2 信じるかどうか
「に、2回目……!?」
俺は思わず大きな声を出していた。
慌てて自分の口を塞ぐ。音で死者が寄ってくるかはわからないけれど、なるべく身を潜めていたかった。
「2回目って、どういうこと……?」
小さい声でヒソヒソと尋ねるも、イコは普通の声量で「うーん」とうなる。
「小っちゃい時に、おねつが、でたでしょう?」
「おねつ……熱か」
イコの語彙は独特だ。お熱なんて、小児科の先生でも俺が中学校になる頃には使わなくなっていた。
「熱といえば……たしか俺が5歳くらいの時に、かなりの高熱を出したって聞いたことがあるような……」
詳細は知らない。俺は覚えていないし、親の口もなぜか重いからだ。
だから俺が知っているのは、親戚が酒を飲んで口を滑らせた内容くらい。
「なんか死にかけて、3日くらい意識がなかったって……まさか」
3日という期間に引っかかる。
この世界から俺が脱出するために与えられた猶予と、全く同じだった。
「まさか、その時も……イコが?」
「うん。いっしょにいたよ」
「え……どういうことだ? まさか11年も、ここに……?」
イコは、ずいぶん地獄に慣れてる様子だった。
でもイコは俺と同じ年くらいに見える。兄だというのが本当だとしても、イコは一人でずっと11年間、地獄にいたっていうのか?
「な、なんでその時、一緒に帰らなかったんだ? イコは兄なんだよな? ずっと地獄にいたのか? 一人で?」
「え!? えーっと、えっとね、えっと、ひとりじゃなかったよ。ま、まよいこみやすいひとは、たまにいて、そういうひとに、たたかいかたとか、おしえてもらったし……」
ほらじょうずでしょ!とイコは鉄パイプを握り、空中にむかってブンブンと振り回した。
(こいつ、今、ごまかした……!)
明らかなごまかしだった。
質問が、イコにとって触れられたくないことだったのだろうか。
それとも――俺を、騙そうとしているんだろうか。
ごくり、と喉が鳴る。
先ほど見た赤いイモムシを思い出した。
『このせかいでは、こころのかたちが優先される。
人は、このせかいですごす間に、じぶんが人だって、わすれていくみたい』
(イコが本当に地獄で11年も過ごしていたなら――どうして、人の形を保てているんだろう)
俺は、イコを信じてもいいんだろうか。
あのまがまがしく感じた山の頂上へ、本当に、イコと行ってもいいんだろうか。
答えは、出せなかった。
*
「サンちゃん、ほんとうにだいじょうぶ?」
「うん。早めに行きたいし」
橋の下で、イコは俺に一眠りを勧めてきた。
でも今はイコの前で無防備に眠る気にはなれない。朝が来る前に、山の方へと向かうことにした。
街灯が照らす住宅街の道を、早足で歩く。
「むちゃは、だめだよ」
「……イコもな」
イコは大丈夫なんだろうか。俺が見た限り、一度も休んでいない。
でも、イコは得意げに胸を張る。
「ぼくは、だいじょうぶ! つよいからね!」
「……へぇ」
だめだ。イコのことを疑っている場合じゃないのに、この男に嘘がつけるとも思えないのに、鉄パイプをちらちらと気にしてしまう。
あれが、俺の頭に振り下ろされるところを想像してしまう。
そう、こんな風に――
鉄パイプが、俺の方へと振り下ろされた。
「!?」
身をすくめた俺の耳の横を、ぶおんと音をたてて鉄パイプが通り過ぎていった。
直後にめきょ、と音がして、びしゃりと俺の腕に生温かい何かがかかる。
硬直して振り向くことができないまま、イコを見る。
イコは返り血を浴びた顔で、ニコリと笑った。
「あぶなかった~ごめんねサンちゃん、だいじょうぶ?」
「な、なにが……」
なにがおきた、と言う前に、答えは前方からきた。
家から出てきた、エプロンをつけた女性がいた。
