☆24かいめ☆ 黄金の沼と、味の錬金術
「……よし。では、早速『調理』を開始する」
大地は袖をまくり上げ、キッチンの前に仁王立ちして仰々しく宣言した。
その背中からは、まるで伝説の剣を鍛え上げる鍛冶師のような、謎の気迫が漂っている。
「ゴクリ……」
ラビリスは固唾を飲んで見守った。
(来るか……!炎の魔法か、それとも氷の刃による高速解体か……!)
カパッ。
大地が炊飯器を開ける。立ち上る真っ白な湯気。
彼は慣れた手つきで、二つの茶碗にほかほかのご飯をよそった。
ここまではいい。これはあくまで「土台」だ。
そして。
大地はゆっくりと冷蔵庫の扉を開け、パックの中から「生卵」を二つ取り出した。
カチャ。
それを、ご飯が乗ったトレイの横に、コトッと置いた。
「…………よし」
大地は満足げに頷き、ラビリスの方を振り返った。
「……完成だ」
「えっ!!!!?」
ラビリスの目が点になった。
時が止まったかのような静寂。
彼女はトレイの上と、大地の顔を数回往復して見た。
「か、完成……じゃと?貴様、今、何をした?飯を器に移し、冷えた庫内から卵を取り出した……ただそれだけではないか!」
「いや、それがTKGの全てだ。これ以上、何を足す必要がある?」
大地は不敵な笑みを浮かべ、やれやれといった様相で返す。
「火は!?呪文は!?秘伝のタレを煮込む工程はどこへ行ったのじゃ!!」
「生って言ったろ?あとタレならこれだ」
彼がドンッとキッチンの調理スペースに置いたのは、市販の醤油ボトル一本。
「……き、貴様ぁ……。余を謀ったな!?これは料理ではない!ただの『素材の陳列』じゃ!」
あまりの手抜き……もとい、シンプルすぎる工程に、ラビリスはプルプルと震えて抗議した。
だが、大地は不敵な笑みを崩さない。
「ふっ。甘いなラビリス。このシンプルさこそが、素材の味を極限まで引き出すんだよ。……さぁ、席に着け。本当の戦いはこれからだぞ」
席に着いた大地は、不機嫌そうなラビリスに余裕の表情で声をかけた。
「よし、じゃあ食べるとするか。いいか?見てろよ?」
コンコン。
テーブルの上で卵を軽く叩く音が、リズミカルに響く。
パカッ。
慣れた手つきで殻が開かれ、生卵がほかほかの白いご飯へとダイブする。
とろりとした透明な白身と、プルプルと揺れる黄金の黄身。
そのあまりに鮮やかな手際に、ラビリスは思わず「おぉ……」と声を漏らした。
「こんな感じで卵を割るんだ。……ほら、お前もやってみるか?」
大地は言いながら、ラビリスの手元に小さな器(失敗してもいい用の小鉢)を差し出した。
「ふ、ふん。そなたにできて、この余にできぬ道理はない!見ておるがよい」
ラビリスは意気込んで卵を手に取った。
だが、その指先は微かに震えている。
(……ぬぅ。なんという脆さじゃ。少しでも力を込めれば、この場で爆散しそうな気配がするぞ……)
彼女にとって、この小さな球体は、魔剣よりも扱いが難しい「危険物」に思えた。
「い、いくぞ……!」
ゴンッ!
「あ」
気合を入れすぎた。
鈍い音と共に、卵の殻は綺麗に割れるどころか、側面がベコリと陥没してしまった。
「ぬ、ぬあぁぁぁッ!?中身が、中身が漏れ出しておる!!」
「落ち着け!器の上だ!そのまま開け!」
大地の指示に従い、ラビリスは慌てて殻をこじ開けた。
ドロッと器に落ちた黄身と白身。……そして、パラパラと降り注いだ「白い破片」。
「……ぐぬぬ。し、失敗じゃ……。無惨にも、殻の破片が混入してしもうた……」
肩を落とすラビリス。
しかし、大地は苦笑しながら箸を伸ばした。
「大丈夫だって。初めてにしちゃ上出来だ。……ほら、こうやって箸先で殻をつまめば……」
大地は器用な手つきで、白身の中に浮かぶ小さな殻の欠片を一つ、また一つと取り除いていく。
「……む。……器用なものじゃな」
「さ、これでお前も『卵割り』の儀式は完了だ。……それをご飯にかけて、醤油を垂らしてかき混ぜろ」
「……う、うむ」
ラビリスは、綺麗になった生卵を、恐る恐る自分の茶碗へと流し込んだ。
白い山頂に黄金の太陽が輝く。
その光景は、彼女が想像していた「ゲテモノ」とは違い、どこか神々しさすら感じさせるものだった。
「あ、醤油は少しだけにしろよ?あんまり入れると塩辛くなるからな」
ラビリスは頷くと、醤油を数滴垂らし茶碗の中を覗いた。
(ほ、本当に食べて大丈夫なのか?見た目は悪くないが、生の卵とは……)
恐る恐るスプーンを差し込み、大地に教わった通りにかき混ぜてみる。
黄身が崩れ、透明な白身と混ざり合い、真っ白だったご飯が徐々に黄色く染まっていく。
ネチャ……グチャ……。
「……だ、大地よ。これは……失敗ではないのか?」
ラビリスの手が止まる。
茶碗の中には、黄金色といえば聞こえはいいが、ドロドロとした粘液にまみれた何かが広がっていた。
「見よ、この惨状を。美しい白米が、スライムの巣窟の如き混沌とした姿に変わり果ててしまったぞ……。これを食せと言うのか?」
「まぁ見た目は悪いかもしれないけど、味は保証するって」
大地は彼女の抗議を軽く受け流すと、自分の茶碗を一心不乱にかき混ぜた。
そして、躊躇なくその「黄金の沼」をスプーンで持ち上げ、豪快に口へと運んだ。
ズズッ、ズズズッ!
