現場検証
智良は崖のふちに立って景色を見渡した。
「ヨッシー危ねえよ」
目のくらむような高さではない。しかし、下に流れる谷川には大きくてとがった岩がごろごろしている。落ちれば大怪我。助けが呼べなければ死ぬ。
智良は鈴奈が最期に見たであろう景色をじっと眺めた。振り返って背後を見分する。木々が鬱蒼と生い茂る。下生えは笹。人間が身を潜めるのは簡単だろう。
「高崎、笹の中にキャンプや焚火の跡がないか探してくれ」
「おう」
手分けして背後の笹も崖の下も捜した。しかし、伯父の言うとおり何も見つからない。現場周辺を撮って一旦休憩する。舗装されたところまで道を戻った。
路ばたに座りお茶を飲んで休んだ。
智良は携帯電話を取り出した。自宅からの着信は大量にあるが、欲しい連絡はまだない。曽根の携帯を呼び出し通話ボタンを押した。曽根はすぐに出た。
「智良だ。曽根、何かわかったか?」
『ごめん、なにも』
智良は昨日のうちに曽根に連絡して、情報を集めてもらっていた。品行方正で爽やかな人格を通しているが、曽根はハッキングを趣味にしている。もちろん、ハッキングは犯罪。しかし、曽根いわく「情報を悪用するから罪なんだ。僕は扉を開くだけ。暗号を解くのが楽しいんだ。開いた後は元通りに閉じてるよ」。だから、真実を明らかにするために県警をハッキングしてもらったのだ。現場の写真や捜査ファイルを手に入れるために。
「やっぱ、超能力者とか見える奴とか、どっか頭のネジ外れてるよな」
高崎は遠い目をして呟いた。
「高崎も共犯な」
「へいへい」
『何?』
「何でもない。どのくらいあれば見つかる?」
『まだデータ化されてないのかも。片っ端から漁っているんだけどな。交番の端末も検索したのに。警官個人の携帯もチェックしてみるよ』
「そこまでやらんでいい」
「怖! いいんちょ怖い! ガチで怖い!」
「現場の写真を送る。一応お前の目でも見てくれるか?」
『もちろん。あ、画像はアクセスして勝手に持っていくから送らなくていいよ』
「やめて怖い! 俺は委員長が怖い!」
『…高崎君、データっていつでもどこでも拡散するから、大事なことは携帯に残さずに紙にメモしておいたほうがいい』
「ええ!? ちょ、俺の携帯! 勝手に動いてる!」
「気を付けるよ今すぐ」
『是非そうして。僕程度のハッカーなんてごまんといるから』
「もう嫌だー! 穴掘って入りたい」
「落ち着け。曽根はハッキングした情報を犯罪に使ったりしない」
『そうさ』
「精々好きな女子に意地悪するくらい」
『わあああ! 言わないでくれよ忘れたいんだ!』
「もちろん。今回のことも他言無用だ」
『約束だぞ!』
「ああ。画像の解析頼む」
『大したことはできないけど、見てみるよ』
通話を切ってもう一度山に入る。
現場を通り過ぎ、奥へ進む。
「ヨッシー? どこ行くんだ?」
「見ておきたい場所があるんだ。そこ行ったら帰ろう」
「どこ?」
「金明神の祭祀場」
「もしかして、鈴奈ちゃんが掃除してた場所?」
「ああ。行けるとこまで行ってみよう」
――泉がね、金明さまの居場所なんだ。満月の夜はとっても綺麗。
山道をひたすら歩く。陽はじりじりと傾いていく。道は次第に狭くなり両側から枝葉が手を伸ばす。足元はでこぼこになり、川筋と交わり、急斜面を這うように登る。
高崎が音を上げる。
「これ、ほんとに、道?」
智良は無言で突き出た枝を掴む。振り返ればまだ辛うじて道だとわかるくらいのけもの道。間違えたかもしれない。眼の前には智良の背丈より高い斜面。これを登って道がなかったら引き返そう。
木の幹に手を掛けてぐっと身体を持ちあげると、開けた大地だった。
「…ここ」
見つけた。
目的の場所ではないが、鈴奈が言っていた。
――お花畑があるの。段々になってて、季節になったら順番に咲くんだよ。私が育ててるんだ。
全体に淡い色合いの花々が段ごとに、あるいは間隔を開けて植えられていた。広い段は体育館ほど。狭い段は四畳半ほど。棚田のように花畑が斜面に広がっている。その間を道が縫うように続いている。
「すげえ…」
険しい山の中にぽっかりと現れた桃源郷。鈴奈はここにいたのだ。
「金明神って、花畑の神さま?」
「いや、御神体は泉だと聞いてる。ここは前庭だと思う」
智良は花々を眺めて歩く。なんだか身体が軽くて雲を踏むようだ。
まるで、あの世とこの世の境。三途の川は花畑の中を流れているという。きっとこんな場所。
鈴奈の言葉を思い出せるだけ思い出す。
――お山の奥にね、お花畑があるんだ。
「村の、花畑」
――毎日、少しずつお手入れするの。村のひとたちにも、手伝ってもらうんだ。でもね。
「もっと奥に、いちばん奥に、泉が」
――神さまのいるところ。ここだけは、わたしがひとりで、毎日お掃除するんだ。
「満月の夜が、いちばん、綺麗…」
――泉がね、サファイアみたいなの。
智良は一番奥まで進んだ。しかし、花畑より奥には行けなかった。道は茨で遮られていた。茨の前に立て看板。
『危険! 立入禁止』
急に体重が戻った。かさこそと枝葉が揺れた。
「…」
智良は目を閉じて集中する。雨島神本体を祀る孤島は、その空気が陸地と一線を画す。茨の奥の空気はピンと張りつめている。間違いない。鈴奈の泉はこの奥だ。
行きたいと思った。
鈴奈の一番大好きな場所。
智良は首を振って口に出す。
「――帰ろう」
智良は両手で頬を叩いた。
鈴奈はもうそこにいないのだ。
高崎を呼ぶと、景色をパシャパシャ撮っていた。
「遊ぶな」
「いやいや、待ち受けにぴったりじゃん」
振り返った。優しく美しい景色。鈴奈が育てた花々。
「…そうだな…」
「あ…」
高崎は振り向いて俯いた。
「ごめん。テンション上がってた」
「いい。褒めてくれるなら鈴奈は喜ぶと思う」
「ううん、やっぱ、フキンシンだよな」
智良はベストな角度を探して携帯を取り出した。パシャリ。花畑が携帯に切りとられた。
「いいのに撮れた?」
「ああ」
携帯を降ろしたその向こうの景色。真ん中で鈴奈が笑っているような気がした。もちろん、そんなことはないし、今後もありえないのだけれど。
山の険しさに隠れてぽっかりと浮かぶ花畑。桃源郷は大切な巫女を失い、どこか淋し気で頼りない。智良は花畑をしっかりと目に焼き付けてその場を後にした。