☆1かいめ☆ 魔王(の娘)降臨
「はぁ、疲れた……バイトの当欠はもう勘弁してくれ」
誰もいない夜道に、独り言が白く溶けていく。
新田大地は、夜空を見上げて大きく伸びをした。
39歳、独身。職業、しがない雇われコンビニ店長。
制服の上から安物のパーカーを羽織っただけの背中には、一日の疲労と、染み付いた揚げ油の匂いが重くのしかかっている。
趣味はゲームにアニメ。
誰かに誇れるような経歴もなければ、人生を懸けるほどの夢もない。
兄弟たちはとっくに家庭を持ち、それぞれの幸せを築いているというのに、自分だけがここで足踏みをしている。
決して不幸というわけじゃない。
ただ、うだつが上がることもなく、平坦で無色透明な毎日を消化しているだけ。
(ま、この歳でドラマチックな展開なんてあるわけないか……)
そう、諦めに似た安堵を感じていた。
このまま、いつもの単調なレールの上を走り続けるのだと信じていた。
――今日この瞬間、予期せぬ「脱線事故」が起きるまでは。
いつもの帰り道、人通りの少ない遊歩道に差し掛かった時だった。
ズズズッ……と、鼓膜を圧迫するような低い重低音が響いた。
「……え?」
大地が顔を上げると同時、頭上の空間がグニャリと歪んだ。
現れたのは、周囲の街灯の光をすべて飲み込むような、巨大な漆黒の渦。
それは、まるで生き物のように脈打ちながら、ゆらゆらと回転していた。
足が縫い付けられたように動かない。
「……なんだ、あれ」
口から漏れたのは、ひどく安っぽい声だった。
(疲れて幻覚でも見てるのか?いや、でも音が……)
あまりに現実感のない光景に、思考が追いつかない。
逃げ出すべきか否か。脳内で激しく警鐘が鳴り響くが、体がすくんで動けない。
だが、彼が決断を下すより早く、事態は動いた。
ギシリと空間が軋む嫌な音がした直後――渦の中心から、強烈な閃光が迸った。
「うおっ!?」
大地は反射的に両腕で顔を覆い、ぎゅっと目を閉じた。
瞼の裏まで焼き付くような純粋な白が、夜の闇を塗り潰していく。
やがて光が収束し、周囲に再び夜の静寂が戻る。
大地は恐る恐る、腕の隙間から視界を開いた。
「……は?」
彼は息を呑んだ。
先ほどまでの禍々しい渦は、跡形もなく消え去っていた。
代わりにそこには――7、8歳くらいの小さな女の子が、ぽつんと佇んでいたのだ。
「え、何?女の子……?」
恐怖と混乱でショートしかけた脳みそが、音を立てて再起動する。
「さっきの『穴』から出てきたのか……?」
少女は何も答えない。
夜闇の中でも燐光を放つような白銀の髪が、ふわりと揺れる。
その下にある無機質な瞳が、じっと大地を射抜いていた。
彼はゴクリと生唾を飲み込み、その姿を凝視した。
(おいおい、なんだこの格好。完全に浮世離れしてるぞ……)
幾重にも重ねられた漆黒のフリル。
ビスクドールのように白く、整いすぎた顔立ち。
夜の遊歩道に、ゴスロリファッションの少女。
あまりに非日常的なその光景は、精巧なフランス人形が、ショーケースから抜け出してそこに立っているようだった。
張り詰めた沈黙を破ったのは、鈴を転がすような――それでいて、氷のように冷たい少女の声だった。
「そなた、何を無遠慮にじろじろと見ておる」
「え?あ、あぁ、ごめん」
少女の迫力に、大地は思わず謝って視線を逸らした。
(なんだその口調?時代劇か?)
