~INVAITION TO HALL~
あなたには、復讐したい人はいますか?
もしかしたら現在進行形で苦しんでいる人もいるでしょう。
あの卑しい薄笑いを浮かべる唇の下―喉元に思い切り、鋭利なナイフを突き立ててやりたいとか――
あるいはいきなり、信頼はもちろん、生活さえままならないような不幸のどん底に落ちてしまえ――と呪ってみたり。
大抵の人は、恐ろしくて想像どまりで諦めてしまうでしょう。それならたしかにもどかしいですが、まだ幸せなのです。
でももし、あなたが恨みを持つ相手に、確実に復讐できるとしたら?
あなたはどうしますか?
やはり怖気づいて諦めてしまうでしょうか。それとも――――。
これは、復讐を実行する力を手に入れた少年のお話。
ああ、良いなって思うでしょう?
でも、果たして本当にそうなのでしょうか。
それの答え、このお話をすべて読み終えたあとに、自分の胸に手を当てて聞いてみてください―――
俺がその、間抜けな悪魔―もとい、死神に出くわしたのは、誰かが死にそうに空が曇った日だった。
ああ、絶対誰かが今日のうちに自殺するな。
そんなことを考えながら幾分雲の影の落ちた住宅街をいつもどおり、音楽を聴きながら歩いていた。頬を撫でる風が不気味なくらい生ぬるくて、思わず足を止めた。しばらくの間辺りを見回したけれど、ロッジ調の家が立ち並ぶ片側街は何事もなく取り澄ましていた。ただ空の淡い影が同じように落ちているだけだった。
俺は格好だけ身震いしてから、人気のない住宅街を抜けようとまた歩き出した。
突如、視界の端にくるりと尖った黒い革靴が映った。
悪魔みたいだ、と画面から顔を上げずに反射的に思う。そんな狂気じみた靴を履く奴なんて悪魔以外に想像つかない。まあ、こんなありふれた街にそんなものいるわけないか。
さして気にもとめずに俺は、画面の中でステップを踏む青いコートの青年に微笑んだ。レットウセイ、僕と同じだ。心が少しだけ、ぎこちなく温もる。
突如、黒い靴がこちらに向かって歩いてきた。内心戸惑っている俺をよそに、スタスタとこちらに向かってくる。一体何なんだ、と一人ざわめいているうちに、かおそいつは俺の前で立ち止まった。顔を上げる間もなかった。
すう、と呼気が辺りに溶けた瞬間、俺は目を瞑り身構えた。
(…誰…?)
(俺、なんかしたっけ……!?何されるんだ……!)
途端、作ったような艶っぽい、道化師のような声が空気を震わせた。
「どうもこんにちは、悪魔です!!」
目の前に現れた男は、満面のうさんくさい笑みを浮かべながらそう言い放った、らしい。
らしい、というのもその時、俺は固く目を閉じていたので見ておらず、彼の自己申告によると、人間に声をかけるときは必ずとびっきりの営業スマイルを用意しているらしい。
「…………………は?」
取って食われることすら覚悟していた俺の耳に、あまりにも突飛な文言が飛び込んできた。
恐る恐る目を開けると、文字通りうさんくさいとしか言いようのない笑顔と目があった。目がきゅっと三日月型に細まり、口元は左端がつり上がっている。いたって平坦な顔の造作の男だった。
男は目が合うと、白いマントの片側を広げて大仰なお辞儀をしてみせた。
「悪魔…?」
「そのとおり。いかにも自分は悪魔で―……ぁ、間違えましたスイマセン」
最後もしれっと言ってのけた。笑顔のままで。
いや自己紹介から間違うなよ、と突っ込んでも良かったのだろうが、俺はただ呆気にとられていた。コイツ、本当に…悪魔?嘘だろ?…それだけが頭の中をぐるぐると回っていた。そのくせ、悪魔が俺に何の用だろう、と頭の隅でぼんやりと考えていた。
