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あっという間に約束の日がやってきた。
学園が休みのその日、私は朝から気合いを入れて準備をした。
子猫たちに会えることが嬉しいのも理由のひとつだが、お城に行くのだ。
お城には色々な人がいて、アステール様の婚約者である私を品定めしてくる者も多いだろう。それは仕方ないことだし、昔からのことだから気にしてはいないけれど、私のせいでアステール様が笑われることになるのだけは嫌だと思っていた。
だから、いつも登城する時にはきちんとした格好をすることを心掛けていた。
笑われないように、侮られないように。
メイドたちが用意してくれたロイヤルブルーのドレスは、三日前に仕上がったばかりのものだ。
オフショルダーで、スカートのラインはすっきりとしている。いわゆる、Aラインと呼ばれる形だ。
前身頃に刺繍がびっしりとあるデザインは上品だけれど華やかで、これなら誰にも文句は言われないだろうと思った。
ネックレスやイヤリングといったアクセサリーもきちんと付け、髪は編みこんでから結い上げる。
薄く化粧を施し、完成。
猫と触れ合うと考えると適していない格好だが、お城を歩くのならこれくらいしておかないと、常識がないと笑われてしまう。
準備を整え、足下に嬉しげに纏わり付いていたリュカを見た。両手で抱き上げる。
「リュカ、あの子たちに会いに行こうか」
「にゃ」
意味は分からないのだろうが、どこか楽しげにリュカは鳴いた。
長い尻尾がゆらゆらと機嫌良く揺れている。そのままリュカを抱え、部屋に置きっぱなしにしてあるキャリーケースのところまで連れて行く。
キャリーケースの前で下ろすと、リュカは素直に中に入っていった。
「良い子にしててね」
扉を閉め、キャリーケースを持つ。ずっしりとした重さを感じたが、リュカが成長した証だと逆に嬉しくなった。
部屋を出て、階段を下り、玄関ロビーに行くと、使用人たちが並んでいた。
執事が恭しく頭を下げる。
「お嬢様、馬車の用意ができております」
「ありがとう」
扉を開けてくれたので、外に出て、車止めに停まっていた馬車に乗り込む。
公爵家所有の馬車には御者と護衛のふたりが乗っていた。
座った隣にリュカのキャリーケースを置く。そっと中を覗き込むと、リュカは奥の方で丸まっていた。
外に出ると気づき、緊張しているのかもしれない。
「リュカ、大丈夫だからね」
少しだけ、扉を開けて覗き込む。指を差し出すと、リュカはチュッと鼻を押しつけてきた。
可愛い。
頭を優しく撫で、扉を閉める。
城までは近いので、リュカの様子を窺っているだけであっという間につく。
馬車の扉が開く。
タラップを降りると、アステール様が出迎えに来てくれていた。
「アステール様」
「スピカ、待っていたよ。そのドレス、初めて見るけど可愛いね。よく似合ってる」
「ありがとうございます」
さらりと褒め言葉を口にするアステール様。そんな彼が着ているのは、王子として相応しい豪奢なジュストコールだった。
白地に金という色合いは、彼に良く似合っている。
彼は私が持っているキャリーケースに気づくと、さっと手を伸ばし奪い取った。
「あ」
「私が持つよ。スピカには重いだろう?」
「いえ……私は大丈夫ですけど」
「いいから。……リュカ、私でも構わないだろう?」
キャリーケースの中を覗き込むアステール様。
彼に気づいたリュカが元気よく返事をした。
「なー!」
「ほら、私でもいいって言ってる」
「もう……分かりました。アステール様にお願いします」
適当なことを言うアステール様がおかしくて、笑ってしまう。些細なやり取りがとても楽しかった。
アステール様の案内で、城の中を歩く。
廊下ではアステール様に気づいた面々が立ち止まり、頭を下げていた。その中を気にした様子もなくアステール様が歩いて行く。
普段はあまり気にならないのだけれど、こういう時、アステール様が王国の第一王子、王太子であることを実感する。
「ノヴァも大分、猫たちになれたみたいだよ」
歩きながら話すのは、ノヴァ王子と子猫たちのことだ。
アステール様はノヴァ王子が今日までの間、一生懸命猫たちと向き合っていた話をしてくれた。
「一匹、噛み癖のある子がいるんだけどね。ほら、灰色の女の子。結構囓られているのに我慢して、好きにさせてやっているんだ。あのノヴァが嘘みたいだよ」
「噛み癖……それは大変ですね。私の家にいた時にはそんな様子はなかったんですけど」
皆、良い子だった。
だけど考えてみれば、住む環境が変わり、兄猫と引き離されたのだ。
ストレスはあるだろうし、それが噛むという行動に繋がっている可能性は十分にあると思えた。
「成長するうちに落ち着くと良いんですけど」
「本当にね。もうノヴァの腕は傷だらけだよ。昨夜なんて、足首を囓られたらしく、悲鳴が聞こえていたんだ」
「まあ……」
それはなんとも気の毒としか言いようがない。
リュカもたまに噛みはするが、頻繁ではないし、最近では手加減を覚えてくれた。
甘噛みで抑えてくれることが増えたのだ。
猫に噛まれるのは意外と痛いと知っているだけに、ノヴァ王子が苦労していることはよく分かった。
怒りたいのに怒れない。きっと彼もそういう気持ちなのだろう。
きゅるるんという顔でこちらを見てくる猫を叱れる飼い主がいるのなら見てみたい。
あの、自分は悪くありませんよという顔をする猫の可愛さは筆舌に尽くしがたいものがあるのだ。それが自分の飼い猫ならなおさら。
こんな可愛い生き物を叱れるか。いくらでも噛むがいいという気持ちになってしまう。
ノヴァ王子の奮闘を聞きながら、歩を進める。
やってきたのは、私が入ったことのない部屋だ。
「もしかして、ここがノヴァ王子のお部屋、ですか?」
「うん。あ、大丈夫だから。直接呼んで良いと、ノヴァには言われてる」
「……そう、ですか」
婚約期間が長いので、アステール様の部屋なら何度かお邪魔したしたことがあるが、さすがにノヴァ王子の部屋は初めてだ。
アステール様と一緒にいるので妙な誤解はされないと思うけれど、男の人の部屋に入るというのはそれなりに緊張する。
アステール様が扉をノックする。
「ノヴァ。私だけど」
しばらくして、扉が開いた。だが、その隙間は五センチほどしかない。
「……兄上と義姉上か。悪いが、隙間から入って来てくれ。一応、今は扉の近くにはいないけど、万が一がないとも限らないから」
脱走防止だと気づき、頷く。
まずはアステール様が、次に私がギリギリの隙間に身体を滑り込ませた。
幸いなことに子猫たちが逃げた様子はない。
ノヴァ王子の部屋はすっきりとしていて、殆ど物が置かれていなかった。
前世でいうところのモデルルームみたいな感じ。
生活感がないと言えば良いのだろうか。
そしてこれが一番肝心なのだけれど、いるはずの子猫たちがいなかった。