本災ー1
「ふふははは」
者は、両手を高々と掲げながら笑う。
その周囲は、埋め尽くすばかりの……
笑い声に呼応するが如く雄たけびが木々を揺らし、轟く。
それは森の中。それは誰も見ぬ平原。忍びもしない山のどこか。
「さあ、者共、未来なき者共よ。その命を以て───」
集う獣も、それを率いる彼も視線の先は揃っている。
視線だけではない。足が進む方向も、望む景色も全て。
「勇者共の魂を奪い、彼の御方に捧げるのです」
同時に鳴り響く足音、羽音は不協和音すらも相応しくない。
この世界は、惨めなのだろうか。
◇◇◇
今日のホテルの業務は、時間制ではなく掃除と各部屋のあれこれを済ませてしまえば終了という、特別な日だった。それに明日は、いや明日と明後日は休み。素晴らしいことは続いて起こると大半の人が根拠もなく信じているだろうけど、やっぱりそれは真実かもしれない。
真実は得てして根拠がない、というのは少し飛躍しすぎてもいるとも思うけどあながち否定もできない。
今日は何しよう。
そうだ。この前の調査で討伐した熊を、まだギルドに提出してないんだった。
あれは相当大きいし、もしSランク相当の魔獣ならとてつもないお金が……
いやでもあれはみんなが討伐した魔物だし、僕が貰うっていうのは違うか。
それをしてしまったら、幼馴染3人の善意につけこむことになってしまう。
それでも、結果は気になるしね。
もしかしたら、昇級なんてこともあるかもしれない。
なんて未来のことを想像してしまうのは、今の業務にすっかり慣れてしまっているということと、退屈に感じているっていうことでもあるんだろうか。
この部屋のベッドの皺を直して、部屋を出た。
段々慣れてきてはいるけど、それで業務が雑になるのはいけない。そこだけはきちんと意識しないと。
時刻はもうすぐ、挨拶を「こんにちは」に切り替えるくらいの刻。
担当エリアの業務を終えた僕は、気兼ねなくのけ反りながら背筋を伸ばした。
疲れと凝りが、溶けていくみたいだ。
突然、がら空きになった両脇に後ろから手が伸びて、触手のように動き始めた。
今まで綴っていた文字が消えていくような刺激。
頭は笑うしかなかった。
「あはは───うわっ」
それに驚いたせいか、バランスを崩して後ろに倒れる。
同時に、伸びた手は腕となって僕の胸辺りに軽く巻き付いた。
地面に激突する───よりも随分早く、身体は優しく柔らかい何かにもたれ掛かる。
「うぉっと、大丈夫?」
「も、もぉ……」
後ろ頭が肩にかかって、ようやく正体の顔が見えた。
案の定その人だ。
「セレナさん……びっくりしたじゃないですか」
「んん~、何のこと?私、倒れそうなアラト君を支えただけだけどな~?」
わかりやすい笑顔を浮かべている。
「隠す気ないじゃないですかぁ」
「アハハハ」
僕がそっと、身体から離れようとするのに気づいて、腕がほどかれる。
少しの寂しさを残しながら、普通に立った。
目の前には、後ろで手を組んでいるいつものセレナさん。
昼前の日差しが左半身を照らして、笑顔がより美しく見える。
「おはよっアラト君」
「おはようございますセレナさん」
───「はあ……はあ……」
芝と固まった土の上を小さな足音が駆ける。
二つに編まれた髪束が上下へ左右へ、乱暴に揺れる。
息遣いはひどく荒く、目はどこを見るでもない。心にあるそれが、目から入る全てを塗り潰している。
その後方。暗闇が渦巻く森から。踏み固めるような二足が何度も交差して、その小さな足を追う。
段々と。段々と。理性のない重低音が次第に埋め始めた。
「いや、いや!」
振り返る。
「グォォァァ!」
割れ目の目立つ木のこん棒。
力しか知らない握り方のそれは大きく振りかぶり───
「おい!早く戻れ!」
振り下りた。
「うっ!───」
しかし。
目を瞑る少女の頭。その世界の出来事と現実は、随分と異なった。
「てりゃああ!」
鉄の刃が、薄汚い桃色の手首を切り裂く。
赤い飛沫の後、野太く下劣な嬌声。
ぶかぶかの兜と薄い鎧を身にまとった、少し肉付いた男。
両手でしっかりと鉄剣を握り、少女の前に立つ。
二本足の巨大な豚は少女からそちらへ目を映す。
男は少女に目を配った。
「さあ、行くんだ!」
「お、おじさんは」
「いいから。早く!」
踏みしめる駆け足の音すら上塗る、怒号ではない大声。
少女は歯を噛みしめた。
「っ!」
目に映るのは城壁、そして下ろされたつり橋。その城壁の上から、必死な男たちの声が聞こえる。駆ける。
「グォォォ!」
木のこん棒と、鉄の剣。
「ぐっ」
歯を噛みしめながら、脚を踏ん張る。震える刃先に、必死な力を込めた。
「はああぁあ!」
いつしか気だるげに聞いた、兵舎の教官の言葉を思い出し、乱暴な棍棒を左に流す。
そのまま、がら空いた胴を叩ききった。
「グォァァァ……」
力なく倒れた豚。
息を絶やしながら立つ男。彼の頭は、比類ない達成感に満たされる。
それを後ろの男たちが呼び戻した。
「おい!早く戻れ!」
(そうだ!)
