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成層圏  作者: KS
<二 章>
2/6

手記似

 仮に、殺人が非道であるとしよう。

 そう説く者はそもそも、殺人者がどのような過程で殺意を秘め、どのような経緯でそれを実行に移したのか、という動機の部分についてすら、聞く耳を持たない。私の父はまるでフョードル・カラマーゾフのような放埒で野放図な人間であったし、そんな彼を私はどこかで嫌悪していた。そしてそんな嫌悪があったという時点で、彼らのような殺人イコール非道と説く「自称人道家」達は、早々に動機をこの嫌悪と結びつけ、それ以上の追求を打ち切るものである。

 彼らにとっては原因と結果があって、結果の方はもうあまねく非道であることが分かっているため、この原因の部分に殺人者の非人間的、非人道的、不道徳的部分を嗅ぎとれれば、それで充分目的は果たしているのである。つまり、殺人者がどうしようもなくバカで愚かで頭がおかしく、我々人道主義者とは対極に位置する人間であったがために、殺人などという、不心得の極みのような犯罪を犯すことが出来るのだ、と。それが認識出来るだけでほっとするわけだ。

 だからこそ、ここで父がいかに私を苦しめたか、どのようないきさつで私が復讐という穏やかじゃない意識を持つに至ったかを、以後はあえて書き残さないことにする。

 これは一種の、私なりの絶望表明である。最初から、聞く者と語る者との間に断絶があるのだ。理解を希望して語る言葉の一つ一つが、私の人格を否定する材料になっていくことを甘んじて受け止められるほど、私はお人好しではない。

 父への嫌悪。これは出発点であって、直截的な動機ではない。こう語るだけで、私はこの件について議論することを一切、拒絶させてもらう。

 では私がこれから何を語るかと言えば、彼、父が、私と母を――過去の、おびえと、劣等感と、愛情の渇望ばかりに身を焦がしていた愚者どもを――いかにしてこの世から葬り去ろうとし、かつ、失敗したか、という実際手順の説明なのである。いわば自分の身に降りかかった災難の覚え書きのようなもので、いかにも無機質でつまらない内容になることが、今自分にははっきりと分かっているのだが、新聞記事やニュース速報のように、端的な事実報告が時に百万言に相当する力を持つことがあるもので、そのような頼りない希望に、今の私はすがりつくしかないのである。

 何しろ、最初に絶望ありき、なのだから。


(主 題)


 放課後、部活へと急ぐ友人たちを尻目に、刑部は一人校門をくぐる。春の午後。静かな風は、まるでくすぐるように髪の毛を弄ぶが、彼女は何となくそれがうっとうしいと感じていた。

 閉塞している、と思う。親はいないけど親戚が自分の面倒を見てくれて、友人も何人かいて、何となく気になっている人もいて、その人とも少しは、話せて。

 それでも満足しない自分の心を、贅沢だなと思う。今この瞬間にも、地球は飢餓を内包し、人間は争いを生産し、先進性は情緒を踏みにじって刻一刻国民を自殺へと駆りたてている。そんな現代にあって、自分のこの緩やかな生活を閉塞と切って捨てるようなわがままは、誰にも受け入れてはもらえないだろう、と。

 一人歩き出した。校舎の方を振り返ったとき、その右手に広がるグラウンドに、他の部員と混じって真剣な表情でランニングに汗を流す、彼の姿を見つける。決まって、この位置から。この時刻に。

 精密なタイムスケジュールで、野球部員は自らの肉体を汗によって磨き上げていく。そんなストイックな姿が汚れてなくて。羨ましくて。

 見るということ。眺めるということは、ただそれだけで、行為者の苦しみも疲労もそっちのけで、その磨かれた過程だけを知覚出来る。応援とはすなわち、傍観である。傍観して、それら苦闘の中の鍛錬が実を結べば共感し、敗北して腐り落ちれば、心を痛める。自分ではない他人のそんな汗を、まるで自分の手柄のように、頭の中で転がして喜んでいるんだ。

 刑部自身は運動は苦手だし、集団で何かを成し遂げるといった能力にもやや欠けるところがあるため、部活という集団単位での隊列行動を、いわば逃避という形で退けてきた。有り体に言えば面倒くさい、というだけなのかもしれない。人間というのは誰しも、最初は苦手なものばかりなはずなのに。苦手だからやらない、というのは言い訳にもなるまい。

 彼を遠目に見るたびに、自分の汚れをも見せつけられる。

 自分の汚れを見せつけられるたびに、遠目に見る彼を羨んでしまう。

 白いユニフォームに学校名をまとい、威信とか、伝統とか、そういう角張ったものもきっと同時に背負いながら、先輩にもまれ、後輩を激励し、集団としての美しいフォルムを形成する役を立派に担っているのだ。

