十七話
「真岡さんの尊敬する人っていますか?」
「尊敬か。面白い論文書いてるなって思うのは、中平博士かな」
「どんな方ですか?」
「太陽と鳥について調べてる人だ。古代の人類は太陽と鳥を関連づけることが多かった。なんでだろうといって調べてるんだけど、考古学じゃなくて途中から、SFになってるんだ。人は昔、太陽のような大きな鳥に乗ってやってきたとか。いい年してそんな子供みたいなことを論文に書いている人が、研究所の所長になってる。尊敬するよ」
「やっぱり神獣学なんですね」
またもモモネはがっかりする。
「まぁね。モモネはなにか好きなことないのか?」
「私のことはいいんです。私が疑問なのは、尊敬できない人が多すぎるってことなんですよ」
「そりゃそうだ。尊敬できる人に会えるのは、かなり珍しいことだよ。俺だって二十六年生きてきてようやく中平博士のことを知ったくらいだからね」
真岡は、モモネが人間不信に陥っているような気がした。精神の患いは真岡の専門から外れる。手の施しようはなかった。
「真岡さんは、神獣がいると思うんですか?」
「いたらいいよね」
真岡の偽らざる希望だった。
神のごとき存在。あるいは神の遣いとしての存在。地表が衛星写真や航空写真で明らかにされようとも存在し続ける神秘の存在だ。いることを証明するのが難しいからこそ研究のしがいがあるというものだった。その感覚を、悔しいことに普神の依頼で感じてしまい、真岡の神獣学に対する興味は高まるばかりだった。
「なにがいいんですか?」
モモネの言葉が少しずつ冷たさを帯びていく。
「いたら人間の地位が下がるから。人間はもう少し自然に対して謙虚になるんじゃないかな」
「真岡さんは神獣を利用する気なんですね?」
真岡の隣で大吟醸の一升瓶を見つめるモモネの雰囲気は、狐憑きのときを思い出させた。
「そうか。そんな風に受け取られるのか」
自然界で人間からかけ離れて生活している存在を世の中に向けて報告するのは、たしかに迷惑と思われてもしかたない行為だった。
「そこは考え直してみるよ」
「神獣学は諦めませんか?」
「世間に公表しないとしても自分のために神獣の存在は知りたい。これは好奇心だから、死ぬまで治らない。バカと一緒だよ」
己の好奇心を不治の病として捉えていた。
「モモネは、神獣はいないほうがいいの?」
真岡はすかさず切り返した。
「日本の山には神がいると考えない人がいる限り、神獣学は迷惑です」
「山の神か。俺が知ってるのは田の神の遣いとしての狐だな。昔は、狐が田畑を守ってたんだろ?」
オカルト研究会の一年生、田中からの受け売りを披露する。
「田の神は、山の神の春から秋の姿です」
「へ? 神様って名前変わるの?」
「真岡さんの知っている神様は、私の知っている昔ながらの神様とは違うんです」
モモネの言う昔ながらの神という言葉が引っかかった。日本は古来から日本神話の世界観で統一されているものと思っていただけに驚いたのだ。
「神様は姿を持ちませんから」
「いやだって」
なにか反論しようとして、画像検索で見た日本の神々の姿は後代の人間が書いた空想であることを思い出し、神社のご神体などを思い出して様々な姿をしていることに気づいた。
モモネが言っている神は、そのご神体のさらに前の状態だったのだ。
真岡は、突如として想像が広がった。田の神が狐を遣いとしていることから、古代の神は動物とともにあったのではないかと思ったのだ。その証拠と言うわけではないが、日本の英雄ヤマトタケルは、古事記や日本書紀で登場する山の神に、蛇か猪かという違いがあるものの、対峙している。古代の神は、動物の支配者だったと見られていたのだ。それが人里に降りてくる動物を見て、古代の人たちは山の神が降りてきたと捉えた。人間が田畑を始めると、それを手伝うように狐が鼠を捕りだした。ただ厳しいだけの山の神がデレたと思ったとき、山の神は田の神と呼ばれるようになったのではないか。山の神と田の神は、ツンデレのような表裏一体の姿なのではないか。
真岡の頭に論文を執筆できそうな仮説がドバドバとあふれ出す。
「そうか、そういうことだったのか」
古代の日本人のアニミズムに触れられた気がして、真岡は一人で悦に入った。
「あの、真岡さん?」
「ん、ああ、すまない。なんの話だったかな」
「とにかく山の神を信じない人が神獣学をすると迷惑だという話です」
「いや、信じる。今なら信じられる。山の神は、いる!」
季節に応じた動物たちの集団行動に対する畏怖が、神の存在だったのだ。
「し、信じるんですか?」
モモネの疑うような眼差しにたじろぐことはなかった。
「ああ、論文を書きたい。田の神か山の神を感じたい!」
「ええ?」
突然の豹変に、モモネは戸惑う。神獣学に関わる者を一人でも減らそうとする魂胆がなぜか失敗してしまったのだ。
「あれ?」
モモネはさらに驚いた。
モモネたちがいる場所のすぐ近くを殺人犯の女の匂いが移動したのだ。
「前の依頼の犯人は捕まってるはずですよね。どこかに移動したりするんですか?」