彼女は軽快な足取りでこちらへ近づいてきて――その顔は優しく微笑んでいた。
けれど、手には包丁を逆手に持っていた。
女性は笑顔のまま、俺に包丁を向けて、駆け寄ってきた。
包丁の切っ先が俺に迫る――よりも前に、鉄パイプが女性の顔へとめり込んだ。
「ヒ……ィ……!!」
今までは目をそらしたり、うつむいてきたから、暴力をこれほど間近で見るのは初めてだった。
女性の折れた歯が飛んできて頬をかすめる。嫌な感触に、ジャージの袖を使って必死にぬぐった。
俺がそうしている間にも、イコは何度も何度も、女性が動かなくなるまで鉄パイプを振り下ろした。
その光景に、先ほど食べたものがこみあげてくる。
「ウェ……ッ」
「はいちゃだめだよ」
うつむこうとした俺を、イコが鉄パイプを持ったままの血まみれの右手で止めた。
「えいようをとらないと、もたないよ」
「う……うぅ~~~~……!!」
吐くような光景を作り出している当人が言うなよと、理不尽さに泣きそうになる。
でもイコが言うことは間違っていない。せっかく無理して食べたのに、今吐いてしまっては台無しだ。
目をそらして空を見上げ、必死に吐き気をおさえこむ。
「これ、なんだっけ。あぶなくて痛いやつ。サンちゃん、いる?」
「んー! んー!!」
そんな俺に、イコは主婦が持っていた包丁を差し出してきた。
地獄の死者とはいえ、殺された人が持っていたようなものは、持ちたくない。
俺は必死で首を横に振った。
「そっか。うん、あぶないもんね」
カランと、金属が投げ出される音がする。
イコは一連の流れの中、動揺のかけらさえ見せず、いつも通りだった。
(……なんで、イコは平気なんだろう)
この世界の人は、生きている人を苦しめたり怖がらせたりして殺すのだと、イコは言っていた。
イコも生きているのだから、今の俺のように、頻繁に狙われてきたはずだ。だから戦い方を知ったのだろうし。
――いや
(イコ、今まで狙われていたか……?)
これまでのことを思い出す。
教室には、イコから乱入してきた。
校庭ではイコが囲まれていたけれど――あの時の人々は、今思えばイコを狙うというよりは、学校内に入ってこようとしていた気がする。その途中でイコが邪魔したから、イコを殺そうとしていたような。
化け物じみた人たちも、イコのことは狙わなかった。
黒いもやに追いかけられたのも、巨大な手に捕まりそうになったのも、イモムシに幻覚を見せられたのも――全部俺だ。
(イコは生きているはずで、だって心臓が動いていたのに、じゃあ、なんでイコだけ狙われないんだ……?)
「……どうかした、サンちゃん」
そう尋ねてくるイコの顔を直視することができなかった。
化け物に、見えてしまいそうで。
バクバクと痛いほど跳ねる心臓を、手でおさえる。
(……俺、疲れているんだ、きっと。意地をはらずに、もう少し休ませてもらえばよかったかも)
今、自分が正常な判断をできているとは思えない。
イコが化け物に見えることや――イコの言葉を信じて、山を目指していることも。
もう少し、俺なりにちゃんと調べてから、山へ向かうべきじゃないだろうか。イコが色々知っているということは、この世界に全く情報がないわけじゃないだろうし。
「おや、珍しい! 新顔ですか?」
「!!」
ふいに背後から声がして、俺はびくりと肩を震わせた。
イコがすかさず声の主と俺の間に立ち、鉄パイプをかまえる。
「ああそんなに警戒しないで。私は味方ですよ」
落ち着いた、優しげな大人の声だった。中性的な声で、性別はわからない。
イコの背中越しに見てみると、白いシャツにグレーのパンツ、ベージュのカーディガンを着た20代くらいの中性的な人が立っていた。
その人は、胸に手を当てて頭を下げる。
「私はナナシ。君たちと同じ、生者です」




