13
◆ ◆ ◆
「私は魔女ではありません!」
燃え盛る炎の中で、たくさんの悲鳴が響き渡る。
「……え!」
突然眼前に現れた光景に、私は言葉を失う。
辺りを見回すと、何処かの集落だろうか。燃え落ちる建物から逃げ惑う人々。それを追う兵士たち。
一方的な暴力が、そこには広がっていた。
逃げる人々を兵士たちが捕らえ、魔法を使おうとした者は、容赦なく切り殺されている。
「陛下! 私は魔女ではありません!」
必死に叫ぶ女性の前に、一際立派な鎧をまとう人物が、一歩を踏み出した。
彼は兜を外し、大地に放る。
さらりと黒い髪が風に流れた。赤い瞳が彼女を映し、憎々しげに歪む。
私はその人を見て息を飲んだ。
アゲート?
「先に私を謀ったのはお前だろう!」
「違います! 誤解です! 陛下、どうか信じてください!」
彼は彼女の懇願など聞かず、彼女の首に下がるペンダントを引きちぎる。そして手にしていた剣で彼女の両足を斬った。
「牢に入れろ」
黒い髪の青年は、痛みに転げまわる彼女を置き去りに、その場を離れてしまう。
「陛下! 違う、違うんです……っ」
何度もそう訴えるが、彼の耳には届かない。
すぐに彼女は意識を手放した。
刹那、目の前が真っ暗になった。
凄惨な悲鳴は聞こえなくなり、その代わりに、がりがりと何かを引っ掻く音が響いている。
次第に闇に目が慣れはじめた。うっすらと私の視界に映ったそれに、ごくりと息を飲む。
先程、足を斬られていた女性が牢の壁をひっかいている。
虚ろな瞳に光はなく、汚れた包帯が足に巻かれているが、床に血を引きずったような跡が残っている。
歩けないのだろう。
その悲惨な姿と前世の自分が重なってみえた。
胸にこみ上げる吐き気を抑えるように、私は浅い呼吸を繰り返す。
がりがりがりがり、ずっと壁をひっかき、彼女はぶつぶつと言葉を繰り返す。
「……陛下……へい……か」
私は彼女に手を伸ばす。触れることは叶わず、手が空をきる。
「望み通り、死んであげる……」
「……!」
「だから謝って……謝って……謝って……、このままじゃ死にきれない。自分が間違っていたと謝ってよ……」
彼女は強い力で壁をひっかき続ける。すでに爪は無く、指先は血に濡れている。
気が狂うような目に遭っているのに、彼女の口から出る言葉は呪詛ではなく、ひたすら懇願だ。
がりがりと壁をひっかく音を聞きながら、前世で散々味わった屈辱が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。
アゲートの冷たい赤い瞳が私を捉えるたびに、もうこれ以上関係は改善されないと分かっていた。
彼の不実さえ、最期の瞬間はどうでもよかった。
ただ間違ったことをしたのは私だけではない。
アゲートにも非がある。
それを認めてほしかった。
「わたしも、ただ謝って欲しかったんだわ……」
ふと壁をひっかいていた音が止まった。彼女は顔を持ち上げてこちらを見やる。
初めて真正面から彼女を見た。
その姿に見覚えがあった。
薄紅色のふうわりとした髪。栗色の大きな瞳。
「ローズ……さま?」
◆ ◆ ◆
「ハーライト!」
義兄の叫び声に私の意識は引き戻される。
青い空が視界一面に飛び込んでくる。
顔を傾けると、私は義兄に抱きかかえられていた。彼は目を開いた私を見て小さく息を吐く。
「ハーライト、少し触るぞ」
モルダが膝をついて私の手首に触れた。彼には珍しく厳しい顔をしている。
「……お前、もしかして」
私は身体を起こそうと動き、右手の中に何かがあることに気付いた。
右手を持ち上げると、指に古い鎖が絡まり、飾りが零れ揺れた。
