39 ギガス・グリモア
「3年前、当時私が所属していたのが警邏隊だった」
マーガレッタが当時の様子を語る。
警邏隊は、街や村のなかはもちろん、それらを繋ぐ公道も見回る隊である。
主な任務は、魔物や不審者がいないか警備すること。
事故や事件を未然に防ぐ役割も担っている重要な仕事だ。
「入団1年目だってのに、副隊長になってた生意気なガキだったな」
お茶を入れていた看守長ガラハドが椅子に座る。
「……ガラハドさんが私を無理やり推薦したと聞いているが?」
「さあ、昔のことは忘れちまったな。ほれ、お前らも飲め」
ガラハドが木製のトレイで運んできたのは人数分のお茶だった。
マーガレッタ、クロ、エリクシアにそれぞれ渡していく。
「ちなみに、その警邏隊の隊長だったのがガラハドさんだ」
「なるほど……」
クロは、出してくれたお茶に手をつけながら相づちを打った。
マーガレッタが新人のころから目を掛けていた上司がガラハドだったというわけだ。
そのマーガレッタはいまや騎士団の副団長という立場だ。
そして、この若さで騎士になった。
大出世である。
それは、有能な後輩を見出し輩出したガラハドの手柄でもある。
すさまじい先見の明。
ガラハドのこれこそ、まさに慧眼の妙と言えよう。
「ドワーフの村の異変に気づいた我々警邏隊は、当然急いで村へ向かった。しかし、すでに村は崩されていて、村人のドワーフたちの生存は絶望的だった」
「……ッ」
エリクシアがお茶をこぼした。
その手は見るに忍びないほど震えている。
「これを使うといい」
「……す、すみません……」
マーガレッタが手ぬぐいを渡す。
エリクシアがテーブルを拭いている間に、ガラハドが要点を説明していく。
「ワシの故郷は洞穴型になっていてな。山のガケに洞窟を掘って、網の目状にしてそれぞれ家族単位で区画を決めて住んでいたんだ。
その山ごと潰されていた。まるで、自然にそうなったかのような崩れ方だった」
アレはどう考えても人間業じゃねェ、とガラハドは付け足した。
そして、エリクシアに訊ねる。
「ワシの……いや、ノエラの家は、村の一番奥にあったはずなんだが、エリクシア、お前はどうやって逃げ延びたんだ?」
「…………っ」
その言葉に、ビクッと肩を震わせるエリクシア。
「ああ、責めているワケじゃねェ。ただ、あの状況でどうやって逃げられたのか、訊きたいだけだ。他意はねェ」
「……」
こぼしたお茶を拭き終わったエリクシアは、下を向きながら答えた。
「……ノエラが万が一のことを考えて、村のみんなには内緒で、家の奥に隠し通路を掘っていたんです。あのとき、誰よりも先に異変に気づいたノエラが、わたしをそこから逃がしてくれたんです。あとで迎えに行くから……って」
ガラハドがヒゲをさすりながら頷いた。
「そうか、それでか。やるじゃねェか……アイツ。7年間村でお前を匿い続けていたんだ。たしかに、お前が夜に家から出なくても、村人に悪魔だってことがバレちまうこともあるかもしれねェ。そうなっちまったときの準備が役に立ったってことか」
エリクシアは夜になると『悪魔の写本』が出てしまう。
1ヶ月やそこらだったら問題ないかもしれないが、さすがに数年となってしまえば話が違う。
ノエラは覚悟していたのだろう。
いつか村人に発覚されることを。
そのときのための逃走経路。
しかし、それは別の理由で使われることになった。
デルトリア伯の襲撃だ。
「もしかしたら、村人がデルトリア伯に密告したのかもしれないな」
ハッとしたように、マーガレッタが言う。
それを裏付けるかのように、ガラハドが答えた。
「……その可能性が一番高ェな。だったら密告者は村長だ。アイツはデルトリア伯の小飼だった。仮に、デルトリア伯が悪魔を捜していると知っていたのなら、ノエラが保護した子供に悪魔の疑いがある――と告げ口しても不思議じゃねェ」
「当時、領主になって間もないデルトリア伯への点数稼ぎに必死だった……と?」