「…………」
ラビリスが息を呑んで見守る中、大地は口いっぱいに頬張り、満足げに咀嚼してゴクリと飲み込んだ。
「んー、美味い!やっぱこれだよな。新鮮な卵の甘みと醤油の塩気、最高だ」
「……う、美味い……のか?その、ドロドロとした物体が?」
「あぁ。見かけで判断してると損するぞ。……ほら、早く食ってみろって!」
大地のその屈託のない笑顔と、本当に美味しそうに喉を鳴らす音。
それが、ラビリスの背中を押した。
毒見役が平気な顔をしている以上、毒ではないはずだ。
(……えぇい、ままよ!魔王の娘たるもの、未知の食文化に怯えてどうする!)
ラビリスは意を決して、スプーンで「TKG」をすくい上げた。
トロリと糸を引く卵液が、ご飯粒をコーティングしている。
「い、いざ参る……!」
目を瞑り、そのスプーンを口の中に放り込んだ。
「……むっ!?」
ラビリスの真紅の瞳が、カッ!と見開かれた。
(……なんじゃ、これは……!?)
身構えていた「生臭さ」や「不快なぬめり」は、そこには微塵も存在しなかった。
最初に舌を包み込んだのは、白身のドゥルッとした感覚ではない。
熱々のご飯の熱でほんのりと温められ、半ばクリーム状と化した卵液の、驚くほど滑らかで「絹のような舌触り」だった。
「…………!!」
咀嚼しようとした顎が止まる。いや、噛む必要すら感じさせない。
卵という名の黄金のヴェールを纏った米粒たちは、摩擦がなくなったかのように、口の中でツルツルと踊り狂っている。
そして、遅れてやってくる味の爆発。
濃厚な黄身のコク。
それが、白米が持つ本来の甘みを、狂おしいまでに引き立てている。
そこに、わずか数滴垂らした醤油の塩気と香ばしさが、鋭い斬撃のように割り込んでくるのだ。
「甘い……いや、しょっぱい……?否!これは……完璧な調和!!」
ラビリスは震える手で頬を押さえた。
「大地よ……!この『ドロドロ』は、ただの混沌ではない!黄身の濃厚な旨味が、醤油という名の『闇』を取り込み、ご飯という『光』と融合することで……口の中で『味の錬金術』が起きておる!!」
「……相変わらず食レポになると饒舌だな。でも、美味いだろ?」
「美味いなどという次元ではない!舌の上でとろけ、喉を通り過ぎる瞬間の、この……キュッとした醤油の余韻!そして鼻に抜ける穀物と卵の香り……!」
ラビリスのスプーンを持つ手が加速する。
カチャカチャカチャ!と、器とスプーンがぶつかる音が部屋に響き渡る。
「温度も絶妙じゃ!冷たい卵と熱い飯によって、計算されたかのような温度になっておる!……止まらぬ!いや、止められぬ! 」
ズズッ、ズズズッ!
もはや「食べる」ではない。
彼女は、その黄金の液体を「飲んで」いた。
「はふっ、はふっ……!んぐッ……!」
喉越し。そう、このTKGの真髄は喉越しにある。
噛み締めるよりも早く、旨味が喉を滑り落ちていく快感。
それは渇いた砂漠に水が染み渡るように、空腹のラビリスの胃袋をダイレクトに満たしていく。
「……ぷはぁッ!!」
ものの数十秒。
ラビリスが顔を上げると、そこには一粒の米も残っていない、まるで舐め回したかのようにピカピカになった茶碗だけがあった。
「……大地よ」
口の端に黄色い米粒を一つつけて、ラビリスは恍惚とした表情で呟いた。
「……これは、危険な食べ物じゃ。咀嚼という工程を省略し、生命力そのものを直接胃に流し込まれた気分じゃ……」
「気づいちまったようだな……。TKGは飲み物って言われる所以に」
大地も最後の一口をズズッと啜り込み、満足げに笑った。
質素な昼食のはずが、そこには王宮の晩餐会にも勝る「食の感動」があった。
――数分後。
満腹感と窓から差し込む午後の柔らかな日差し。
そして、掃除を終えた部屋の清浄な空気。
それら全てが、抗いがたい「睡魔」となってラビリスを襲った。
「……大地よ」
ラビリスは重くなった瞼をこすりながら、ふらふらと新しいベッドの方へ歩いていく。
「少しだけ……横になるぞ。あくまで、この新たな寝床の……耐久性能を……試験するため……で……」
言い訳もそこそこに、彼女はふかふかの布団の上へダイブした。
もごもごと心地よいポジションを探して丸くなると、そこには先客――黒猫のリキが既に香箱座りで待機しており、「ここが一番温かいぞ」と言わんばかりに彼女の背中にピタリと寄り添った。
「……むにゃ。……リキよ、狭い、ぞ……。……ぐぅ……」
数秒もしないうちに、規則正しい寝息が聞こえ始める。
新品の家具の木の香りと、TKGの満足感に包まれて。
魔王の娘は、幸せな午後の夢へと落ちていった。




