~INVATION TO HELL -3- ~
「呼ばれてるよ、木下くん」
昼休み、水城と何人かの少年たちと弁当を食べていたら、クラスメイトの1人の少女が席まで来てそう告げた。
「え、」
誰だろう。心当たりの数人を思い浮かべつつ箸を下ろし、腰を浮かせた。
「誰?もしかして…女子!?」
窓際にいた少年が色めき立つ。キノっちに限ってそりゃないわー、と別の誰かが制した。いや、万が一ってこともあるだろ。水城も箸を下ろし、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「好き放題うるせえわ!………えーと、誰?」
あいつか、さもなくばあいつかと頼ってきそうな少年の顔を一人一人思い浮かべる。
まあ大方誰かが財布か教科書を忘れたのだろう、とその時の俺は楽観的に構えていた。
「C組の阿部くんってひと」
少女はそれだけ告げると、じゃーね、とひらりと教室を出てしまった。
(………阿部?そんな奴いたっけな…)
予想に反して、聞き覚えのまったくない名前だった。
「キノー、お前も男だろー」
「頑張ってこいよー」
ヒューヒューと口笛つきの使い古された声援が飛ぶ。
「うるせえよ!…違うからな」
…でも誰だろう。
なんだかおめでたい勘違いをしているクラスメイトに叫び返し、教室を出た。
すると―――――
そこには――――――
「やあ」
余裕の笑みで手を振る、今朝の死神がいた。しかも制服姿の。
「…ぁ……あ…あ………」
なぜお前が。なぜここにいる。
言葉が出なかった。いろいろな意味で。
…制服はどうやって入手したのだろう、と意識を違う方向に持っていこうとしたが、やはり死神は死神である。瞬く間に朝の恐怖が蘇ってきた。膝が笑い出した。重力を失いそうになる。
「っぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
意識してもいないのに全身が総毛立った。朝は見つけ出して殴ってやるなどと息巻いていたくせに、いざとなった俺は情けなく叫んでいた。
即刻逃げ出そうとするも、がっちりと両腕をホールドされ、抵抗もできないままずるずると引きずられていく。
「ちょっと我慢しててねー…すぐだから」
爽やかな声が頭上から降ってくる。人の心中をちっとも察しようとしない、脳天気な声だ。
「おまっ…ふざけんな!離せ!コラ!」
誰か助けてはくれまいかと必死の思い出辺りを見回すも、近くの生徒たちは皆、微笑ましいものを見る目で俺たちを見ている。
…ダメだ、完全にじゃれあっていると思われている。俺は今命の危機だ。
「おい!お前、死神っ、離せよーっ!!」
足だけでもがいてみると、死神の膝らしき骨に上履きがクリーンヒットした。
死神は足を止め、俺を見下ろした。
「――僕は、死神だ」
信じてもらえないかもしれないけど、打って変わって冷たい声が降ってくる。しかし、痛そうに顔をしかめていた。
悪いことした、という感情が胸の中いっぱいに広がる。
…というか今蹴ったのは、人間と変わりない、肉のついた膝だった。そして…死神にも痛覚ってあるんだな。
死神だ―――お前の息の根を今ここで止めることも出来る、そう言っているように聞こえた。
優しさとか、慈悲だとか、そんな感情さえも諸々を消した声だった。
「君の悪いようにはしない、だから――」
俺は死神を見あげた。
瞳が、血のように紅い色に染まっていた。
(………本物…………………嘘だろ………………!!)
