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8-4

 

「お綺麗ですよ」

 鏡越しにダイアンの姿を目に侍女は言う。

「そう? 」

 鏡に映った自分の花嫁姿をぼんやりと見ながらダイアンは呟いた。

 細い手足にごく普通の栗色の髪。

 雪のように白いシフォンに泡のように施された金糸の縫い取りのある豪華なヴェールが取り囲んでいる。

 なんだかこうして華やかな衣裳を纏うと余計にその貧相さや平凡さが強調されるような気がする。

 加えて自分でも思うこの生気のなさではまるで人形みたいだ。

 全く心が浮き立たない。

「みんなの方がずっと綺麗なのにな…… 」

 ポツリと呟く。

「そりゃ、比べるほうが無理です。

 ここに集まっているお嬢さんがたは指折りの美人ばかりですからねぇ」

 おかしそうに侍女が笑う。

「でも、その透き通るような肌は誰も持っていませんよ。

 自信を持ってください」

 ヴェールの端を下ろして顔に掛けてくれながら侍女は言った。

「それに、これほど皇妃様のお気に召された方も…… 」

「ん、それはありがたいと思ってる。

 こんなに大切にしてもらって…… 」

 視線を俯かせたままダイアンはこたえた。

 

 

「ディアヌ様、お時間です」

 いつもの侍従が迎えに来る。

「ね、やっぱり、なしってのは…… 」

 宴の行われる広間に向かいながらダイアンは渋る。

「そんなわけにいきますか、今頃。

 往生際の悪いのも大概にして下さいね」

「だって、その。

 本人同士が納得してないんだよ? 」

「それは私のあずかり知らぬことです」

 もうこれ以上は聞きたくないとばかりにそっけなく侍従は言い切った。

 

 見たことのない着飾った女達で溢れた広間で祝宴が始まる。

 いつものことだが、それぞれの女達の纏った香が入り混じり会場はむせるようだ。

 

 華やかに奏でられる楽の音に、あでやかな踊り子の舞が会場に一段と華を添えた。

 

 隣に座る皇妃は何時にもまして上機嫌で笑みが絶えない。

 仕方なくダイアンも作り笑いを浮かべる。

 

 今頃…… 

 表向きの宴席で、ザイードはどんな顔をしているのだろう? 

 

 どうでもいいことが思い浮かぶ。

 

 セリムのように気に入らない顔を隠そうともしないのか。

 いや、要領のいいザイードのことだ、きっとこれ以上ないほど幸せですオーラを纏った極上の笑顔を浮かべて、居並ぶ招待客にからかわれているはずだ。

 

 なんとなくわかってしまう。

 

 それが悔しくて、腹が立つ。

 

「ディアヌ様、そろそろ…… 」

 宴が始まって程なく、侍女に声を掛けられた。

「え、もう? 」

 あまりの速さに驚きを隠せない。

 

「あたりまえです。

 花嫁さんにはこのあとのための身支度をしていただかねばなりませんから」

 いつもの侍女が言うと湯殿の方へ引き立てる。

「ちょ、ちょっと? 

 着替えなら部屋で…… 」

 何故に湯殿なのかわからずにダイアンは戸惑った。

「ご存知なかったんですか? 

 夜のお支度には身を清めてからってのが常識なんですよ」

 手っ取り早く、身に纏ったものを脱がせ湯船に押し込みながら侍女が言う。

「うん。

 だって、あたし披露宴の宴って言ったら大体今の時間表に居たもの」

 花の香りの漂う湯に潜るようにして全身を浸しながらダイアンは言う。

「そうでしたね。

 花婿さんのお支度には時間を要しませんから、こんなに早く宴席を引けることがありませんから、どうしてもその時間にはディアヌ様表に行くことになってしまっていましたね」

 納得したように侍女が笑った。

「さて、時間がありませんからお湯から上がっていただけますか? 」

 気を取り直して、侍女が促す。

「少し急がせてもらいますね。

 本当は、こういうことは二・三人の侍女で賄うんですけど…… 」

 背中へ香油を塗りこめながら侍女が言う。

「ディアヌ様、絶対に嫌がりそうですから、わたくし一人で引き受けましたけど、そうするとお時間の方が…… 」

 言いながら背中をすべる手に力が篭る。

 その感触がなんだか懐かしくて、ダイアンは軽く笑い声をもらした。

「どうかしましたか? 」

「ん、あたしの節目にはなんだか何時でもジーダが居るなって。

 ここに最初に連れてこられたときも、きったないあたしをお湯に突っ込んで、こうして背中をこすってくれたでしょ? 」

 忘れもしない、あのときにはかなり乱暴に扱われた。

「確かに、ここに来たばかりの時のあなたは『こんな子供が本当に育つのか? 』と思えるほどの酷い有様でしたけどね」

 女は息をつく。

「まさか、こんなに長いお付き合いになるなんて思いませんでしたよ。

 でも…… あなたが来てくれてわたし達も随分仕事が楽になったのよ」

 