「……だろうな。死人を悪く言うのは気が進まねェが、村長はそういう野郎だったぜ。それで村を滅ぼされて自分も死んでりゃ世話ねェぜ……クソッ」
グビッとお茶を飲み下す。
憶測の域は出ないが、ガラハドには確信があるのだろう。いや、元々あったのだろう。
事件から3年。
これまで考えなかったはずがないのだ。
あえて、ここで会話として言葉に出すことで、自分の心に決着をつけようとしている。
「エリクシアは隠し通路を使って、その後どうしたんだ?」
クロが会話に参加する。
少しずつ事件――因縁の全容が掴めてきた。
「わたしは、そういう事態になったらノエラと合流する予定の街へ向かいました。お金は渡されていたので、宿に泊ってずっと待っていました。
でも、ノエラはいつになっても来なかった……」
こくんと頷くクロ。
「そして、しばらくして宿代が無くなりかけたころに村が滅んだことを知りました。ノエラの安否を確かめに寄ったのですが……」
「立ち入り禁止だったろ?」
ガラハドが聞く。
「はい。村の手前で追い返されました」
「ワシの部下だな。あとでその報告を聞いてピンと来たぜ。お前が生きていてくれているってな」
「…………」
ガラハドのその言葉は、これまで聞いたことのないような、優しさに満ち溢れた声だった。
「それからだ、ワシがお前を捜していたのは」
「……わた、しを……?」
「ああ、ノエラに頼まれたんだ」
「……ノエラがッ!?」
ガタン、と椅子をはね飛ばしてテーブルへ手をついたエリクシア。
「あの日、生き埋めになったノエラを探し出せたのは奇跡だった。そして、まだ息があったのも、奇跡だったんだろう。もっと言えば、ワシの警邏隊がそこに居合わせたのも奇跡だったのかもしれねェな」
ガラハドは「落ち着け」とジェスチャーをしながら話す。
エリクシアは促されるまま席についた。
「すでに瀕死だったノエラは最期の力を振り絞って、ワシに何が起こったのかを伝えてくれた。『デルトリア伯』『悪魔を狙っている』――そんな断片ぐらいしか聞き取れなかったが、それでも、お前のことについてはハッキリと言った。ノエラの最期の頼みだけは、鮮明に聞き取れた」
「……ノエラは、なんて……?」
「――『わたしたちの娘を、守って』と、そう言った。ワシは任せろと言った。
そして、最期の最後に、安心したように逝っちまった」
「――――」
それを聞いたエリクシアの心境はいかほどのものだったのだろう。
まるで時間が止まったかのように、彼女はピタリと動きを止めた。
「ノエラは最期までお前のことを想っていた。だが、ワシはいまのいままで、お前を見つけ出すことはできなかった。……お前はいったい、この3年間どうやって生きてきたんだ?」
それは決して責めるような言い方ではなかった。
心配で心配で仕方がなかった。
そんな印象をクロは受けた。
「……ノエラには色々教えてもらっていたんです。身元を隠してお金を稼ぐには、冒険者になるのが一番いいこと。子供でも比較的安全な遺跡の場所とか洞窟とか。幸い、わたしは魔法が使えましたから下級の魔物なら倒せたので」
「……やはり冒険者か。……見つからねェわけだ」
冒険者という職業は、旅人という側面がある。
街や村に立ち寄るのは食料や道具の調達、あとはよほど疲れたときに宿屋に泊ったりする程度のものだ。
寝るのも野宿は基本中の基本。
人と関わり合わずにいられることもできる。
何をするのも自由、生き方も自由。
それが冒険者というものだ。
「……しかし、それでも外にいる以上、完全に人の目から逃れるのは不可能だ。だからあちこちで悪魔の目撃情報があったわけか」
なるほどと納得していくマーガレッタとガラハド。
そんな中、クロはひとつの事柄がどうしても気になっていた。
「どうしてデルトリア伯はガラハドさんの故郷を滅ぼしたんでしょう? エリクシアを見つけたかったのなら、『悪魔を捜せ』と村人に命令すれば、多分ノエラさん以外は喜んで協力したはず――と思うんですが」
そうすれば、余計な禍根を残すことはなかったはずだ。
