。しかも、以前と違い体力の消耗を最小限に抑える無駄のない動き……。そうだ、親父さんの言うとおり、こいつは間違いなく格闘技の天才だ。だが……。
「…………この…………バカ野郎が…………」
容赦なく繰り出される銀狐の技は俺を倒すどころか、どんどんと軽く、弱くなって行く……。
それはそうだ。いつの間にかまるで小さな子供みたいに、泣きながら滅茶苦茶に手足を振り回し、感情剥き出しで力任せに攻撃してくる技の、いったいどこが効くっていうんだよ……。
「どこまでお人好しなんだよ……。出会った当初は弱ぇヤツなんか石ころ同然だって感じで、我がままで傲慢で、空気を読まなかったお前がよ。それが……、最近じゃ他人に対して気ばっかり遣いやがってよ」
銀狐が必死に葛藤しながら出した答え……。それはきっと、無理矢理自分の気持ちを優先させることなどできないということだったのだろう。
「すまん……。でも、俺にも譲れねぇもんがあるんだ!銀狐、行くぞっ!!」
既に大振りの、まるで駄々っ子が暴れるように腕を振り回して殴り掛かってくる銀狐の腕を掴み、一気に引き寄せる。そして体を反転させ、銀狐の体の下から腰を入れて跳ね上げる。その拍子に俺の頬にかかった熱い水滴の感触を、俺は生涯忘れることはできないだろう。
「ありがとな、銀狐」
「鬼一先輩、銀狐は先輩のこと、ス……」
耳元で聞こえた銀狐の言葉は、最後まで発されることはなかった。その言葉が終わる前に、俺の半分にも満たないだろう銀狐の小さな体は、軽々と宙を舞う。そして……………………。
☆ ☆ ☆
「すみません、俺……行きます。銀狐が目を覚ましたら、すまなかったと伝えておいてください」
「ホホホ、勝者がなにを謝る必要があると言うのです。せっかくですから、子を成して行ってもいいのですよ。古来より、貴人や強者の一夜の情けを貰い子を成すことは家を繁栄させること、けっして破廉恥な行為などではなかったのですから」
「…………っ、俺は強者じゃありません!月狐さんだってわかってますよね。俺は勝ちを譲ってもらっただけで、本当の勝者は銀狐だってことを……」
「もういい。勝った者が軽々しく口を開くな」
重々しい口を開いたのは、さっきまで黙りこくっていた親父さんだった。
「お互いに同意のうえの勝負だったのだ。むろん総合的な技量で言えば、銀狐ちゃんのほうが上だっただろう。だが、精神面で勝っていたのは貴様だ。その結果として貴様は勝ち、銀狐……は負けた。つまりは、まだまだ銀狐は未熟だった。それだけのことだ」
「う……。ですが……」
「本当はな、今すぐ貴様を縊り殺したいくらいに腹立たしい」
「……っ!?」
バトル第二弾か……。そう思い身構えた俺だったが、そんな物騒な言葉とは裏腹に、親父さんの表情は穏かだ。
「しかしな……。すでに儂は知ってしまったからな。必死の思いからくる葛藤が、どんなに苦しいものか。あの勝負の時の母さん……、月狐さんの一瞬の迷い。あれがなければ、儂は一生月狐さんと添い遂げることはなかっただろう。あの時の月狐さん……、あれは本気だったよ。そして、先ほどの銀狐もな……」
「親父さん……」
「あの時の月狐さんに比べれば、銀狐はあまりにも未熟だったろう。いくらなんでも、あんな攻撃があるか。フン…………。だがな、最近の銀狐は貴様以外にも、他人の話をするようになったのだ」
「それって……」
「フン……。尊敬する先輩につきまとう、うざったい先輩どもだそうだ。しかしながら、貴様の話をする時と同様に、楽しそうだった……」
「銀狐……」
「フン……。だがな、そう育ててしまったのは儂らのせいかもしれん。力こそが正義、他人の価値を図るのは強さのみ……。そうした歪な教育が、銀狐から同年代の友達を遠ざけてしまったのかもしれんからな……」
「違いますよ!」
寂しそうに笑う親父さんを前に、どうしても伝えなければならないと思う。
「親父さんや月狐さんの育て方が間違ってたなんて、あるわけないです!だって、銀狐はこんなにも真っ直ぐで素直な、他人を思いやれる、優しい子に育ったじゃないですか!」
「貴様……」
「銀狐が負けたのは、那澄菜のことを思ってくれたからです。普段あれだけ憎まれ口を叩いてるのに……。銀狐だって本当は、親しく話せる友達ができて嬉しかったんですよ。だからこそ那澄菜の……、俺の幸せを考えて負けてくれたんです。あの時の…………月狐さんのように!」
「そうか…………」
俺の言葉に、何を思ったのだろうか。
「フン……。あまり時間がないのだろう?銀狐……ちゃんが気絶しているうちに、さっさと失せろ。目が覚めて再び貴様の顔など見たら、悲しむかもしれんからな」
「はい…………」
「ああ、それとな……」
そして親父さんは、初めて見せる柔らかい表情でほほ笑む。
「貴様に覚悟があるのなら、愛する者を一生をかけて守れ。その娘にフラれたから銀狐ちゃんに乗り換えるなど、それこそ許さんからな」
「…………はい」
「…………もっとも、銀狐ちゃんがそれでもいいと言うのなら、考えてやらんでもないがな。だがその時は、相応のケジメはつけてもらうからな!」
「はい……。ですが、その心配はいらないと思います。親父さんと月狐さんに会うのも、これが最後になると思います」
「そうか……。まあ、頑張るがいい。その娘共々、達者でな」
「はい。ご指導、ありがとうございましたっ!」
深々と頭を下げると、俺は円城家へと向かい駆け出したのだった。
銀狐編決着。先日急遽二話に分割したため、加筆修正のうえで連日のUPとさせていただきました。次回、いよいよクライマックス。とはいえ、最終回ではありません。