 彼が、眩しい。西に傾く太陽の中にあって、彼がひときわ、印象的に眩しい。

 彼ら部員がグラウンドをぐるり半周し、こちら側に向けられていた表情が帽子と髪の毛にとって代わり、TAKAHATAというアルファベットと背番号「17」が白く刑部の目に縫いつけられたところで、ようやく彼女は学校に背を向け、また歩き出した。


 Y駅から電車に乗る。電車の中では専ら、文字を追う。

 本日高幡から返された小説をカバンから出して、読み始める。何度か目で追った記憶のある文章が、流れとなって頭をめぐり、乗車中の短い時間を、没頭で過ごす。

 俺バカだから、なんてへりくだりながら、申し訳なさそうに突っ返された文字達は、それでも刑部になにがしかの情熱を植え付けていく。我慢しようとは何度も思ったが、「分かんなかった」という言葉は自分への否定のような気がして、ショックだった。ショックだったということに出来るだけ気づくまいと思ってはいたのだけれど、それでも。

 筋肉を躍動させ、動き回るのが男子。だとすれば、内向的な読書なんて趣味など押しつけにしかならなかった。そんなことは百も承知で、自分は彼に本を「押しつけた」。本とは言葉の集積で、そこに自分の日々が重なるようにして織り込まれている。そのような自分の日々を、彼に知って欲しかった。たとえそう考えるのはエゴであり、夢であるとしても。

 ただ。

 ふと、ページをめくる手が止まった。文字を追っていた目が宙空に転じ、読解に使用されていた脳の働きが、内省へと切り替わる。

 ――本当に私は私自身を、知ってほしいと願っているのだろうか?

 魅力がない。美点もない。ただ灰色のこの、精神世界。

 それを彼に知ってもらって、じゃあどうするというのか? ため息をつかれるのが関の山だろうと思う。私が彼に惹きつけられるのは、彼が自分にないなにがしかを持っていて、それをまるで誇ろうとしないところに理由があるのだろう。ならば、仮に。仮に、だ。彼が私に惹かれたとして、いったい自分が持っている、彼が持っていないものとは、何だ?

 この自問に、刑部は答えを見いだせなかった。見いだせる訳がないんだ。青少年の純然たる劣等感につける薬など、はなから存在しない。

 ただただ克服か、降伏か。やるか、やらないか。夢見るか、諦めるか。解決する法は前者にしかないし、終結する法は後者にしかない。

 今日もまたつまるところ、後者を選んで自分を抑え、ただ文章に目を落として、下を向く。現実風景でなく文字風景を空想で押し広げ、誰にも通じないような妄想をカーニバルのように脳内で繰り広げるだけで、終わる。

 本は麻薬だ。小説は、怠惰だ。

 逃げ口上も堂に入ったものである。刑部は、傍目には平然と読書を続けていた。内面の葛藤は、まるで小説本のように、外から一見しただけでは読み解かれることはない。

 現実逃避を読みながら。

 刑部は、乗客の誰にも聞こえないような、小さなため息をついた。車両に響く間断のないリズムが、それを溶かした。



 じっ、とっ、じっ、とっ、じっ、とっ。

 均一な足並みをまるで誇るかのように自分たちの足音を聞き、その整然とした響きが耳について、ふぁいおーなどという基本的に無意味なかけ声で、それを打ち消そうとする。

 高幡は酸素不足でピントのぼけた頭に、無関係なイメージを抱きながら、ただ苦しいだけの時間を過ごす。

 体を動かすのは好きだ。その間は自分がまるで自分じゃないかのように、弱音を押し込んで洗い流すことが出来るから。

 サッカー部やバスケ部、陸上部など、グラウンド(コートでもピッチでもなんでもいい)を大きく使う集団が、「外周」と呼ばれる校舎外の一般道を走り込んでいる間を縫って、我ら野球部はただひたすら、なぜかグラウンドに固執してぐるぐるとトラックを回っている。土の感触を足に感じて走らないと、野球部のランニングにならない、という監督の意向だ。これが終わればダッシュ五十本。筋トレ。レギュラーはノック。ピッチャーは個別練習。素振りやラダーやバッティングや。スケジュールは決まっているし、やるべきことも与えられている。迷いはない。

 遠くの方、校門のところに一人立つ女の子を見つける。自分は少し、目が悪い。砂が入ると痛いので練習中はコンタクトを外している。だからはっきりとその姿を捉えることは出来ないが、それが刑部だったらいいな、と、ちょっと思う。

