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Episode 4. 真澄の提案


「え――結婚? 今結婚って言いました? あなたと……私が?」

「そう聞こえなかったか?」

「……いえ、聞こえましたけど」


 あまりにも突然すぎるプロポーズに、桜子は思わず自分の耳を疑った。


 ――結婚ってこんな軽いノリで口にするものだったっけ? 


 桜子はその二文字(ふたもじ)を何度も頭の中で繰り返す。けれど、明確な答えは見つからなかった。

 それ以前に彼女は既に思考停止状態だ。負荷のかかり過ぎた桜子の脳内は、いきなり湧いて出てきた「結婚」の二文字にゲシュタルト崩壊を起こしている。


 そもそも、今の話の流れから一体どうして結婚話になったのか。

 それに、会ってたかだか30分しか経っていない相手に結婚を申し込むなど普通ならまずあり得ない。お見合いですらもう少し時間をかけるものではないだろうか。


「ええと……西園寺さん」

「私のことは真澄と呼んでくれ。私も君のことは名前で呼ばせてもらうから」

「…………」


 桜子はズキズキと痛むこめかみを押さえ、何とかして自分の気持ちを(なだ)めようと努力する。


「では、真澄さん……一つ確認させてもらいたいのですが、私たちって初対面ですよね? 実はどこかで会っていたとか……そういうことはないんですよね?」

「そうだな。私の記憶が正しければ今日が初対面のはずだ」

「では、それがどうして結婚なんて話に? 私、あなたに結婚を申し込まれる理由に全く心当たりがないのですが……」


 桜子はなるべく平静を(よそお)って尋ねる。

 本当は今すぐここから立ち去りたい気持ちだが、目の前の相手がそれを許さないであろうことはわかっていた。


「なんだ、不満か? 確かに私は分家出身だが、君の相手としてそこまで不足しているとは――」

 ――が、返ってくるのはやはり的を得ない回答で、桜子はますます頭を悩ませる。


「いや、本家とか分家とかそういうことじゃなくって……。そもそも私、まだ自分が伊集院家の人間だって信じたわけじゃありませんし、自覚もありませんし!」

「では何が気に入らない」

「だから、気に入らないとかそういうことでもなくって!」


 桜子はとうとう声を荒げた。

 車内での榊との会話同様、苛立ちの感情が困惑を通り越し、考えるより先に口が動き出す。


「真澄さん、お願いだからすぐに話を逸らすのやめて下さい! 私が聞きたいのは、どうしてあなたが私と結婚したいのかってこと! 相応しいとか不足とか、結婚ってそういうものじゃないでしょう!? だいたい初対面の男性に結婚を申し込まれて、“はい喜んで”なんて答える女性がいると思う!?」――と。

 それも勢いに任せて椅子から立ち上がり、テーブルに両手を叩きつけ、あげく敬語さえも忘れて。


「……あっ」

 だが、彼女はすぐに自分の犯した失態に気が付いた。

 目の前の真澄は、自分の突然の反論に対し、あっけにとられたような顔をしている。

 桜子はそんな真澄の表情にまたたく間に顔を蒼くして、顔を背けることしかできなかった。


 ――ああ、私の人生終わった。

 桜子は、抜け殻のような表情で膝から椅子へと崩れ落ちる。

 何故ならそれは、相手が財閥だからである。分家と言えど財閥は財閥。それを敵に回したら社会的に無事ではいられない。

 それくらいのことは桜子にだってわかっていた。

 が、どういうわけだろうか。いつまでたっても真澄の口から、自分を責める言葉は聞こえてこない。


 ――あれ、なんで?

 長い沈黙に耐えかね、桜子はゆっくりと顔を上げる。すると……。


「……ま、真澄さん?」

 彼女の予想に反し、真澄は怒っていなかった。

 それどころか彼は、桜子から顔を(そむ)けて必死に笑いを(こら)えているではないか。


「いや、君、……本当に面白いな」

 そんなことを呟きながら、真澄はただただ笑いを堪えている。それも、目尻いっぱいに涙を溜めて。


 ――これは、もしかして。


「からかったんですか!? 酷い!」

 桜子が叫ぶと、真澄は笑いを噛み殺して弁解した。


「まさか、からかうなどとそんな。ただちょっと、あまりに素直なものだから」

「そんな、私はずっと真面目に――!」

「いや、すまない。気分を悪くさせたかな? 本当は君の緊張を少しほぐそうとしただけなんだが、やり過ぎたか」

 そう言って彼は笑みを深くする。


「今のは私が悪かった。どうか許して欲しい」

「――っ」


 刹那――桜子は言葉を失くした。


 目の前の真澄の笑顔に。――その、完璧という言葉では足りないほどの眩しすぎる微笑みに。


 あぁ、どうやらこの真澄という男、一筋縄ではいかないらしい。何を考えているのかわからないのは勿論だが、それ以上に笑顔の破壊力が凄まじいのだ。

 イケメン恐るべしである。


「……もういいです。怒ってないので話を続けてください。今度こそ、理由を聞かせてもらえますよね?」

 桜子はその笑顔に免じ、真澄の謝罪に応えることにした。というか、そうする以外の選択肢は無かった。例え真澄の言葉が冗談だろうと嘘だろうと、今の桜子に出来ることは何もないのだから。


