『夏』
八月三十一日月曜日晴れ
朝からよく晴れていた。今日で八月が終わる。窓を開けると、少しだけ涼しい風が入ってきた。蝉の声も、前よりずっと少なくなっている。
夏が、終わる。
そう思うと、妙に静かな気持ちになった。昼間は特に何もしなかった。祖父母の家を掃除するでもなく、どこかへ出かけるでもなく、縁側に座ってぼんやりしていた。この一ヶ月で見たものを思い出していた。山の中で見た雄鹿。羽化できなかった蝉。海で拾ったシーグラス。流星群。祭り。神社。墓地で迎えた朝。向日葵畑。夜光虫。線香花火。随分いろいろなところへ行った。最初は、貴女の夏を知りたかっただけだった。貴女が見ていたものを、自分の目で見てみたかった。貴女が好きだったものを好きになれるか確かめたかった。貴女の言葉を拾い集めていけば、いなくなった理由まで分かるような気がしていた。けれど、結局分からなかった。分かったことと言えば、貴女の夏は貴女だけのものだったということくらいだ。なら、僕の夏も僕だけのものなのだろう。夕方になってから、花火大会へ向かった。会場へ近づくにつれて、人が増えていく。浴衣を着た人。家族連れ。友達同士。手を繋いで歩く人たち。屋台から漂ってくる匂い。遠くから聞こえてくる祭囃子。昨日までなら、きっと貴女のことを考えていた。貴女ならどの屋台へ行くだろう。何を食べるだろう。どんな顔をして花火を見るだろう。けれど今日は、それほど考えなかった。ただ、自分の足で歩いた。考える気になれなかった。空が暗くなる。最初の花火が上がった。大きな音がして、夜空いっぱいに光が広がる。少し遅れて、音が身体に響いてくる。綺麗だった。二つ目。三つ目。その次も。次々と夜空が明るくなる。
山で見た緑も、海で見た青も、祭りの提灯も、線香花火の小さな光も、全部違うものだった。それでも、こうして最後に花火を見ていると、どこかで全部繋がっているような気がした。隣に誰かはいない。それでも、寂しくはなかった。最後の花火が上がる。今までで一番大きな花だった。夜空いっぱいに光が広がって、ほんの少しだけ昼間みたいに明るくなる。そして、消えた。拍手が起こる。僕も小さく手を叩いた。花火が終わると、人々は一斉に帰り始めた。駅へ向かう人の流れに混ざらず、僕は海の方へ歩いた。夜道は静かだった。祭りの音が少しずつ遠ざかっていく。やがて、波の音が聞こえてきた。海岸へ出る。暗い海が目の前に広がっている。貴女と見た海と同じだった。夜の海には、特別なものなんて何もない。波が寄せて、返していく。しばらく砂浜に立っていた。一ヶ月前なら、きっと貴女の言葉を探していた。けれど今は、自分の言葉で何かを考えようとしていた。貴女の夏を知りたかった、貴女の想いを、世界を、価値を……。貴女を通して見ようとも、結局はわからずじまい。元からそういうものだったのだ。
八月三十一日。
僕の夏が終わる。
遠くで、最後の人たちが帰っていく足音がする。
振り返る。
誰もいない。
もう一度、海を見る。
それから僕は、暗い海の方へ歩いていった。
波の音だけが、いつまでも聞こえていた。
深く深く沈んでいく。
もう水の中だ。
せめて僕の夏を、死んでしまった貴女に伝えにいきたい。
何をしても僕の夏、僕だけの夏。
貴女の夏は貴女の夏。
ならせめて、貴女だけの夏でありますように。
『貴女だけの夏でありますように』を最後までお読み頂きありがとうございました。
文章も拙く、読みにくい部分など沢山あったと思いますが、31日間書き続けるということを達成できたことを嬉しく思います。
今後、細部の修正をするので、読み返した時に文が変わっているかもしれませんが、ご了承ください。
連載は一度終了しますが、後日に前日譚とその後を書いたエピソードを追加するつもりですので、もし見かけたらお読みいただけると嬉しいです!




