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ワイズブレット  作者: 槙弘樹
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エピローグ

  エピローグ


 悄然と立ちすくむ雪崇は、ふと複数の足音に気がついて、我に返った。

 ツツジの茂みの向こう、雑木林の方から葉擦れの音と共に何かが近付いてくる。

 待っていると、ボロボロになった素芹子とヴァシリーサ、そしてリティーナが、三人四脚のように肩を貸し合って現われた。


 間違いなく、彼女たちの姿だった。

「お――」

 口を開きかけた雪崇は、途中で言葉を放棄し、とにかく全速力で駆け出した。

 途中、もはや無用の長物となった右腕のギプスと包帯を放り捨てる。

 寸前で少し勢いを落として、そのまま三人まとめて抱きしめた。


「良かった……ナインライヴスが大丈夫みたいなこと言ってはいたけど……マジで生きてるんだよな? ヴァシリーサも、リティーナも平気なんだな? ほんとに、傷とか残ってないよな」

「まあ、本当に死人が出るようなら、泪姐さんが今朝の段階で帰るわけないしね」

 そう返してくる素芹子は、三人のなかで比較的まともな状態を維持していた。


 少なくとも、チーズのかわりに鮮血でフォンデュにされたようなヴァシリーサとは比べるべくもない。着衣に土や芝の切れ端らしきものが付着している他は、髪がやや乱れている程度だった。

