☆36かいめ☆ 降り注ぐ天啓と神の啓示
ガチャッと玄関のドアが開く音が静かなアパートに響いた。
「ただいまー。……あれ?部屋が真っ暗だ」
帰宅した大地が靴を脱ぎながら、薄暗い部屋の奥を覗き込む。
日はとっくに沈んでいるというのに、室内の照明は点いていない。
ただ、テレビの液晶画面だけがチカチカと激しく明滅し、色鮮やかな光を壁に投げかけていた。
「おい、ラビリス?何やってんだよ、電気くらい点け……」
呆れながら壁のスイッチを押し、部屋にパッと白い明かりが灯った瞬間、大地の言葉は途切れた。
ベッドの上には、朝大地が出かけていった時と全く同じ位置で、ウサギウスを抱きしめたまま微動だにせず画面を見つめる魔王の娘の姿があった。
そして傍らのテーブルには、大地が「昼飯に食えよ」と置いていったパンが、袋も開けられずにポツンと放置されている。
「お前……。まさか俺が出かけてからずっと、その姿勢でテレビ見てたのか!?飯も食わずに!」
大地の大きな声に、ラビリスはビクッと肩を揺らし、ゆっくりと首だけを彼へと向けた。
暗い部屋で長時間画面を見続けていたせいか、あるいは先ほどの過酷な戦局(鬱展開)に涙を流しすぎたせいか。
テレビの光を反射する彼女の真紅の瞳は、どこか虚ろで、しかし異様なほどの熱を帯びてギラギラと輝いていた。
「……おぉ、大地か。ようやく帰還したか」
「声がカスカスじゃねえか!ていうか、なんでまたその黒いドレスに着替えてるんだよ!やめろって言っただろ!」
大地の真っ当すぎるツッコミを華麗にスルーし、ラビリスはベッドの上にスッ……と立ち上がった。
そして、漆黒のフリルの裾を翻し、右手で天を高らかに指差すという、さっきまで画面の向こうで魔法少女が決めていた『ドレスアップ・バースト』のポーズをドヤ顔でとった。
「遅いぞ、大地!余は待ちわびておった!さあ、直ちに義勇軍を編成し、あの『こんびに』なる最前線の補給拠点へ出撃するぞ!敵に奪われる前に、大量の兵糧を確保するのじゃ!!」
「敵って誰だよ!?てか、目が悪くなるから暗い部屋でテレビ見んなって!!ほら、とりあえず飯だ飯!!」
魔王の娘(アニメの知識をフル装備)と、39歳の保護者(ただの疲れた店長)。
相変わらず全く会話の噛み合わない二人の攻防戦が、アパートの狭い一室で再び幕を開けたのである。
「飯!?悠長に飯など食っておる場合か!!」
ベッドの上に仁王立ちしたまま、ラビリスは大地に向かってバッと腕を横に振った。
その小さな両手は固く握りしめられ、真紅の瞳はこれ以上ないほどの真剣さと、燃え盛るような怒りに満ちている。
「気高く戦った娘が、あんなにも理不尽に散っていったのじゃぞ!モノクローム・レギオンを根絶やしにせねば、余のこの猛り狂う怒りを鎮めることはできぬ!!さぁ、大地!そなたも武器を取れ!」
「はぁ?何怒ってんだ?ていうか、何をそんなに真剣に見てたんだよ」
突然、見知らぬ組織への憎悪を語り始めた同居人に、大地は呆気にとられた。
そして、彼女が真剣な眼差しを向けていたテレビ画面へと視線を落とす。
画面の中では、エンディングのスタッフロールが流れ終わり、ちょうど『▶ 次のエピソード』というお馴染みのUIが右下に表示されているところだった。
そして、その横に表示されたサムネイル画像には、フリフリの衣装を着てステッキを構える、カラフルな少女たちのイラストがデカデカと映っている。
「……あれ。確かこれ、一時期やたらと話題になってた『マジプリ』じゃねぇか」
大地はハッとして、画面と、ベッドの上で悲壮な覚悟を決めている魔王の娘を交互に見比べた。
そして、傍らに転がっているリモコンと、放置されたパン、そして彼女の充血した真紅の瞳という状況証拠から、たった一つの真実を導き出した。
「……お前!まさか自分でサブスク開いて、朝からずっとアニメのイッキ見してたのか!?」
「イッキ見……?なんじゃその魔法陣の名前は。余はただ、この過酷な世界の真実を、第二十五節まで見届けたに過ぎぬ!」
「25話!?お前、一日中画面に釘付けだったのかよ!だから目が真っ赤……いや、お前は元から赤いんだったわ!って、そうじゃなくて!」
大地は頭を抱えた。
ただでさえ魔界の常識でズレている彼女の脳内に、女児向けとは思えない、このアニメ特有の重厚な設定と中二病的な概念が、丸一日かけてたっぷりインストールされてしまったのだ。
「い、いいか、ラビリス!落ち着け!これは『アニメ』だ!現実の戦いじゃない!誰も死んでないし、世界も滅ばないから!」
「戯れ言を!余の瞳は誤魔化せんぞ!あの光の鎧(フリフリ)を纏った戦士の気高き魂、偽物であるはずがない!!」
完全に魔法少女の沼に沈みきったラビリスは、大地の言葉など微塵も信じようとせず、ベッドの上でウサギウスを掲げて抗戦の構えを見せるのであった。
(おいおい、完全に目がキマってるぞ……。とにかく一旦落ち着かせないと!)
