喫茶店
泥と青臭い通り道。旭日に照らされた稲と道草が白んで見える、初めて貴女の言う『夏』を感じた。
いつも通りの畦道が、貴女の言ったことを理解してから全く別のものに見える。
「何ぼーっと突っ立ってんだよ、早く帰れよ?暑いし」
「うん」
あまり喋る気にはなれなかったので素っ気なくなってしまった。仕方なく畦道をとぼとぼ歩いて帰る。今日は七月三十一日、夏は始まったばかりだ。
三十一の煌びやかで最低な夢を見よう。
八月一日土曜日快晴
八月初日から休日なのでどこへ行っても人が多い、こんな中でも働いている人達には感謝しかない。
昨日は久しぶりにあの葬式の悪夢を見た、棺に納められているはずの死体はなくて、代わりに自分の名前が書かれた紙が入っている。周りには遺影などもなく、ただ暗い和室のど真ん中に棺があるだけ。僕は毎回なにか抗えない力に強制されてその紙を手に、取り破る。決まってそこで目が覚める。今日も冷や汗にまみれて最悪の目覚めだった。
そんなことを思っているうちに駅に着いた。東京を出る前に少し見て回ってからにするつもりなので今日は都心に行くことにしている。
東京住みと言っても端っこの田舎の方でギリギリ田んぼがあるような場所に住んでいるのでこんな都心の人混みに驚きを隠せない。
案の定電車内は混みあっていて息苦しくて仕方がない。貴女はこれに毎日耐えていると思うと尊敬さえしてしまう。確か都心のカフェで働いているのでそのお店にも行ってみてもいいかもしれない。
おじさんの汗と若い人の制汗剤、おばさんのキツめの香水に耐えて目的地に着いた。
電車の無理やりな空調から開放されると今度は暑くて仕方がない。まだ駅から出ていないので日陰だが、もう既に帰りたくなってきている。日暮れ頃から活動すればよかったと後悔したがもう遅い。白飛びして陽炎に眩んだ視界を細めてなんとか歩いていく。
カフェの名前を教えてもらっていないことに気がついて焦ったが、チャットを見返すとお店のリンクが貼られていたのでセーフだった。『叶え屋喫茶 天海』店名からではどんな喫茶か想像できなかったが、店内に入ると何となくわかった。七夕のようなコンセプトで、従業員は各々の理想の服装で業務に従事している。コンカフェとはまた違って、お店の理念としては「叶えたい姿を現実に」としているらしく、少なくない数の様々な系統の服装が貸し出しスペースに置いてある。
「いらっしゃいませ、お一人でしょうか?」
美しい萌葱色の着物に鈍色から梅鼠色のグラデーションの袴、その上から可愛らしくも、スラッとしたエプロンをしたいわゆる袴メイド姿の店員さんが声をかけてきた。
「あ、はい。一人です」
思っていたよりも見つめていたらしく、少し不信そうな目で見られ声が裏返ってしまった。
「こちらご案内致しますね」
通された席は窓辺の角席で椅子のクッションはやけにふかふかで何かが少しだけ許されたような気がした。メニューを広げると空をモチーフにしたスイーツが沢山並んでいる。どれも見栄えが良く食欲をそそられ悩みに悩んだ末、貴女が好きだと言っていた一番星のベリーレアチーズケーキと白夜アイスティーを頼んだ。
店員さんは天海の制服の人、クラシックロリィタの人、ストリート系の人、と幅広かった。なんだか不思議な空間だ。あの女性店員が着ていた袴はたしか貴女が1番お気に入りと言っていた葉桜という袴で、見られてよかったと思うと同時に葉桜を着ている貴女を見れないことを悔やんだ。
「お待たせ致しました、レアチーズケーキとアイスティーでございます」
声は出なかったので軽く会釈した。
紫と青のグラデーションのベリージュレに一番星を模した金箔が飾られたチーズケーキ、少しオレンジがかった白色のグラスに入ったアイスティーは本当に白夜のようだ。
レモン汁を入れていない酸味がほとんどないチーズケーキにベリーの酸味が合わさるのがとても好きだと貴女は言っていたが、やっぱり僕にはあまりわからなかった。けれど、別のものが穴を埋めてくれる気がすると言ったその言葉の意味はわかった気がした。
食べ終えてからしばらく、あまりにも静かな都会の喧騒を窓から眺めた。大通りを車が行き交い、たくさんの人がそれぞれの目的を持って同じように歩いていく。こんなに人がいるのにその殆どは浮かない顔か、何も考えていないのか、考えすぎているのか遠くでも見るような顔をして、溜息と文句ばかりを吐いて楽しみなんて無さそうだった。こうして見てもやはりほとんどの人が可哀想に見える。
人の入りが多くなってきたので会計を済ませて店を出た。人を見下したように可哀想などと思ったが、こうやって一度自分もその中に入ってしまえば同じように浮かない顔をして身を縮こませながら歩いていく。結局この正体の分からない不安と不幸の錯覚の中にいるのが楽なだけだった。揺蕩う人の群れに馴染んで帰路に着く。
今日の夕日は目に沁みて、茹だるような暑さでまとわりついてくる。雲もなく茜色ただ一色に染められた空は、ウザったいのに寂しさを自覚させる最低な空だ。
貴女が言うところの世界で一番美しい空だ。




