間章:時間の牢獄(異界)に囚われた、孤独な王
あの凄まじい転移魔法を使って、ヴェクスと共に飛んだ異界は、常識が通用しない、完全に歪んだ場所だった。
転移魔法を発動させた瞬間、宝珠を託した仲間たちの顔が脳裏をよぎる。
アルドロン、ローゼリア、カスパール、そして……セラフィナ。
彼らに、別れを告げる暇さえなかった。
ただ、彼らが無事であることを願った。
そして、宝珠がいつか、彼らを導いてくれることを信じた。
俺は、あの転移の衝撃で、この異界のど真ん中に放り出された。
ヴェクスも一緒だ。
転移の衝撃で体はボロボロだったが、休む間もなくヴェクスの攻撃が襲いかかる。
異界でも、ヴェクスは人間の負の感情をエネルギーにして力を保てるようだった。
どこまでもしぶとい、存在だ。
「くっ……ここが……異界、か……!」
俺は歯を食いしばり、ボロボロの体に鞭打って体勢を立て直す。
周りは見たこともない風景と、おぞましい魔物ばかり。 歪んだ樹木、血のように赤い沼、奇怪な鳴き声を上げる生物。
そして、俺はすぐに気づいた。
この異界、時間の流れが人間界とは全く違う。
人間界で数百年が過ぎても、異界ではほんの一年くらいしか経たないのか……?
異界での生活は、文字通り、生き残るための、地獄のような日々だった。
ヴェクスは俺を執拗に追いかけ回したが、それだけではない。
あちこちに巣食う様々な魔物たち……巨大な牙を持つ獣、空間を歪める異形、魂を喰らう影……それらもまた、俺を獲物として襲いかかってきた。
敵だらけ。
常に命の危険に晒される。
泥に塗れ、傷だらけになりながら、俺は戦い続けた。
生きるため。
そして、いつか人間界に戻るため、あるいは、せめて自分が世界を救うために消えた、その意味を無駄にしないため。
俺は自身の魔法の知識と、この異界の魔力を吸収することで、辛うじて生き延びる。
「空間切断!」
かつてヴェクスに使った空間を断ち切る技は、異界の魔力を得ることで、より強固な次元の壁すら切り裂く力となった。
「虚無創生!」
存在そのものを飲み込む虚無は、星々すら消滅させかねない規模に拡大できた。
「異界召喚!」
異界の魔物を意のままに従える力まで手に入れた。
俺の力は、日に日に、恐ろしい速度で強大になっていった。
それは、かつて魔法使いの王として人間界で目指した魔法とは、似て非なるもの。
世界の理を超え、存在そのものを操作するような、禁断の力。
俺の体から放たれる気配は、かつての魔法使いのそれではなく、より冷たく、そして圧倒的なものへと変化していく。
俺は、異界に跳ばされてすぐ、指にはめた黒い宝珠を見つめた。
この宝珠は、人間界に残してきた仲間たちの宝珠と呼応しているはずだ。
異界の特殊な力と宝珠を使って、俺は、遠い遠い人間界の様子を観察することができた。
その時、宝珠で見た人間界は、俺が消えた後、ヴェクスがいなくなったことで一時的な平和を取り戻していた。
だが、俺のいない世界で、残された勇者たちが……セラフィナが、アルドロンが、ローゼリアが、カスパールが、悲しみの中で生きている姿を見た。
特に、セラフィナが…… 俺が消えた場所を見つめ、毎日、毎日、涙を流している姿を、宝珠を通して見た時、俺の心は、切り刻まれるかのように激しく痛んだ。
(セラフィナ……俺のせいで……)
彼女の悲しみに暮れる様子を見るたびに、俺の心は引き裂かれそうだった。
今すぐ、彼女の元へ駆けつけたい。
「もう大丈夫だ。ここにいる」と、伝えたい。
だが、自分は異界にいる。
もう、あの頃のようには戻れないのかもしれない。
俺はヴェクスとの戦いの最中も、隙を見つけては、彼らの様子を見ていた。
そして、ある日。
宝珠が映し出したのは、信じられない光景だった。
やつれているカスパールの姿。
没落した彼の家。
そして、彼が手にしている、禁忌の魔導書。
「カスパール! やめろ! その先は、戻れない道だ!」
俺は宝珠を通して叫んだ。
しかし、俺の声は届かない。
その瞳は、狂気に満ち、しかし、どこか深い悲しみを宿していた。
「ルシアン様……あんたがいなくなった世界なんて……俺には……俺には意味がねぇんだよ……!」
カスパールは、禁断の呪文を唱え始めた。
彼の体から、制御不能な魔力が噴き出す。
それは、自らの命と魂を削る、危険な輝きだった。
「馬鹿な真似はよせ! 生きていれば……きっとまた会える!」
俺の叫びも虚しく、カスパールの体が、光の粒子となって崩壊していく。
その輝きは、宝珠を通して見ても、あまりにも痛ましく、悲しかった。
最後にカスパールが向けていたのは、俺への執着か、それとも、諦念か。
その表情は、俺には読み取れなかった。
カスパールは消滅したのか。
彼の探求は、禁忌の代償として、その命と引き換えに終わったのか……。
その後、アルドロンが寿命を迎えた。
そして、年老いたセラフィナ、ローゼリアが順に天寿を全うするのを見届ける。
彼らが、ガイアが創った世界にいなくなったと同時に、彼らの宝珠の光も途絶えた。
これは、俺にとって、あまりにも残酷な現実だった。
ヴェクスを閉じ込める場所としては最高だが、自分がどれだけこの場所で足掻いても、もう二度と、あの頃の彼らと同じ時間を生きられない。
彼らがもういない…… その事実は、俺の心を深く、深く抉る。
深い孤独感が、じわりと、俺の心を覆った。
だが、感傷に浸っている時間は異界にはなかった。
生き延びなければ。
俺を信じて、世界を託してくれた彼らのために。