 球の軌道が見えにくいので、いつかコンタクトをしたまま練習に出なければならないだろう。そのときはきっとあの子も、はっきり見える。いつもそこで立ち止まる影。その顔が誰か分かるとき、どうかがっかりしないように、と祈り。

 すぐに隊列は向きを変え、彼女が視界から外れていった。

 ――頭が筋肉で出来ている、自分のような奴は。

 彼女の思慮深げな透明さには、到達出来ないだろう。そんな気がしている。

 友達同士でも、自分といるときも。会話も態度も一歩引いて、存在を空気のように消し去ろうとして、苦く微笑んでいるその姿は。

 もったいないし、何より、不毛だ。

 道とは自分で切り開くもんで、弱い奴は守ってやるもんだ。それが男だ。時代遅れでも、それが強さというもんだろう。違うか?

 自分が弱いなんて認めたくはないし、余計なものを抱えたところでギブアップなんてかっこ悪くて出来はしない。認められることは楽しいし、強くなれるたびに充実感は胸に流れ込んでくる。

 その喜びを。――彼女にも。

 知って欲しい、と思った。

 ランニングは終わり、ダッシュと筋トレの後、二年の補欠組はレギュラーとは別メニューの守備練習に入る。メインのノックの邪魔にならない、グラウンドの隅の方で。

 ボールさばきをミスる。投げたボールがあらぬ方へ飛んでいく。コーチの罵声が飛んでくる。

 はは、と乾いた笑いが自分の口から漏れた。何が人を守れるものか。

 自分は今この場で、中間層、一定ラインに引かれた線にもまだ、達していないのだ。

 強さを誇ろうとして、そこに届かない自分を、ただただみっともないと思う。そして。

 静かな顔で、そっと人の強さを認めてあげられる。そんな彼女の態度の方が、しなやかで強靱な姿に映る。

 そうだ。その通り。あいつは強い。守備練が終わって誰にも気付かれないように、自分のふがいなさをグラブと一緒に地面に叩きつけながら、高幡は考える。

 人を認めてあげられる強さ、というものが、確かにこの世には存在するんだ。と。

 おとなしくて、頭が良くて、しかもまったくそれを誇らないで。

 ただ一生懸命に人のことを考えて、自分みたいな筋肉馬鹿に、文字だらけの本を読めと言ってくる。そういう行動様式は。

 男にとっては、美しすぎるのだ。

 そんな彼女に自分は、自分がただ単に女より有利に生まれたというだけの、この肉体の強さを誇ることで、彼女に自分の全人格すらも認めてもらいたがっている。

 それこそが不毛だ。それこそが、不当だ。

 バッセンで百十キロマシンのストレートを空振るような野球部のゴミを、高く評価してくれと願っている。

 ――無理か。

 本ぐらい読め、ということなのか。パワーだけじゃなく、インテリジェンスも磨かなきゃ、社会では通用しないのか。

 社会はハードル高く自分たちガキどもを選別しようと待ちかまえている。そこに出る時には、誰にも後ろ指をさされないような一人前の人間となっているべきで。

 そうなるためには、今の努力じゃ、ダメなのか?

 自分には何も解決出来ないし、彼女の力にはなれないのか?

 この自問に、高幡は答えを見い出せなかった。見い出せる訳がないんだ。

 青少年の純然たる劣等感につける薬など、はなから存在しない。

 ただただ克服か、降伏か。やるか、やらないか。夢見るか、諦めるか。解決する法は前者にしかないし、終結する法は後者にしかない。

 今日もまたつまるところ、前者を選んで自らを鼓舞し、ただ目の前の練習に励んで、上を見る。現実の自分でなく理想の自分を打ち立てて、誰にも負けないようなナンバーワンをトレーニングで実現しようとあがいて、終わる。

 筋肉でものを考える人間に、苦悩は似合わない。

 いつの時代だって、女は男よりも優秀で、一歩先からまるで一歩引いてるかのように男に優しさを投げ、どこに向かうかも分からない高みを目指させる。

 黙々と従い、粛々と行動するが、男だ。

 それでも空振りたくはない。認められたい。

 そんな思いが、真っ青な雲一つない空に向かって一直線に上っていき、吸い込まれ、やがて見失い、初めから何もなかったかのように、溶けて跡形もなく消えていった。

 おそらく。

 成層圏を越え。地球上の周回軌道に入り。ずっと空の上の上から、この馬鹿な星を見下ろし続けているのだろう。

 ――グルグル回る毎日に燃え尽きる前に、どうか人間になれますように。

 そんな消えない魂を思い遣っているうちに、夕暮れが迫る。

 日程が。スケジュールが拡散して、今日がなくなっていく。



 無味無臭の生活臭。家に着く刑部。



 崩壊寸前の生活臭。家に帰る高幡。



 重ならない日々の連続線。



(授業風景 その二)


