二十五話
「ようこそ、狐塚へ」
軽自動車を降りた百稲の父、狐塚和成は真岡を歓迎した。
キツネヅカとそのまま読むのに、百稲の苗字はコヅカと読むのだ。
「すごい、パワーを感じる!」
真岡は、百稲の父ではなく、福島県いわき市四倉町狐塚から感じる神の息吹に感動していた。
東京では感じなかった山の神の存在をひしひしと感じるのだ。
何枚もの田が広がる光景に目と魂を奪われている。これから白い狐が住まうとされる山へ行くと考えただけで真岡の興奮は高まってしかたなかった。
「百稲、彼は大丈夫か?」
「は、はい」
「パワーとはなんだ?」
「山の神や田の神から得られるものらしいです」
「彼はまともか?」
「少し変わってるかもしれません」
呆れる親子の前で、燃えないゴミだった真岡にパワーが充電されていく。
これまで感じたことのない生きている感覚を自らの内側に確かめられた。例え今日が地球最後の日であったとしても、真岡は明るくすごせるような気がした。
田の向こうに見えるのは、海底火山の噴火でできた石森山に連なる山々だった。青々とした木々が賑わっている。そこには普神の放った神獣ハンターもいるが、神の遣いである野生の獣もたくさんいるような気がした。
「まぁいい。情報をすり合わせよう。紹介したい人たちもいる」
和成の案内で、真岡は百稲の家へ招待された。
「入ってくれ」
真岡は、三和土の土間に初めて入り、そこからもパワーを感じ取った。家の中まで地面と続いている感覚が初めてだったのだ。
「町長と町民の抗議もあって、普神の狩猟期間は一ヶ月に短縮された。我々が狐を祀っていることを報告したのが功を奏したようだ」
和成が、真岡の来県が早まった理由を述べる。
その間に真岡も登山の準備や論文をやっていた。採用通知だけは未だに見つかっていない。
「よかったんですか?」
これまで明かされなかった秘密の信仰を露見させたようで、真岡は心苦しかった。
「いいんだ。神獣学という学問を避けてきた我々が悪い。早いうちに、かの学会との距離感を定めておくべきだった。君が紹介してくれた中平博士も理解のある人みたいだしな」
真岡は、中平博士に連絡し、百稲の父を紹介した。地元と学会の橋渡しをするついでに、普神の狩猟を妨害する許可を秘密裏にもらったのだ。普神の行動も監視してもらい、福島へ来県するタイミングを事前に教えてもらっていた。
悔やまれるのは、鬼崎の方だった。容疑者はどちらも口を割らず、裁判で状況証拠を突きつけ、偽証罪で揺さぶりを掛ける必要性が出てきたのだ。その結果はまだ出ておらず、普神の行動を犯罪者として止めることはできそうになかった。
「我々の目的は、普神よりも先に白玉様、あー、白い狐様を見つけ出し保護することだ」
白玉様というのは、以前に百稲が口走っていたしらららららである。白い狐は白玉という名前だったのだ。
「こちらでは、その白玉様の所在を把握してないんですか?」
「あいにくな」
和成はそういうと、ソファーのある居間へ真岡を案内する。
作業着姿の男性と山男風の男が数人待っていた。
「彼らが協力してくれる。副自治会長と猟友会の方たちだ」
和成の紹介で真岡を見ると、男たちは黙ったまま会釈した。
「ど、どうも」
真岡も会釈を返す。
「無線機だ。何人かスパイを送り込んである」
ごつごつとした山男の手が、ソファーの前にあるテーブルへトランシーバーを置いた。雑音と一緒に神獣ハンターと思われる人物たちのやりとりが聞こえてくる。猪が出たと言っていた。
猪もまた山の神、あるいは山の神の遣いと呼ばれた動物だった。
「何日か前に白玉様が目撃された。今日は北カベヤの方から大塚まで探すらしい」
「北カベヤ?」
百稲が、猟友会の人の言葉に反応した。
「気になるよな?」
猟友会の人は、百稲の反応に嬉しそうだった。
「うん。北カベヤは狐火の伝説がある場所だから」
狐火と来た。まさに超常の地なのだ。
真岡は神獣学者としてもオカルト研究会のメンバーとしても期待せざるを得なかった。
「ところでカベヤとは、どんな字を書くんですか?」
狐塚という地名がドストレートだったので、カベヤという地名にもなにかあると思ったのだ。
「えっと、神の谷と書きます」
百稲が答えた。
時期としては山の神の遣いになる狐。しかも、狐火が目撃されたのは、神の谷だ。真岡の中で完全にすべてが繋がった。
「神谷! すごい! なんて符号の一致だ!」