吊り橋。木の張り板の上を少女が駆けていき、光る街に消えた。
「よし!」
荒れる息を何とか整えながら、必死に足を出す。
素早く。素早く。
これだけは、仲間内の誰にも勝る、逃げ足。
魔物は人間のその足を、ただ嘲笑う。
「キィィアアァ!」
重なって聞こえる足音、甲高い鳴き声、それが耳を貫いた時。
男は大地に組み伏せられていた。
その勢いで、命綱の剣は手から零れ落ちる。
石のような鱗、四肢を抑える四足の先には、尖った爪。
黄色の強膜、細くたなびく瞳孔。
開けた口の中は、何重にも巻かれた舌と鋭い前歯。
「ひぃぃぁ!」
必死に動かそうとするも、野生の枷を払うことはできない。
首を左右に振り藻掻く。何も起こるはずもない。
不意に彼の首は止まり、入っていた力も抜けていった。
目もどこか遠くを見つめるように動かない。
次には、小刻みに身震いを始めた。歯を何度もぶつけあう。
わずかに動く手首。小さなアリの巣がある芝を手の甲で何度も擦っている。
瞳に映った。
蜥蜴の後ろ、まるでどこまでも続く壁のように視界を埋め尽くす、魔物の群れ。
「キィィアアァア!」
響き合う足音。雑多にばらつくが、何処かそれはまとまっている。
最後に彼の耳へ入ったのは、吊り橋が上がり切り、城壁へぶつかる衝撃音だった。
───昼になるにつれて、日差しはわかりやすく強くなっていった。
靴の裏から熱気が伝わってくる。
何処から現れたかわからない汗も、目尻を伝って首に流れた。
「はあ……」
足が重い。
こんなことならホテルでゆっくりしたらよかったと思うけど、今日は用事があるんだ。
それも僕だけのことじゃないんだから……
「おーい!」
ぼんやりとした頭は、耳からの聞き馴染んだ男の声で呼び覚まされる。
後ろを向くとやっぱり。
横に来ると同時に、勢い任せで肩を組む。
僕の体は前へと押し出されて、崩した体勢を一歩踏み込んで何とか戻した。
「おはよ、ガレド」
「おう!」
彼からは汗一滴も感じない。
後ろの彼女たちもそうだろう。
「ガレド!そんな勢いでアラトにぶつかったら危ないですよ!」
「ん、暑苦しい」
僕の顔を覗く。
「大丈夫だよ別に」
へへ、と笑ってみる。
ホントに気にしてないんだけどな。
どのみち暑いのには変わんないし。
「ほら、無理に笑ってるじゃないですか」
「そうかぁ?」
僕からガレドの腕を引っぺがして、そのまま彼女の中へ引き寄せた。
脇に両腕を通し、ベルトのように固定する。
背中からは優しい体温と柔らかい感触を感じるけれど、何だか暑苦しさ、は微塵もない。
というかちょっと涼しい?