 皇妃好みの華やかさなどかけらも持ち合わせていないみすぼらしい子供が大のお気に入りになった。

 

 きっとそれは誰も思っていなかったことだろう。

 いいところ三ヶ月もすれば、飽きて放り出されると誰もが思っていたはずだ。

 

「あなたのその声は、聞く人だけではなくあなた本人も幸せに導くものだったのよね」

 感心したように言ってくれた。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

 数時間後、全身を磨きこまれ化粧までされて、男の寝室に放り込まれた。

 真新しい、透けるような夜着の裾が開け放たれた窓から吹き込む風に舞い上がる。

「いいですか? 

 そのヴェールは花婿さんに上げてもらうまで絶対に取らないで下さいね」

 作法に無知なダイアンを察し、侍女が釘を刺して下がってゆく。

 

 表の祝宴はまだ続いているのだろう、そこにザイードの姿はなかった。

 

 頭部をすっぽりと被うヴェールの為に悪い視界でダイアンは周囲を見回す。

 はじめて目にしたザイードの部屋は、隅という隅に本がうずたかく積まれ異国のもので溢れていた。

「ザイードらしい…… 」

 その光景にダイアンはそっと息をこぼす。

 

 傍らに置かれたリュートにそっと手を伸ばすと、それを取り上げた。

 本人は暇を持て余した時の手慰みに爪弾く程度だといっているが、それはよく使い込まれていた。

 構えて弦を弾くと、竪琴とは全く違う派動が部屋の空気を揺らす。

 

 ふと何かが動いた気がして顔をあげると、風もないのに窓に掛かったカーテンがかすかに揺れていた。

「誰? 」

 その動きの不自然さにダイアンは声を掛ける。

 

 その問いに答えるようにカーテンの影からそっと一つの華奢な影が這い出してきた。

 

 真直ぐな黒い髪が月の光に砂色に透ける。

 

「シャフィヤ? 」

 その姿に息を呑む。

 まさか、こんなところにまで現れるなんて思わなかった。

「ごめんなさい。

 こんなところにまで現れて無作法な娘だって思ってるわよね」

 少し拗ねたようにでも攻撃するかのように言う。

「あなたに、お願いがあるの…… 」

 次いで、「絶対に言いたくないけど、でも言わないと話がすすまないから」と心の中でいっているのがありありとわかる声と口調で続ける。

「今夜…… 

 一晩でいいの。

 ザイード様と二人にさせて! 」

 

 間違っても…… 

 結婚式を挙げたばかりの夫婦のはじめての夜の寝室に押し入って言う言葉ではないと思う。

 

 だけども、こうなることをダイアンはどこかで予見していたような気がした。

 

 唐突に言われた無茶苦茶な言葉だが全くショックではない。

 むしろ至極冷静にその言葉を受け止めていた。

 

「お願い! 明日にはわたし、ここを出されてしまうの。

 もう輿入れ先も決まっているんですって。

 逃げられないの…… 」

 少女は搾り出すように言って泪の浮かんだ瞳を向ける。

 

 それは皇妃が自分のライバルを蹴落とす時の常套手段に使ってきた手だった。

 皇帝の手がついた娘はどこか適当な男を見繕って押し付けてしまう。

 女は二度と宮廷には戻って来れないという寸法だ。

 

 何も知らぬ涼しい顔をしていたが、皇妃も第三皇子とこの少女の仲はしっかり把握していたのだろう。

 そしてこの先のことを考えて厄介払いを計った。

 首が繋がっていただけはまだマシなほうだ。

 

「そしたらもう二度とザイード様にはあえなくなるの…… 」

 懇願するように少女は言う。

「だから、ね。

 もう二度とあなたの前には顔を出すようなことはないから」

 少女の顔が切なそうに歪む。

 

 ダイアンはあからさまにため息をついた。

「やっぱり、ここにはいられないか、な」

 小さく呟くと、頭上に手を伸ばすと被っていたヴェールを取りそっと少女の頭に載せる。

 

「……やっぱり。

 それあたしよりあなたの方が似合う」

 その顔を暫く眺めた後微笑んだ。

「あげるわ」

 捨て台詞のように言って少女に背を向けた。

 