 さっそく今日から新しい授業、始めます。第一回はこちら。伊坂幸太郎「重力ピエロ」。細かいあらすじは配った教材をざっと眺めてもらうとして、お話の説明をすると、堅実で理解者の兄、奔放で天才肌の弟。思索的な父親。一途な母親。そんな家族の物語だ。

 ――家族、と今言ったが、厳密な意味でこの中の一人、弟だけが、「家族」という繋がりからは本当は、外れている。はっきり言えば、半分しか血が繋がっていない。じゃぁ血の繋がりって何? 家族と血の繋がりって関係あるの? という具合に、提示される問題は少しずつ重くなっていく。

 家族の問題ってのは、誰しもが経験あると思うけど、なかなか一筋縄じゃいかないことが多い。家族ってのは社会を構成する最小単位、なんてよく言うけど、その実最小単位は「個人」だ。家族っていうのは、ただ血の結びつきという概念のみによって、個人たちを特に血の濃いものだけでくくった、一つのモデルケースとして社会から存在を認められているに過ぎない。

 いわば、家族といえど組織であり、組織には結束と分裂とそれにまつわる闘争がつきものだってことなんだ。父親に、母親に反抗する。父親と母親が不仲である。あるいは決定的にばらばらである。いろんな組織図と問題点が、そこには描ける。

 この個人間の闘争を仲裁し、血の繋がり、という一点で結束を促すのが「家族」という単位なんだ。俺たちは血縁関係がある。だからまぁ、「仲間」ってことで、一緒に住みましょう。助け合いましょう。そういう一種の互助会的一面を、家族という概念は孕んでいる。

 しかしその家族の構成図を眺めてみると、実は不思議な側面がある。現在は核家族が主流だから、基本的には、父、母、子供。この三人ないしは四人……それ以上。って形だけど、このうち、父と母の関係性は、全くのランダムで決定している。見合いしたとか、親に決められたとか、恋愛とか。形式はいろいろだろうけど、そこには「選別」が働いている。「意思」が介在する余地があるんだね。

 対して子供、というのは、全くの運命によってその父母の下に生存することを決定づけられている。そこに意思は介在しない。兄弟姉妹にしたって、それらの存在は両親の気持ち一つで子供にとってはいきなり上から降ってくる運命であることに変わりはない。このように、意思の介在する余地のある者とない者が共存しているのが、家族だってことだ。

 このことは、家族の構成メンバーたちが各々の家族について考えるとき、ある決定的なズレを生んでしまう。すなわち、父母の側はそれぞれの絆を選択的に着脱可能なものとどこかで認識しているのに対し、子供の方は親子の絆を全く自分のあずかり知らぬ、最初から決定していたこと、宿命論として享受する、という点だ。

 そしてさらに不可思議なことに、大部分の人間は、その両方を経験することになる。子はいつか親になり、宿命が実にちょっとした気分や他愛のないしがらみなんかで成立していることを目の当たりにする。こうして人間は初めて、家族という概念に対して、「二つの視点」を持つに至るわけだ。

 でも。

 それでも、二つの視点しかない、とも言える。それは、親同士は選択的であり、親子は宿命的である、という二つの結論だ。

 ただ、一般的に家族を語るとき、通常はこの二つを切り分けては考えない。むしろ二つは、なかば無意識的に混同され、全てが宿命的であるかのように語られることが多い。親が互いに愛を育んで、授かった子供を愛情を持って育てる、なんて言い回しなんて、その最たるもんだよね。ま、それが悪い、ってことじゃない。むしろもっともだと思う。

 そう。それが普通なんだ。人はやっぱりどこまでいっても、「親が愛を育んで、授かった子供を愛情を持って育てること」こそ理想の家族像なんだと思っている。

 ……じゃ、以上を踏まえて本作を読むと、どういうことに気付くだろうか?

