第2話 東京ミッドタウンと
どーも。
――ドントコイ上田です。
あのネコの一件から、一年ほど経った頃のことです。
ネコも元気になり、本人も無事に職場復帰。
お客様も現場の仲間たちも、温かく迎えてくれました。
いやぁ。
世の中、捨てたもんじゃありませんね。
……。
まあ。
うちの会社の売上は、ちょっと減ったけど。
今回は、その後のお話です。
――◇――
この日、初めて対面で話をしたのが、あのネコの女性社員でした。
年齢は、まだ三十歳手前。
俺より、一回り以上も若い。
しかも、美人。
……いや。
無駄に美人。
何が無駄なのか、自分でもよく分からんけど。
服装も、髪型も、立ち居振る舞いも、なんというか、すごく洗練されている。IT業界の技術者というより、飛行機の中で見かけるCAさんとか、百貨店の化粧品売り場にいる美容部員さんとか。そんな雰囲気。
英語もペラペラ。
仕事もきちんとこなす。
なんだ、この人。
俺の知っているIT業界と、ちょっと色が違うんだけど。
まあ、だからといって、俺が何かするわけではありません。
俺にはカミさんがいる。
中学生の娘も二人いる。
しかも、この子は自分の部下。
仕事をするために来ているのである。
……うん。
誰に言い訳してるんだ、俺(汗)。
――◇――
定時を少し過ぎて、現場メンバー全員のヒアリングは、特に問題もなく終了。
現場リーダーとも話ができたし、今後の課題も確認できました。
では、帰りますか。
お客様のビルを出ると、辺りはすっかり暗くなっていました。
ミッドタウンのイルミネーションが、きれいに輝いています。
おお。
これは、なかなか。
せっかくなので、スマホを取り出して写真を撮ることにしました。
昨年から始めたブログにでも載せようかな。
そんなことを考えていると。
「レイジさーん!」
後ろから声。
振り返ると、あの子が小走りでこちらへ来る。
「お疲れさまです!」
「ああ、お疲れ」
……ん?
ほかの連中は?
気づけば、二人きり。
一回り以上も年下の美人と、夜の六本木。
目の前には、眩しいほどのイルミネーション。
おい。
なんだ、このシチュエーション。
どこかのTVドラマで見たような感じ。
いや俺、仕事しに来たんだよね?
「レイジさん、結構ミーハーなんですね」
横から、スマホを覗き込んでくる。
「あ、いや。ちょっとブログに載せようかなって」
「へぇ~。ブログやってるんですか?」
「まあ、たまにね」
「そういえば、周りの人も結構写真撮ってますね」
「うん。きれいだしな」
すると、彼女が少し悪戯っぽく笑った。
「こうやって二人でいるところを、SNSにアップされちゃったりしてw」
「……え?」
「周りで撮っている人の」
ちょ。
何を言い出す、この子。
「いやいや」
「え~、何で離れるんですか?」
なんか楽しそう。
こっちは、全然楽しくないわけじゃないけど、妙に落ち着かない。しかも、話しているうちに、いつの間にか距離が近い。
「……ちょっと近くねぇ?」
すると、彼女はこちらの顔を見上げて。
「なに照れてるんですかw」
……は?
照れてない。
照れてないぞ、俺は。
たぶん。
さっきまで、あんなに上品で落ち着いた雰囲気だったのに、笑うと急に悪戯っ子みたいになる。しかも、こっちが困っているのを、明らかに面白がっている。
おい。
俺は上司だぞ。
一応。
――◇――
写真を撮り終えて、そろそろ帰ろうとしたとき。
「ここからどうやって帰るんだ?」
と聞いてみました。
「今日は、ちょっと渋谷に寄ろうと思ってるんです」
「ああ、そうなんだ」
「日比谷線でも大江戸線でも、どっちにしても乗り換えですから」
「そっか。俺は隣の青山まで、このまま歩くから。じゃあ」
よし。
上司と部下の、実に普通のお別れである。
ところが。
「あー、じゃあ私も青山まで歩こうかな」
……え?
「渋谷にも近くなるし」
「いや、結構遠いぞ。ここから地下鉄で乗り換えた方が楽だから」
「大丈夫ですよ」
はあ。
そうですか。
ということで、夜の六本木から青山まで、二人でテクテク歩くことになりました。
彼女は、ごく普通に話している。
俺だけが、なぜか落ち着かない。
なんか、近くで話しかけてくる。
肩が、たまに当たるんですけど。
この温度差。
なんとかならんのか。
――◇――
「どこによく呑みに行ったりするんですか?」
とか聞いてくる。
……いや。
ここで渋谷とか言ったら、このあと一緒に呑む流れになりそうだ。
よし。
話を変えよう。
「そういえば、ネコは元気か?」
「あ、はい。もうすっかり元気です」
「そか。よかったな」
「ありがとうございます。あのときは、本当にご迷惑をおかけしました」
「いや、現場のみんなもフォローしてくれたし。気にしなくていいよ」
「はい」
そこから、しばらく仕事の話をしました。
今の現場の状況。
異動してきてからのこと。
周りのメンバーのこと。
話してみると、実にしっかりしている。
やっぱり、いい子なんだな。
そう思っていると。
「レイジさんって、誰と話すときも、相手を緊張させないようにしていますよね」
「……え?」
突然、そんなことを言われました。
「そうか?」
「はい。話しやすいです」
「ああ、まあ。上下関係とか、あんまり好きじゃないからな」
これは、昔から意識していることです。
上司だろうが部下だろうが、なるべく普通に話す。うちに協力してくれているパートナー企業の社員の方へも同じ。肩書きだけで相手を黙らせたところで、仕事がうまく進むとは思えない。
……まあ。
そのせいで、よく部下からガチ説教されたりするんだけど。
すると彼女が、少し笑って言いました。
「実は、気づいてないと思いますけど」
「ん?」
「レイジさんとは、初めてじゃないんですよ」
「……なにが?」
「お会いするのが、です」
……は?
