5 化け物の証拠
「人ではない、何か……」
そんなはずはなかった。
イコはどう見ても人間だ。
それなのに、ナナシさんが嘘をついているようにも見えなくて、困る。
「しょ、証拠、とか」
疑うようで申し訳ないけれど、問いかけてみる。
ナナシさんは、いい人だと思う。
でも、イコも……悪いやつだとは思えなかった。
「イコくんの、眼帯の下を見たことはありますか?」
「……ない、です」
「それならば、覗いてみてください。おそらくは、彼が化け物だという正体の、片鱗が隠されています」
「そ、そんな……」
たしかに、あの眼帯は気になっていた。
イコがわざわざ、何を隠しているんだろうと。
化け物の片鱗?
イコが、化け物?
胸がザワザワする。
何かの間違いであってほしい。
あの眼帯は、ものもらいとかじゃないんだろうか。それか人にうつるようなもので、俺にうつさないよう、隠しているだけじゃないだろうか。
「サンくん」
戸惑う俺の手を、ナナシさんが両手で包み込む。
ナナシさんの手は、温かかった。トクトクと、血の巡る振動が伝わってきた。
「山の頂上に行かなくても、私は君を現世へ返すことができます。少し時間が必要だけれど、一週間もかかりません。
――だからどうか、私を信じてください。
イコくんと行動を共にするのは、危険です」
「で、でも……」
イコは、3日の夜までに頂上へ行く必要があると言っていた。
ナナシさんの言葉通りに一週間待つと、3日は過ぎてしまう。
ナナシさんを信じるなら、イコの提案を切り捨てなければならない。
それに、ナナシさんの言葉に引っかかるところもあった。
「一週間で返せるのなら、どうして他の人が……小さな子とかも、残っているんですか?」
さっき、新しい人はしばらく入っていないと言っていた。
それならあの小さな子は、それなりの期間、この拠点にいることになる。
「……残っている人たちは、家族を探しているんです」
「家族を……?」
「彼らは家族と一緒にこの世界へ迷い込み、そして家族とはぐれてしまいました。もちろん、私は彼らを現世へ返すことができる。でも彼らはあえて残って、家族を探し続けています」
「そんな……ことが……」
胸が痛む。
こんな地獄で暮らすなんて、どれだけ不安だろう。
それなのに、家族のために残ったのか。あんなに小さい子まで。
彼らの家族は、どうしているんだろう。
地獄で一人、生き延びているんだろうか――イコのように。
そうだったらいいなと思う。
いつか、再会できたらいい。
「……ナナシさん、すみません」
ナナシさんの手を、そっとほどく。
俺は、初めて会った時のイコの笑顔を思い出していた。
『きみは、ぼくが命にかえても守るからね!』
イコは教室でそう言った。
クラスメイトを惨殺した後で、返り血まみれだったけれど、あの言葉が嘘だとは、どうしても思えない。
俺の兄だと名乗ったイコ。
昔、5歳の俺とともにいて、それから11年間、地獄で生き延びてきたらしいイコ。
――俺の心は決まった。
「俺は、イコを信じたいです」
ナナシさんの目を見返し、はっきりと告げる。
「……そうですか」
ナナシさんは困ったように眉を下げた。
「わかりました。でも一つだけ、約束してください」
「なんですか?」
「イコくんの眼帯の下を、確かめてください。そして危ないと思ったら――すぐに、助けを求めてくださいね」
「……はい」
ナナシさんは真剣だった。真剣に、俺の身を案じていた。
その勢いに気圧されて、うなずく。
「忘れないで。私たちは、君の味方です」
力強い言葉だった。……でも俺は、イコを信じたい。
ナナシさんへ曖昧に会釈をして、足早に部屋へと戻った。
*
「サンちゃん! どこいってたの? だいじょうぶ?」
戻ったら、いつの間にか起きたらしいイコが飛んできて、俺のまわりをグルグル回った。
起き抜けによくそれだけ動けるよな、と思うくらい俊敏だ。
「トイレだよ、大丈夫。イコは眠れた?」
「うん! いっぱいねた!」
「そっか、よかった」
俺が言うと、イコはぴたりと動きを止めた。
俺の顔をじいっと覗き込んでくる。
「サンちゃんは、ねた? まだ、つかれてそう」
「あんまり寝れなかったかも」
「もうちょっとねる!? ぼくね、おうたうたえるよ!」
「お歌?」
「ねんねんー、ころりー、おころりー」
「子守唄かよ」
思わず苦笑いが出る。さすがに、子守唄で寝かしつけられる年齢じゃない。それにひどく音程が外れていた。あれでは、寝た子も起きるだろう。