「重力ピエロ」に登場する家族には、まず決定的に「意思」がない。父と母はなかば運命的に互いを家族と断じているし、兄はともかく弟はとんでもない「運命」によってこの世に生を受けている。

 ただ、この家族には葛藤も見られない。宿業ともいうべき選択不能の問題を突きつけられて、この家族はそれでも超然としている。仕方ない、とも言わない。まるごとを受け入れる。そして、平気な顔をしているんだ。

 いわば、普通じゃないんだよな。当然あるべき号泣もの、噴飯ものの怒りや悲しみや暴発が、驚くほど静かに超然とした父、超然とした母に飲み込まれている。そして、それを端的に一言で表した言葉こそ、文中で父親が兄泉水にもらした一言。

「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」

にあるんだ。

 ――重いものを背負いながら、タップを踏むように。

 続く、父親の言葉。

 ――ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ。

 ここで俺たちは気づかされるわけだ。表面的に現れてないだけだ。葛藤がないわけはない。ってね。

 ただ。親として。

「重いものを背負いながら、タップを踏むように」、超克したってわけだ。むしろ、そこにこそ意思があり、選択があった。

 人間は、宿命さえ、選択的に飲み込むことができる――かもしれない。ならば。

 絆っていうものは、宿命的なものさえ、着脱可能だ、っていうことになる。

「弟、春は、彼らの純粋な家族じゃない」

 それはある種、社会的な……いや、違うな。広く一般的にいつの間にか刷り込まれてしまった概念、それに照らし合わせて、血縁関係こそ家族の正体だと思ってしまってる俺たちが、勝手にそう思っただけで、さ。

 でも例えば。そういうことまったく、お構いなしに。

 ピエロが、深刻な重力をものともせず、陽気に飛ぶ姿を見れば。

 俺たちは一瞬でも、それを忘れられるんじゃない? なんて。

 そう、かーるく言われてるように、感じるんだよね。


(主 題)


 ――ふーん。

 今まで読書という趣味に傾倒したことがない高幡にとって、現代文の授業は、つまらないものの代名詞だった。そして。

 宮崎の授業では、これまで自分が経験してきたような、文章内の接続詞がどこへかかるか、とか、主人公の心情がどの表現で比喩されているか、とか。そういうめんどくさい講義はなかった。その代わりに、授業時間は専ら、感想というか、印象的なストーリィ説明のみに終始して。

 前日のこと。

 高幡にしては珍しく、授業を受ける前に予習というものをやってみた。予習、といっても、本を一冊読んだというだけの話なのだが。

「重力ピエロ」。放火犯の犯行とグラフィティアートの関連性とか。本当の父親への息子からの鉄槌とか。読書嫌いの自分が、存外興奮させられた。ミステリィと呼ばれるものの面白さなんかも、何となくつかめた気がしたものだ。

 三時間くらいで一気に読み終え。当日。高幡は多少面食らった。

 ――自分が持っていた印象と、違う。

 もっとドキドキする、興奮するストーリィだったはずだと、内心不満ながらも宮崎の話を聞いていた。一番重要なところ。犯行の具体的な動機とそれに繋がる復讐譚。物語の中心は確かにそこにこそあったはずだ。そう思った。