大地は仕事で疲れ切った脳内を、必死にフル回転させた。
なにか、なにかいい方法はないか……。
完全に向こうの世界に旅立ってしまっている同居人。
このままでは、彼女は飯どころか、今夜は一睡もせずにこの残酷な英雄譚の続き(第二シーズン)を見続けるかもしれない。
ベッドの上に仁王立ちする小さな魔王の娘の真紅の瞳は、燃えたぎるような義憤と共に、真っ直ぐに大地を射抜いていた。
(正論を言っても絶対に聞かない。一体どうすればっ……!!)
――その時、大地の脳内に天啓が降り注いだ。
(…………ッ!!!)
「……ラビリス。とりあえず、落ち着いてこれを見ろ」
大地は床に落ちていたリモコンをスッと拾い上げた。
そして、なぜか無駄に洗練された優雅な手首のモーションで、テレビに向けて『 一時停止ボタン』をポチッと押した。
ピッ。
すると、先ほどまで画面の中で激しく動き回り、悲壮な決意を叫んでいた魔法少女たちが――その瞬間の動作のまま、ピタリと静止したではないか。
「………なっ!?」
ラビリスの真紅の瞳が、限界まで見開かれた。
時を止められたかのように動かなくなった画面を指差し、言葉を失って震えている。
その反応を見て、大地は(心の中でガッツポーズをしながら)静かに、そして重々しく口を開いた。
「ラビリス……。彼女たちの加勢に行きたいっていう、お前の気高く優しい気持ちはよくわかる。義勇軍を率いて出撃したいっていう王族としての誇りもな」
「だ、大地……」
「けどな。これは今、リアルタイムで起きている戦いじゃない。これは、遠い過去に起きた出来事の記録――『歴史の幻影』を、ここに映し出しているだけなんだ……」
「なんと……!」
大地の堂々たる大嘘に、ラビリスは完全に息を呑んだ。
「過去の……記録じゃと……?」
彼はさらに、悟りを開いたかのような顔で追い討ちをかける。
「そうだ。俺が今、この杖で時間を止めることができたのがその証拠だ。本当に今戦っているなら、俺の力なんかで止められるはずないだろ?彼女たちの戦いは、とっくの昔に終わってるんだよ」
魔王の娘の純粋すぎる心は、大人の狡猾な『一時停止ボタンの解釈』によって、見事に絡め取られようとしていた。
「……過去の、記録……。そうか。とうの昔に終わっていた戦いじゃったか。余は、救えぬと決まっている悲劇を見て、一人で勝手に憤っていたというのか……」
大地の言葉に、ラビリスの小さな肩から、ふっと力が抜けた。
出撃の号令とともに高々と掲げられていたウサギウスがゆっくりと下ろされ、彼女は力なくベッドの上にへたり込む。
先ほどまで怒りに燃えていた真紅の瞳には、今はただ、手の届かない過去に散っていった勇壮な戦士たちを見送るような、静かで深い哀しみが宿っていた。
(……よ、よしっ。なんとか、なんとか誤魔化せたぞ……!!)