彼は深呼吸をして、努めて冷静に問いかける。
「……君、さっきの穴から出てきたのかい?」
「穴?余は穴になぞ入っておらぬ」
少女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、慣れない場所を警戒するように、その真紅の瞳をキョロキョロと巡らせた。
「……そもそも、ここはどこじゃ?」
(完全に設定に入り込んでるな……)
大地はポリポリと頬をかいた。
目の前の超常現象は見なかったことにして、彼は大人の理屈で状況を整理しにかかった。
「いやぁ、ここは外だけど……もしかして君、親御さんとはぐれた迷子、とか?」
「迷子、じゃと……!?」
瞬間、少女がカッとして眉を吊り上げた。
「貴様っ!余に対し、なんたる無礼!余は魔王ヴィラルが娘、『ラビリス』であるぞ!!」
ゴスロリ衣装の幼女は、夜の遊歩道で高らかに宣言した。
「魔王……?」
大地は首を傾げた。
「いかにも!恐れおののけ人間!……む?なぜ平伏さぬ?」
「いや、えーっと……迷子の届け出って交番でいいのか?」
「誰が迷子じゃ無礼者!!」
「いや、急に魔王ナントカとか言われても……。誰それ?最近のアニメか何か?」
「ぐぬぅ……人間風情が父上を愚弄するとは、けしからん!」
ラビリスは顔を真っ赤にして怒ると、バッと大地に向き直った。
「こうなったら、余が直々に灰にしてくれるわ!!」
彼女はフリルのついた小さな腕を、ビシッと大地へ突き出す。
すると、その手のひらに、ボンヤリと不気味な赤い光が集まり始めた。
「えっ、うそ、なんか光ってる!?」
大地はギョッとして後ずさる。
「燃え尽きろ、人間!地獄の業火に焼かれるがよい!!――ヘルファイア!!」
少女の叫びと共に、手のひらの光がカッと強く輝く。
「うわ、やめろって!危ない!」
大地は悲鳴を上げ、とっさに両腕で顔をガードして、身をすくめた。
――ちり。
「……へ?」
盛大な宣言とは裏腹に、ラビリスの手のひらに灯ったのは、ライターの火よりも頼りない、ちっぽけな火の玉だった。
それも、一瞬で夜風に吹かれて、あっけなく消えた。
予想した熱波も痛みも来ない。
大地は恐る恐る目を開けた。
「な、なぜじゃ!?なぜ魔法が発動せぬ!?」
ラビリスは信じられないといった様子で、自分の手のひらを何度も裏返して見つめている。
「魔法?……君、大丈夫か?」
大地が心配して声をかけた、その瞬間だった。
――グ、グゥウゥゥゥウ……。
静まり返った夜の公園に、戦場の雄叫びのような、盛大な音が響き渡った。
「あ……」
少女の動きがピタリと止まる。
その白い頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「うぅ……魔力が……いや、腹が……」
彼女は蚊の鳴くような声で呻くと、
パタリ。
糸が切れたように、その場に力なく倒れ込んだ。
「お、おい!?」
大地は慌てて駆け寄り、その小さな体を抱き留めた。
驚くほど軽い。これでは本当に人形だ。
ろくに食べていないのか、それとも魔王の娘とやらは皆こうなのか。
(……さて、どうする)
腕の中で気絶した少女を見下ろし、彼は思考を巡らせた。
(交番に突き出すべきか?……いや、さっきの「黒い穴」のことを、警察が信じてくれるわけがない。
下手すりゃ、俺が不審者扱いされて終わりだ)
何より――この盛大な腹の音を聞いてしまっては、放り出す寝覚めの悪さは半端じゃない。
「……はぁ」
大地は深く、長く、ため息を吐いた。
「とりあえず、なんか食わせるか」
放っておけない。それが、新田大地という男の最大の長所であり、損な性分だった。
彼は少女をひょいと背負い直すと、自分のアパートへと歩き出した。
「ま、細かいことは腹を満たしてから考えるか。明日は休みだしな」
楽観的というか、諦めがいいというか。
そんな独り言をこぼしながら、大地は「魔王の娘」を連れて、いつもの帰路についたのだった。
「どうやら魔王の娘を拾ったようです。」をお読みいただき、ありがとうございます!
なんとなく日常ほのぼの系のお話が書きたいなぁと思い書き始めました。
コンビニ店長の中年男性(39)×魔王の娘(幼女)のミスマッチな二人を楽しく書いていきたいと思っているので、ぜひ応援いただければ嬉しいです!