「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」

 この一言に、少なからず反発を覚える。以後の宮崎の説明は、いちいち細かいところがカンに障った。

 親の問題。そう。確かにそこにはいろいろな葛藤が存在する。それは頷かざるをえない。

 くだらないエゴや、見せかけだけの愛に辟易してきた自分にとっては、家族という言葉は確かに、作り物のうすら寒いプラスチック模型のような造形でしかなかった。そして。

 どこもそんなもんだろう。根拠なく、そう思っていた。

 父母の関係には、恣意がある。親子の関係には、運命がのしかかる。ならば。

 子供ばかりが馬鹿を見るように、この世は出来ているということじゃないか。

 運命を超克したところに美しさがあると、宮崎は言う。

 簡単にそんなことが出来りゃ、苦労はない。

 所詮、物語じゃないか。大嘘の、絵空事じゃないか。何も分かってない奴が、したり顔で書いた想像上の産物じゃないか。

 怒りが増す。――ふと。

 刑部八重。その後ろ姿が、自分の視界に入る。

 宮崎の方を凝視している。そこにどんな理由があろうと、凝視しているということそれ自体が、高幡には気にくわなかった。

 刑部という女の子が、「しーちゃん」と呼ばれているのは知っていた。その名前の由来も。

 正直そんな意味を彼女自身に貼り付けられることに、強烈な抵抗を覚えていた。縁起が悪い。その程度の理由ではあったけれど。

 彼女が自分に貸してくれた物語たちは、確かに死を孕んでいたのだ。時に陰惨なだけの、時に冷酷なだけの、それら物語に。

 まるで彼女が死の物語でなく、……なんというか、死そのものを嗜好しているように感じて、おぞましく思っていた。

 ――そんな感情から、彼女を救い出したい。

 どうしようもない騎士道精神。それも自意識過剰のうちだと、気づいてはいる。でも。

 俺が。俺こそがそこから、引き上げてみたい。

 間違った世界から、正しい世界へ。

 あの、真剣な後ろ姿。

 見せつけられた。

 苛立つ。そして。

 授業終盤。また、彼女を見る。彼女の友人達を、見る。

 みんな、真剣だった。と言うより。

 真剣に過ぎた。

 なんとなく気圧される。思わず視点をさまよわせてから、下を向いた。宮崎が配った教材が、目に入る。


 ――ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ――。


 放課後、野球部の練習でこってり汗を絞り出した後、重たい足を引きずりながら、高幡はY駅近くにある大きめの本屋に寄っていた。

 宮崎の授業は、あれは一種の宗教だ。彼はそう断じた。――あんなのをずっと聴いていたら、人間がダメになる。根拠のない考えで、頭をいっぱいに埋める。

 一番気に入らないことは、宮崎という教師がわけ知り顔に「家族」について語ったことだったのかもしれない。家族の問題から来る苦悩については、自分の方が一家言ある。そう思っている。

 奔放な母親。再婚した義理の父親。表面上は波風立てず、心の切っ先をかわしながら過ごしている。一歩間違えば怒りが、父と呼ばねばならぬ男の中心線を突き抜けそうになる。

 貴明(たかあき)。母親も、父親のような顔をしてる男も、自分をそう呼んでくる。そこになんの違和感も、なんの不思議もない、という顔で。

 知らないんだろう。

 自分が、その名前が、どんなに嫌いか、なんて。

 苗字と連ねると、「た」と「か」が重なりあって耳障りなことも。自分に、かけらほども貴さなんてないことを強烈に自覚していることも。――その名前をつけたのは、昔、本当の父親だった、ということも。そして、その父親が、自分にどんな願いをこめて育てようとしたのか……今更になって気付かされていることも。全て。

 どうでもいいんだろう。

 いつかこんなことを、刑部に話さなきゃいけないんだろうか? そこまで考えて高幡はぶるぶるっと身震いした。冗談じゃない。彼女に、そんなマイナスな自分なんて見せたくはない。女々しく思い悩んでるなんて、気づかれたくはない。

 ポジティブこそが王道。改めてそう誓って辺りを見回すと、一面の本、本。自分が本屋に来ていたことを、ようやく思い出した。

 数日前。刑部が現代文の授業用に持ってきた本の、タイトルを思い出そうとする。

 が、いとも簡単に失敗に終わる。まったく記憶の引っかかりが見つからない。――じゃぁ、作者名はどうだ?

 そうだ、と閃く。確か、彼女から借りていた小説も、同じ作者名だったことを思い出した。あの日、渡り廊下のところで返した本。そして互いに教室へと向かい、別々の席についた。友人と馬鹿話をしながらちらりと刑部の方を見た時……自分が持ってきた本を胸のところに掲げながら、逡巡したような顔をしてたっけ……。

 今となれば、あれはタイトルとストーリィ披露の機会を微妙に逸していたんだろう。それも彼女らしいという気がする。そうあの本。作者は――。

 さすがに、自分が借りて読んだ小説の作者くらいは何とか出て来た。桜庭一樹。タイトルは……確か、「赤朽葉家の伝説」だったか? 正直、ストーリィもおぼろげになっている。親、子、孫、三代に渡る物語、だった、ような。

 まぁ取りあえず思い出せた。同じ作者の本なら間違いないはずだ、と、すぐに「さ」のコーナーへと移動する。目当てのものは早速見つかった。背表紙をひっくり返してはよさげなあらすじの奴を一冊、選んで、抜き取る。

 よし。このストーリィが素晴らしければそれでよし。刑部に読ませてみよう。そう決意して。

 そこへ。

「高幡じゃん」

 いきなり声をかけられ、びくっと反応しながら振り向くと、そこには女子にしてはやや背が高めの、見知った顔があった。

「岸本、か」

 本に興味などない癖に本屋なんかでまごまごしている自分の姿が気恥ずかしかったが、そんな気持ちはおくびにも出さず、平然とした口調を気取る。が。

「何やってんだ本屋なんかで。あんたらしくもない」

「……うるせぇ」

 いきなり図星をつかれ、劣勢にたじろぐ。

 岸本は、高幡の内心になど興味はないといった風情で、カバンを持ち直し、彼の側で本選びに没頭し始めた。声をかけてきたのはどうやら、彼女の気まぐれだったようだ。

 そう、高幡が思った矢先。

「桜庭一樹の本でも、探しにきたのか?」

 棚から目を離さないままの岸本から、男っぽい口調で鋭い質問が浴びせられた。ぐっ! と、言葉に詰まる。

「ふん。単純だな男ってやつは」

 嘲笑の笑みでも貼り付いてそうな無礼な台詞ではあったが、思わず見返した彼女の顔は全くの無表情だった。いや、やや憮然として見える、か。

 高幡は彼女、岸本のことが嫌いではない。刑部なんかは彼女を怖がっている風だが、いざ腹を割ってみるとこれでなかなか物分かりのいいところも見られ、嫌味な感じは受けない。ただ、いかにしても普段の物言いがきつすぎるきらいがある。おそらく、言葉だけで対人関係を七割がたは損していることだろうと勝手な想像をしている。当然、表だってそれを口にはしない。命が惜しいからだ。