「そっか」雪崇はハッとする。「ケンシのこと警告してくれたのもあの人だったな」

「昨夜の時点でひとりだけ契約完了させて、こうなることは大筋見通してたんでしょうね」


「でもお前、あの人を戦力に含めてもスレイヤーには勝てないって……」

「仮に同行を願ったとしても、彼女は一切手を出さなかったでしょう。どっちにしても戦力としては計算できなかったはずよ」

 確かにそういう解釈なら、〝パワーバランスが崩壊する〟という本人の弁にも納得がいく。


 つまり、ギフトを得た彼女は、自騎単独でスレイヤーを打倒し得るだけの力を得ていたのだ。

 しかし、日吉泪に依存して問題を解決した場合、正当な相続者である人間にナインライヴスが継承されなくなる。雪崇は命をかける動機とシチュエーションを失う。

 すなわち雪崇に遺産を継がせるため、彼女はその義理を重んじて退いたのだろう。


「正しく向き合えたなら、みんなで生還できるって知ってたんだな、あの人は。それで……」

「そういう人よ。厳しいけど、いつも本当に為になることを考えてくれてる」

「そっか」

 だが、下手を踏めば生きて戻らない状況だった。


 そこへ身内の幼子を送り込んで、自分はただ信じて帰りを待つ。

 どんな胆力があれば、そんなプレッシャーに耐えられるのだろう。

 俺には無理だな、と考えつつ雪崇は改めて日吉泪という人物を思った。


「それより、雪崇君。ヴァシリーサさんだよ」

 待ちきれない、といった様子でリティーナが叫んだ。大きな瞳をきらきらさせて続ける。

「ヴァシリーサさん、大丈夫だったの。一度、死んじゃったのに! 私が飛ばされちゃった時、誰に起こしてもらったと思う? ヴァシリーサさんだったんだよ。すごいでしょ」


「ああ」

 雪崇は答えながら、静かにその話題の主と視線を合わせた。真っ直ぐに見つめ返してくる彼女は、憑きものが落ちたような穏やかな表情を浮かべている。

「そうだ、雪崇君は? 雪崇君、大丈夫だったの? その、右手――」

 投げかけられたリティーナの言葉で、無言の語らいは自然と終わりを迎えた。


「これか」と、雪崇は自分の右腕に視線を移して答える。

「なんか普通に動くし、全然痛くないんだ。ナインライヴスの奴が今回に限って、オマケで治してくれたってことだと思うけど」

「初回限定特典ってとこね」素芹子が少し悪戯っぽく言った。


「ギフトの、か?」言って、少し考えた。

 契約うんぬんもそうだが、とにかく無我夢中だった。そのせいであまり実感が沸かない。

「気付いたらそうなってたって言うか……俺たちもこれで、飛んでくる銃弾を止めたり、触らずに人間をぶっ飛ばしたりできるのかね、本当に」


「クーリングオフが効かないのなら、そういうことになるのでしょうね。おそらく」

 そう言うヴァシリーサ自身、まだ状況を完全に把握できているわけではなさそうだった。

 雪崇は思わず、広げた自分の掌に目を落とした。異能を得た証として身体のどこかに輝く紋章が浮き上がったり、契約の神器を授かったということもない。


 ただ、頭の中で自問自答していたら、〝お前は今日から超能力者だ〟と一方的に宣言された。要約するならそんな話である。

 冷静に考えれば精神病の域だ。肩の傷が消え失せ、死人が立ち上がってきたという現実がなければ、今頃カウンセラーを探しはじめていたことだろう。


「それで思い出した」雪崇は顔を上げて言った。「ブレットタイムは体外にまで範囲を広げたら、他の契約者(ギフテッド)に感知されるって話だったよな。――なのにスレイヤーは、なんでケンシの気配に気付かなかったんだ?」

「それは」と素芹子が口を開いた。「彼に与えられたユニークギフトの恩恵みたいね。相手に五感で直接認識されない限り、何をしても感知されない効果があるんだそうよ」


 それで、雪崇は十歳の少女を見上げた。「お前――ケンシと戦ってたんだな」

 日吉泪のヒントから、唯一この場で素芹子だけが、彼の存在に行き着いたのだ。

「ここで奴と会ってしまったら、俺がショックを受けると思ったからか……?」

「制止に失敗して殺されても、その時点でナインライヴスの契約が完成したわけだしね。賭けには違いなかったけど、どちらに転んでも利のある勝負だった。そんなに大した話じゃないのよ」


 聞きながら、雪崇は泣きそうになった。顔を隠す意味も含めて、自分より背丈のある少女を思い切り抱き締めた。苦しいと言われても、容赦するつもりは全くなかった。この子は、雪崇の中にある「播谷ケンシ」という友達の肖像を守るためだけに戦ってくれたのだ。

「お前、優し過ぎるにもほどがあるだろ、馬鹿野郎。俺なんざのために何度も命賭けて……。十歳の女の子なんかにマジで惚れちまったら、俺の人生どうなると思ってんだ」


侠気(おとこぎ)に惚れるなら、相手がいくつでも問題はないはずよ」

「日吉って連中は、揃いも揃って本当に――」

 その時、雪崇は周囲がにわかに騒がしくなったことに気付いた。

 雪崇たちを呼びながら近づいてくる、複数の声と気配がある。


 凍てついた時の中に封じられていた護衛たちが、今更ながら異変に気付いたのだ。彼らは事の顛末はおろか、スレイヤーがこの場に来たことすら知らずに終戦を迎えたのである。

「ひとまず、終わったみたいですね」

 忙しく飛び交う無線通信に応じつつ、頬に乾いた血の跡を残したヴァシリーサがつぶやいた。


「だな」雪崇は同意した。「色々、終わって――変わった」

 もう、決して元には戻らない。

「……ナインライヴス、ですか」

 ヴァシリーサのそのつぶやきで、改めて考えさせられることがあった。


 雪崇は未だ、スレイヤーを退けたのはあくまで両親や祖父母、そして自分を支えてくれた三人の少女たちの力だと信じていた。事実はどうあれ、精神的には最後まで九尾の異能に頼ったつもりはない。

 だがその一方で、全員がこうして生還できたのが、授けられた三つのギフトの恩恵、その賜物(たまもの)であることは否定できないことだった。


 ナインライヴスの九つの尾、それぞれに宿る生命。

 その共有(シェア)こそが、縁者(エニシ)に与えられたもうたユニークギフトの一つ。

 ――今、雪崇たちはそのことを知っている。


 雪崇、リティーナ、ヴァシリーサ、そして日吉素芹子とるい

 五人が生まれながらに持つ五つを差し引き、残り四つの生命を、バックアップとして得る。正確には、収束して死という値をとるべき固有関数に、四度まで干渉できる権限の獲得。素芹子が翻訳してくれた、あくまで喩えとしての原理説明ではそうらしいが――


