第六十五話 「教えると、仲間が増える」
65話です。
浜が静まり返ったのは、本当に一瞬だけだった。
沖に並んだ舟は一艘、また一艘と増え、気がつけば十を超えていた。
どの舟も網を積んでいる。
どの舟にも、日に焼けた漁師が立っている。
そして全員、同じ顔をしていた。
信じられないものを見た顔だ。
「……おい。」
ランが頭をかく。
「囲まれてねぇか?」
「囲まれてるな。」
マリが笑う。
「でも今日は剣じゃねぇ。」
「網だ。」
その言葉に、浜から小さな笑いが漏れた。
一番先頭の舟が浜へ寄る。
降りてきたのは、白髪交じりの大柄な男だった。
腕は太い。
掌は縄で擦り切れている。
何十年も海で生きてきた手だった。
男は先生ではなく、魚の山を見た。
干し場を見た。
二艘並んだ舟を見た。
最後に、網を見た。
「……本当に二艘で引いたのか。」
誰も答えない。
ランが前へ出る。
「引いた。」
「一回だけか?」
「二回。」
「全部これか?」
「全部だ。」
白髪の男は、長い息を吐いた。
「負けたな。」
その一言に、周囲の漁師たちがざわつく。
「親方!」
「まだ勝負してねぇ!」
「してる。」
男は苦笑した。
「海じゃねぇ。」
「頭で負けた。」
浜が静かになる。
先生は何も言わない。
男はゆっくり頭を下げた。
「教えてくれ。」
その瞬間だった。
浜中の視線が、一斉に先生へ向く。
だが先生は、板を持たなかった。
代わりに、ランを見る。
「説明しろ。」
「……俺?」
「お前がやった。」
「いや、一緒に……」
「お前が引いた。」
ランは頭をかいた。
「先生の方が上手いだろ。」
「違う。」
先生は短く言う。
「できる者が教えろ。」
その言葉で、ランは少しだけ背筋を伸ばした。
「……分かった。」
砂浜にしゃがみ込み、棒を拾う。
ぎこちない。
昨日まで教わる側だった男が、今は線を引いている。
「ここが潮。」
「ここが舟。」
「離れすぎると駄目。」
「近すぎても駄目。」
「魚は……」
言葉が詰まる。
「魚は?」
白髪の男が聞く。
ランは少し考えた。
それから笑う。
「魚に聞いたことねぇから分かんねぇ。」
浜中が吹き出した。
「何だそれ!」
「正直だな!」
「でも逃げたぞ!」
「だからこうやって囲むんだ!」
ランは夢中で説明を続ける。
横ではマリが実際の網を持ち上げる。
「ここ。」
「ここを結ぶ。」
「縄は新しくしろ。」
「古いと切れる。」
別の漁師が頷く。
「なるほど……。」
「おい!」
「それ見ろ!」
戻ってきた女が叫ぶ。
子どもたちが、魚を籠へ分けている。
「五十!」
「いっぱい!」
「次!」
手が止まらない。
白髪の男が目を丸くする。
「子どもまで数えてるのか。」
マリが笑う。
「そっちじゃねぇ。」
「子どもだから数えるんだ。」
「大人は途中で面倒くさがる。」
「図星だ……。」
また笑いが起きた。
気がつけば、浜には村の境界なんてなくなっていた。
よその村の漁師が縄を引き、こちらの村の子どもが数を教え、戻ってきた男が干物の並べ方を説明している。
先生は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
教えている者は誰も偉そうではない。
教わる者も頭を下げすぎない。
「これくらい離せ。」
「いや、もうちょい。」
「そうそう。」
「違う違う!」
「そっち行ったら舟がぶつかる!」
笑い声が止まらない。
昼になる頃には、浜はちょっとした祭りのようになっていた。
「先生!」
ランが大声で呼ぶ。
「何だ。」
「これ!」
「俺、先生っぽくねぇ?」
先生は少しだけ考えた。
「まだ。」
「まだかよ!」
「説明が長い。」
「ぐっ……。」
マリが腹を抱えて笑う。
「初めて先生にダメ出しされたな!」
「悔しい!」
その時だった。
沖で見張りをしていた少年が、息を切らせながら走ってきた。
「先生!」
笑顔が消える。
「どうした。」
少年は沖を指さした。
「また舟!」
「いっぱい!」
全員が振り向く。
水平線の向こう。
今度は漁船ではなかった。
帆が高い。
船体が大きい。
そして、一番上にはためく旗は――
見慣れた王都の旗でも、宗教の紋章でもない。
黒地に、金の錨。
誰も見たことのない旗だった。
白髪の男が、顔色を変える。
「あれは……。」
「知ってるのか?」
ランが聞く。
男は唇を噛んだ。
「知ってる。」
「一番会いたくねぇ相手だ。」
浜に吹いていた笑い声が、潮風と一緒に静かに消えていく。
海は、また新しい客を連れてきた。
本物のイカリって、すごい大きくてビックリしますよね。