「刑部にいいかっこしたいんだろ?」

 本の選択に余念がない体勢からいきなり、岸本がまたも核心を突いてきて。

「お前に関係ないだろう」

と、思わずつっけんどんに言い返す。

「関係?」

 立ち上がってからくるりと顔をこちらに向け、岸本の目が鋭く切り込んでくる。

「な、んだよ」

「じゃあ、あんたにどれだけの関係が築けてる?」

「は?」

「あんたの今持ってる、その本」

 岸本が高幡の、腰の辺りに目を落として喋り続けてくる。つられて自分の手元を見てしまう。彼女の言う通りだった。桜庭一樹作の小説を、一冊。

 しまった、と思ったときにはもう遅い。

「悪いかよ」

 認めてしまう格好となった。

「未だに、たいした関係も築けないでいるから」

 つ、と、目の前に立ち。

 高幡の手から、さっき彼が選んだ一冊を素早く奪い取ると。

 彼女は相変わらずのきっつい口調で、こう言った。

「こんな本を選んでしまうんだろう?」

「何するん……」

「あいつのことをもし、真剣に思うってんなら」

 零下百度のブリザードもかくや、という声で。

「『砂糖菓()の弾丸は撃()ぬけない』を、あいつに読ませようなんて考えるんじゃない」

 そう結論づけ、奪った本を「さ」のコーナーへ戻すと、岸本は。

 人差し指をまっすぐ高幡に突きつけ、こう宣言したのである。

「あんたがやることは、まず――」



 刑部は家に帰るまでの間、終始気もそぞろだった。

 今日の、現代文の授業のことである。異質だった。その原因は何か、というと――。

 伊坂幸太郎は、実は初めて読んだ。ミステリィでデビューした作家だということは知っていたのだが、そのデビュー作というのが、Amazonのサイトであらすじと他人の書評を読んだものの、今ひとつぴんと来ないというか、訳が分からないというか。有り体に言えば、常識を逸脱していた。そういうことだ。だから、何となく手を伸ばすのをためらってしまい。結局それきりになっていたのだ。

 今回、宮崎に言われたとおり、一回通読した。実のところ、一回では終わらなかった。副作用は、睡眠不足。

 衝撃が走った。その衝撃は……何とも言葉に表しにくいものだったが、なんとなくすがすがしい、五月晴れの太陽のような。そんな雰囲気。かわいていて、横溢していて、満ち足りている。

 本日宮崎の授業を聴いて、その印象がどこから来るものなのか、その正体に気づく。

 それは。彼女にとっては、かなり痛烈な問題提起だった。

「ただいま」

 家に着いたという惰性で声が出る。おかえり、と、伯母が――母が、わざわざ玄関先の廊下まで出迎えてくれる。ありがたいけれど、このありがたさはやや息が詰まる。もちろん面と向かってそんなことは言わない。感謝が惰性になっている、自分の狭量に自己嫌悪するだけである。

「八重ちゃん、ちょっと顔色悪いわよ。遅くまでまた本読んでたんでしょ? 少し部屋で休んだら?」

 あまりにも母親然とした申し出に、にっこりと笑って返答する。うん。そうする。実はちょっと、眠いんだ――。

「じゃ、お昼寝したら? お父さんはどうせ遅いから、その時間になったら起きておいで。いっしょにごはん食べましょう」

 そんな。待っててもらったら悪いよ。

「いいから。おせんべいつまんだから、そんなにお腹は空いてないの。今日はすき焼きだし、みんな揃わないと、お鍋は美味しくないでしょ?」

 そうだね。うん。じゃごめん。寝てくる。

「お休みー」

 きちんきちんとした応対だ。言葉を簡略化しては、伝わらない気持ちが心の中で腐ってしまうかもしれない。そんな余計な心配をしているような、気配りの行き届いた、「家族」の言葉。

