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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
二章 脱出を目指して

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1 2回目

「ん……」


「おきた?」


 夢も見ないほど深い眠りから、体が揺れる感覚で引き戻される。

 目を開けると、俺はイコに背負われていた。

 そして――


「ヒッ……!!」


 ――周囲には、遺体の山と血の海が広がっていた。


「なっ、なんで……!!」


「あばれたら危ないよ、おろすから、ね」


 驚いてもがくと、イコは俺を背から下ろした。

 ぴちゃ、と血溜まりを踏んでしまい、再び悲鳴を上げる。

 ただ、転がっている遺体には見覚えがあった。


「……ここ……教室……?」


 クラスメイトの渡瀬が、仰向けに倒れて、光のない目で俺を見ていた。

 他の遺体にも見覚えがある。ここは、俺の教室だった。


「うん。サンちゃんのカバン、いるかなって」


 窓際の一番うしろ。俺の席の横にかけてあった紺色の指定カバンを、イコは鉄パイプの先端で器用に持ち上げた。


「こんな時にカバンなんて……いるか……?」


 カバンには教科書とノート、文房具、財布、弁当と水筒くらいしか入っていない。


 紺色のカバンの表面には、わかりにくいものの、点々と血が染み込んだ跡があった。

 あまり触りたくはない。

 眠る俺を背負って、遺体の中に踏み入るほど重要なものだとは思えなかった。


「ごはん、いるでしょ?」


「ご飯……弁当のこと?」


「うん。おみずも、だいじ」


「そういえば……ご飯や水を口にするなって言ってたな」


 俺がトイレに籠城している時、イコは言っていた。


『ごはんは食べちゃだめ。みずも飲んじゃだめ』


 あの時はそれどころじゃなくて聞き流したけれど、何か問題があるんだろうか。


「しんだ人が差しだしたものを、食べたり、飲んだりすると、しんじゃうからね。ぜったい、食べちゃだめ」


「え……!?」


「ぼくは葉っぱとかをたべて、川のみずをのむけど、サンちゃんはおなかをこわしちゃうからね」


「そ、そうなんだ……」


 怖すぎるな、地獄。

 つまり俺は、一食分の弁当と水筒で3日間しのぐか、サバイバル生活をするしかないのか。


 慌てて、カバンを受け取った。

 川の水を飲めるほど、胃腸が強い自信はない。

 血がついていることなんて気にしていられなかった。このカバンは、俺の生命線だ。


 カバンは、朝に家を出た時と同じ重さだった。

 開けて中を見ると、母さんが作ってくれた弁当が入っている。


 胸がぎゅうと締め付けられた。

 会いたい、母さんに。

 戻りたい、日常に。


「……あれ、そういえば」


 ふと、違和感に気づいた。


「なんでカバンに弁当が入っているってわかったんだ?」


 この学校は学食もあるから、弁当を持ってくる生徒は半数くらいだ。

 俺も、母さんの気が乗らない時は学食を利用している。


 今日、カバンに弁当が入っているのは幸運だったけれど、どうしてそれをイコが知っていたんだろう。

 確証がなければ、わざわざ取りに戻ったりはしないんじゃないか。


「においでわかったよ」


「におい?」


 思わずスンと嗅いでみると、鼻に慣れつつあった血臭が直撃して、吐きそうになった。慌ててこらえて、「行こう」と廊下に出る。


「本当に、あんな中で弁当の匂いなんてわかったの……?」


「うん。ぼくは鼻がいいんだ」


「へえ……」


 イコは力が強く、足も速い上に、鼻までいいのか

 特技が多くて羨ましい、なんて場違いなことを考えてしまう。

 この状況に慣れてきたのか、それとも無意識の現実逃避なのかは、わからなかった。





 俺たちは学校を出て、山へ向かうことにした。

 目的地の山は大きくない。ふもとまでは2時間も歩けばたどり着くし、ふもとから頂上までは1日もかからない。

 学校で俺が目を覚ました時点で、1日目の夕方。