「なあ、イコ」
「んー?」
イコは俺の布団をめくって、手招きする。
寝ろと言いたいんだろうけど、俺は布団にあぐらをかいて座った。
イコの顔を覗き込む。
左だけの、真っ黒い瞳がこちらを見ている。
俺はイコの右目を覆う眼帯に、視線を動かした。
「眼帯の下って、見せれる……?」
イコは、ギクリと肩を跳ねさせた。
動揺、したのか。
「…………どうして?」
その声は、妙に低く聞こえた。
「いや、その……隠したいのはわかってるんだけど、病気とか傷とかなら俺、気にしないし……見せてほしい」
俺はしどろもどろになりながら、言い訳のようにあれこれ言う。
ようにじゃなくて、言い訳だ。隠しているものを暴こうとする、後ろめたさがあった。
「……だめ」
だから、イコが小さな声で断った時、内心でほっとする。
「そっか。ごめん、変なこと言って」
気にはなるけれど、イコが隠したがるなら、無理に見たくなかった。
俺が諦めたとわかると、イコはぱあっと表情を明るくする。
「あのね、サンちゃん――」
イコが何か言おうとした、その時だった。
「隠したがるとは、やはり化け物のようですね」
「!?」
声に驚いて出入り口を見ると、ナナシさんが立っていた。その後ろには、体格の良い大人の男の人が4人、並んでいる。
「な、なんですか……?」
「やれ」
ナナシさんが合図をすると、4人の男が入ってくる。
そしてイコが抵抗する間もなく、床に押し付けるようにして取り押さえた。
「ううー! ううううー!!」
イコは口にタオルを詰め込まれ、暴れながらうめく。
「ちょ、ちょっと! 何するんですか!? やめさせてください!」
俺はイコを押さえる男たちに掴みかかりながら、ナナシさんへ怒鳴った。
男たちは、びくともしない。それどころか鬱陶しげに、俺をふりはらった。
「うわっ!」
「んんー!!」
俺の悲鳴と同時に、イコが焦ったような声を上げる。
男の腕で弾き飛ばされた俺は、ナナシさんの足元に転がった。
「ナナシさん……どうして……」
ナナシさんはしゃがんで俺の腕を掴むと、立たせてきた。俺はよろめきながらも、どうにか立つ。
「すみません、サンくん。君は子どもで、子どもを守るのは大人の義務なんです。……眼帯を外しなさい」
「はい」
イコを押さえつける男が、むしり取るように眼帯を奪った。
その下から現れたものに、息が止まる。
(なんだ……あれ……)
そこにあったのは、闇だった。
目があるべき場所に、ぽっかりと闇がある。穴じゃなくて、闇だ。
それは真っ黒で、まがまがしかった。あの山と同じような、不自然な暗さ。
見ているだけで精神が不安定になりそうな、不気味さがだった。
「やっぱりバケモンだこいつ!!」
男の一人が、抵抗できないイコの頬を殴りつける。
「んぐっ!」
「やめてください! イコにひどいことしないで!!」
駆け寄ろうとした俺の肩を、後ろから伸びてきた手が掴んで、止めた。
「わかりましたか、サンくん。あれは化け物なんです。あなたの命を狙っている」
ナナシさんが背後に立って、俺の目を片手の手のひらで塞いだ。
「で、でも、あんな目だけじゃ判断なんて……イコと話をさせてください!」
俺は全力でもがく。でも、ナナシさんの手から逃げられない。
「サンくん、そろそろ聞き分けなさい! 私の方が知識も経験もあるんです。これはあなたのためなんですよ」
「…………ッ!」
ナナシさんが、初めて声を荒げた。
ずっと笑顔で穏やかだったのに、有無を言わさない口調。
振り向くと、眉根を寄せたナナシさんが、真剣な顔で俺を見ていた。
「……声を荒げてしまって、すみません。すぐには納得できないでしょう。でも、あれは危険なんです。どうか、わかってください」
切実な声だった。
「い、イコは、どうなるんですか」
俺は何を信じればいいかわからなくなって、声が震える。
「……君が望むなら、離れた場所で、解放します。正体がこちらにバレた以上、やつも戻ってはこないでしょうから」
「…………」
ということは、イコと離れ離れになるのか。
本当にそれでいいんだろうか。
――でも、イコがこれ以上痛めつけられるのは、嫌だった。
「……わかりました。イコに、ひどいことをしないと約束してくれるなら」
俺はうなずく。
それを見たナナシさんが合図をすると、男たちが4人がかりで、イコを廊下へと連れ出した。
「んー!! んんー!!」
イコは暴れていた。
俺はその姿を、黙って見送ることしかできなかった。