どちらにせよ、目の前にいるのは初対面で名乗り間違えるような『自称』つきの悪魔だ。もしかしなくても、詐欺師の類かもしれない。
俺はいくらか冷静さを取り戻し、すっかり板に付いたからかい口調で話しかけた。
「悪魔じゃないなら何なの?もしかして、天使?俺の願いでも、叶えてくれんの?」
今思えば、その場で殺される可能性も無きにしもあらずだった訳だが…俺は完全に、この『自称』つきのうさんくささ極まりない悪魔のことを、なめてかかっていた。
悪魔はこともなげに、さらりと答えた。
「―ああ、死神、です。」
何故か、言いやがったコイツ、と心の内で叫んでいた。
―死神だって。笑わせやがる。見え透いた嘘ついちゃって。
そう無理に思い込もうとしたけれど、力が入りきらなくなった手のひらから携帯がすべり落ちていった。
無機質な液晶が、申し訳程度に差し込んできた陽光に照らされてツヤリ、と光った。それを目の端で捉えながら、気づかれないように少しずつ後ずさった。
「に、逃げるんですか?」
先程までの余裕ぶった態度から一転、死神はうろたえるような表情になった。
「…え、えぇ」
何故か律儀に返しつつも、俺はしっかりと数歩、後ろに下がった。
ようやっと唇の端に浮かべられた愛想笑いはひきつっていた。
死神はおろおろと、あの、えっと、とか呟きながらこちらに手を伸ばした。
死神だろうが悪魔だろうが、お関わりになりたくない。
大人の言う、「何かあってからじゃ遅い」の真髄を今、この目で学んだような気がした。ただ、事態はそこまで甘いものじゃない気がする。というかただひたすら、嫌な予感しかしない。俺は必死の思いで目元も笑ませ、切り出した
「あの、ちちちちょっとすいませんね用事を思い出しまして。ええ、ええ、失礼します、どうかまたの機会に、ね、」
「ちょ、あの、待ってくださ―」
心の中で大絶叫が聞かれた。頭の中ではもう、怒涛のように逃げろ逃げろ逃げるんだ、と理性ががなりたてていた。
足腰を震わせながらも、いち、にの、さん、で俺は背を向け、反対方向に一目散、駆け出した。よろめきながら、全速力で逃走を図った。
走りながら、ええいしょうがない、今日は遅刻だ―とこれまた心の内で絶叫する。
「仕方ねえだろーっ…だって悪魔が追いかけてきたんだからあああああああああああああああ学校間に合わねえええええええ!!!」
うおおおおぉ知らねえよおおおおおと全力で叫びながら、朝の閑静な住宅街を突っ走る。心臓が容赦なく鼓動を響かせ、汗が全身の毛穴という毛穴から吹き出して目の中に一滴垂れた。それすらもかまわず、野良猫を蹴散らし、小学生の登校の列をつんざきながら学校まで、ただひたすら走り続けた。
一方、残された死神は相応に困惑していた。
彼の視線の先には、携帯が転がっている。先ほど声をかけた少年が逃げるときに拾い忘れたものだった。
そして彼は自分の手元に視線を落とす。
そこには『INVITATION TO HELL』と印字された紙片が一枚、握られていた。闇を思わせる黒字に、血が滴り落ちるようなフォントは禍々しく―骨と思しき残骸やしゃれこうべのマークも、表裏に散らすようにあしらわれている。
―キノシタXXX、と彼は独りごちる。
あの少年の名前だ。
そしてふうと一息つくと、バッ、と、マントの裾を宙に払った。
突然、カッターシャツに濃紺のスラックスといった出で立ちになった死神は、携帯を拾って胸ポケットに仕舞った。さらにその上から、紙片を折りたたんでねじ込んだ。
そうして彼は一度、ひゅっと笑い残すと、背を向けて少年のだった方向に歩き出した―




