十六話
それから数日間は、部屋を片付けた。とにかく片付けた。
サイド探偵事務所との関わりを断ち、部屋の隅々まで採用通知を探した。
結果は、なかった。
棚に並べられた全巻そろえたはずの漫画が、一冊だけ見あたらない。これで漫画を部屋の外に持ち出したことが確定した。
その持ち出した方法もおおよそ二つに絞られる。
真岡が持ち出して、それをど忘れしている可能性と誤ってゴミとして捨ててしまった可能性だ。ゴミに出した場合は、もうどうにもならない。ど忘れの場合は、極めて望みは薄いものの、まだなんとかなりそうだった。当面はそちらの方向性で捜索していくとして、最悪の場合を考えなければならなかった。
「研究所へ正直に言うべきか?」
その方が早い気がしてきた。事情を説明すれば、許してもらえるのではないかと思った。
これから社会人になろうかという人間が、大事な採用通知を漫画に挟んで紛失しましたと言う場面を想像して、静かな胃痛を感じ始める。
「いや、それはまた今度にしよう」
真岡は、恐ろしい現実に尻込みしてネットサーフィンへ逃げ込むことにした。
ニュースサイトをぶらついていると、世の中の事件が目に付いた。セクハラ、虐待、交通事故。毎日誰かが悲しい目に遭っていて、毎日誰かしら悪いことをしている。その誰かしらの中に獣医学会があった。真岡の理想と違う金権にまみれた社会だ。
そんなことを考えていると、社会に出るのが自然と憂鬱になる。明日がつまらなく感じるような暗い未来に見えてきた。
「そういえば」
ふと、道祖土が張り込みをしている事件の顛末が気になった。サイド探偵事務所で関わった中でも大きな事件だったこともある。新宿やラブホテルという単語を探して東京都のニュースを漁った。
「あ」
見出しは、大東亜学術振興会員の殺人犯逮捕、だった。
さっそくニュースを見ると、十時紫織という二十六歳の女性が犯人として逮捕されている。
「俺と同い年か」
なんとなくだが、嫌な気分になった。その女性が世の中の二十六歳の代表ではないのに、二十六歳に向けられる視線が厳しくなるような気がするのだ。真岡は冷静に考え直し、単なる被害妄想だと片付けた。
「それで動機はなんだ?」
容疑者は黙秘を貫いており、動機は不明ということになっていた。
「気になる」
真岡にとって大東亜学術振興会員が狙われた理由だけは知っておきたかった。捜査の進展を待つ以外に、もう一つの手段があった。
真岡は、サイド探偵事務所へ電話をした。
「はい、サイド探偵事務所です」
「あ、真岡です」
「おう、真岡か」
「ニュースで見たんですが、前回の依頼で探した人捕まったんですか?」
「そうだ。依頼人が礼を言いたいと今日来ることになってるんだが、お前、来れるか?」
「え」
行こうと思えば行けた。
モモネに会うのが気まずかった。
しばし黙考するも、真相が知りたいという欲が勝った。
「行けます」
「そうか。待ってるぞ」
嬉しそうな道祖土の声が、耳に痛い。
通話を切り、溜め息を吐いた。
「はぁ、今日こそ最後だ」
真岡は、身支度を済ませて見違えた部屋を見渡した。
「悪いことばかりじゃないんだな」
部屋の片付けなんてまったく頭の片隅にもなかった人間としては、ずいぶんと成長した気がした。
サイド探偵事務所へ行くと、モモネがすでにいた。
モモネも真岡の出現に驚いたらしく、それから慌てて目元を険しくした。
「どうも」
その厳しい視線に真岡は挨拶をした。
インターホンが鳴り、道祖土が出る。
「そろそろ来るぞ」
頬がゆるみっぱなしの道祖土が、今か今かと来客者を待ちわびていた。
「失礼します」
ノックの後に、スーツ姿の男が入ってきた。
真岡と同じくらいの若い男だった。
緊張感を湛えた司法の番人だ。
「サイド探偵事務所の皆さん、この度は捜査へ協力していただき、ありがとうございました」
開口一番、礼を言って直角に腰を曲げる。
礼を言うためだけにやってきたと全身で表していた。
「俺の後輩の鬼崎だ。いい男だろ?」
「やめてください、先輩。こっちは真面目にお礼を言っているんですから」
道祖土の後輩とは思えないしっかりした人だった。
「なに、俺たちは依頼をこなしただけだ」
「依頼?」
鬼崎が不思議そうな顔をする。
「あ、いや、なんでもない」
道祖土はすぐに誤魔化した。
真岡は合点がいく。警察が探偵に依頼を出すなんておかしいと思っていた。
あの日支払われた報酬は、道祖土のポケットマネーから出ていたのだ。
「あの、その事件のことで一つ聞きたいことがあります」
真岡が小さく挙手をする。
「ああ、答えられることなら答えよう」