今までインチキ詐欺師だとばかり思っていた。急に胃もたれするほどの現実に眩暈がする。
「黙ってついてきて」
そう言うと、先程の柔和な顔つきに戻って、また俺を引っ立てていった。俺は喚きも、声を上げもしなかった。ただ引きずられていくのみだった。
先程の死神の「悪いようにはしない」を嘘だと思うのは、何か悪いような気がしたからだ。
連れてこられたのは、旧館の屋上に続く階段だった。
人通りが途切れるのを見計らい、死神は俺を放して一番上まで登るように言った。
「僕だって死神業をしている時は人目につきたくないからね」
とか言いながらも、後ろをついてくる。
「まさか、うちの学校に死神がいるなんてなぁ…知らなかったぜ」
また手が震えている。誤魔化すために皮肉を飛ばした。
死神は笑っただけで何も答えず、俺を追い越して、先に階段に腰掛けた。俺も少し距離を取り、同じ段に腰掛けた。
「僕は」
死神が口を開いた。薄い、吹けば体ごと飛びそうな笑顔を浮かべて。
「はい」
「死神です」
………………………………………………………………………………………。
「……………………はあ」
それは今朝聞いた、と俺は心の内でツッコミを入れる。
「改めてよろしくお願いします」
死神が襟元を正してこちらを向く。軽く会釈までされた。
仕事の時は敬語じゃないとやりづらいのでこの口調のまま失礼します、と死神は前置きして、
「あと、笑わない決まりになっているので多少冷たくなるかもしれません」
「はあ、こちらこそよろしくお願いします」
な、何なんだこいつ、と呆気に取られながら、俺も頭を下げ返す。そして何なんだこの間の抜けた状況。
「君の」
「はい?」
「君の名前は?」
「えーと…」
もっと深刻な質問が来ると思っていた。いつ死ぬか知りたいか、とか。
何が悲しくてこんなシリアス一辺倒なはずのシーンでそんなこと聞かれなきゃいけないのだろう。死神なら、前もって名前くらい調べて来いよ…格好つかねえだろ、という言葉を悲しく飲み込んだ。
死神の存在なんて元から信じていなかったが、仕事をするのに名前を聞く間抜けな死神なんてさらに信頼が揺らぐ。
…(…というか仕事って……)
今正直に答えたら、俺、もしかして死ぬ……!?
「どうかしました?」
「ああ、いや、なんでも……」
(大丈夫だよな……?さっき悪いようにはしないって言ったもんな…もし嘘だったら怨霊になってこの学校に死神がいますって夜な夜な電話でもしてやろうそうしよううあああああああああああこっち見てるよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお)
「あの…仕事の前に名前が間違っていないか確認したいだけで、別に取って食うわけでは」
悶絶している俺を見かねたのか、死神がじっとこちらを見ながら言った。
「なんだそうなのか…心配して損したぜ…俺は、木下XXX。間違い、ないの?」
この状況にあってはどうか間違いであってほしい。
死神が頷く。
「はい、間違いありません。あなたです」
「間違ってないのかよ!」
「こんなお名前は、あなたしかいません」
死神は無感動な調子で続ける。
「そして、我々の本質にかなっています」
(名前?)
ああ、と俺は頷く。
俺の名前は、自分で言うのも何だがかなり特殊な方だ。自慢じゃないがこれまでの17年の人生の中で、自分と同じ名前の奴に出くわしたことなど一度も無い。日常生活はおろか、ゲームや小説のキャラクターでも。
「まあ確かに、お前らのやっていることと似てるかもしんないな…」
死神の仕事なんて人を殺すようなことしか思い浮かばないけど、言葉の意味からしてそうなんだと思う。
「よき真名です…と、名前のことはそれくらいにして、僕はあなたに渡さなければいけないものがあります」
「なんだよ!!」
ざわり、と全身の皮膚が粟立つ。間を置かず、俺は聞いた。ここまで来て、抑えた恐怖心が再び起き出さないように。
「まず、一つ目 ――お返しするもの」
死神は、胸ポケットから黒い手帳みたいなものを取り出し、差し出した。
手帳だと思ったそれは、俺の携帯だった。
「えぇぇ!?何で、お前がっ…?」
死神は呆れたように首を振った。
「今朝、落としていったのに気づかなかったようで」
…言われて思い出す。確かにそうだ。俺はこいつに驚くあまり手から携帯が滑り落ちていった。その後拾った記憶がない。
「…ありがと、ってそれだけじゃないよな?」
「はい。僕があなたに用があるのは、むしろこちらの方でして」
死神は、膝の上の俺の携帯を取った。
ちょっと失敬。呟いて、カバーのサイドポケットから黒い紙片を引き抜いた。
「何それ?」
死神は、皺を丁寧に指で伸ばしながら答えた。
「復讐チケット、です、」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
復讐?あの、数学とか英語のヤツじゃないよな、revengeの方。混乱する頭でも、それだけはわかる。ただ、わからないのはもっと単純なこと。
しかし、なぜそれを俺が?