 疲れた顔をして帰ってきた姪。眠いのかも、と当たりをつけて、それが昨日深夜にまで及ぶ読書に原因があったと断じる。この間一秒。そして、「勝手に黙って部屋で寝ていたら、ずうずうしいと思われる」と刑部が思うかもしれないと、その心までも慮って、寝ててもいいことをさりげなく(当人はさりげないつもりなのだ)申し添えておく。

 このような気遣いの応酬は、すでに自分の知っている「家族」だった人たちの姿とはかけ離れている。

 悪いとは言わない。違うというだけだ。

 父――おとうさんは、よく分からない人だった。優しいのか、厳しいのか、冷たいのか、無関心なのか。そのどれでもあり、またそのどれでもないような。

 当時六歳。おとうさんと、おかあさんと食事をしている自分。ごはんが茶碗によそわれて、いただきますとおはしを取ったところで、何も言わずに父が立ち上がる。何かと思えば、電話のある部屋まで行って、誰かと話をしている。それが、刑部が聞いた限りの印象で言えば、今この瞬間にことさら話さなければならない緊急性のある内容でもないように思えて……でも、なんとなくおはしを持ったままおとうさんを待っていて。で、やっと帰ってきたと思ったら何も言わず、いきなりおかずとごはんを口に運んでいる。

 そして、刑部の顔をふと覗きこんで、微笑むのだ。「うまいか?」なんて訊きながら。自分の、止まったおはしを眺めながら。

 おとうさんのことを思い出そうとすると、なぜかまっ先にその風景が蘇る。そして。その四年後に起こった、ある出来ごと。

 思い出したくない、事件。いや。事故。いや――。

 自室の扉を開けるなり、電灯も点けずにブレザーを脱ぎ捨て、机に突っ伏した。打ち消しを繰り返して、無理矢理思い出を封じこめようとしてみる。封じこめるには気力がいる。思い出すまいとする労力は、それだけ記憶を鮮明にする側に働いて、押さえつければ押さえつけただけ、にじみ出るように溢れてくる。薬のにおい。おかあさんの一瞬の表情。看護師さんの動揺。まわる目の前の景色。おとうさん、の。

 記憶映像を垂れ流す脳を叱咤すべく、やや乱暴に学生鞄の中から取りだしたのは、今日学校に持っていった一冊、件の「重力ピエロ」だった。

「家族の絆は、たとえ宿命的なものだろうと、着脱可能だ」

 子として生まれた事実は、宿命的に受け入れるべきだと思っていた。それは、本の中で、絵本の中で、あるいは他の人たちが口を揃えて説いてくる、「常識」の中で。

 親は親であり、子は親の元で育ち、親は子を慈しんでくれるもので、慈しまれなければそれは自分が悪い人間だからだ、と。

 多分おおよその家庭でそう躾けられたであろう、一般的な子供と同じく、刑部もまた無条件にそう信じていた。

 ただ。

 それが違う場合もまた、あるのだと。そう聞かされて。

 はっきり言えば、泉水と春の兄弟が、四人の親子が、羨ましかった。でも、それは多分、羨むものじゃないんだ。陰で涙を流して、歯を食いしばって、人前では陽気にタップを踏んだ、彼らの当然の報酬として、受け取った関係だったんだろう。選択的に。

 超克、と宮崎は言った。その言葉はなかなか、当たっていると思う。彼らに、遙か高みから見下ろされている気がする。そのてっぺんはもう、かすんでいて姿形も読みとれない。でも、そんな状況が、嫌じゃない。きっとそんな高みでも、彼らは喜んでここまで降りてきて、手を差し伸べてくれるんじゃないか。そんな気さえした。

 物語ってなんだろう。小説ってなんだろう。

 今さらのように思う。お話。フィクション。絵空事。架空のストーリィ。

 あるいは。

 ――こうであったらいいな、という、希望。

 どうせ物語のようには生きられない。主人公のようには、行動出来ない。小説を読んでいるときは、確かにその選択は正しいと感じるのに、実生活でははっきりとそう、思い切ることが出来ない。

 希望や理想は文字にある。でも、永遠にそこには、手が届かない。

 ぼんやりとしたとめどない夢想。空想。

 ――浮遊感。

 得てしてこういうとき、小説の主人公はいつのまにか眠っていて。夢を見る。夢は、なんとなくこの先の行動を予見していて、それでいて重要で、手がかりとなるべき情景を思わせぶりに主人公に見せるのだ。

 美しいものを。恋いこがれたものを。残酷に。

 自分もそんなものが見たくなって。

 机から離れ、隅のベッドに寝転がる。

 瞼を閉じれば、闇。大嫌いな、赤い闇。

 まぶたの裏側に嫌な映像がちらついて、伯母――母に言った言葉とはうらはらに、刑部はなかなか寝つけなかった。


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