儚い春の宴
目をつぶって、襲い来る痛みに備えようとしたがいつまで経っても衝撃がこない。潮騒の音ではなく、可愛らしい鳥のさえずりが聞こえてきて思わず目を開ける。
そこには、石造りの祭儀場ではなく畳敷きの和室が広がっていた。えっと、ここって。何だかちょっと見覚えがあるけど。目線の高さと視界にチラチラ映る黒に驚いて自分の姿を見れば、日に当たる事が無いから日本人の中でも白めの肌をもつ人間の手があった。黄色い猫ではない、久しぶりの『私』の姿だ。
あれ、日本に帰って来たの。でも、それなら私がいるのは教室でなければおかしい。服装も制服のはずなのに、今の私はお気に入りの桜色のニットワンピースを着ている。どういうこと? 周りを見渡せば何処か落ち着く畳敷きの日本家屋の中。誰かいるかなと立ち上がり、銀箔の張られた品の良い襖に手をかける。欄間には雲と流水の透かし彫りがされている豪華な造りの部屋に覚える既視感に、まさかと言う思いがつのってくる。
決意を込めて襖を開ければ、豪華なひな人形が置かれた和室に出た。今って、ひな祭りの時期なのかな。部屋に飾られた可愛らしいピンクの花を満開に咲かせた桃の花が、良い芳香を放っていて癒される。私が異世界に来たのは11月の終わりだから、こっちでもずいぶん経ってしまっているな。
と思うが、あっちで過ごした時間はまだ2か月行くか行かないかの時期だから計算がオカシイ。でも、世界を渡るならそれ位ダイナミックな時差があってもおかしくないのかなと悶々と考えていると、和室の奥に窓辺で暖かな日の光に照らされ、柱にもたれて心地よさそうに眠っている青年を見つけた。茶色の髪が日に透けて、金の光を帯びている。思わず声をかけそうになって、慌てて飲み込む。起こすのは可哀想だ。
日本家屋に相応しい灰色の着流し姿の青年には、若草色のカーディガンが掛けられている。私の前に誰かが、お昼寝している彼を見つけて風邪をひかないように上着をかけて行ったのだろう。って、事は他にも誰か居るのならそっちに声をかけた方が良いかも。見覚えのある家に見覚えのない人がいて戸惑うが考えていても仕方がない。
そう思って踵を返そうとしたところで、違和感に気づく。
いっそ死人のような病的なまでに白い肌をしたその人の首には、二重の赤い筋が走っている。遠目にはチョーカーの類かと思ったが、よく見れば刃物で切り裂かれたようにパックリと傷口が開いて、時間が経って黒く固まりだした血の筋が垂れている。
「殺人事件だ―! ちょっと、お医者様居ませんかー!」
まずは、まだ生きているかもしれないから呼吸の有無を確かめないと。後は、止血。持っているハンカチで大丈夫だろうか。保健の知識を思い出すんだ。こういう時は直接圧迫法を使うのかな。あ、でも場所が場所だから気道を塞いでしまって窒息させてしまうかも。やはりここは、110番と119番通報するのが先決か。
「ちょっと五月蠅いよ。日奈さんが起きちゃうでしょ。その反応3回目だけどいい加減慣れないの?」
すぱーんと小気味いい音を立てて、襖があき、呆れたような声が聞こえてくる。振り返れば、湯呑が3つ載ったお盆を持った長い黒髪の少女が立っていた。うわー、友人だー、久しぶりー!
「んー、んう? あ、ごめん。僕寝ちゃってた。あ、こんにちは。佐藤さん、いらっしゃい。こんな格好で出迎えてしまって申し訳ありません」
アワアワしながらそれまで寝ていた青年が起き上がった。良かった。生きてたー。私は思わず泣きそうになるが、それよりも傷が気になる。
「痛そうだけど、あれ、大丈夫なの?」
「僕はもう死んでいますから、痛むことはありませんよ。でも、貴方に悲しそうにされるのは嫌だから隠しておきましょうか」
え、死んでる? 思わず彼の方を見たところで、夕暮れの色を写し取った綺麗な瞳を持つ美人さんに見覚えがあるような気がしてきた。彼は、どこから出したのか紺色のマフラーを首に巻いて、痛々しい傷を隠した。垂れ目がおっとりした雰囲気を出すこのお兄さんを、私は何処かで見たはずだ。
「あー、沈丁花の下の幽霊さんだー!」
そうだ。思い出した。友人が12月の終わりに沈丁花が満開になるのは珍しいからと、その雪が花の形を取ったような白い沈丁花の下で写真を撮ったら、映り込んで来た幽霊のお兄さんだ。生前の記憶がない彼を、これも何かの縁だからと一緒に住むことにしたと友人は電話で言っていたけど、仲良くやっているようで良かった。
「そ、そうだけど、え、佐藤さんとは昨日も会いましたよね? まさか、そんな反応をされるとは」
お兄さんの台詞に戸惑う。いや、私今の今まで異世界に行っていたから君とは会った覚えがないし、友人が送ってくる写真越しにしか知らないはず。
疑問符をとばしまくる私を見て、友人も説明を追加してくれる。
「ほら、昨日夕方買い物している時に偶然会ったでしょ。その時に日奈さんも一緒について来てくれたんだ。それで、紺のマフラーをしているから、どうしたのですか? って貴方が聞いて、私がバレンタインチョコと一緒にマフラーを贈ったんだよって話をしたでしょ」
いやいや、待ってほしい。そんな記憶ないけど。ただ、バレンタインの贈り物としてチョコ以外に彼に似合いそうなマフラーを見つけたから、プレゼントとしてどうかな、という相談は写真付きでされていた。