いまこうしてグレアロスの副団長と看守長が、デルトリア伯暗殺の機会を窺っていることもなかったはず。
なぜわざわざノエラ――そして村人まで殺す必要があったのか。
デルトリア伯にはまったくと言っていいほど利点がない。
むしろ村人を使ってエリクシアを捕らえた方が効率的だとすら思える。
「……それが分かりゃ苦労はしねェ」
「悪魔の目撃情報があった場所には必ずデルトリア伯自身が極秘で出向いている。そしてその度に、その発見した人物と周辺の人まで殺している。その規模が最も大きかったのが、最初に被害のあったガラハドさんの故郷だ。なぜそうしたのかは、理由はまったく分からない」
マーガレッタとガラハドがそれぞれ答えていく。
この2人ですら腑に落ちないといった感触だ。
「デルトリア伯もやりやすかっただろうよ。悪魔の仕業ってことにすりゃ、いくら人が死んでもぜんぶ悪魔のせいにできちまうからな」
「真実は悪魔という怖れで霞んでいく。我々は、これ以上被害が出ないようデルトリア伯の凶行を食い止めねばならない」
「悪魔の出現を知るのは、いつもデルトリア伯が動いたあとだった。この3年間、ワシらは手をこまねいていただけで何もできなかった。ヘタに手を打ちゃ終わりだったしな。相手は『伯爵』だ。権力を使って情報操作されていたとはいえ、目も当てられないほどの失態だ」
「……でも、今回は先にエリクシアを見つけられた」
クロが希望を言葉にする。
見つかったのは不本意だったが、あの状況でガラハドに発見されたのはこの上ない幸運だったのかもしれない。
「そう。今回だけは何もかもが違う。先手を打てる。城に籠もられては手の打ちようもないが、いまはデルトリア伯が『ここ』にいる。彼を倒さなければ、発見者のシスターや兵士たちが殺されてしまう。最悪、このグレアロス砦が滅ぶ」
マーガレッタが真剣な目で語る。
「……デルトリア伯がそれほどの力を?」
彼が英雄の子息だというのはクロも知っている。
しかし、デルトリア伯が強いなどという話は聞いたこともない。
けれどマーガレッタはグレアロス砦が滅ぶほどの脅威――特級の魔物と同等のものだと言っている。
「ワシの村を滅ぼしたときの状態を見れば、そうだろうな。ヤツにはそれができる『力』があるのは間違いねェ。この3年……ヤツを調べ続けていたからこそ、確信できる」
「――デルトリア伯は英雄クラスの力を持っている。私もそう思う」
「……なぜそんな人が、エリクシアを……」
「悪魔を捜し出してどうするか……見当もつかねェな」
「デルトリア伯は人を人とも思わない人殺しの怪物。
何をするのかは分からないが、ロクでもないことになるのは確実だ」
デルトリア伯の目的が、悪魔にあるのは間違いない。
ただ、悪魔を倒すという理由では無さそうだ。
そんな大義名分があるのなら、兵を使って大々的に悪魔の捜索をすればいい。
けれど、デルトリア伯は極秘で動いているらしい。
つまり、他の何らかの理由で悪魔を利用しようという、そんな後ろめたい目的があると考えられる。
「……あの、多分ですが、理由は分かります。
村を滅ぼした理由も、人を殺している理由も……」
そう言ったのは、狙われている当の本人であるエリクシア。
マーガレッタとガラハドは無言で彼女の言葉に食いついた。
「デルトリア伯は『これ』を狙っているのだと思います」
エリクシアは、自分の背後に浮いていたものを見る。
そう、悪魔といえばコレだ。
だが、こんなものを求めているだなんて、どう考えても普通じゃない。
これは不吉が形を成したものだ。
そんなものが目的だなんて、どうかしているとしか思えない。
不幸の根源たる異物。
悪魔が悪魔たる所以。
この世ならざる邪典。
漆黒の霧に包まれた巨大な本。
レリティアの災いはここに起因する。
クロ・クロイツァーが不死者になったのも、
エリクシア・ローゼンハートが悪魔になったのも、
すべては、この、
『悪魔の写本』が元凶なのだから。




