☆59かいめ☆ 届け私の『色』!檻を破った少女と、骨抜きにされた少女たち
(な、ななななんですの!? 今の言葉は!?)
隣で聞いていた六華は、目を見開いて内心で戦慄していた。
(……ふ、深い……気がしますわ。マジプリとは、一体なんなんですの!?どこかの偉人の書物!?それとも異国の高名な哲学者の名前!?)
それが過去に放映されていた女児向けアニメのセリフだとは露知らず、謎の単語『マジプリ』の響きに一人で勝手に感動してしまうお嬢様。
当のラビリス本人はというと、「完璧に決まった」と言わんばかりにふんぞり返り、これ以上ないほどのドヤ顔をキメていた。
陽の光を背に受けて立つその姿は、偶然サブスクのサムネから入ったアニメの受け売りとは思えないほどの、謎のカリスマ性に満ちあふれている。
一方、その言葉を真っ向から受け止めためるは、その場に縫い止められたように立ち尽くしていた。
(お互いの色を知る……。声を上げない限り、世界は灰色のまま……)
胸の奥で、その言葉を何度も反芻する。
ずっと、怖かった。もし美味しくないと言われたらどうしよう。嫌がられたらどうしよう。
そうやって勝手に壁を作り、安全な檻の中に閉じこもっていたのは、他の誰でもない自分自身だったのだ。
めるは、背中に隠していた小さな袋を、ぎゅっと握りしめた。
春休みの間、何度も失敗を繰り返して、ようやく納得のいく味に仕上がった自信作。
これが、私の『色』。
(……私だって、変わりたいっ!)
めるは意を決し、ぎゅっと目を瞑ると――1年間同じクラスだった六華ですら聞いたことがないような、大きな声を出した。
「あ、あのっ……!!」
「!? つ、露原さん……!?」
突然の大声に、六華がビクッと肩を跳ねさせる。
めるは震える両手を前に出し、隠していたクッキーの包みをラビリスの胸元へと勢いよく突き出した。
「これっ、春休みに、私がいっぱいお菓子の研究をして作ったクッキーなの!よ、よかったら、食べてみてっ!!」
顔を真っ赤にして、息を切らしながら必死に絞り出した本音。
それは、引っ込み思案な少女が、自らの檻を破って初めて見せた、勇気ある『輝き』の第一歩だった。
「ほほぅ……なるほど。あの芳醇な匂いの正体は、この『くっきー』であったか」
ラビリスは威厳たっぷりに頷き、めるから突き出された小さな包みを恭しく受け取った。
透明な袋の中には、綺麗な黄金色に焼き上がったプレーンと、チョコチップがたっぷりと練り込まれた二種類のクッキーが並んでいる。
(……クッキーなら知っておるぞ。大地がたまに持って帰って来るからのぅ。確かに美味い菓子じゃが、果たして……)
「ふむ。では、まずはこの飾り気のない方からいただくとしようか」
ラビリスはプレーンのクッキーを一枚つまみ上げ、真紅の瞳でじっと観察してから、パクリと口に運んだ。
サクッ。
軽快で心地よい音が、静かな教室に響く。
その瞬間、咀嚼していたラビリスの動きがピタリと止まった。
「……っ!!?」
「ど、どう……かな……?」
固まったラビリスを見て、めるが不安そうに見つめる。
しかし、次の瞬間。
「な、なんじゃこれはぁぁぁっ!?」
「ひっ!?」
ラビリスはカッと限界まで目を見開き、ぷるぷると震えながら叫んだ。
「口に入れた瞬間、芳醇なバターの香りと小麦の甘みが一気に広がりおった!しかも、なんじゃこの食感は!表面はサクサクと小気味良い歯触りでありながら、中はしっとりと吸い付くように滑らか……!噛むほどに広がる香りと甘みが、口の中で至福の魔法領域を展開しておるではないか!!」
謎の語彙力をこれでもかと並べ立てて食レポする魔王の娘。
「んん~~~~っ!!美味い!美味すぎるぞ、メル!余の専属料理長(※ヒナのことである)の腕前にも引けを取らぬほどの完成度じゃ!」
ラビリスは両手で頬を押さえ、ふにゃふにゃにとろけるような至福の表情を浮かべていた。
あの誇り高き編入生が、たった一枚のクッキーで完全に制圧されている。
その凄まじい豹変ぶりを目の当たりにした六華は、たまらずゴクリと喉を鳴らした。
「あ、あの……つ、露原さん。わ、私も一つ、いただいてもよろしいかしら……?」
「も、もちろんっ!天羽さんにもぜひ食べてほしかったから……っ!」
ラビリスの絶賛を受けてホッと胸を撫で下ろし、ぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せるめる。
六華は少し震える手でプレーンのクッキーをつまみ上げ、おしとやかに一口かじった。
サクッ。
(なっ……!!なんですの、これぇぇぇっ!?)
