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九話

 真岡は、日課となりつつあったサイド探偵事務所への電話をサボっていた。


 三日ほど続けて電話してみたものの、張り込みのせいか留守電になってしまうのだ。


 道祖土と会えないことはどうでもよくて、モモネに会えないことが問題だった。あと一回だけ会えれば、漫画を探す依頼を出せそうな気がするのだ。それくらい距離が縮まっている手応えがあった。前回、家の近くまで送り届けたときに連絡先を聞いておくんだったと後悔し始めたのは、浮気調査から一週間ほど経ったときのことである。


「まずいな」


 真岡は起床してすぐに対策を考え出していた。日に日に焦りが募り、論文も書けなくなっていたのだ。採用通知のことが気になってしかたない。


 真岡が身支度を調えながらとりあえず大学へ行こうとしていると、宅配とか新聞の勧誘などでうるさくなる呼び鈴が鳴った。


「なんだぁ?」


 あまり良い思い出のない呼び鈴を不審に感じながら玄関の扉を開けた。


「お、おはようございます」


 小さな紙袋を持ったモモネが立っていた。


「え、おはよう。なんで? ああ、え、なんで?」


 真岡の居場所を教えたことはないから、匂いを辿ってきたのだと納得しかけて、なぜ匂いを追いかけてきたのかとさらに疑問が湧き出てくる。


「この前のお礼をしたくて。その、つまらないものですけど」


 そういってモモネは、紙袋から六角形の箱を取り出した。


「日本橋で買ってきました。地元の銘菓です」

「あ、そうなんだ。わざわざありがとう」

「それじゃ、失礼します」


 受け取ったお菓子を見て、真岡は決断を迫られていた。ここでモモネを逃がしては、いつ会えるかもわからない。それでまた悩むと予想できた。一週間も悶々と過ごしたことで精神を削られたことも影響していた。


「あ、あがってく?」


 とっさに出た言葉に、真岡はやらかしたと焦る。


 部屋はとてもではないが、人を招き入れられるような状態ではなかったのだ。年頃の女性なら、一歩入っただけで気を変えると思った。


「そ、そうですね。少しだけお邪魔します」


 モモネは恥ずかしそうに真岡の申し出を受けいれる。

 なんでだ、と誘った真岡のほうが驚いた。


 信頼されているのか、モモネの警戒心が低いのかと悩みながら、お菓子を抱えながら部屋に散らばった書籍のコピーや研究データのコピーを拾い集めてクリアファイルへと押し込む。脱ぎ散らかした衣服を拾ってはランドリーバッグへ叩き込んで、布団を畳んだ。埃が舞っていることに気づいて急いで窓を開ける。


 真岡の後ろで、モモネは物珍しそうに部屋を見回していた。


「ご、ごめんね散らかってて」

「いえ、ネズミやゴキブリはいないみたいですから」

「そ、そうなの?」


 モモネはさっそく鼻の力をみせる。人の家に生息する動物や虫を探知して、安心できる場所であると断定したのだ。


 真岡もこのアパートへ越してからというものネズミやゴキブリとは縁がなかった。


「あ、どこでも座っていいからね」

「はい、失礼します」


 真岡は、掃除機も掛けていない畳の上にモモネを座らせるのが申し訳なく思う。


「えーと、さっそく開けてもいいかな?」

「はい」


 真岡が六角形の紙の箱を開けると、真四角の平べったい紙の包みが現れた。一つ取り、包みを開けると小さなどら焼きに似た生菓子がでてくる。一口で食べてみると、皮の甘さはそんなに強くなく、粒あんを引き立てていた。とにかく柔らかい菓子だった。


「うーむ、お茶が欲しくなるね」

「ですね」


 モモネは真岡を正面から見て、少しだけ眉間にしわを寄せた。


「どうかした?」

「あの、真岡さんから血の臭いがします。それもいろんな種類の」

「あー、やっぱりわかるんだ」


 真岡の専攻は獣医学の病理学だった。研修として動物病院を見て回り、腫瘍の摘出などにも参加したことがある。血が付くのは衣服であり、ゴム手袋であったりするし、すぐに洗い流していた。それでもモモネの嗅覚を持ってすれば、真岡が触れてきた匂いを嗅ぎ当てることができるのだ。


「大学で獣医になるための勉強をしてるんだ。病理学って分野なんだけど、動物の手術に立ち会ったり、死んでしまった動物の検死だってする」

「なぜ獣医を?」


 久しく聞かれたことのない質問だった。獣医を志望する人間ばかりが集まっている場所では、獣医になる理由なんていちいち気にされることはなかった。なれる者だけなるという厳しい世界なので、他人の志なんて気にも留められない。真岡が最後に獣医になりたい理由を語ったのは、高校の進路指導のときだった。


「子供の頃、愛犬を交通事故で亡くしてね。リードをしっかり持っていなかった俺の責任でもあるんだけど、子供ながらに愛犬を助けたくて救急車や警察に電話をしたんだ。でも、犬って助けるべき命じゃないんだ。彼らには命があるのに法律では物という扱いになっている。それが悔しくて、獣医を目指した」


「目指した、とはどういうことですか?」

「今は動物の命を救うことより、別のことが気になってるんだ。神獣学っていう新しい学問なんだけど」


 辛い過去があって、それを克服するという理想だけで生きていくことができなかった。新しい学問、興味や関心をかき立てられる世界へ飛び込むことに変遷したのだ。


「神獣学」


 モモネは眉間のしわをさらに険しいものにする。

 真岡は、てっきり一貫性のないことに対して顰蹙を買ったのだと思った。


「あ、そうそう。モモネには頼みたいことがあったんだ。道祖土さんは引き受けてくれなかったけど漫画を探して欲しいんだ」

「ああ、漫画ですか。いいですよ。匂いさえ教えてくれれば」


 呆れたような顔をしつつも、モモネは引き受ける気だった。


「このシリーズの漫画なんだけど、あ、探して欲しいのは漫画に挟んである書類なんだ」

「漫画に書類?」


 真岡の説明で、モモネの顔が疑念に歪む。


「そうなんだ。来年から務める研究所の採用通知っていう大事な書類なんだけど、それを漫画に挟んだままなくしたんだ」

「うーん、漫画だけでは探しようがないです。その書類の匂いが欲しいですね。それと、少し整理整頓を心がけた方がよいと思います」

「返す言葉もない」


 真岡は説明しつつ、採用通知の匂いのヒントになるものを探した。さきほど乱雑に紙束を押し込んだファイルの中から、封を切った封筒を見つけた。


「これだ。この封筒に入っていた書類なんだけど」


 真岡がモモネに封筒を渡す。

 モモネは封筒の差出人を見て顔色を変えた。


「ごめんなさい。引き受けられません」

「え? なんで?」

「助けてくれてありがとうございました。これで失礼します」

「あ、ちょっと! 待って!」


 真岡が引き留めるも、モモネは一顧だにせず玄関で靴を履いて出て行った。


「なんで怒り出したんだ?」


 真岡は、モモネに渡した封筒を見て知らず知らずのうちに犯した失態の反省をする。


 封筒の差出人は、神獣学研究所とスタンプがしてあった。

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