 

 ……帰ろう。

 誰が待っているわけでもないけど。

 

 リリューレが導くままに…… 

 

 前を見据えたままダイアンは思った。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

「さてと…… 」

 喉もとのケープの紐を縛ると、ダイアンはもう一度部屋の中を見渡した。

 

 数年過ごした部屋には庭に面した窓から、明るい月の光が差し込んでいた。

 見慣れた、珍しくもない光景なのに何故か胸が絞られて切なくなる。

 

 テーブルの上に置かれていた小さな袋を手に取ると、高い金属の触れ合う音がかすかに響く。

 ダイアンはそれをポケットに押し込むと、床にかがみこむ。

 壁には二台の竪琴が立てかけてあった。

「ごめんね。

 あんたも持っていきたいんだけど、さすがに二つはちょっと、ね」

 子供の頃から抱えてきた古い琴にそっと手を這わせ呟いた後立ち上がり、隣のリリューレだけを手に取る。

 

 そして、窓から庭に出ると、そのままいつもの裏手の塀に向かった。

 

 

「よっ、と」

 軽い掛け声と共に、ダイアンは塀を乗り越える。

 ここを乗り越えるのもこれで最後だ。

 ダイアンは乗り越えた塀を見あげる。

 

 ……ごめんなさい。

 皇妃様。

 親不孝な娘を許してね。

 今まで可愛がってくれてありがとう。

 本当に言葉では言い尽くせないほど感謝してます。

 

 手首に嵌まった細い腕輪にそっと手を這わせながら、心の中でそっと呟くと深く頭を下げた。

 

「さて、っと」

 ダイアンは頭を上げると呟く。

 途端に視界に動く物が入った。

「……! 」

 それを目に言葉も出ずに躯が硬直する。

 月光に艶の浮かび上がる黒い髪に、深い青い瞳。

 

 連れ戻される! 

 

 そう思った。

 

 全く、今回はどこまでついて居ないんだろう。

 心の中で舌打ちする。

 

 まぁいい…… 

 逃げ切れる自信はある。

 

 ダイアンは抱えていた竪琴を握りなおすと弦に指を掛け大きく息を吸い込んだ。

 

「ちょっと、待てよ…… 」

 第一声を発しようとしたら、男が慌ててそれを制する。

「人がせっかく見送りに来てやったのに『眠りの呪詞』なんかで寝かすんじゃないぞ」

 何もかも見透かしたように言う。

「見送りって…… 」

「行くんだろ? 」

 男は諦めたような笑みをくれる。

「まぁ、この状態でここに居ろって方が無理だよな。

 俺だって逃げ出すと思うぜ。

 そのうちに気が済んだら戻ってこいよ。

 それまで俺の正妃の座は空けておいてやるから」

 

 男は淋しそうな笑顔を浮かべる。

 

「ちょっと、セリム? 

 あたし結婚式済んじゃってるんだけど。

 それにセリムだって…… 」

「おまえさ、あいつにヴェール上げてもらった? 」

「ううん、ヴェールなんかあの子にあげてきちゃったもん」

「じゃ、まだギリギリセーフな。

 ちなみに俺も」

「って、セリム。

 それってやばいんじゃ? 」

「大丈夫、王女はこの国の習慣知らないし、侍女には黙ってもらっていてあるから」

 自信ありげに男は笑う。

 

「ありがと、セリム」

 その笑顔になごり惜しい何かを感じながら、かすかな胸の疼きを抱えたまま走り出した。

 

 

FIN




◆◇◆ 言い訳というか ◆◇◆



 このお話は、その昔わたしが「王道ファンタジー」を夢中になって書いていた頃のお話(未公開)の「前章」です。

 当時すでに大筋はできていたのですが、「恋愛要素」が含まれていたため、わたしの手にはあまり大筋のままお蔵入りとなっておりました。

 今回「ひょっとして今なら、かけるんではないの? 」と挑戦してみました。

 従いまして「FT6:恋愛4(もしかしたらFT7:恋愛3)」くらいの比率になっておりますのでFTを苦手な方には少々退屈かもしれません。


 その点をご理解いただきたく存じます。



 以後、お話の中に少しだけ出てきた『竜使い』の女の子とダイアンのやじきた道中をメインに、「前章」もしくは「アナザーストーリー」として、ダイアンパパの若い頃のお話。竜使いの女の子のおじさんのお話等続きます。

 万が一、ご要望があれば改稿後公開したいと考えておりますが。

 

 なので、もしかしたら、説明不足でわかりにくいところがあったかとも思います。ごめんなさいです。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。



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