 彼女は真澄に向き直る。

 すると彼は、今度こそその顔から笑顔を消した。――ようやく本題に入るようだ。


「……さて、ではまず、私が君に結婚を申し込んだ理由だが」

「はい」

「端的に言えば、君を守る為だ」

「……はい?」

 それは予想外の理由で、桜子は思わず聞き返す。


「私を守る為、ですか?」

「そうだ。これを言うと、まるで脅しのように聞こえるのではと躊躇(ためら)っていたんだが……」

「それ、今更なのでは? こんな場所に人を無理やり呼び出すような方の台詞じゃありませんよね」

「――まぁ、確かに今更だ。では言わせてもらおう」

 真澄は一度咳払いをし、続ける。


「考えてもみてくれ。君は跡取り不在のこの状況を、本家がこのままにしておくと思うか?」

「……どうでしょう。私にはよくわかりません。会ったこともありませんから」

「確かにそうだな。――だが、私からすればそれは決してあり得ない。こう言っては聞こえが悪いが、彼らのやり口は大胆かつ横暴で、思い通りに事を進める為なら手段を選ばない。なにせ金と権力だけは有り余っているからな」


 その言葉からは、真澄が伊集院家をよく思っていないことが想像できた。もしや本家と分家は仲が悪いのだろうか……。

 桜子は、黙ったまま真澄の言葉の続きを待つ。


「彼らはまだ君の存在に気付いていない。だがそれも時間の問題だ。いずれ彼らは君に接触を図り、本家に呼び戻そうとするだろう。そうなれば君の意志とは関係なしに、跡取りとしての立場を期待されることになる。生活はたちまち一変し、外を出歩くことさえままならなくなるだろうな」


 それは先の真澄の言葉通り、脅し文句と言って()(つか)えない内容だった。笑みを消し去った真澄の表情が、これは決して冗談ではないのだと強く物語っている。


「はっきり言わせてもらうが、何の力もない君が太刀打ち出来る相手ではない。だが、私と結婚すれば本家も簡単には手出し出来なくなる。本家が君の存在に気がつく前に籍さえ入れてしまえば、こちらのものだ。

 なに、君の身の安全と生活は保障する。勿論仕事も続けてもらって構わない。――それに、私の方にも君と結婚しておきたい明確な理由があるからな」


 真澄はここで一息つくと、しばらく沈黙を続けた。おそらく桜子の反応を見る為だろう。

 その意図を感じ取った桜子は、応える。


「……話はわかりました。確かに、私の為というのは嘘じゃなさそうですね」

 そして「ですが――」と続ける。


「“私と結婚したい明確な理由”と言うのを聞かない限りはなんとも。真澄さんにも、私と結婚するメリットがあるってことですよね?」

 この言葉に、真澄は首を縦に振った。


「ああ。その通りだ。理由――聞きたいか?」

「勿論です」


 桜子がはっきりと答えれば、真澄は唇の片方の端を上げる。だが、決して目は笑っていなかった。

 その眼光はどこまでも鋭く――それはまるで、狙った獲物は逃がさないとでも言うように。


 桜子はその真澄の変わり様に寒気を感じながら、喉をゴクリと鳴らす。


「私は君と結婚し、今の会社――しいては我が財閥の在り方を変えたいと思っている」


 それは酷く落ち着いた声だった。よく通る低音。そして力強い声音。

 ああ、きっとこれは仕事用の真澄の姿なのだろう。少なくとも桜子には、そう感じられた。


「……どういうことですか?」

 桜子は尋ね返す。

 思わず声が震えそうになったが、必死に堪えた。だって、彼は別に自分に対し怒っているわけでも、苛立っているわけでもない。それだけはわかる。


「桜子さん、君は財閥の定義を知っているか? 簡単に言えば、金持ち一族の経営する企業グループのことだ。これはいいか悪いかは別にして、財閥一族にとってはメリットしかない。無論、私にも……だ。

 ――だが、我が財閥は大きくなりすぎた。一族経営故に腐敗は取り返しのつかないところまで進み、だが決してそれが明るみに出ることはない」

「……つまりそれを、変えたいと?」

「その通りだ」

「その為に、私が必要、と?」

「わかるだろう? 君は本家の人間だ。つまり分家の私にとって、君は何よりも強い力となる。我々にとっては、“血は何ものよりも濃い”んだよ」


 真澄はそう告げると、桜子の返答も待たずに話を締めくくる。


「さあ、私は全てを話したぞ。桜子さん、次は君の意見を聞かせてくれ」


 真澄の鋭い視線が桜子をじっと見つめる。

 決して嘘ではないのだと。理由はともかく、結婚の意思は確かなのだと。……冗談などではないのだと。


「……私……は」


 心臓が早鐘を打つ。

 ああ、こんな話、突っぱねてしまえばいい。巻き込まれたくなどないと、跳ね除けてしまえばいい。


 真澄とは初対面だ。いくら事情があったって、会って1時間で結婚などあまりにも馬鹿げているのだから。


 つまり、答えは“No”である。それ以外にはあり得ない。


「……私は――」


 そうして、わずか数秒の思考の末、桜子は答えを出した。

 目の前の真澄を力強い瞳で見据え――彼女はきっぱりと告げる。


「結婚はしません」

 ――と、その短くも重たいフレーズを。


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