7 本当の化け物
「俺はテメェが死ぬ方に賭けてんだよ。さっさと死んでくんねーかなぁ!」
ナナシさんは、吐き捨てるように言い放った。
「え……? し、死ぬ方……? 賭け……?」
俺は呆然と繰り返す。
言葉の意味がわからなかったわけじゃない。ただ、ナナシさんの言葉が信じられなかった。
別人のように、豹変している。
「チッ。来い、ガキ」
ナナシさんは椅子を蹴倒して立ち上がる。
同時に、俺の胸ぐらを掴み上げた。
そのまま引きずるように、食堂の出口へと引っ張られる。
「あ、あの、ナナシ、さん……?」
「黙ってろやボケが! ガキが勝手に話すんじゃねえ!!」
バシ、と音がして、視界が揺れる。
何が起きたのかわからなかった。頬が焼けるように熱くなって、初めて「あ、叩かれたんだ」と呆然と理解する。
俺は今まで、誰とも喧嘩とかしたことない。親も叩くようなしつけはしなかった。
だから、人に叩かれたのは初めてだ。理不尽に浴びせられた純粋な暴力に、足がすくむ。
でも転ぶわけにはいかなくて、胸ぐらをつかまれたまま、もつれる足で必死に、ナナシさんについていく。
そうするしかなかった。でなければまた殴られるという恐怖が、俺の足をつき動かしていた。
後ろから、食堂にいた人たちもついてくる。
「サンくん震えてる~かわいそ(笑)」
笑い混じりに言う声は、幼いりーちゃんのものだった。
「ぶたれたの初めてか? 漏らすんじゃねえぞ~? 金玉潰すぞ~?」
「ギャハハハハッ! いいなそれ! 潰した時、気絶するかどうかで賭けねえ?」
「いいじゃない。私気絶に一票~」
大人たちも、好き勝手話す。
俺は歯の根が噛み合わないほど震えていた。
「な……なんで……優しそうな人たちだったのに……」
「あ、まだナナシさんの嘘信じてる系~?」
「上手いもんなあ。300年モノの演技」
後ろをついてくる人たちがケタケタと、おもしろそうに笑った。
「あたしぃ、地獄に来て80年だよ。ナナシさんの次に古株~」
わざわざ俺の隣に並んでそう言ってきたのは、りーちゃんだった。
「え……」
リーちゃんはどう見ても、小学生くらいだ。
「学校で小動物殺してるのがバレてね~逃げようとしたら川に落ちてここに来たんだけどぉ、この姿だとだーれも警戒しないから殺し放題! 成長なんてしてたまるかってーの! キャハハッ!」
「俺らも似たようなもんだよな~。地獄で殺しがしたくて、ナナシさんとつるんでるってワケ」
「そんな……」
愕然とする。
イコは化け物だと言われた。でも人の形をした化け物は、イコじゃない。こっちだったんだ……。
あまりの衝撃に、引っ張られるまま歩くしかできなかった。
階段をいくつか降りて、たどり着いたのは、牢屋のような格子の部屋。
初めて見る。格子の向こうには、カビた畳があった。異様な空間だ。
「なに、これ……」
「サンくん、座敷牢見るの初めて~? 知らないコ、増えたよねえ」
「平成キッズは知らねえだろ」
「平成なのか? 元号が令和に変わったとか、前に殺したやつが言ってなかったっけ」
「令和のガキってまだ四つ足歩行なんじゃねえの、知らんけど」
「え……変だよ、おかしい……」
俺はキョロキョロと見回す。ちゃんと道を見ていなかったけれど、窓がなくて出入り口は階段の方にしかないから、ここは多分地下だ。
公民館にそんな部屋があるはずがない。
多分、ナナシさんが認識する世界にある部屋ということ。
「ここ……村の倉庫だって……」
でもナナシさんは、ここが村の倉庫だと言っていた。
――そういえば、今にして思えばおかしかった。
言葉にできなかった違和感が、形をとっていく。
なぜ村の倉庫に、複数の階段やトイレがあるのか、俺はもっと早く気づくべきだったんだ。
「ああ、あれは嘘です」
ナナシさんは、なんでもないことのように言い捨てる。
「ここは私の屋敷ですよ。座敷牢付きのね」
「全部、嘘だったんですか……?」
「いいえ? 本当のことも沢山言いましたよ」
ナナシさんはさっきの豹変ぶりが嘘のように、前と同じ微笑みを浮かべて、こちらを見た。
でも俺の胸ぐらを掴む手の力は、変わっていない。
「嘘を信じさせるには、本当のことに混ぜるのが、一番効果的ですからね」
優しく微笑んだままそんなことを言えるのが、恐ろしかった。
正真正銘の化け物だ。
「う……」
その時、座敷牢の中から声が聞こえた。
