プロローグ1【香忰(かすい)】
宜しくどーぞ。
プロローグ1【香忰】
茫漠と横たわる深淵の闇を一気に切り裂いて、虚空を駆け征く【緋翼のルヴァージュ】の黒い艦体が今、悲壮な絶叫を上げ続けていた。
パックリと抉られたその艦体のあちらこちらから、フレア状に伸びる高温爆圧の暴虐なプラズマジェットの奔流が、猛り狂った悲鳴のように次々と噴き出している。
ブリッジでは、絶え間なく鳴り響くエマージェンシーコールを無視するかのように、副・パイロットAi群が淡々と呪文を唱えるように報告を続けていた。
「右舷後部護法陣第Ⅲ層スラスター内部圧力上昇、慣性制御コントロール不能。融解リミットまで後300メルフォン。護法陣第Ⅳ層外装梗塞祁24祁中16祁に遊乖離脱の可能性あり、再封印括れません」
「先ほどの侵蝕呪詛帯による、駆動系サブエンジン熔解に伴うダメージコンポーネント・レポート入ります。侵蝕エリア、護法陣第Ⅳ層防壁結界まで破られており、対応施術祁6柱消失後、更に状況悪化領域なおも拡大中。残存24柱では、再結界フォローアップ46%を維持する事は不可能。浸食圧係数も急速に上昇しています」
その声に合わせるかのように、岩盤を擦る様な不気味な振動が「ゴリッ、ゴゴッ」と続けざまに艦内に響き渡る。
オレンジ色に鳴動して浮かび上がる、エマージェンシー・コンソールスクリーンを見つめながら、副長であるアディリア連合星系中央経営機構統制部国防議会調査局サミュエル・イスファルト特務佐官補は、褪めた笑みを浮かべていた。
眼前のスクリーンには獲物に絡む蛇の様な呪詛帯が、今まさに艦体を喰い散らし浸食して行く様が映し出されている。
「第四兜率天トゥー・スィタ星系での呪詛帯憑依。思ったより酷過ぎましたね、リディス艦長。このままでは【香忰】の衛星軌道上まで辿り着くのがやっとかと・・・今更ですが戻りますか?」
「フフフ。まぁ、あの執拗い変な多重呪詛帯を退けて、善く此処まで持ったものだよ」
苦労性の副長の声を受け流すかのように、アディリア連合星系中央経営機構統制部国防議会調査局リディス・メルヴィス少佐は沈んだ顔を上げて一瞬呟くと、続けて気丈に指示を繰り出した。
「サミュエル副長、護法陣第Ⅲ層スラスター部は強制投棄だ。本艦はこのまま【香忰】軌道上に進宙する。アーマード・スリットはもう必要ないから外して【香忰】へ降りるぞ」
サミュエル副長は、無駄を承知で敢えて怪訝そうに問いかけてみた。
「リディス艦長、まだ作戦圏内にある第四兜率天トゥー・スィタ星系で網を張っている後続の強行武装調査艦隊と、ランデブーの可能性を探ってみては如何でしょう」
だが、彼女が自分に官名を付けて指示を出す時は、決まって意見具申を許さない事を彼は知っていた。
「ほーんと無駄な事だわ。本艦の重護法防壁もこの浸食度合いだ、しかもあの調査艦隊が今も無事に生き残ってくれていればの話ね・・・その保証は皆無に等しいな」
彼女の発した言葉は、既に冷め切っていた。
「でもね、何も知らないまま罠に掛かったつもりもないわよ、サミュエル。もう刻印浸けられちゃったから、逃げられない。・・・大丈夫、貴男はちゃんと生きて帰してあげるから、心配しないで」
続けて彼女は、酷く明るくきっぱりと言い放つ。
「じゃぁ、よろしくねサミュエル副長」
一転愉快そうに微笑んだ彼女に、サミュエルは空寒さを覚えつつ落胆の意味も込めて軽く敬礼を返すしかなかった。
「やれやれだ・・・」
【中央構造同異体】から奪取した超越科学技術を応用し、最新の護法陣装甲を施された重護法防壁艦でもこの有様だ。
あれだけ酷い目に遭っておきながらも、更に得体の知れない超古代の遺物を探しに封鎖惑星に降りるとは、最早正気の沙汰ではない。
得体の知れない獰猛な肉食巨獣の住む湖に、水着姿で一人清めの沐浴とは恐れ入る。
そう言えば彼女の持つ「不死伝説」も、強ち信じるに足りるのかもしれないな、とサミェルは思わず考え込んでしまう。
「護法札でも貰っておくべきだったかな?」
一瞬、現実と乖離したその不条理な思考の支配を振り切るかのように、彼はフゥっと一呼吸整えると、
ブリッジ各員に指示を伝えた。
「艦長令す。両舷後部護法陣第Ⅲ層スラスター強制投棄。アーマード・スリット全エジェクト後、呪詛帯防壁を艦体核へ結界積層集約展開。進路そのまま【香忰】軌道上に進宙し、強襲降星態勢へ移行する。総員80メルタイ後に、惑星【香忰】でバカンスだ。お宝とやらが眠る湖に飛び込むぞ!」
サミュエルの指示に合わせるように、「ズン」と加速し始めたルヴァージュの武骨な黒い護法陣装甲艦体からは、蛇のように退打つ呪詛帯に浸食された外殻が次々と剥がされ、爆散しながら暗黒の虚空へと吸い込まれてゆく。
やがて、その黒い鎧の下から一際流麗な緋色の艦体核を現した特務巡航艦【ルヴァージュ】は、「六慾天」(ろくよくてん)にある第五化楽天ニェルマーナ・ラーナティ星系、第2惑星【香忰】へと、弧を描き滑る様に墜ちて行った。