人の往来もあるので、モモネは小声で話した。
「あー、どうだろう?」
真岡には心当たりがなかった。
「道祖土さんに聞いてみます」
モモネが店を出てスマートホンを取り出す。
真岡もついていき、外でモモネの用事が済むのを待った。
「もしもし、道祖土さんですか? 今、前の依頼で突き止めた女性の匂いが都内を移動しているのを感じました。今日は、牢屋から出たりする予定があるんでしょうか?」
「あー、検察に出頭することはあると思うが、ちょっと待て。鬼崎! 例のホシは、今日検察に行ったりするか?」
都内のどこかで道祖土が鬼崎に尋ねていた。
「そんな予定はないそうだ。だとすると変な話だな」
「そうですか」
「それと誘拐された少年の身元がわかった。ナカヒラチヒロという中学生の男の子だ」
「ナカヒラ?」
モモネが言葉を繰り返し、真岡はすぐに反応した。
「中平だって?」
「わかりました。またあとで連絡します」
モモネが通話を急いで終えると、人気のない場所へ真岡をつれていく。
真岡もなんとなく嫌な予感がしていた。
辺りを見回して聞き耳がないことを確認すると、モモネが口を開いた。
「誘拐されたのはナカヒラチヒロという中学生の男の子です」
「中平」
真岡の中で繋がって欲しくない点がじわじわと線を結んでいく。
「中平博士は、神獣学研究所の所長で普神の強引な調査を止めていると聞いたことがある」
「普神!」
モモネは普神の名を憎々しげに呟いた。
白い狐探しで恨み骨髄に徹していた。
「それで、殺された学術振興会の人も普神の研究に科研費を出し渋っていた」
「殺した女性は誰かに頼まれた可能性が高いという話でした!」
「普神博士が、中平博士への恨みで誘拐をした可能性はある」
「そうです! 殺人犯の女と接触したことがあるとすれば普神しかいません!」
モモネは、真岡の突貫推理を全面肯定した。
「追いましょう! 真岡さん!」
「ああ」
半分はモモネの気迫に押されてのことだった。もう半分は、神獣学を汚されたくないという自分の進路のためだった。
真岡の決断にモモネは嬉しそうに笑う。
真岡もまた、モモネの笑顔を見ると嬉しくなった。
モモネが匂いを追って駅へ飛び込み、二人して駆け込み乗車する。
日本橋から渋谷まで追いかけて来た。
「あそこにいる人ですけど、普神ですか?」
依頼中、普神の顔をほとんど見なかったモモネは、真岡を頼った。
ハチ公前にいる人だかりの中で、真岡は普神らしき人物を見つけられなかった。
「普神博士はいない。あれは、だれなんだ?」
真岡の推理は盛大に外れる。
得体の知れない男は、スーツを着たサラリーマン風の姿で一人だった。とても誘拐をしたようには思えない。
「とにかく道祖土さんへ連絡します」
モモネは、誘拐犯らしき人物を見つけたと報告する。
数十分ほど経って、道祖土と鬼崎が現れた。
「どの男だ?」
「ちょどハチ公の前にいるスーツの姿の中年男性です」
道祖土の質問にモモネが答える。
「鬼崎です。ハチ公前に不審な男を発見、職務質問してみます」
言うが早いか、鬼崎はスマートホンから伸びたイヤホンマイクに話しかけ、行動を開始した。
「お前はモモネの近くにいろ」
道祖土がそう言い残して鬼崎の後を追った。
真岡は、駅前の交番近くで留守番を任された。
スクランブル交差点でごった返す渋谷駅の人混み。街頭ビジョンから流れるプロモーション映像。人の波や雑音に一切惑わされることなく、モモネの目はまっすぐに誘拐犯らしき男へ向けられている。
真岡は犯人逮捕の瞬間よりも、先ほど開眼したアニミズムで東京の一画を眺めていた。
人間だけの空間。動物と言えばハチ公くらいだった。白い狐探しで得た情報が脳裏をよぎる。調布や世田谷には狐がいない。狸やハクビシンによる獣害はあれど、動物と人間が共存する社会は完全に破壊されていた。神のやってこない都。華やかであっても幸せそうではない。群衆を見る警察官の目は厳しく、道を行く人々の顔からは電源が落ちている。スイッチが入れば人間として活動するのだろうけど、オンとオフで区切らなければやっていけない生活など不自然でしかたなかった。
今の東京に田の神はいない。
山の神は愛想を尽かした。
真岡は息苦しさの正体を見たのだ。
人間には神が必要だ。神の遣いたる獣を見なければならない。
神を感じ、自然を吸収するべきだった。自然な人間へ戻るために。
「そうか。山口さんのいうパワーってこれのことか」
パワースポッターがなにを感じ取っているのか、ようやく理解できた。
「あ」
モモネの小さな叫びで、真岡はパワーのない現実に引き戻された。
「待て!」
道祖土の鋭い声が耳に飛び込む。
犯人らしきスーツの男が、鬼崎と道祖土から逃げ出していた。
「こ、こっちに来ます」
「と、とりあえず追いかけて場所だけ把握しよう」
誘拐をするような凶悪犯と正面からぶつかる気など起きなかった。
幸い、犯人は道祖土と鬼崎だけが追いかけていると認識しており、真岡やモモネなど眼中にない。
「そ、そうですね」
二人は、こっそりと追いかけることにした。