何のために?
どういうことだよ―――――
「木下さん―――木下さんで呼び方いいですか?今日からこれは、あなたのものです。拒否は許されないので、受け取るしかありません」
携帯に黒い紙片―復讐チケットを重ねて差し出し、死神は再びこちらを向いた。
黒い厚紙にところどころ、乳白色の小さな模様が散らしてある。そしてその中央に、滴る血のようなおどろおどろしいフォントで何やら英文が書いてあった。
「……面倒くさいからXXXでいいよ…?いんべてぃしょん?…とぅ、Hell?地獄?え?」
「 ーINVATION TO HELLー 」
大きく印字されている不気味なその文字を、俺は最後の「Hell」しか読めなかった。………地獄。
ただなんとなく、不吉な意味なんだろうということだけは推測するまでもなかった。乳白色の小さな模様は、ひび割れたしゃれこうべのマークだったのだ。
「地獄への誘い、とでも訳せましょうか。あなたはそれを使って、1人の人間に復讐することができます。」
「…………えー……はあ……」
うまく事態が飲み込めない。
「つまりこれを使うと復讐出来ると?」
「はい。しかしいくつか制約があります。守らなければ最悪死にますからご注意願えればと」
「ぶっ!?」
そりゃまた随分と肝が冷える話だ。まあ、死神の持ってきたカードなんてそんなもんだろうと…っていうか、
(…本当に効くのか、これ?)
その疑念が、未だ払拭出来ていない。
朝の失態を思い出すと、安堵が込み上げると同時に正体から疑ってしまう。
(でももし、…本物だとしたら?)
想像することすら恐ろしい。
俺が、誰かを……手酷く、傷つける…殺す、ことになるかもしれない。この手で。俺の意思で。
(……………醜い)
身震いがした。
俺に構わず、死神は解説モードに入ってしまった。出くわした時の笑顔のかけらもなく、淡々と機械的に。
「まず、先程も言ったとおりこのチケットの効力は絶対です。受け取りの拒否はできません。
使い方は、僕に復讐したい旨を伝えさえすれば、即座に実行――もとい、執行されると思ってください」
「じゃあ俺がもし、受け取りたくない、と言ったら?」
なんとなく予想はついている。さっきこいつは「制約を守らなければ死ぬ」と言っていたから。
「…残念ながら、その場で地獄にお送りすることになりますね」
…身震いが再来した。やっぱりか。
「…どうやって?」
どうせ残虐な殺し方なんだろうな、と思う。鎌を持っていると聞くし。
「鎌で――」
「ああああああああああああああぁぁぁもういい!ストップ!……俺は、受け取るしかないみたい、だな」
「そう、ですね」
「他には?」
「…死を願ったからといって、必ず殺せるわけでは、ない」
「?」
どういうことだろう。
「復讐というのは、必ず誰かが死ぬわけじゃない。死ぬことが許されないほどの苦痛もあります。」
「どういうこと?」
突如、死神の喉がヒュウ、と音を立てた。
静寂が訪れる。急に、昼休みの喧騒が耳に返ってきた。
「一時的な殺意に任せて殺すより、生かしておいて苦しめる。そういう考え方をする人も一定数いるのです。だから、そういう復讐もありです」
「わーお…」
ある意味殺すより質は悪いが、確かにそれは妙案かもしれない。となると―――
「なぁ、それってさ、そのあとそいつに嫌な思いをさせるってことも出来るわけ?」
「もちろんです。あなたが望むまで、僕は付き合いましょう」
なるほど。殺すだけが復讐じゃない。そう考えると多少気が楽になった。
殺さないでいいならそれほど罪悪感を感じないで済む。
「期限は?」
「特に決めていません。でも、できる限り早めにお願いしたいですね」
つまり、しばらくの間は引き延ばし可能ってわけか。
(なら、簡単じゃん。大したことないじゃないか)