 3日目の夜までに山の頂上へたどり着くというのは、難しくないように思えた。


 でも、この目算は間違っていた。

 ここは地獄で、俺たち生きている人間は命を狙われているのだから。


「ヒッ!」


 路地の横から唐突に、巨大な手が現れ、俺に襲いかかってきた。

 あまりにも非現実的な光景に、ここが地獄とわかっていても驚きすぎて固まってしまう。

 イコがすかさず腕を引っ張ってくれなければ、捕まっていただろう。もしくは、叩かれた蚊のように、地面との間でぺちゃんこになっていたか。


「サンちゃん、下がってて」


 イコはすぐさま鉄パイプを、巨大な手に向かって振り下ろした。

 どん、と鈍い音がする。けれど、巨大な手はびくともしない。

 クラスメイトが殴られた時のめきょという音は、骨が壊れる音だったんだなと俺は知った。知りたくはなかった。


「はしって、サンちゃん!」


「う、うん!」


 イコの声に従って走る。イコも、巨大な手を何度か殴りつけた後、走って追いついてきた。この男は本当に足が速い。


「はぁ……ぜぇ……」


「サンちゃん、だいじょうぶ?」


「……ごめん、むりかも……」


 足が震えて、頭は酸欠なのかぼうっとしていた。

 学校で結構しっかり寝たつもりだったが、俺の体力も精神力も、早くも尽きかけていた。


 学校を出てから、俺たちは今みたいに何度か襲われていた。

 普通っぽい人や、黒いモヤのような人影や、今の巨大な手のようなものが、俺とイコを執拗に狙ってくる。

 イコがいなければ、俺はとっくに殺されていただろう。

 生き延びているとはいえ、命を狙われ続けるストレスが、俺を蝕んでいた。


「サンちゃん、こっち。あそこの、はしのしたで、やすもう」


「うん……」


 情けなかった。学校を出た時は夕方だったのに、逃げ回る間に空はすっかり真っ暗になった。

 でも、駅までの道の半分もまだ進めていない。


「ごめん、イコ……」


 肩を貸してくれたイコを見上げる。

 本来なら、見慣れつつある茶髪と眼帯が、こちらを向いているはずだった。


 ――しかしそこには、ぶつぶつと無数の穴の、集合体があった。

 よく見ればそれは皮膚だった。

 イコの皮膚に無数の、黒々とした深い穴が、えぐれたように開いて、時折ランダムに、パクパクと開いたり閉じたりしていた。

 黒い穴の中には、なにか丸い塊のようなものがあって、まるで目のように、一斉にこちらを向いた。


「う、うわああああああ!?」


 俺はイコを突き飛ばした。でもイコの体幹は強くて少しよろめいただけで、倒れたのは俺の方だった。


「サ ン ちゃ ん ドウ死た ノ ダイジョうぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」


 ぶつぶつの化け物は、ひび割れた声でハエのような音を出しながら、かがんで、俺に近寄ってくる。

 俺は尻もちをついたまま、逃げようと必死に地面を這った。


「サ ン ちゃ …… サ……ちゃん…… サンちゃん!」


「!!」


 大きな声で呼びかけられて、ハッと我にかえる。

 目の前には、化け物じゃない、人の姿で肌もえぐれていないイコがいた。身をかがめて心配そうに、俺の顔を覗き込んでいる。


「だいじょうぶ? ごめんね、きづいてあげられなくて」


「え……?」


「サンちゃんに、これがくっついてたの。これは、おきているのに夢みたいな……ええと、マボロシ? っていうんだっけ。わるい夢みたいなやつを、みせてくるんだ」


 そう言ってイコは鉄パイプで、足元を示した。

 そこには、つぶれた赤いイモムシのようなものがいた。かなり大きくて、俺の靴くらいある。


「まぼろし……を、見せる……虫? うわっ! あ、頭が、ひ、人の形……!?」


 イモムシの頭部は、50代くらいの男に見えた。肌色の男の頭から、赤いイモムシの体が生えていた。


「これはね、なれのはてって、いうんだって」


 イコは鉄パイプを置き、俺に手を貸して立たせた。

 前みたいに鉄パイプを差し出さなかったのは、多分そこに虫の体液がべったりとついていたからだろう。


「成れの果て……?」


「うん。このせかいでは、こころのかたちが優先される。

人は、このせかいですごす間に、じぶんが人だって、わすれていくみたい」