「ネットのニュースでは、犯人の動機は不明とありましたけど、なにかわかりました?」
「ああ、動機か。それはまだ捜査中で詳しいことはわかってない。ずっと黙ってるからね」
「そうですか」
「君は被害者となにか関係が?」
「直接はありません。ただ、私のような学者予備軍でもお世話になる組織の方だったので」
「そういうことか。これはあくまで個人の見解だけど、彼女が殺さなければならなかった理由は、ほとんど見あたらない」
鬼崎は自信を持って答えていた。
上司の意向にイヤイヤ従って被害者の周辺を地道に洗い出したところ、女性から恨みを買う情報を得られなかったからだ。
「おい、まさか誰かに依頼されたってのか?」
「はい。共犯者がいる可能性があります」
道祖土と鬼崎は、小さなオフィスで小難しい顔をつきあわせた。
真岡は言いたかった。ここは警察じゃないですよ、と。
鬼崎のスマートホンが鳴った。
「すいません」
鬼崎がスマートホンを素早くチェックする。顔色がすぐに変わった。
「これで失礼します。別件が発生しました」
「テロか? 誘拐か?」
道祖土が、一般人にはすんなりと出てこない二つの可能性をあげた。
「誘拐です。犯人が中学生の男子を連れて逃走中だそうです」
「え、いいんですか? 一般人に喋って?」
「俺は不良警官だからね。こうして一人で出歩くのもダメなんだ」
鬼崎がにやりと悪人面になる。
真岡は、前に抱いたイメージを訂正した。やはり道祖土の後輩だった。
「それじゃ、失礼します」
鬼崎は深々と頭を下げると、レンタルオフィスから出て行った。
「俺も出るぞ」
道祖土が慌ただしく外出の準備を始めた。
「お前は、念のためモモネを家に送ってくれ」
固定電話を留守電に変えながら真岡は頼まれた。
「さぁ、出てった出てった。オフィスを閉めるぞ」
真岡は、もうサイド探偵事務所と関わり合いたくなかったので、その頼みは幸いだった。また誘拐犯捜しを手伝えなんて言われてはたまったものではないのだ。
真岡とモモネは道祖土に追い出されて、モモネの家に向かって歩いた。まだまだ日は高く、オフにするにはもったいなかった。
真岡は、このあと大学へいってオカルト研究会にでも顔を出そうかと考えていた。
「真岡さん、このあと時間はありますか?」
「んあ?」
仏頂面のモモネから誘いの言葉が出るとは思ってもいなかった。
「どうなんですか?」
「まぁ、暇だけど」
「新しい音楽を用意してくれたお礼と酔ったときのお礼を合わせてしたいので、付き合ってください」
若干キレ気味のお誘いだった。
モモネの中で、真岡から遠ざかりたい本心と義理人情を重んじる理性がせめぎ合っていた。
「ああ、いいよ」
なにがなんでも筋を通そうとするモモネには、畏敬の念すら感じた。真岡はそこまでして自分の中のルールを守ったことがなかった。
「では、日本橋まで行きます」
「ついてくよ」
モモネは憮然として前を向いた。
「ありがとうございます」
真岡は、拗ねたような物言いを不覚にも可愛いと思った。
モモネに案内されてやってきたのは、日本橋にある福島のサテライトショップだった。以前もらったおみやげも店頭に並んでいる。
「モモネは福島の出身なんだ」
「余計な詮索はいいので、欲しい物を二つ選んでください。プレゼントしますから」
「うーん、色々あるなぁ」
ここ最近の悩みとは違うことに脳を使っていた。頭が軽くなったような気分になり、真岡は自然と物色を楽しんでいた。
「モモネのオススメは?」
「ソースカツ丼」
「そ」
真岡は、総菜屋にでもありそうな特産品に思わず言葉を失った。
「どこにあるの?」
「ここにはありません」
地元民ならではの推しの一品を食べてみたいと思ったので、モモネのちょっとした意地悪も許せた。
「そうか。残念だ」
「すいません」
なぜかモモネが謝った。
真岡が他の特産品の中からお礼の品を二つ選んでいると、モモネが真岡の服の裾を引っ張った。
「ん?」
「迷惑だと言っておきながら虫のいい話なんですが、少し話を聞いてください」
「別にいいけど」
確かに虫が良すぎる話だった。ただ、これまで多くを語らなかったモモネの口から出てくる言葉には興味があったのだ。
「東京に出てきて、探偵事務所のバイトを初めてから人間の嫌な部分をたくさん見ました。世の中の人は、なぜこういう状態に平然としていられるんですか?」
「とりわけ東京は人が多いからね。嫌な人や悪い人も多くなるさ。少なくとも東京の人は、そういう人をうまく避けてるだけだと思うよ。人はなかなか変わらないから」
「でも、真岡さんは変わりました」
「俺も避けただけ」
モモネは、真岡の言葉に落胆を隠さなかった。