今度は、本物のセレブであるエリートお嬢様の目の色が変わった。
「……っ、お父様が海外出張で買ってくる一流ブランドのお土産よりも、休日に家族で行くホテルのアフタヌーンティーで出されるクッキーよりも……格段に美味しいですわ!!」
六華は信じられないものを見るような目で、手の中のクッキーとめるを交互に見つめた。
「ほ、本当に……本当にこれを、露原さんがお一人で作りましたの……?」
「う、うん……。春休みに、粉の配合とかバターの温度を色々と研究して……」
信じられないという顔で詰め寄る六華に対し、めるは恥ずかしそうに頬を掻きながら、小さくこくりと頷いた。
「素晴らしいですわ……。私、お菓子でこんなにも感動したのは初めてかもしれません」
「えへへ……ありがとう」
六華の素直な絶賛に、めるの顔にパッと明るい花が咲く。
自分の『色』が受け入れられた喜びに、彼女の胸の奥がじんわりと温かくなっていた。
しかし、その感動の余韻を切り裂くように、魔王の娘が低く唸り声を上げた。
「……待て、メルよ。このもう一つの『くっきー』に練り込まれている、この漆黒の欠片は……まさか」
ラビリスは袋からチョコチップクッキーを取り出し、その表面の黒い斑点を真剣な顔で睨みつけていた。
「あ、それはチョコチップだよ。チョコレートを細かく砕いて混ぜて焼いたの」
「やはり『ちょこれーと』……!」
その単語を聞いた瞬間、ラビリスはクッキーを持った手をワナワナと震わせた。
「かつて余の理性を溶かし、腹の中で甘美なる反乱を起こしたあの禁断の魔力……!まさか、このような愛らしい菓子の中にまで潜伏しておったとは……っ!」
「えっ!?は、反乱……!?」
「な、なんですの急に……!」
以前、大地に連れられて行ったファミレスで、巨大なチョコレートパフェに完全勝利したものの、その美味さに精神的な敗北を喫した記憶が、ラビリスの脳裏にフラッシュバックする。
しかし、彼女は逃げなかった。
額に一筋の汗を流しつつも、誇り高き魔王の娘として、目の前の『深淵』に再び挑む決意を固めたのだ。
「くっ……よかろう。この余が直々に、再び調伏してくれようではないか……!」
ラビリスは意を決し、チョコチップクッキーをガリッと勢いよく噛み砕いた。
「――ッ!!!」
サクッという小気味良い音の後。
ラビリスの真紅の瞳が見開き、そのまま天を仰いで硬直した。
(な、なんという破壊力じゃ……!)