地元住民にとってなんてことのない情報に、真岡は一人舞い上がる。
猟友会の苦み走った顔の男たちも呆気にとられた。
「百稲ちゃん。この人はなんなんだ?」
「か、変わった人です」
「変人か?」
「そ、そこまでではないです」
百稲は弁護に苦しんだ。
「さっきから無線で言ってるように猪が出てる。鹿や狐もいる」
「へー、ずいぶんと賑やかですね。元からそんなに生息していたんですか?」
「いや、俺たち猟友会でも、この近辺で山狩りをすることはほとんどない」
「え?」
猟友会の一同が気味の悪そうな顔をする。なにかに怯えていた。
「この当たりは田畑があるけど、人里に動物が来ることはなかった。でも、ここ数日、山を荒らす奴らに合わせて、どこからか動物たちが集まっている。こんなことは初めてだ」
「きっと白玉様だ。白玉様が動物を集めて人間を懲らしめようとしてるんだ」
環境の変化の前触れ。
沈没船から鼠が一番早く逃げ出す話がある。人間には感知できない変化を先に感じ取ることができるという考えだ。
少なくとも猟友会の面々は、そう感じているようだった。
山の神とは、山の動物を支配する存在。古代の人々も、猟友会の人たちのように畏怖したのだろうと、真岡は縄文時代の風俗を懐かしんだ。
「今度は妙に遠い目をしてるぞ?」
「本当に大丈夫か?」
真岡は猟友会の人たちから外来生物のような存在として見られ、百稲は愛想笑いで誤魔化していた。
「作戦を考えてみた」
気を取り直すように和成が話を戻す。
「地図はあるか?」
「は、はい」
真岡は我に返り、事前に用意した福島県の地図を広げた。地図だけでなく磁石や懐中電灯など、研修で培った山の道具はひとしきり揃えつつ、荷物は最低限にしていた。
「狐塚から大塚は遠い。そこで、副自治会長が車を出してくれるので、君らは山の麓まで車で行って、そこから入山してくれ」
和成が、赤い油性ペンで地図へ現在位置と副自治会長の走るルートを書き込んでいく。
「はい」
百稲の話では、地元にはもう白玉様を守ろうなんて気概のある若者はいなかった。残っているのは迷信深い年寄りばかりで、神獣学会という得体の知れないハンターたちの妨害をしようとする物好きはいないのだという。
真岡は別のことを考えていた。猟友会の人たちの怯え方を見て、これは信仰心による畏れだと気づいた。
白玉という存在に好き好んで近づくのは、変人か学者であり、白玉を守る信者くらいのものだった。真岡の見立てでは、本当の信者は百稲の親子くらいだと思った。
「そこからは運になる。普神が見つけるか。君たちが見つけるか、だ。どちらが先に見つけるにせよ、なんとかして白玉様を保護して下山してくれ」
「ええ、任せてください」
真岡は、胸を張って答えた。パワーも充電されつつある。燃えないゴミからリサイクル製品になったくらいの自信に満ちていた。
不安の目が真岡を取り囲む。百稲を除き、真岡の活躍を信じているものはいなかった。
「下山したら副自治会長と合流して、庭渡神社へ来てくれ。私が神事を執り行っているから、お堂の中に白玉様を隠してやり過ごすんだ」
和成が、狐塚の南西にある小山の麓を丸で囲んだ。そこに神社があるのだ。
真岡は、百稲が狐を祀る巫女ということを疑っていた。和成の話を聞いて信じられると思い始める。東京で探偵の助手をしていた百稲も神社に関わる人物なのだ。
「わかりました」
作戦の概要はわかった。白玉を一度隠して、普神を諦めさせるのだ。その間に鬼崎が、普神の犯罪を暴いてくれれば、もう数年は無事に過ごせるはずだった。
「熊だ!」
トランシーバーから猟銃を撃つ音が響いた。
「熊だって! 今まで見たことすらないのに」
「和成さん。百稲ちゃんたちを山へ行かせるのは危ないかもしれない」
猟友会の面々は、一様に不安の色を濃くした目で和成を見やった。
「百稲、どうする?」
「行きます。真岡さんはどうですか?」
百稲は即答した。
「今のって熊撃ちですよね?」
問われた真岡は、猟友会の一人へ尋ねた。
「あ、ああ。そうだな」
「うん、じゃあ大丈夫。滅多に当たらないから」
真岡は猟銃から飛び出る弾の種類を気にしていた。熊撃ちと呼ばれるスラグ弾は、大粒の弾が一発だけ発射される。当たれば致命傷だ。鹿などを打つ散弾と比べれば、命中精度は格段に落ちる。狐を狩るためではなく、猪や熊からの護身用で準備されたものだと考えられた。それならば、人に向けられることはないと思い、真岡も作戦の決行を望んだ。




