第十一話:転化
手刀を打ち込み、蹴りを入れる。
陽の気で身体強化をして、力や速度を上げてみる。それらを試してみても、結界は壊れなかった。
ケイリンの言う通り、どちらの気も込めないといけないのだろう。しかしバツや他の住民たちの目が気になり、思うように陰の気が膨らまなかった。切羽詰まって夢中になっていたときはできたとはいえ、これからはそんな不安定なままではやっていけるわけもない。
「……見られてると、集中しにくい?」
バツはつぶらな瞳で、心配そうにしている。セイランは首を横に振った。
「大丈夫。それにどんな状況でも、つかえるようにならないとね」
ケイリンの見立てでは、無意識に何かを気にしているらしく、体が強張っているのはその影響もあるのかもしれない。生活のためでもないのに、何かを壊すということに躊躇いを感じているのだろうか。
「小娘、考えすぎてねぇか? 嫌いなやつをぶっ殺すくらいでいいんだよ、こんなのは」
「あんたみたいには、なりたくない」
ユウロンは二度寝から、昼間になってようやく起きてきたらしい。
もう午の刻、お腹が空くのを感じてはいても、セイランはやめるにやめられない気持ちになっていた。
意地になっているのかもしれない。それでも、嫌いな人だからといって、殺したいとまでは思わない。
「けっ、勝手にしろ」
ふんぞり返るユウロンを見ていると、ふつふつと陰の気が膨らむのを感じる。でもそればかりに頼ってもいられない。ただの衝動ではなく、もっと確かな何かが欲しかった。
「セイラン。おにぎり、どう?」
飛んできたバツは、おにぎりを持っていた。バツに言われては断れない。セイランは椅子に腰かけ、おにぎりにかぶりついた。
「おいしい?」
「うん、おいしい。ありがとね。バツのおかげで元気が出てきたよ」
バツは顔をほころばせている。時間が経って冷めてしまってはいるが、それすらも心地よく温かさを感じた。
「もう冷めてて、本当はまずいんじゃねぇの? ひゃはは!」
水を差してくるユウロンに、セイランは青筋を立てそうになった。バツは申し訳なさそうな顔になり、余計にそういう気持ちになってくるが、ユウロンはしてやったりという表情だ。
「わたしの力であっためればよかったよね。ごめんね、セイラン」
「ううん、そんなの気にしないで。もし冷たかったとしても、心は温かくなるんだから……」
「……そうなの? でもわたしも、あべこべなのは同じだったな。周りは干上がっちゃうのに、寂しくて心は冷たかったから……」
「感じることが、あべこべ……?」
バツの言葉に、何かが閃きそうになった。あまりにも冷たい物に触ると、一瞬刺すような熱さを感じたり、風邪で熱が出ているのに、寒気がしてきたりすることがある。
このおにぎりの冷たさと相反する、心の温かさとも通じているのかもしれない。
結界の前で、セイランは手に気を込めた。笑いすぎて苦しい、つらすぎて笑えてくる、なんてこともある。
極限に達するとき、何かが変わるのかもしれない。セイランは左手を振り下ろした。
──結界は裂けた。
極まれば、逆転する。
心の温かさ、陽の気を陰の気に転じさせたのだ。
「ほう、転化だね」
「これが、転化……」
「陽を極めれば、陰となる。逆もまた然り。よくやった。総量の問題はあるが、まず第一歩だね」
肩に手を置き、ケイリンは微笑んだ。バツは飛びついてきて、セイランは抱きしめた。
「すごいよ! セイラン」
「バツのおかげだよ。ありがとう!」
ひとしきり喜びを分かちあい、ふとユウロンを見ると複雑そうな顔をしていた。解封が近づくのはいいにしても、面白くはないといったところだろうか。
「ユウロン、お前はやったことないんじゃないかい?」
「は、はぁ? やれるけど、やらんだけだ! そんなみみっちいこと、するまでもねぇんだよ!」
目を泳がせて強がっているユウロンを見れるなら、やった甲斐があるというものだ。そんなしたり顔のセイランだったが、長くは続かなかった。
鳥のような黄色の式神が飛んできて、ケイリンはわずかに唇を噛んだ。そして静かな声で、セイランにささやいた。
「ユウロンの封印解除の準備をしなさい。できうる限りの解封ができるように」
冷静に見えるのに、緊迫感のある、ただごとではない声色だった。シャオたちにも何か耳打ちし、雰囲気も普段とまったく違う。
「おい! どうなってんだ!? 急にどうしたよ」
「封印を解くから、ちょっとじっとしてて!」
「それはいいが、何事なんだ……?」
その疑問に答えるかのように、大きな地響きとともに轟音が聞こえてきた。
木々が燃えているようで、黒煙が立ち上って焦げ臭さが漂ってきている。集落の中心にある石に、ケイリンは気を送り込んでいるようだ。
この地の結界の要となる、護石なのだろう。
「戦えない者は、あたしに任せて結界の後方に避難しな! バツもあたしの傍に!」
どうやら、矢が飛んできているのが見える。
矢は空中で火がついて、結界がなければ、セイランたちや建物に飛んできていただろう。セイランの左腕はまた疼きだし、頭を抱えたくなった。
でも今は、解封に集中しなければ。
「──第一封印、解!」
せめてもう一つ。セイランの悪寒は止まらず、もう一つは解かなければどうにもならないという予感で、頭がいっぱいだった。傍にはバツがいる。バツのためにも、みんなのためにも、そうしなければならない。
「転化──第二封印、解!!」
ユウロンの右腕に続いて、左足の封印が解かれた。もう背格好は、セイランと変わらないくらいになっている。
「……ババア、あの野郎が来たんだな? これでも、まだ足りねぇぞ」
「人皇軍の騎兵中隊が来たみたいだ。規模はそこまでじゃないが、ズァイロンはさすがにまずいね。強引に結界を壊されちまう」
四龍のうちの一人、赤龍の化身と呼ばれているのがズァイロンだ。ランフーですら、ユウロンには押されていた。
何の制限もなく襲いかかってくるのだとすれば、脅威でしかない。
山々が天然の要害になっているとはいえ、門の周辺は炎で焼き払われていて、もう迷彩の役割は果たせていないだろう。
「おそらく、ユウロンを狙っている。人皇は権力の象徴である、龍を欲しているようだからね」
「そんな、私たちのせいで。皇子のは冗談だと思っていたのに……」
「人も内乱続きで、宮廷も一枚岩ではないだろうさ。シユウ復活の前に、中央を奪取しようって腹だろう」
さすがのユウロンも、余裕の表情ではない。
こんなことが起きているのに、なにもできずに誰かに頼ることしかできないのかと、セイランは肩を落とした。そして灼熱の炎で、結界だけでなく門まで文字通り溶け、空いた穴から炎が噴出してきている。
そこから煙とともに現れたのは、赤龍の化身であるズァイロンと思しき男だった。