「わかったよ死神、受け取るよ」
遅まきながら、俺は覚悟を決めた。
「そうですか。それは何よりです。…では、どうぞ」
死神が再び不気味なチケットを差し出す。
俺は恐る恐る、少しずつ指を伸ばし――――受け取った。そしてそのまま、死神がやっていたように携帯のカバーに挟み、携帯ごと胸ポケットにしまった。
「契約完了です、どうぞ」
スイッチを入れたように、死神に笑顔が戻った。
「これで俺は誰にでも復讐が出来るってわけか…」
あれだけビビっておきながら、いざ受け取ると何だか自分が強くなったように感じる。心に余裕が出来た証だ。
「復讐したい人、いるんでしょう?」
タンタンタン。死神が片方ずつ踵を床に打ち付けていた。俺も立ち上がって伸びをする。時計を見ていないからわからないが、そろそろ予鈴が鳴る頃だろう。
「はぁ?いる訳ねえだろ。お前ももっとリサーチしてから来いよな。俺以外にもいっぱいいんだろ、これが必要な奴」
いきなり死神がこちらを振り向いた。少し見開いた目で俺は見つめられる。
睨んでいるのではない。しかし、年に似合わぬ異様な静けさを伴った眼差しだった。一筋の光もない。
潤いのない無機質な瞳には、俺が映っていた。
「それは嘘」
「何で、そんなことがお前にわかるんだ。ないと言ったらないんだよ」
本当だった。
俺には憎む人も、恨みを持つ人もいない。親とも、クラスメイトとも円満以外の何でもない。
強いて言うならそりゃあ…TVに出ているいい加減な政治家とか、連続殺人犯には人並みに怒りを覚えるけれども。…こう言っちゃなんだが、所詮は他人事だから復讐を考える程でもない。
「本当に?」
「ああ。本当だよ」
「…ふうん」
死神は意味ありげに、俺から目をそらした。
キンコンカンコーン………予鈴だ。
「じゃあ」
連れてきたくせに死神は俺に背を向け、階段を降りていこうとした…が、1歩踏み出しかけて振り向いた。
「あ」
「何だよ」
「今日の放課後、…空いてる?」
(?今日の放課後…?…あれだ、遅刻の説教以外なかったはずだが)
「空いているけど、今朝お前のせいでやらかした遅刻を怒られに行かなきゃいけない。おけい?」
俺はあるだけの嫌味をこめて言う。
「オーケイ。それはごめん。終わってからでいいから、見せたいものがあるんだ。何時くらいに終わる?」
「遅くとも5時だな」
「分かった。じゃあ教室にいるよ」
「おう。C組だっけ」
「うん。それじゃ」
死神は階段をゆらりゆらり降りていく。俺と違って焦りなどというものが1ミリもない、余裕にまみれた人間のする歩き方だった。
「…………あ、ねぇ」
中盤まで降りたところで、死神は振り返らずに言った。
「僕の名前、カインだから」
「え?カイ?」
「カイン。僕の名前。死神じゃなくて、そう呼んで欲しい」
何より、そっちの方が短くて呼びやすいし。
それだけ言い残すと、今度こそ死神――――カインは階段を降りていった。
「いや………1文字だけじゃん」
はっと我に返り、自分も階段を降りる。
「カインねぇ………いい、名前じゃん」
何か。ゲームの主人公にありそうな名前だ。
心許せる苦楽を共にした万能な仲間とともに逆境に悪に立ち向かい、倒し、祝福される聖者の名。そう言われても通るほど、彼の名は死神の名にするには清すぎた。そして、なぜだかどのシーンでも、感情の薄い『死神』のカインを想像してしまう。
(…死神のくせに、なんつうか………皮肉)
階段を降り、いつものフロアに出る。教室に戻る人混みに紛れ、歩きながら頭の中で反復する。
今日、5時から。
用事。
死神。
最後は慌てて、カイン、と訂正する。
(一体何が起こるやら……)
口先ではそうぼやきつつも、俺はなんだか目の前に突きつけられた現実が、意外に優しかったことに安堵していた。