見れば座敷牢の暗闇の中に、もぞりと動くなにかがいる。
俺は、声だけですぐにわかった。
「イコ!」
もがくと、元から離すつもりだったのかナナシさんの手が外れた。
慌てて座敷牢へ駆け寄り、格子にすがりつく。
「う……サンちゃ……?」
目を凝らすと、カビだらけの畳の上に、ぐったりと横わるイコがいた。
顔が腫れ上がっている。そのせいで、口を上手く動かせないようだった。
しかし、イコはもごもごと、必死に口を動かす。
耳を澄ますと、か細い声が聞き取れた。
「にげ……て……」
俺は首を横に振る。
「逃げないよ……イコを置いていくわけない!」
「どのみち逃がさねえよボケが!!」
ガン、と格子が蹴りつけられる。
ナナシさんだった。また豹変して、威圧的に顔を歪めていた。
「ご、ごめんなさい……」
俺は反射的に、謝っていた。
本当はこんな人に謝りたくなんてない。
でも、暴力が怖かった。俺は大人の男の人に、怒鳴られたことさえない。
自然に身がすくむ。目には、涙が滲んでいた。
「……さて、サンくん」
急に、ナナシさんは口調を戻す。
「な、なんですか……」
俺はすっかり心が折れて、ナナシさんの機嫌をうかがうように見上げた。
ナナシさんは唇の端を片方だけ上げて、こちらを見下す。
「イコくんを、君の手で殺してあげなさい」
告げられたのは、信じられない内容だった。
「嫌です!!」
俺はすぐさま全力で、首を横に振った。
いくら心が折れていたって、絶対にできないことはある。
人を殺すなんて。それも、イコを、この手でだなんて、想像もしたくなかった。
「勘違いしないでください。これは、優しさなんですよ」
「や、優しさ……?」
ナナシさんは柔和に微笑んで、しゃがむ。
優しいと錯覚するほど丁寧に、俺と視線を合わせた。
「イコくんは今、苦しんでいる。全身を痛めつけましたからね、息をするだけでも苦しいはずです。すぐにでも痛みから解放してあげるのが優しさだと、君も思うでしょう?」
呆然とする。
(何を言っているんだ、この人……)
理解したくなかった。
こんなおぞましいことを言う人がいるなんて、信じたくない。
そして同時に、恐怖を感じた。イコを痛めつけたのは、間違いなくこの人たちだ。それなのに、あまりにも平然と言うから、自分の方が間違っている気がしてくる。
――嫌だ、違う、間違いじゃない!
「どの口が……そんなことを!」
俺は気力を振り絞り、嫌悪感とともに叫んだ。
「あなたの言うことは信じない!! イコを、解放してください!!」
折れた心が、立ち直っていく。
俺が折れたままだと、イコが殺される。そんなの絶対に、嫌だった。
自分のためには頑張れなくても、イコを助けるためなら、気力が湧きあがってくる。
「ぎゃははははは! 言われちゃったな~ナナシさん!」
「正論、正論すぎるって~!」
周囲の人が、どっと笑う。
何がおもしろいのか、ゲラゲラと笑い続けた。
笑っていないのは、ナナシさんだけ。
「あれを」
ナナシさんは冷静に、階段の方へと声をかけた。
すると上から、誰かが降りてくる。
体格のいい男の人――イコを連れ去ったやつらの一人だ。
男は、鉄パイプを持っていた。
部屋に置きっぱなしだった、イコのもの。
「それ、イコの……返せ!」
「言われなくても返してやる……よっと!」
突然横から、脇腹を蹴られた。ナナシさんだ。
俺は足をもつれさせ、よろめく。
咄嗟に、目の前にあった畳に片手をついて、転ぶのだけは防いだ。
その時、背後でガチャンと音がする。
振り返ると、座敷牢の扉に鍵をかけられるところだった。
ナナシさんは俺を蹴りつけて、座敷牢の中に入れたのか。
「ほら、これが欲しかったんでしょう。あげますよ」
鉄パイプが、格子の隙間から放り込まれる。
そして、湯呑みも差し入れられた。
先ほど俺が食堂で飲まなかった、あのお茶だ。
「なに……?」
座敷牢の中には、鉄パイプと、お茶。そして俺と、イコ。
ナナシさんの意図がわからない。
でも、ナナシさんの後ろの人たちはわかっているようだ。
楽しげに、ニヤニヤと笑っている。
「簡単な話ですよ、サンくん」
ナナシさんは格子ごしに、柔和な笑みを浮かべる。
もう優しそうだとは思えなかった。
ただひたすらに、邪悪だった。
「今から君には、自分の命とイコくん命、どちらを助けるかを選んでもらいます」
ナナシさんは笑顔のまま、そう告げた。