三人はそれに視線が釘付けになる。
ペンダントだ。ペンダントトップには真紅の宝石が嵌め込まれている。宝石は割れ、一部分しか残っていない。
「ハーライト、これは何処で……?」
私の体を支えていた義兄は戸惑いながら問う。
「分かりません……。でも、これ」
モルダが大きなため息をつきながら、私の手からペンダントを受け取った。
「これは魔法具だ。とても古い物だが、この宝石にこめられた魔力がまだ残っている。多分この魔力にハーライトが共鳴したんだ」
「共鳴……? あ、じゃあ、あれはその持ち主の方の」
「何か見たのか?」
「あの……」
言葉を続けようとして、私は涙が溢れて先を告げられなくなってしまう。
「お、おい!」
モルダが狼狽えている。
申し訳ないから早く泣き止みたいが、ぼろぼろと零れる涙が止まらない。
さきほど見た光景が、感じた想いが、胸に広がり苦しい。
「魔女狩りの被害にあった女性の物だと思います……」
二人は言葉を失い、花に囲まれている石碑を振り返る。
「彼女は陛下と呼んでいた方の恋人だったようで、ずっと誤解だと叫んでいました」
「陛下? 何百年も前の、ルフス国王か?」
「いつ頃の国王陛下なのか……分かりません」
私はなるべく言葉を選びながら、見てきた世界を語った。そして牢にいた悲惨な彼女の姿を。
「なんてひどい……」
義兄は眉を寄せて、言葉に詰まっている。
「なあ、ハーライト」
従兄は神妙な面持ちで口を開いた。
「お前は早くジェム国の大地を踏んだ方がいいと思う。ハーライトがペンダントの魔力に捕えられた時、女神の気配がしたんだ。おそらくお前自身は、すでに女神の寵愛を受けていると思う」
「寵愛……ですか」
「ああ。何も寵愛が魔力を持つことだけとは、限らない気がしてきたんだ。それを確認したい」
「なるほど……」
モルダの言葉が腑に落ちて、私はゆるゆると立ち上がった。
義兄が支えるように腕に手を添えてくれる。
「先を急ぎましょう。そもそも、おばあ様に会いに来たのですし、ジェム国の大地を踏むつもりでした」
「体調は大丈夫か? 俺が馬車を探してきてもいいぞ」
モルダは義兄を見やり、二人で何か頷きあっている。
「大丈夫です。歩きながら見つけた馬車に乗せてもらいましょう」
なるべく元気よく笑ったつもりだったが、彼らは困惑を深めたようだった。
しばらくして、根負けしたように二人は先を進み始める。
二人の背中を追いながら、私は足を止めて、先ほどの石碑を振り返る。
綺麗な花畑だ。きっと死者を想い、当時の人々がこの場所を選んだのだろう。
魔法使いたちは慕われていたのだ。
あの華やかな容姿の彼女も。
義兄たちには話していない。
ペンダントの持ち主であり、魔女狩りの被害者が、ローズ=フラックス伯爵令嬢と容姿が似ていたことを。
陛下と呼ばれた青年が、アゲートと容姿が似ていたことを。
何故か話せなかった。
「ハーライト?」
義兄が振り返り、心配そうにこちらに戻ってくる。
「お義兄さま、私も彼女と同じなんです」
「彼女?」
手に握りしめていたペンダントを差し出すと、ちゃらりと鎖が音を立てた。
「私も、ただ殿下に謝って欲しかっただけなんです」
「ハーライト……」
また泣きそうになって、ぐっと目元に力を入れる。
ただ謝ってくれたら。
熾烈な怒りも、悲しみも少しは癒されたはずだ。諦めるしかないと、納得することもできたかもしれない。
「ハーライト、行こう」
義兄は何も聞き返すことなく、手を差し出した。
手を重ねるとぎゅっと握り返される。
ほんのり胸が温かくなって、癒やされるような気がした。