サクサクとしたプレーン生地の優しい甘み。
そこへ、チョコチップの適度な食感とほろ苦さが絶妙なアクセントとして乱入してくる。
パフェの時のように暴力的なまでの甘さではない。
しかし、計算し尽くされた生地とチョコの比率が、互いの長所を極限まで引き出し合う『奇跡の陣形』を組んでいたのだ。
「……見事じゃ」
数秒の硬直の後、ラビリスは静かに息を吐くと、その瞳にうっすらと涙を浮かべていた。
「精神を揺さぶる危険な『ちょこれーと』の魔力を完全に制御し、自らの配下として生地に練り込むとは……。メルよ、そなた……ただの人間ではなかろう!?」
「えっ!?わ、私、ただの小学生だけど……っ」
よくわからない言葉の羅列にパチクリと瞬きをするめる。
「わ、私も!その……チョコの方もいただいてよろしくて!?」
たまらず身を乗り出してきた六華にも、めるは笑顔でクッキーを差し出す。
それを口にしたお嬢様もまた、「んんん〜っ!!」と上品さの欠片もない声を出して両頬を押さえ、完全にめるの虜になっていた。
「……このチョコ、ただ甘いだけじゃありませんわ。このなんとも言えない苦味が、生地の甘さと上手く合わさって……!」
六華が興奮気味に感想をこぼすと、めるの瞳が少しだけキラリと光った。
「う、うん。生地が甘めだから、チョコはカカオ72%のビターチョコを粗めに砕いて使ったの。生地の温度を下げてからチョコを混ぜることで、焼いた後もチョコの食感がしっかりと残るように計算して……」
自分の得意分野であるお菓子のこととなると、つい熱が入ってしまう。
めるは、自分がどれほど緻密な計算と調整を繰り返してこの味にたどり着いたのかを、少し早口で語り始めた。
しかし、ハッと我に返った瞬間、彼女は顔を真っ赤にして口元を押さえた。
「あっ……ご、ごめんなさい。わ、私、調子に乗りすぎちゃった……!」
(どうしよう。変な子って思われちゃうかも……)
自己嫌悪に陥り、キュッと肩をすくめる。
しかし、魔王の娘とエリートお嬢様は、めるのそんな緻密な『戦術』の解説など、すでに聞いてはいなかった。
二人の頭の中は、今や目の前にある絶品クッキーへの欲望で完全に支配されていたのだ。
「おい!残りの『くっきー』はすべて余がいただくぞ!」
ラビリスは袋をランドセルに突っ込もうと手を伸ばした。
「ちょっと!なに独り占めしようとしてますの!?私もまだ一枚ずつしかいただいてませんわ!半分寄越すのが筋というものでしょう!」
「えぇい、離せリッカ!余は魔王の娘じゃぞ!この世界のあらゆる美食は、余に献上されるのが世の理であろうが!」
「そんな理、聞いたことありませんわ!というか『魔王の娘』ってなんですの?その程度で、この天羽六華は引き下がりませんわよ!大体、魔王の娘なら独り占めなどせず、優雅に半分分け与える度量を見せなさいな!」
先ほどまでの威厳も上品さも完全に投げ捨て、二人はたった一つのクッキーの袋をめぐって、本気で引っ張り合いを始めた。
「ああっ、ダ、ダメだよ二人とも!引っ張ったらクッキーが割れちゃう……!」
ハラハラしながら止めに入ろうとするめる。
しかし、自分の作ったお菓子をめぐって、あの大物感あふれる二人が子供のように(というか子供なのだが)本気で言い争っている姿がおかしくて、たまらなくなって。
「――ふ、ふふっ。あはははっ」
気がつけば、めるは声を上げて笑っていた。
「む?なにを笑うておる、メル!」
「そうですわ!露原さんも笑っていないで、この人を止めてくださいまし!」
「あはは……うん。ごめんね。でも、割れちゃうから、私がちゃんと二人で半分こにしてあげるね」
めるは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、これまでにないほど自然で、明るい笑顔を見せた。
もう、誰も彼女を「内気で臆病な女の子」だとは思わないだろう。
彼女は今、自分の力で檻を破り、新しい『色』をこの教室に咲かせたのだ。
賑やかな笑い声と、甘い匂いが漂う教室。
その後ろの廊下から、そっと中の様子を伺っている人影があった。
「やっぱり素敵な子だったね。ラビリスちゃんなら、きっとみんなに笑顔を運んでくれるって、先生、すぐにわかったよ」
鬼頭先生は、楽しそうに笑い合う3人の少女の姿に目を細めた。
カーディガンの袖で口元を隠しながら、ふふっと優しく微笑むと、彼女は誰にも気づかれることなく、足音一つ立てずにその場を後にした。
異世界から来た魔王の娘の、波乱と甘い匂いに満ちた初登校は、こうして誰も予想しなかった最高の大団円(?)を迎えたのだった。




