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地獄からバイバイ  作者: 梅したら
二章 脱出を目指して

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7 本当の化け物

「俺はテメェが死ぬ方に賭けてんだよ。さっさと死んでくんねーかなぁ!」


 ナナシさんは、吐き捨てるように言い放った。


「え……? し、死ぬ方……? 賭け……?」


 俺は呆然と繰り返す。

 言葉の意味がわからなかったわけじゃない。ただ、ナナシさんの言葉が信じられなかった。


 別人のように、豹変している。


「チッ。来い、ガキ」


 ナナシさんは椅子を蹴倒して立ち上がる。

 同時に、俺の胸ぐらを掴み上げた。

 そのまま引きずるように、食堂の出口へと引っ張られる。


「あ、あの、ナナシ、さん……?」


「黙ってろやボケが! ガキが勝手に話すんじゃねえ!!」


 バシ、と音がして、視界が揺れる。

 何が起きたのかわからなかった。頬が焼けるように熱くなって、初めて「あ、叩かれたんだ」と呆然と理解する。


 俺は今まで、誰とも喧嘩とかしたことない。親も叩くようなしつけはしなかった。

 だから、人に叩かれたのは初めてだ。理不尽に浴びせられた純粋な暴力に、足がすくむ。


 でも転ぶわけにはいかなくて、胸ぐらをつかまれたまま、もつれる足で必死に、ナナシさんについていく。

 そうするしかなかった。でなければまた殴られるという恐怖が、俺の足をつき動かしていた。


 後ろから、食堂にいた人たちもついてくる。


「サンくん震えてる~かわいそ(笑)」


 笑い混じりに言う声は、幼いりーちゃんのものだった。


「ぶたれたの初めてか? 漏らすんじゃねえぞ~? 金玉潰すぞ~?」


「ギャハハハハッ! いいなそれ! 潰した時、気絶するかどうかで賭けねえ?」


「いいじゃない。私気絶に一票~」


 大人たちも、好き勝手話す。

 俺は歯の根が噛み合わないほど震えていた。


「な……なんで……優しそうな人たちだったのに……」


「あ、まだナナシさんの嘘信じてる系~?」


「上手いもんなあ。300年モノの演技」


 後ろをついてくる人たちがケタケタと、おもしろそうに笑った。


「あたしぃ、地獄に来て80年だよ。ナナシさんの次に古株~」


 わざわざ俺の隣に並んでそう言ってきたのは、りーちゃんだった。


「え……」


 リーちゃんはどう見ても、小学生くらいだ。


「学校で小動物殺してるのがバレてね~逃げようとしたら川に落ちてここに来たんだけどぉ、この姿だとだーれも警戒しないから殺し放題! 成長なんてしてたまるかってーの! キャハハッ!」