大地は、額を冷たく伝う嫌な汗を、手の甲で大きく拭った。
これ以上、彼女の戦士としての未練を刺激しないよう、彼は手にしたリモコンの『終了』ボタンを素早く押し込み、サブスクの再生画面から強制離脱した。
ブツンッ。
画面が切り替わる。
『――というわけでね!罰ゲームの激辛ラーメン、行ってみよー!!ワハハハハハ!!』
直後。
先ほどまでの英雄譚の余韻をぶち壊す、芸人たちの底抜けに明るい笑い声が乱舞するバラエティ番組が、容赦なくアパートの一室に鳴り響いた。
「なんじゃこやつらは。顔を真っ赤にして麺をすすって悶絶しておる。これも過去の過酷な拷問の記録か?」
「いや、これは今現在放送されてるただの娯楽番組だ。ほら、平和な世界だろ?」
鼻水を垂らして激辛ラーメンと格闘する芸人を見て、ラビリスは興味なさげに再び俯いた。
どうやら、まだ吹っ切れていないらしい。
「さ、ぶっ続けで見て腹も減っただろ。手ぇ洗ってこい、飯に――」
その時だった。
『――それではここで、緊急発表です!あの大人気アニメが、ついに帰ってきます!!』
画面の女性アナウンサーが華やかに告げる。
直後、楽しげなバラエティ番組の映像は唐突に切り替わり、画面一杯に吸い込まれるような、深い、深い『漆黒』が広がった。
「……ん?なんだ、これ」
大地の言葉が止まる。
次の瞬間、地響きのような重低音がスピーカーから鳴り響き、真っ黒な画面の中央に、鋭い閃光と共に真っ白な文字が浮かび上がった。
『――彼女たちの輝きは、まだ、終わらない』
「…………!!?」
「……っ!大地、見よ!こ、これは!!」
先ほどまで哀しみに暮れてベッドにへたり込んでいたラビリスが、弾かれたように顔を上げた。
画面の中では、ボロボロになったプリズム・ルージュが、暗闇の中、決意に満ちた瞳で一点を見つめている。
そして、重厚なコーラスと共に、新シリーズのロゴがド派手なエフェクトと共に爆誕した。
『マジカル・プリズム・ナイツ:ヴォイド・レゾナンス――今春、始動』
――ヴォイド。
――レゾナンス。
その禍々しくも高潔な響きが、魔王の娘の魂をダイレクトに直撃した。
映像の最後には、ルージュの力強い声が響き渡る。
『みんな!私たちの新しい戦い、見届けてね!』
「…………」
「…………」
アパートの一室に、死のような沈黙が訪れた。
大地の手に握られたリモコンが、カタカタと小さく震える。
(嘘だろ……。よりによって、数年ぶりの新シリーズの発表が、なんで都合よく今、このタイミングで……!?そんなことありえるのか!!?)
横を見ると、ラビリスがゆっくりと、機械のような不気味な動きで立ち上がるところだった。
漆黒のゴシックドレスの裾を揺らし、大地を見据える彼女の『真紅の瞳』は――先ほどまでの哀惜など宇宙の彼方へ吹き飛び、超新星爆発のような圧倒的な熱量と戦意を帯びて、ギラギラと燃え盛っていた。
「……大地。これは一体どういうことじゃ?」
「え、いや、その……」
「『終わった過去』じゃと?……戯れ言を申せ!!」
ラビリスの怒号が狭いアパートに轟いた。
彼女はベッドの上をドンッ!と小さな両足で踏みしめ、画面の隅で点滅している『今春、始動』の輝かしいテロップをビシッと指差して絶叫する。
「見よ!まだ戦いは終わってなどおらぬではないか!むしろ、新たな深淵へ挑もうとしておる!まさに、今!これから戦いが行われようとしておるのではないか!!?」
「いや、違う!あれは『今春からアニメの放送が始まりますよ』っていうお知らせであって、実際の戦いはまだ――」
「黙れ!大地、やはり飯など食っておる場合ではない!今すぐ、今すぐあの『ヴォイド』なる戦場へ向かう準備をせよ!!」
「だから場所がわかんねえっつってんだろ!落ち着けって!!」
こうして、大地の必死の説得は、新章という名の「神の啓示」によって完全に無力化されたのだった。