 ともかく、五人は四回まで寿命以外の死因を忌避できる、という理解で良いのだろう。

「四つのバックアップは最長でも三ヶ月前後で回復するんだろ? 随分とお得な保険だよな」

「こんな異能が野放しにされるとも思えません」ヴァシリーサが、口々に雪崇の楽観を打ち砕きにかかる。「一概に安心とも言い切れないでしょう」


 だが、その論に一理あるのは事実だった。

 なぜなら第二のギフトである無効化能力は、四度の蘇生を約束する第一ユニークの効果まで打ち消してしまう。今日のケースでも、種を埋め込まれたと同時に撃たれたら雪崇はどちらかを防げず、真の死を迎えていた可能性もあった。


「特性を知ってれば、攻略は簡単なのよ」素芹子は両目を瞑って肩をすくめた。「これで泪姐さんは手がつけられない本物のバケモノになったけど、ヘタレの雪崇やお人好しのリティーナには付け入る隙が幾らでもある。一番弱い奴に四度王手(チェック)かければ、泪姐さんや私からもバックアップの恩恵を奪えるんだから。分散しただけリスク管理は難しくなるでしょうね」


 その指摘に、雪崇は黙って考え込んだ。「ブレットタイムは強力だが、息ができなくなっても、食えなくなってもお前は死ぬ」。去り際に投げられたケンシの言葉が蘇った。

 毎日の食事に感知の困難な毒を混入する、分厚い鉄の部屋に閉じ込めて空気を抜く。人質を取る。自殺に追い込む……。一般人にすら、相馬雪崇を殺す手段はまだ幾つもある。


 ギフトは頼れる保険である一方、こちらが無策だと研究されて容易に攻略を許してしまうだろう。四回死ねるという特典は、言われるように思ったほどの楽観を許してくれるものではないのかもしれなかった。

 ――女の子たちはそれぞれ一度までなら致命傷を治せる。

 でも、俺は一度すら許されない。


 それくらいの認識でちょうど良いのだろう、と考えて雪崇は軽くんだ。

 そもそも、バックアップのことを考えて飛ぶ鉄砲玉の話など聞いたことがない。

 自分が仕留める気でいく。弾丸とは、本来そうしたものだ。


「雪崇様」

 呼ぶ声に顔を向ければ、駆けつけた護衛たちに付き添われ、三人の少女たちが引き揚げの準備をはじめている。「おう」と声だけ返し、雪崇は独り振り返って空を仰いだ。

 頭上には、来たとき仰いだそのままの、澄み渡った蒼穹が広がっていた。

 西日を受けて輪郭を輝かせたはぐれ雲が、高いところをどこか悠然と流れていく。


〝最後まで貫く〟とは、つまり因縁に決着をつけること――

 だが、オレッドは未だ健在であり、アレクサンドルは何らダメージを負ってはいない。

 今日の勝利は、真の終わりではないということだ。

 それでも、いつかその日を迎えなければならない。

 ロジオンの呪縛を次の代に持ち越してはならない。


 あくまで、自分の代で完結させる。それが自分の仕事であり、自分の存在意義なのだと今、雪崇は思う。そのために撃ち出された、最後の弾丸こそが自分なのだ、と。

「雪崇様」

 もう一度、今度は幾分近くから呼ばれ、雪崇は振り向いた。


 いつの間に寄ってきたのか、ヴァシリーサが心無し緊張の面持ちで立っていた。

 少し逡巡するような仕種を見せ、彼女は手首を上におずおずと右腕を伸ばしてくる。

「お預かりしていた物を、お返しします」開かれた手に、ふたつの指輪が並んでいた。「やはり、これはあなたたちにこそ相応しい物だと思いますので」


「――そっか」雪崇は笑顔で受け取り、言った。「正直、お前にこれのことを伝えてもらわなかったら、今日、俺はまともに立っていられたかすら怪しいよ」

「ならば私も、少しはあなたの御役に立てたのでしょうか」

 自分ではとてもそうは思えない。そんな様子で、ヴァシリーサが言った。


 雪崇は笑って答える。両親、祖母、リティーナ、日吉一族。それにヴァシリーサ……

「誰が欠けても、今日のこの結果は得られなかったろうな。役に立ったかって、そんなの立ったに決まってんだろ。なんだ、抱きしめて顔中に熱いチッスの雨でも降らせれば信じるか?」