日本と私がいた世界は、2ヶ月の時差があったから、まだ1月になったばかりなのにもうバレンタインの話かと、少し呆れていたのだが。あと、受験生がそれでいいのか、という気持ちもある。だから、まだバレンタインの贈り物をしたという報告は受けていなかったのだ。でも、お兄さんに無事渡せたのなら良かった。
「大丈夫? このところ受験だ何だって色々立て込んでいて疲れてるんじゃない。今日は、異世界から無事に戻って来たお祝いにプラスしてひな祭り会を開いてるんだけど、それは覚えている?」
初耳です。そりゃ、友人には定期的にあの世界の写真を送りつけるテロをしているから、私が別の世界に居たことを友人は知っている。でも、今私あの世界から帰ったばかりだから、日本に戻ってきたことは誰にも連絡なんてしてないし、当然彼女も知らないはずだ。ひょっとして、記憶にないだけで私が日本に戻ってから何日も経っているのだろうか。
「取りあえず美味しい物食べようよ。今、ごはんを持ってくるからね」
その言葉を受けて、今まで大人しくしていた雛人形がわらわらと動きだして部屋を出ていく。普段は舞い踊ってばかりいるあの子たちが大人しいからどうしたんだと思っていたが、ちゃんとこっちに挨拶してくれて歓迎した雰囲気を出してくれているから嫌われてはいないらしい。
友人の家は、旧華族の家柄で歴史も古い。そのため、先祖代々の雛飾りがあるのだが、そのひな人形たちはこの家の人間を守るという使命を果たすために、意志を持ち、動いたりしゃべったりすることが出来る。家が近所ということもあって、私にも優しくしてくれる大事な友だちでもある。因みにお雛様は恋愛のお話が大好きで、そのネタで友人とよく盛り上がっている。
人形たちが器用に、チラシずしやから揚げに、お刺身、かぼちゃの煮物、雛あられがのったお皿を持ってきてくれたので、お礼を言って受け取ってテーブルに並べていく。カスタードクリームと一緒に苺を巻いたロールケーキや、苺がたっぷり載ったショートケーキは食後のお楽しみだな。
甘酒で乾杯し、料理を楽しんでいると三人官女とお雛様が控えめに声をかけて来た。
「そう不安に思われなくてもリュイ様は貴方の事を怒ってはいらっしゃらないと思いますよ。佐藤様のことは、私どももふくめて皆大好きです。むしろ、私たちは貴方を犠牲にさせたあちらの方々に怒っております」
「そうですよ、まさか世界を救うためとはいえ御身を犠牲にされるとは。こうして、またお会い出来て本当に良かったです」
確かに、私は国を救うための生贄にされかけてはいたけど、あれ、何でお雛様たちがそれを知っているの?
「まー、でも、あっちの世界に行く方法が無くて向こうの様子も分からないんじゃ、本当にみんなが大丈夫なのかどうか心配にはなるよね。ほら、今日は美味しい物食べて、元気出して。貴方の好きなから揚げもあるよ」
こちらを気遣う友人の言葉に胸が暖かくなる。
「私は大丈夫だよ。向こうに残してきちゃったリュイさん達のことは気になるけどね」
ミオさんとの仲は進展していてくれるといいけど。でも、私が急にいなくなったからきっと心配をかけているだろうな。本当に申し訳ない。
「貴方が気に病むことは本当にないです。本来ならあちらの住人が対処しないといけない問題なのに、貴方に頼る事になってしまったのだから」
申し訳なさそうな日奈さんの表情に、それこそ貴方が一番気にする必要ないのではと言いたくなる。善いひと過ぎるよ。暗い空気を払拭するために私は意識して笑顔を作った。
「もうこの話やめ! 今日はお祭りなんだから騒ごうよ!」
五人囃子が心得たとばかりに演奏を始め、三人官女が優雅に舞い始める。それを眺めながら、私はふとお兄さんに目を向ける。傷を隠してしまえば、幽霊だなんて思えないな。
「どうかしましたか?」
「いや、マフラー良く似合っているなと思いまして。良かったですね」
「うん、僕のために選んでくれたものだからとても嬉しい」
マフラーに半ば顔を隠すように顔を埋めながらも、浮かぶ幸せそうな表情に思わず目をそらす。あの笑顔、直視したら殺される。友人は、両目に手を当てると無言で空を仰いでいる。尊さで天に召されているんだろう。骨は拾ってあげるね。あと、無言で鼻血垂らすのは怖いから止めようね。お兄さんも心配しているよ。無言で箱ティッシュを投げつければ、正気に戻ったようでいそいそと鼻血をふき始める。
「私が男だったら抱いていたわ」
小さく呟かれた友人の言葉何て聞こえない。お兄さんの貞操を守らなくては、という使命感にかられる。
その後は、食事を楽しんだり、百人一首で遊んだりしているうちに日が陰って来た。
「もう夕方?」
時計を見るが、まだ昼の2時だ。
「ニュースで散々言っていたはずだけど、今日は部分日食が起きる日だよ。日が陰ったように感じるのは、今が丁度蝕が大きい時間帯だからじゃない」
いそいそと、友人が戸棚から日食を観察するためのグラスを人数分取り出してくる。用意がいいことだ。ふと、視線を感じて振り向けばお兄さんが私の方をじっと見つめていた。
「あぁ、陽のいたずらだったんだね」
謎めいた言葉に聞き返そうとしたところで視界が歪み、気づけば私は砂漠に広がる花畑に立っていた。
「それ○○の名言!」というツッコミを適宜入れてくれる友人の登場です。彼女は古風な雰囲気の美少女ですが、性格は隠さない変態です。
3月いっぱいまではひな祭りだから、このお話を今日投稿しても大丈夫ですよね(白目)