「……じゃあ、あれは元は……」


 人間だったのか。とは、口にできなかった。おそろしすぎて、言葉にしたくなかった。


 多分、今まで俺たちを襲ってきたものも、すべて人だったんだろう。

 人の形をしていなかった黒いモヤも、巨大な手も――このイモムシも。


 俺は黙ったままイモムシから目を逸らし、イコとともに橋の下まで歩いた。


「すこし、やすもう。ごはん、食べて」


 イコは俺を座らせると、川へと向かった。汚れた鉄パイプを洗っているのを見ながら、弁当を取り出す。


 フタを開けると、嗅ぎ慣れた母さんの料理の匂いがした。

 少し端に寄っているけれど、綺麗だ。好物のウインナーもカラアゲも入っている。


 でも、食欲なんて全然なかった。一口も食べられる気がしない。


「すこしは食べないと、だめだよ」


 弁当のフタを閉めようとすると、戻ってきたイコが言葉で止める。


「うん……」


 イコの言うことはわかっている。

 ただでさえイコの足を引っ張っているから、空腹で倒れるようなことは避けたかった。

 生きて帰るためにも。


 俺はウインナーをつまみ、口に放り込んだ。しょっぱさは今の俺に必要なものだけど、気が沈んでいるせいか、砂を噛んでいるのと変わらなかった。


 俺は弁当箱をイコに差し出す。


「イコ、どれ食べる?」


「ぼく?」


 イコは目を丸くした。


「ぼくにも、くれるの?」


「当たり前だろ」


 イコは葉っぱとかを食べると言っていたけれど、何度も俺を助けてくれた相手を横目に、自分だけいいものを食べるわけにはいかない。いくら極限状況でも、そこまで無神経にはなれなかった。


「わあ……! ふふふー!」


 イコはパァッと明るく笑い、鼻歌のように笑いながら、俺の左隣に腰をおろした。


「いいこだねえ、サンちゃん!」


 鉄パイプを地面に置いて、頭を撫でてくる。


「ちょ、やめろよ……」


「ふふふふふ~いいこ、いいこ!」


 気恥ずかしくて振り払おうとするも、イコはしつこく撫でてきた。


「ありがとね。でも、ぼくは食べなくてだいじょうぶ。それは、サンちゃんのごはんだよ」


「でも……」


「すこしずつ食べて、げんきでいてね」


 イコはブロッコリーをつまむと、俺の口に入れてきて、そして勝手に弁当箱のフタを閉めてしまった。そこまでされては、俺も食い下がれない。


「おみずも飲んでね。ぼくは、さっき飲んだから」


 イコはそう言って川の方を見た。暗くてよく見えないが、サラサラと水が流れる音がする。

 虫の体液を洗った川で、水を飲んだんだろうか。だめだ、想像すると、食べたものを吐きそうになる。


 俺は水筒を開けて、麦茶をコップに注いだ。


「……イコは川の水を飲んで、お腹壊さないのか?」


「ぼくはつよいからね」


「ふーん」


 水筒にはまだ氷が残っていて、麦茶は冷たかった。少しだけ、気分がすっきりする。二口飲んで、水筒をしまった。


「……少し、話がしたい」


「おはなし? いいよ~」


 イコはあぐらをかいて、こちらを向く。

 地獄でも夜には街灯が点くみたいで、水面に反射した光がイコの頬を照らしていた。

 黒い瞳がキラキラと、笑いながら俺を見る。


 その顔を見ていると、ここが地獄だということを忘れそうになった。

 そういえばイコは、初めて会った時から笑顔だったな。


「イコは、この世界……地獄に、かなり慣れているみたいだけど、いつからここにいるんだ?」


「いつから、かぁ……」


 イコは首をかしげて、考え込んだ。


「わかんない」


「そんなに長くいるの?」


「うーん……じかんのことは、むずかしくて……」


 イコは目をぐるぐるする。


「えっとね、ここに来たとき、サンちゃんはもっと小っちゃかったなぁ」


 イコは、これくらいと言って、座る自分の肩くらいを手で示した。


「……ここに来た時?」


「うん。覚えてない?」


 黒い瞳が、きょとんとこちらを見つめてきた。


「サンちゃんが、このせかいにまよいこむのは、2かいめだよ」

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