 ヴァシリーサがなにか返答の口を開きかけた時、先を行っていたリティーナがなかなか動かない主を小走りに迎えに来た。

「雪崇君、どうしたの。ヴァシリーサさんも。帰ろ?」

 小麦色の両手が、雪崇の腕をやさしく取る。


「あいよ」指輪をポケットにしまいながら応じた。「ああ、そうだ。リティーナ、親父が帰ってきた時、料理作って出迎えてやる計画、覚えてるか?」

 ヴァシリーサも一緒に、三人並んで歩き出しながら訊いた。

「うん。もちろん。私、すごく楽しみなんだよ。雪崇君とお料理、うれしいよ」


「メニュー、どんなのが良いと思う? 素芹子とヴァシリーサも招きたいんだよな」

 それで食事を終えたら、みんなを祖母と母の墓前へ案内しよう。

 指輪はその時に渡せばいい。そう思った。


 色んな人に、色んな話をしなければならない。伝えるべきことは山とある。

 命の恩人と御付の護衛を紹介した時、彼等はどんな顔をするだろうか。

 ――あと、ウチの家な。一回、爆弾で吹っ飛んだから。綺麗に補修してあるから分からないだろけど。

 そんな事実の報告は、しかし冗談として軽く聞き流されるだけかもしれない。


 様々な出会いがあり、変化があった。失われたものも多い。

 だが、何より先に伝えなければならない事がある。

 そのための言葉はもう、決めてあった。



〝俺な、生き方を見付けたよ。〟



 きっと、それですべて伝わるだろう。

 そう確信できるのは、切っ掛けとなった名をくれたのが、紛れもなく彼等だからだ。

 生涯渡って強く生き抜くべく。呪縛に捕われぬように。何ものをも貫くように。

 崇の字を託され、生を受けたその日から。


 彼らと、なにより自分自身に。それは約束されていたことなのだろう。





  了

 以上、ワイズブレット(旧題:ココノオ)をお届けした。

 この作品は――少なくとも私の中では――対象年齢を十代に設定した、いわゆるティーン向けライトノヴェルという位置づけである。


 一口にライトノヴェルと言っても、私は水野良の「ロードス島戦記」や小野不由美の「十二国記」などが真っ先にイメージにあがる人間だ。

 児童書というくくりになるが、フィリップ・プルマンの「ライラの冒険」なども印象深い。

 これらの作品群に共通するのは、子ども向けでありながら場合によっては大人の読書にも耐え得る点だ。

 だからだろうか、私も自然と自作に似た性質を求める傾向にある。


 本サイトで主流となっている――いわゆる「なろう系」に親しんだの現代のティーンには大いにギャップを感じさせ、戸惑いを与えてしまうだろう話だろう。

 それは「受け入れられない」の同義語としても多くの場合、成り立つと考えている。

 実際、私はその点に配慮し、作風を流行に寄せる努力もできたはずである。

 だがそれをせずこの作品は執筆され、そして公開された。


 2019年4月末。

 おりしも約30年続いた「平成」が終わり「令和」なる新しい時代を迎えようという――いわば区切りの時期である。

 だが元号のような分かりやすい線引きに関わらず、その気になれば世代や時代、それらがもたらす認識や価値観の断絶など、どこにでも幾らでも見いだせるものだろう。


 大なり小なりギャップは新たに生まれ続け、しかし一方では時間や世代を超え残り続けるものもある。

 もし私の作品から後者に属する何かを見いだしてくれる誰かがいてくれたなら、これに勝る幸せはない。

 この作品を手がけた理由は、ただそれに尽きる。

 再公開にあたっての諸作業の中で、改めて気づかされたことである。


槙弘樹

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