「俺らも似たようなもんだよな~。地獄で殺しがしたくて、ナナシさんとつるんでるってワケ」


「そんな……」


 愕然とする。

 イコは化け物だと言われた。でも人の形をした化け物は、イコじゃない。こっちだったんだ……。


 あまりの衝撃に、引っ張られるまま歩くしかできなかった。

 階段をいくつか降りて、たどり着いたのは、牢屋のような格子の部屋。


 初めて見る。格子の向こうには、カビた畳があった。異様な空間だ。


「なに、これ……」


「サンくん、座敷牢見るの初めて~? 知らないコ、増えたよねえ」


「平成キッズは知らねえだろ」


「平成なのか? 元号が令和に変わったとか、前に殺したやつが言ってなかったっけ」


「令和のガキってまだ四つ足歩行なんじゃねえの、知らんけど」


「え……変だよ、おかしい……」


 俺はキョロキョロと見回す。ちゃんと道を見ていなかったけれど、窓がなくて出入り口は階段の方にしかないから、ここは多分地下だ。


 公民館にそんな部屋があるはずがない。

 多分、ナナシさんが認識する世界にある部屋ということ。


「ここ……村の倉庫だって……」


 でもナナシさんは、ここが村の倉庫だと言っていた。


 ――そういえば、今にして思えばおかしかった。

 言葉にできなかった違和感が、形をとっていく。

 なぜ村の倉庫に、複数の階段やトイレがあるのか、俺はもっと早く気づくべきだったんだ。


「ああ、あれは嘘です」


 ナナシさんは、なんでもないことのように言い捨てる。


「ここは私の屋敷ですよ。座敷牢付きのね」


「全部、嘘だったんですか……?」


「いいえ? 本当のことも沢山言いましたよ」


 ナナシさんはさっきの豹変ぶりが嘘のように、前と同じ微笑みを浮かべて、こちらを見た。

 でも俺の胸ぐらを掴む手の力は、変わっていない。


「嘘を信じさせるには、本当のことに混ぜるのが、一番効果的ですからね」


 優しく微笑んだままそんなことを言えるのが、恐ろしかった。

 正真正銘の化け物だ。


「う……」


 その時、座敷牢の中から声が聞こえた。

 見れば座敷牢の暗闇の中に、もぞりと動くなにかがいる。


 俺は、声だけですぐにわかった。


「イコ!」


 もがくと、元から離すつもりだったのかナナシさんの手が外れた。

 慌てて座敷牢へ駆け寄り、格子にすがりつく。


「う……サンちゃ……?」


 目を凝らすと、カビだらけの畳の上に、ぐったりと横わるイコがいた。

 顔が腫れ上がっている。そのせいで、口を上手く動かせないようだった。


 しかし、イコはもごもごと、必死に口を動かす。

 耳を澄ますと、か細い声が聞き取れた。


「にげ……て……」


 俺は首を横に振る。


「逃げないよ……イコを置いていくわけない!」


「どのみち逃がさねえよボケが!!」


 ガン、と格子が蹴りつけられる。

 ナナシさんだった。また豹変して、威圧的に顔を歪めていた。


「ご、ごめんなさい……」


 俺は反射的に、謝っていた。


 本当はこんな人に謝りたくなんてない。

 でも、暴力が怖かった。俺は大人の男の人に、怒鳴られたことさえない。

 自然に身がすくむ。目には、涙が滲んでいた。


「……さて、サンくん」


 急に、ナナシさんは口調を戻す。


「な、なんですか……」


 俺はすっかり心が折れて、ナナシさんの機嫌をうかがうように見上げた。


 ナナシさんは唇の端を片方だけ上げて、こちらを見下す。


「イコくんを、君の手で殺してあげなさい」


 告げられたのは、信じられない内容だった。


「嫌です!!」


 俺はすぐさま全力で、首を横に振った。

 いくら心が折れていたって、絶対にできないことはある。

 人を殺すなんて。それも、イコを、この手でだなんて、想像もしたくなかった。


「勘違いしないでください。これは、優しさなんですよ」


「や、優しさ……?」


 ナナシさんは柔和に微笑んで、しゃがむ。

 優しいと錯覚するほど丁寧に、俺と視線を合わせた。


「イコくんは今、苦しんでいる。全身を痛めつけましたからね、息をするだけでも苦しいはずです。すぐにでも痛みから解放してあげるのが優しさだと、君も思うでしょう?」


 呆然とする。


(何を言っているんだ、この人……)


 理解したくなかった。

 こんなおぞましいことを言う人がいるなんて、信じたくない。


 そして同時に、恐怖を感じた。イコを痛めつけたのは、間違いなくこの人たちだ。それなのに、あまりにも平然と言うから、自分の方が間違っている気がしてくる。


 ――嫌だ、違う、間違いじゃない!


「どの口が……そんなことを!」


 俺は気力を振り絞り、嫌悪感とともに叫んだ。


「あなたの言うことは信じない!! イコを、解放してください!!」


 折れた心が、立ち直っていく。

 俺が折れたままだと、イコが殺される。そんなの絶対に、嫌だった。

 自分のためには頑張れなくても、イコを助けるためなら、気力が湧きあがってくる。


「ぎゃははははは! 言われちゃったな~ナナシさん!」

「正論、正論すぎるって~!」


 周囲の人が、どっと笑う。

 何がおもしろいのか、ゲラゲラと笑い続けた。


 笑っていないのは、ナナシさんだけ。


「あれを」


 ナナシさんは冷静に、階段の方へと声をかけた。

 すると上から、誰かが降りてくる。


 体格のいい男の人――イコを連れ去ったやつらの一人だ。


 男は、鉄パイプを持っていた。

 部屋に置きっぱなしだった、イコのもの。


「それ、イコの……返せ!」


「言われなくても返してやる……よっと!」


 突然横から、脇腹を蹴られた。ナナシさんだ。

 俺は足をもつれさせ、よろめく。

 咄嗟に、目の前にあった畳に片手をついて、転ぶのだけは防いだ。


 その時、背後でガチャンと音がする。

 振り返ると、座敷牢の扉に鍵をかけられるところだった。


 ナナシさんは俺を蹴りつけて、座敷牢の中に入れたのか。


「ほら、これが欲しかったんでしょう。あげますよ」


 鉄パイプが、格子の隙間から放り込まれる。


 そして、湯呑みも差し入れられた。

 先ほど俺が食堂で飲まなかった、あのお茶だ。


「なに……?」


 座敷牢の中には、鉄パイプと、お茶。そして俺と、イコ。

 ナナシさんの意図がわからない。


 でも、ナナシさんの後ろの人たちはわかっているようだ。

 楽しげに、ニヤニヤと笑っている。


「簡単な話ですよ、サンくん」


 ナナシさんは格子ごしに、柔和な笑みを浮かべる。

 もう優しそうだとは思えなかった。

 ただひたすらに、邪悪だった。


「今から君には、自分の命とイコくん命、どちらを助けるかを選んでもらいます」


 ナナシさんは笑顔のまま、そう告げた。

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