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三十三話

 キーボードのタイピングを止めると、真岡の部屋は物音一つしない。


 隣人はいないらしく、生活音が聞こえることはなかった。同棲していた百稲も自宅へ戻っている。外の風も穏やかで、救急車やパトカーの音もしない。福島の山であった騒ぎが、夢だったのではないかとさえ思えた。


 試しにのびをしてみる。折れたあばら骨も穴の開いた腹もなかったことになっていた。


「狐につままれるってこういうことだよな」


 論文を書いていた手でマウスを操り、ネットサーフィンへと移る。


 捜し物、コツと検索をしても出てくるのは占いばかりだった。サイド探偵事務所が検索に現れるが、リンクを踏むとそこは空き地になっている。ホームページはすでに閲覧できなくなっていた。


 採用通知を見つける方法が知りたかった。神獣学は真岡の興味と関心を占領していた。探求したいという衝動が、あの日から冷めることはなかったのだ。もちろん普神とは違うやり方で。


「中平博士も歓迎するって言ってくれたしなぁ」


 真岡は、お世話になった人たちへ一通り電話をしてお礼を言った。そのときに神獣学研究所へ採用が決まっていることを白状したところ、中平は大笑いして喜んだのだ。


「うーん、でもなぁ」


 百稲のことが気になっていた。真岡と百稲は同棲こそしたものの特別な関係にはならなかった。なる余裕はなかったのだ。百稲は四六時中、真剣な顔で白玉のことを考えており、普神への対策をしろと真岡を急かしていた。真岡も和成に釘を刺されたので、百稲とそういう関係になろうとはしなかった。真岡にその気がなかったかというと、そうでもない。


 特に、山中で見た百稲の裸体は美しい姿だったと記憶に焼き付いているのだ。


 神獣学研究所へ行くことで、百稲との関係が悪化することは避けたいとも思っていた。どうにかして研究所への採用を認めてもらう方法はないものかと、真岡は考えていた。


 呼び鈴が鳴る。


「ん、誰だ?」


 真岡は、重くなった腰を上げて久しぶりの来客を確認する。


「はいはい」

「お、お久しぶりです」

「百稲!」


 真岡の沈んでいた気持ちは一気に晴れ渡る。なによりも嬉しい客人だった。


「風邪とかひかなかった?」


 真岡の質問に百稲は少し顔を赤らめる。


「ひきました。なのでお礼に来るのが遅くなり、申し訳ありません」

「いや気にしなくていいよ。百稲には命を助けてもらったようなものだから、お礼なんて」

「あのとき舞を奉納したのは、白玉様の目を見ていたらそうするべきだと思ったからです。なにかを対価にして白玉様が人の命を救うことはありません。間違いなく気まぐれです。助かったのは、真岡さんの運が良かったからです」

「そ、そうなんだ」


 百稲の解釈に共感する部分があった。白玉の目を見ていて、するべきだと思った。真岡もそうだったのだ。真岡がずっと気にしていた愛犬の死を強烈に思い出すことが多く、冷静になって考えると、あの場面で銃口の前に立つ行為が未だに信じられないくらいだった。


「今日は、真岡さんの採用通知を探しに来ました」


 百稲から飛び出した予期せぬ提案に言葉を失った。


「真岡さん?」

「え、いいの?」


 たった一言で、真岡が悩んできたことが一挙に解決してしまい、動揺せずにはいられなかった。目的を失い、先延ばしにしていたタスクが繰り上がる。百稲に交際を申し込むという、選択肢が現れた。


「真岡さんなら悪い神獣学を止めてくれると思いました。白玉様を守るために撃たれる人なんてなかなかいません。そういう人なら、むしろ神獣学をやって欲しいです」

「そ、そうか。認められたみたいで嬉しいよ」

「今から行けますか?」

「あ、ああ。大丈夫。えっと、うん、よし、行こう」


 ふって沸いたチャンス。おそらく人生で最後のチャンスだった。

 真岡は支度を簡単にして、百稲の案内に従う。

 やってきたのは、真岡の通う大学の研究室だった。


「え、ここ?」

「はい。私が入る許可をもらってください」

「わかった」


 自分の所属する研究室にも関わらず、真岡は緊張した。

 扉を開けると、後輩の院生である佐伯と、真岡の担当をする教授の須田がいた。

 眼鏡を掛けた強面は、何度見ても心臓に悪かった。


「真岡! ようやく出てきたな!」


 須田は、真岡を見るなり声を張り上げた。


「はは、どうも。お久しぶりです」

「お久しぶりじゃないだろ! 今までなにやってたんだ?」

「そんなことより教授、少し調査したいことがあるので、この部屋に部外者を入れてもいいですか?」


 真岡は教授の説教には付き合わず、許可取りを優先する。


「なんの調査だ?」

「はい。先日、紛失した採用通知を探すためです」

「は?」

「お叱りはあとで受けます。それがないと、後輩に迷惑が掛かってしまうので、ぜひ許可を下さい」

「わ、わかった」


 爆発寸前の怒りを堪えた須田が、真岡に許可を出した。


「よかった。どうぞ」


 扉を開けて、百稲を入れる。


「失礼します」


 百稲がお辞儀をして研究室へと踏みいる。すぐに目的の匂いを辿って、書類棚の前へやってきた。


「え、そこ?」


 真岡は身に覚えがなかった。採用通知を研究室に持ってきたことがあったのかともう一度記憶を探る。


「はい。棚を開けても構いませんか?」

「ああ、構わんよ」


 百稲は須田へ確認してから棚のガラス戸を開け、一冊の太いバインダーを取り出した。


 それを開くと、資料に挟まれたコミックが現れる。

 須田は呆れたように呟いた。


「漫画?」

「ああああああああああ! そうか! 人類は大事な物を栞にする法則か!」

「真岡?」

「ああ、あった! ありました! 採用通知を栞にして、その漫画も栞にしてたんですね! いやあ、よかった見つかって!」

「真岡あああ!」


 物忘れと捜し物が同時に解決したことで、かつてないアハ体験に感動してる真岡へ、須田が激怒した。


「まずい、百稲ちょっと外で待ってて」

「はい。ごゆっくり」


 それから、真岡は一時間も説明と釈明に追われ、みっちりと絞られた。

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