雰囲気で言えば、夜風にあたってる時のような。
「全く、少しはアラトのことを思って行動してください」
「お、おう……」
言葉を口でこらえたようだ。
でも言いたいことはすごく伝わる。
次に、ルーナがこっちを見た。
すぐロゼルに目をやって、口を開く。
「ロゼルも暑苦しい。離れる」
「私はちゃんと魔法具買って対策してるからいいんです」
「そんな魔法はない。離れる」
「あります!というか、一番魔法に詳しいのを利用してそういう嘘をつくのは、すごくずるいと思いますよ!?」
目を逸らした。
鼻からため息をつくロゼル。
触れあっている腕と僕の距離が、より短くなった。
巻き付く腕を引き離そうと掴みに来るルーナを、右に左に体ごと捻って避ける。
足と地面がこすれ合っている。かかとから脱げだしてる気が。
なにより、目、目……
「まあとりあえずさ、ギルド行こうよ」
「あっああそうでしたね」
───そんなこんなで、ギルドについた。
相変わらず中は賑わっている。
受付に行くと、すぐにギルドマスターのロウルさんが顔を出した。
「待たせてごめんね」
「いやいや、全然待ってないです」
何やらトラブルになりかねないロゼルとガレドには、来る道中口利きをしたから、昨日みたいなことにはならないはず。素直でいい子たちだからね。
証拠に、今も意識して口ごもんでいる。
「とりあえずっ……」
ロウルさんはカウンター下の見えないところに手を伸ばす。
掴み引っ張るように取り出して、大銀貨が3枚出てきた。
右と真ん中の2つは天井の光を見事に跳ね返し、左は薄く光りながら、浮彫りは霞んでいる。
「調査報告分の大銀貨3枚」
頭に皆とステーキを食べる絵がどこから湧き出た。
ナイフで切った中の肉汁が唾液を呼ぶ。
「いやあ、長旅だったのに少なくてごめんね」
「いやいや!」「もっとほしい」
「あはは……」「ちょっルーナ!?」
咄嗟に右を向いた。
真っすぐロウルさんを見るつり目は、全く冗談を感じない。
こっちを見た。とぼけている。
ロウルさんは引き攣るような苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「ま、まあ討伐した魔物の買い取りは、ちょっと高めで買い取らせてもらうから」
「すいません……」
「じゃあとりあえず、解体所まで行こうか」
どうやら、解体所はすぐ隣に併設してあるとかで。
よく通る道から逸れた、少し奥まった所。日差しは前後の建物に遮られている。いつも通りながら横目で見ていた場所に入る、日常と非日常の間の感覚。胸も、落ち着いているのか高まっているのかよくわからない。
ロウルさんの背丈よりリンゴ二つ大きく、ささくれの目立つ扉。曇り空のような鉄の取手には、右から薄い茶色の侵食した南京錠が掛けられている。
ロウルさんは、慣れた手つきで鍵を取り出して穴に差し込み捻った。流れるように扉を開く。そこから舞い込む風。ギルドよりもいくらか冷たく、自然の風じゃないとはっきりわかる。
「さっどぞどぞ」
片側の扉を持ちながら手で中へと招く。軽く会釈して、御厚意に甘んじた。
中。天井は見上げるほど高く、その分横も縦も広い。その真ん中に大きな机、傍に小さな丸テーブル。僕のすぐ右の壁には解体に使いそうな道具がずらっと並び、簡易なタンスが置かれている。
捉え様には広いと思えそうだけど、素材のままの壁も相まって、殺風景だ。
そして何より……寒い。
半袖短パンのこの服装では、ずっといたら風邪をひいてしまいそう。
腕はわずかに鳥肌が立つ。
まあずっといるわけじゃないし、大丈夫大丈夫。
「さて……」
歯の隙間から息を吸いながら、皮の出袋を手に着ける。
「じゃあ一旦、倒した魔物見せてくれるかな」
「ん」
机の上、空間が白く塗り替えられる。
そう気づいた瞬間、巨大な熊と大きな熊が降った。
轟音とともに机に着地。
ロウルさんは目を見開きながらすぐに駆け寄る。
「すごいな……こんな大きなベアーディザスタ見たこと……それにこっちはキリング───いや、その子供か」
2匹を触りざわり吟味しながら、ぼそぼそと呟いている。
あ、そうだ。
一応これは言った方がいいのかな。
「あの、僕たちその二匹の血抜きはしてなくて……」
「あうん。ありがとう。じゃあとりあえず清算についてなんだけど」
「はい」
「実は、解体担当が今日いなくて。だから俺だけの作業になるから……部位ごとの勘定もあわせて……明後日ぐらいにはできる感じ、なんだよね」
明後日か……
何か、今日お金をもらえるつもりだった。たしかに、そんなわけないよね。
勝手に期待して気を落としている自分。情けなく映らないよう、口を笑わせる。
「わかりました。よろしくお願いします」
「いやいや、こちらこそ新人に余りものの消化みたいなことさせてごめんね」
「いやいやいや!お金も頂きましたしそんな……」
互いに下手な笑い声を出す。
「アラトぉ」
「ん?」
ガレドが不満そうな声をあげる。
「用済んだならメシでも行こうぜ」
「うんいいよ。じゃあみんなでいこっか」
「おう!」「もちろん!」「たくさん食べる」
「じゃあ、よろしくお願いします!」
一礼。
「うん」
その声を背に、扉を開ける。
「……おじさんには、眩しいなあ」
後ろから何故か、遠い声が聞こえたような気がした。
久しぶり