初めてじゃない?
俺、どこかで会ってた?
なんか、やらかした?
いや。
落ち着け、俺。
仕事の話だろ。
「昨年の年末に、トラブっていたプロジェクトがあったじゃないですか」
「ああ」
「あのとき、レイジさんが途中からPMになりましたよね」
「……ああ、あれか!」
年末に大炎上していた大型プロジェクト。
他部署の主管案件だというのに、部長に勝手に途中から俺が放り込まれ、立て直しを任された案件です。
「あのプロジェクト、私もWeb側で参加していたんですよ」
「えっ、そうだったの?」
「はい。私はリーダーじゃなかったので、直接ご報告することはなかったんですけど」
「ああ、Web側は別部署へ任せてたからな」
「そうです」
「そこにいたんだ」
なるほど。
そりゃ知らなかった。
あの頃は、とにかく人が多かった。現場のタスクリーダーたちとは毎日のように話していたけれど、参加していたメンバー全員の顔までは、正直覚えていません。
「でも、最初にレイジさんが来た日のことは覚えてます」
「最初の日?」
「はい。関係者を全員集めて、朝礼で話したじゃないですか」
朝礼?
ああ、あれか。
「二カ月で、ここを正常な稼働に戻すから。もう少しだけ、みんなの力を貸してほしい! って」
……ああ。
言ったな。
確かに。
あのときは、現場全体が疲れ切っていました。
連日の高稼働。
終わらないトラブル。
いつになったら帰れるのか。
そもそも、本当に終わるのか。
そんな空気の中へ、他部署から突然やってきた俺が、いきなり偉そうなことを言った。
「正直、あのとき思っちゃいました」
「なにを?」
「この人、この現場を何も知らないし、みんなとは初対面なのに、いきなり何を言ってるんだろうってw」
おい。
それ、本人に言うか(笑)。
「だって、みんな相当疲れてましたから。上の人たちへの不信感もありましたし」
「まあ。そりゃそうだろうな」
「普通、上の人って、そんなこと自分から言わないじゃないですか」
「ん?」
「二カ月で正常に戻すなんて、できなかったら自分の責任になるのに」
「……まあな」
「でも、年が明けてから、本当に稼働が落ち着いてきたので」
少しだけ、言葉に詰まりました。
仕事で感謝の言葉をもらったことはあります。
けど、今のこれは、なんだか慣れない。
さっきまでイルミネーションの前で俺をからかっていた子が、今度は真面目な顔で、あの現場の話をしている。
「まあ、あんだけ追加で人を入れてもらえたら、誰がやっても何とかなるよ」
「いえ」
彼女は、すぐに首を振りました。
「その人員を追加してもらうために客先へ交渉して、上の人たちを納得させるのが大変なんじゃないですか」
「……」
ああ。
そこまで見てたのか。
俺は、彼女があの現場にいたことさえ、知らなかったのに。
いやぁ。
参ったな。
さっきから、こっちばかりが調子を狂わされている。
――◇――
そんな話をしているうちに、青山まで来てしまいました。
「じゃあ、俺はこっちだから」
「はい。今日はありがとうございました」
「ああ。気をつけて帰れよ」
今度こそ、お別れである。
ところが、最後に彼女が、またあの悪戯っぽい顔になりました。
「明日、現場のリーダーさんに言っちゃおうかな」
「……なにを?」
「レイジさんと、イルミネーションデートしたってw」
……は?
「マテ!!」
デートじゃない!!
ただ、同じ方向へ歩いただけ!!
しかも、俺は地下鉄で帰れって言っただろ!!
「ふふっ。冗談ですよ」
分かってる。
分かってるんだけど。
そういう冗談は、やめてくれぇぇぇ!!
俺にはカミさんがいるんだ!
娘も二人いるんだぞ!!
……ああ。
なんか今日は、勝手に一人で疲れた。
お客様への挨拶やヒアリングより、帰り道の方が疲れた気がする。
――◇――
それにしても。
少し、不思議な気持ちでした。
PMをしていると、プロジェクトを通じて、本当に多くの人と出会います。何十人、ときには何百人。同じ現場で仕事をしていても、全員と直接話せるわけではありません。
特にトラブル対応で入った現場では、お客様と向き合い、目の前の問題を片づけるだけで精一杯です。その後ろには、頑張ってくれている多くの人たちがいる。
俺が覚えているのは、リーダーたちの名前や、会議で何度も顔を合わせた人たち。
その一方で、向こうは俺のことを覚えている。
あの日、朝礼で何を言ったのか。
どんな約束をしたのか。
そして、そのあと何をしたのか。
俺自身、普段は思い出すこともない朝礼の言葉を、彼女は覚えていました。
あのときは、疲れ切っているみんなに、増員が来るまでの間、あと二カ月だけ力を貸してほしかった。そのためには、まず自分が終わらせると約束するしかないと思った。
もう息切れしている現場では、期限の分からない頑張りは続きません。
あの日、俺の話を聞いていた一人と、今、こうして帰り道で話をしている。
その人が、約束のあとに現場が落ち着いたことまで覚えてくれている。
……なんだか、少し嬉しかった。
俺が知らなかっただけで。
ちゃんと、届いていたんだな。
そして。
この話には、もう少しだけ続きがあります。
それは、あの夜から半年ほど経った頃のこと。
彼女から、思いがけない相談を受けることになりました。
――続く。




